情けないことに「そう言えば小学生の頃にベルギー領コンゴってやったなあ」という程度の知識しか無い拙ブログです。

 サッカー・ワールドカップを見る度に、イングランド、フランス、オランダなどに黒人選手がいて、過去の植民地からの移民が多いんだろうなと漠然と感じていました。
 日本が善戦した対ベルギー戦で最も気を付けなければならないとされたルカク選手はコンゴからの移民というようなことを何処かで読み、確認してみたところ、ルカク選手はベルギー生まれのようです。平成26年7月5日付「コンゴルーツのルカクがベルギーを救う!~ワールドカップ決勝トーナメント」から。

以下引用(太字は済印によるもの。以下同じ)

彼の父はロジェール・ルカク。ベルギーでプレーしたサッカー選手だ。1967年、コンゴはレオポルトヴィル、いまのキンシャサに生まれた。記録によれば、ベルギーには1990年頃に渡り、そしてクラブを転々とする。1994年、1996年にはザイール代表としてもプレーした。

息子のロメール・ルカクは1993年生まれ。つまり父親がまだベルギーのクラブでプレイし、またザイール代表として活躍していた頃に、ベルギーで誕生していたことになる。ベルギーには大きなコンゴ人コミュニティがあるがルカク一家もその一つだ。

引用終了
 外務省の「コンゴ民主共和国」によると、1960年に独立以来、

コンゴ共和国 → ザイール共和国(1971年) → コンゴ民主共和国(1997年)

ということなので、ルカク選手のお父さんは国名がザイールだった時代の代表ということになります。  因みに、モハメド・アリが王者のジョージ・フォアマンを破ってヘビー級王者に返り咲いた「キンシャサの奇跡」は、ザイール時代の1974年10月30日でした。

 「saini-office」の「ベルギー」によると、ベルギーは血統主義を原則としているようなのですが、「『二重国籍』容認が国を変える」に二重国籍容認国としてベルギーがありましたので、ルカク選手が生まれた1993年以前にお父さんはベルギー国籍を取得してザイールとの二重国籍になっており、ザール国籍でザイール代表としてワールドカップに出場したのだろうと考えられます。

 ルカク選手については、お父さんが現在のコンゴ民主共和国出身であることしか書いてありませんので、恐らくベルギーの国籍だけを持っているのではないかと思われますが、「子供の国籍と姓」には「父母両系血統主義の国」の中にコンゴ民主共和国がありますので、二重国籍の可能性もあるでしょう。

 冒頭の「ベルギー領コンゴ」というのが分かると、次に「コンゴ動乱」が思い出されます。国連事務総長だったハマーショルドが飛行機事故で亡くなったのは、これに関係する暗殺だったのではないかという話です。

 そんなことから検索した結果、「ベルギー領コンゴ」になったのは1908年で、それ以前はベルギー王の所有物であって相当無茶なことが行われていたことも分かりました。「ベルギー国王は1000万人のコンゴ人を殺した」が参考になると思います。

 例によって長い前置きになりましたが、現在のコンゴ民主共和国は1908年以来ベルギーの植民地であり、「コンゴ動乱」にも関与していたらしいことが分かりました。第二次日韓協約が1905年(明治38年)、併合条約が1910年(明治43年)ですから、日本と朝鮮半島との関係に似ているような気がします。と言っても、日本の場合は1945年(昭和20年)の敗戦までですが。


以下引用

 またルカクは子どものころ、対戦相手の親に出身地を尋ねられ、プレーする資格を持っているのか質問されるなど、偏見の目で見られていたことを明かした。
「『何だって?自分はアントワープで生まれ、ベルギーの出身だ』と思ったよ」と話している。

引用終了

 上記のようにルカク選手はベルギー国籍を取得していますが、それでも外見から偏見を持たれたこともあったようです。

 ウィキペディアの「ルアンダ=ウルンディ」を見ると、国際連盟下では委任統治領、国際連合下では信託統治領としてベルギーはルワンダを支配し、ルワンダ内戦にも関与しているようです。
 とすれば、日本人としては「謝罪と賠償」が気になるのですが、検索した限りでは、コンゴ独立時の指導者であるルムンバの暗殺に関して基金を作っただけのようです。「61年のルムンバ暗殺に責任 ベルギー政府が謝罪と賠償」から。

以下引用

 しかし、1999年の末には、ワシントン・ポストの記事で、1960年、コンゴでパトリス・ルムンバを抹殺すべしという命令をアイゼンハワー大統領が直接与えていたという事実が公式に確かめられた。この暴露記事は、それまでの40年間、すでに公然の秘密であった事実、つまり、アイゼンハワー大統領が時のCIA長官アレン・ダレスにルムンバ暗殺の指令を直接出していた事実を確認するものであった。 冷戦状態も過去となった今、アメリカの行為で破壊されたコンゴの社会の新生のために、関係の秘密文書の公開が改めて要求される。
 ミシェル・ベルギー外相はユーロ議会で「当時の政府関係者は暗殺に至った事態に責任がある。遺族とコンゴ国民に心からおわびする」と言明。旧宗主国の「暗い過去」に一定の決着をつけることになる。ベルギー政府は賠償代わりとして総額375万ユーロでルムンバ基金をコンゴに設立、紛争予防や法の支配強化、教育に役立てるという。

引用終了

 375万ユーロとは現在の相場では約5億円のようです。繰り返しになりますが、これは指導者暗殺に関するものであって植民地支配に対する謝罪と賠償は検索した限りでは出てきませんでした

 米朝首脳会談で北朝鮮情勢が動き出すとともに日本の「賠償」という話が出てきています。6月14日付中央日報「対日請求権200億ドル、北朝鮮再建の『種銭』可能」から。

以下引用

 第2次世界大戦が終わった1945年。連合軍は敗戦国である日本に大規模な賠償責任を課した。戦争で破壊された被害国のインフラを再建するのに日本が直接資金を支援しろという意味でだ。日本の侵略で被害を受けたアジア諸国は順に賠償金を受ける

 1954年にビルマ(現ミャンマー)が2億ドル、56年にフィリピンが5億5000万ドル、58年にインドネシアが2億2300万ドルを順に受け取った。そして65年に韓国は3億ドルを受け取る。日本に侵略被害補償金を請求する権利、対日請求権を行使した事例だ。

 サムスン証券は、北朝鮮が対日請求権を行使し200億ドル(約2兆2061億円)を受け取ることができ、これを経済再建の種銭として活用できという分析を出した。同社リサーチセンターの北朝鮮投資戦略チームが13日に刊行した報告書の内容だ。・・・

引用終了

 この記事は「侵略被害補償金」との表現で「200億ドル(約2兆2061億円)を受け取ることができ」となっています。

 今更言うまでも無く日本は朝鮮半島の国々とは戦争をしていないわけで、ベルギーの例を見ると「賠償」というのは存在し得ないように思えます。とは言え、日韓国交正常化の際の例もありますから、それなりの金額を援助せざるを得ないもの事実なのだろうとは思います。ただ、それは「謝罪と賠償」ではないはずです。

 実は、植民地支配で「謝罪と賠償」をした例があるのかずっと気になっていたのですが、していないらしい例でしたので取り上げました。検索不足、知識不足の面があるかも知れないとは思います。

 以上の話と現在行われているワールドカップは別の話で、ベルギーがフランスに勝ち、最終的に優勝することを願っています。

[追記]
 ベルギーはフランスに0-1で敗れました。