月の光が町中に煌々と降り注ぐ中、「そこ」はいつも光が届いていなかった。
 まるで光が「そこ」を照らすことを拒否しているように。
 その存在を忘れよう忘れようとしているかのように。
 日の光は平等に町を包み込む。
 日中その場所を見たとしても、貴方は別段普通のところだと思うだろう。
 けれど、どうだろう。
 一旦夜の帳を下ろすと、いやでも異常に気付くのではないのだろうか。
 どうして「そこ」は、いつも暗がりに包まれているのだろう。
 好奇心に気を取られても、決して中を覗いたりしてはいけない。
 もしも足を踏み入れたらどうなるか?
 あなたは二度と、「普通の生活」を手に入れることはできない。

 だから、近寄らない方がいいのだ。
 夜の、金管高校に。
 自分の命が惜しいなら、気付かないフリを続けるのが一番。
 そうすれば、失うものなんて何もないのだから。


 「ブラスファイト」
                原作:師匠ムネオ
                ノベライズ:紙須則人
                協力:Mちゃん

 第1話 勝利の鐘は沈黙を守る

 腹に受けた一撃は鈍く痛みを放ち続けている。
「畜……生っ」
 思わず漏れた言葉に、冷えたと思った怒りがぐらぐらと沸騰する。
 声に出した途端に、昨晩の屈辱が思考の全てを支配したのだ。
「あと1撃、たった1撃だったのに!」
 彼女がホルンを構えるより一瞬速く、トロンボーンのスライドがわき腹に食い込んだ。
 彼女の一番のライバルの必殺技、スライド・アタックだ。
 勝てる、そう確信していた試合だけに痛かった。
 一瞬の、コンマ1秒の油断が招いた結果。
 自分の慢心故の敗戦と理解していても、たぎった怒気は消化されることなく沸点を迎える。
 とどめを刺す瞬間、顔も知らないライバルが、自分を哂うように唇を吊り上げる様子が目に浮かぶようだ。
 ふつふつと湧き上がる怒りをどう抑えようと地団駄を踏む少女の背後から、くつくつとさもおかしげに笑う声に、一気に上昇していた温度が収まった。
 ふかふかのクッションをワンバウンドして、勢い良く振り返る。
「笑い事じゃないですってば、直都さん」
「ごめん、ごめん。真帆ちゃんがあんまりに必死だから、つい」
 その言葉から察するに、ついさっき来たというわけでもなさそうだ。
 おそらく少女――神野真帆が落ち着いては怒って、怒っては落ち着いてと百面相を繰り返すのをずっと見ていたのだろう。
 頬が熱を帯び、みるみる真っ赤に染まっているだろうことが自分でもわかり、真帆は顔を手のひらで隠した。
 ごめん、と言葉ではいいつつも、青年――城上直都は未だに笑いを堪えるように肩を震わせている。
「もう、ひどいよ、直都さんのバカ」
「ははは、ごめんってば。もう笑ったりしないから、ね」
 ようやく一通り笑い終わったらしい直都は、ソファーに座る真帆を挟んで対面に座る。
 目の前の机には、融けかけで角の丸い氷が浮かんだアイスティーが置かれた。
 やはり真帆の百面相を見ていたのは間違いないようだ。
「……苺のタルトもなくちゃ許してあげない」
「了解しました。今度の練習日には焼いておきます、お姫様」
 恭しく頭を垂れ、執事のように振舞う直都に、ようやく真帆の顔に笑みが浮かんだ。
「さて、と」
 佇まいを但し、直都の背筋がぴんと伸びる。
 先ほどまでの柔和な様子と打って変わって、青年の顔が真顔になった。
「元気が出たようなので、早速昨日のお説教を」
 真帆もつられるように姿勢を正す。
「……はい」
 いくつになっても、叱られるというのは嫌なものだ。
 自然と表情は苦虫を噛み潰したように歪む。
「まあ、そんな顔をしてるあたり、自分でも分かってるだろうけどね。
よくわかったでしょ、昨日で。
『最後まで気を抜いてはいけません』
ね、悔しいなら絶対同じことは繰り返しちゃいけない。
もう二度と、こんな気分を味わわないためにも」
「はい」
 噛み締めるように、歯をくいしばり、顔を上げた。
 直都の表情はすぐに、やわらかいものに変わる。
「ん、いい返事。お説教はここまで。ぐだぐだ言ったって仕方ないからね。いつまでも気分を引きずっちゃだめだよ。真帆ちゃんは元気だけがとりえなんだから」
「い、今、げ、元気だけって言った」
「あれ、違った?」
 首を傾げ、青年は「にっこり」と笑う。
 先ほどまでのやわらかい笑顔とは違う、意地悪な色を含んだ「にやり」に近い笑顔だった。
「直都さんって時々すごく意地悪だよね」
「んー、真帆ちゃんがあんまりにそっくりだからねえ。つい調子に乗っちゃって」
 その言い回しにひっかかるところがあり、真帆は思わず聞き返す。
「誰に?」
「え?」
 途端、直都の表情が固まった。
 笑みでもない、怒りでも悲しみでもない、不意打ちに表情の筋肉が追いつかないというように。
「今、あんまりにそっくりって言ったけど、誰にそっくりなの?」
「昔のペットだよ」
 即答だった。
 どこか拒否を示すような、冷たい響きがする。
 それ以上聞くなと拒絶されたようで、真帆は何も言えなかった。
 沈黙が場を支配する中、直都は何事もなかったように続けた。
「さあ、いつまでも油を売ってても仕方ない。練習をはじめようか」
 「楽譜」を取り出す直都に、真帆の表情はひきしまる。
 そうだ。いつまでも気分を引きずっているわけにはいかない。
 自分にはやらなくてはいけないことがあるんだから。
 ケースから傷一つないホルンを取り出す。

 神野真帆は今、二重生活をしている。
 昼間は高校生としてごくごく普通の生活をしているのだが、夜は「闘って」いる。
 顔も知らない、敵を倒すために。
 ……いや、敵――対戦相手を倒すためではない。
 真帆の「敵」(かたき)は別に居る。
 母を亡き物にした、にっくき仇は。
 『ブラスファイト』
 それは、夜な夜な真帆が通う学校の地下で行われている「お遊戯」だ。
 おそらく、昼間の高校に通っている生徒は誰も知らないだろう。
 真帆のように闘う側に回った人間が他にいない限りは誰も。
 漫画にでもよくありそうな話だ。
 暴力団の経営する、闇の賭博場。
 仮面武道会ならぬ、盲目のコロシアム。
 ルールは簡単。
 楽器使って闘うこと。
 楽器さえ手にしていれば、攻撃方法は構わない。
 音で闘うのも有り。楽器を武器に敵をなぎ倒すのも有り。
 どちらかが倒れるまで闘いを続ける。
 殺しても、殺さなくても、倒しさえすればいい。
 ギブアップは認められない。
 投了は即ち死を意味する。
 いたってシンプルなシステム。
 ただ少し戦いを複雑にしているのが、アイマスクをして闘うということ。
 目隠し状態のままの闘い。
 故に、単純に体格のいい者が勝利するとは限らない。
 いかに小さな音を逃さず「聞き」、気配を「読み」、闘いの流れを「作る」ことが必要になる、頭脳戦だ。
 そして、その勝負は一晩で大きな金を一挙に動かす。
 娯楽を求める金持ちと、資金を求める暴力団との利害が一致したために行われている「お遊戯」それが「ブラスファイト」。
 少女の母を奪った、憎き「敵」だ。
 それを倒すためだったら、なんだってしてみせる。
 幼い日に誓った小さな炎は、今も少女の胸で確かに燻り続けている。
 少女の武器はホルン、そして己の身一つのみ。


「母さん、私、絶対に勝ってみせるからね」
 青年にも聞こえない小さな声でそっと呟き、ホルンを構えた。


                               【つづ……かない】
                               ※この話はつづきません。

業務連絡>
Mちゃん誕生日記念ってことで1話だけ。
勝手に舞台高校にしてごめん。だって、場所指定なかったんだもん。だから勝手に夜の高校にしちった。単に煌々と高校をかけたかったってのは内緒の方向で。
菅野ってのはあんまりに見え見えなので、字を変えてみた。
ナオトさんも直人だとどうしても実在の別人を思い出して乗らないので、ちと変えてみました。尚登にしようかとも思ったけれど、あんまり字面がよくないのでこのカタチに。
性格も捏造でスマン。展開は決めてたけど、性格を事細かに決めたわけではないので、書きやすい形にしちまった。
つうか俺、水野(本来のヒーロー)書けねぇよ>だからこんなカタチに。
どうしても書けっていうなら、水野の下の名前は蔵人(クラウド)にするんで、そこんとこよろしく。
というより、続きは絶対に書かないので、そこんとこよろしく。