神野(かんの)枝折(しおり)――ブラスファイトに携わる者ならば、一度は耳にしたことがあるだろう。
 その名前は、畏怖とある種の敬愛を持って今も語り継がれている。
『ブレイン・クラッシュ』
 彼女の音はより人の耳には聞こえないほど高く、聞く者全ての脳を破壊した。
 それでも彼女が破壊していたのは、いつだって対戦相手だけだった。
 そう、その日までは。
 普段は観客席には「絶対の安全」を謳っている、防護専門のブラスファイターが張り巡らせた防護シールドさえ突き抜けて。音波が会場を支配し、その場の人間全てを一人残らず「廃人」にしてしまうまでは。
 以降の枝折の行方を知るものはいない。
 生きているのかもしれない。
 死んで――始末されているのかもしれない。
 人々は彼女の行く末を密かに推測し、囁きあった。
 では、神野真帆――枝折のたった一人血を分けた娘はどう考えていたのだろう。
 枝折が「いなくなった」のは、まだ真帆が幼稚園に入園した頃のことだった。
「お母さんはいなくなったんだ」
 言った父の顔すら、もう思い出せない。
 そもそも、自分に「父」なんていたんだろうか。
 後にそんな風に疑ってしまうほどに、「父」は突然消えた。
 母を追うように、と言ってしまうのはあまりに感傷的で、あまりに甘すぎる。
 そう、「父」は消えた。
 幼い真帆に多額の借金だけを残して。
 そんな人のことはすぐに忘れた。
 真帆のことを同情してくれる人は沢山いた。
 もちろん、真帆が欲しかったのはそんなものなんかじゃない。
 影でどんな風に噂されていることも知っている。
 そう、真帆は周囲の善良な一般市民から見れば、「可哀想な捨てられた子」だった。
 それでもいいと思った。
 どうせ、自分はどうでもいい人間だったんだから、と。
 真帆に同情以外の形を持って接してくれた人も中には数名いたけれど。
 そんな中で一番はじめに真帆を怒ってくれたのが、直都だった。
 元々、母が居る頃から母の「後輩」と名乗り度々神野家を訪れた。
 その日まで、真帆の中での直都は、ただの優しいお兄さんだった。
 真帆ちゃん、駄目だよ。そんなふうに決め付けちゃ。
 そんなふうにね、どうでもいいって考えると、本当にどうでもいい人間になっちゃうんだから。
 借金を肩代わりしてくれるという直都の言葉を、真帆は蹴った。
 自暴自棄からくるものではなく、小さな胸に闘志を秘めて。
「私に、闘い方を教えて下さい」
 幼い幼い彼女の言葉を、青年はどう取ったのだろうか。
 覚えているのは、ぬくぬくした手のひらの温度だけ。
 その日から真帆にとって、直都は唯一信用できるものになった。
 父であり、母であり、兄であり、全てだった。
 
 そういえば。
 直都が真帆を「拾って」くれたのも、こんなじっとりと重い雨の降る、梅雨の日だった。

 「ブラスファイト」
                原作:師匠ムネオ
                ノベライズ:紙須則人
                協力:Mちゃん

 第2話 恋するタマゴ

 音楽室から漏れ聞こえる、吹奏楽部の演奏する、流行りのポップスに耳を傾け、思わず口ずさむ。
 ふんふんと気分良く、歌っていたけれど。
 どうもおかしい。
 主旋律が半音ずつずれてるんだな、ということはすぐに気付いた。
 トランペットだと「ド」は「レ」、「シ♭」が「ド」なんだよね。
 音を外している人がいるというレベルでなく、主旋律が全部はずれているところを見ると、楽譜を書き換えた人間が間違えたんだろう。
 真帆はぼんやり思い出す。
 今でこそホルンを愛用しているけれど、入りたては母と同じトランペットを使っていた。
 真帆に「楽器」を教えてくれた直都の「楽器」はピアノだったから、はじめは随分混乱したっけ。直都さんがは時々楽譜をピアノのものの音階で書いてしまう癖が抜けていなくて、新しい曲を習うたびに混乱していた。
『違う、シ♭じゃなくて、ドだよ、真帆ちゃん。あれ、シ♯だったっけ? いや、シに♯なんかないって。あれ、ちょっとまってくれよ。ごめんね、うん』
 直都は直都で時々混乱して目をぐるぐるさせていたっけ。思い出してくすりと笑う、と。
「また、半音ずれてる」
 はっと顔を上げる。
 自分と同じことを考えていた人間がこの場にいたのか、と。
 退屈そうに右手でペンをくるくると指先で回しながら、左手の指でトントンとリズムを取っている。
「水野くん、音楽に詳しいんだ」
 なんとなく嬉しくなって、真帆は思わず話しかけた。
 それまで水野――水野達也とは同じクラスで生徒会の会計と書記と接点だけは多かったけれど、ろくに話したことはなかったけれど。
 まあ、それというのも水野はどこかぼんやりとした、年柄年中起きてるのか寝てるのかすらよくわからない、独特のテンポで生きてるような人間だったからだ。
 そもそも生徒会の会計をやっているのも、あまりに寝てばかりいるものだから、矯正のためにと無理やり入れられたようなものだったりして。
 真帆の声に、水野はぼんやり顔を上げた……ものの、すぐにまた下を向く。
「うお、落としちった」
 右手のペンが落ちて、そっちの方に気を取られているようだ。
 長机の上をころころ転がるシャープペンシルを、真帆は拾い上げる。
「はい、どうぞ」
「ありがと。神野さん」
 ぼんやりと、微笑んだ。
 その笑顔があんまり可愛くて――同学年の男子生徒に可愛いという表現は失礼なのだろうけれど――、思わず真帆の頬もつられて緩む。
「水野くん、音楽詳しいの?」
「んー? どして?」
「ほら、」吹奏楽部の練習している音楽室がある、真上を指差す。「半音ずれてるってさっき言ってたから」
「あー、んー、別に。詳しいってほどじゃないかなあ。小学校の頃ちょっとだけやらされたから、ブラバン」
「ふうん、何演奏したの?」
「北斗の拳とか」
「ユワッシャーってやつ?」
「そう、YOUはショックってやつ」
 ころころと転がる会話が楽しくて、思わず声を弾ませる。
「ねえ、じゃあ何の楽器演奏してたの?」
「あ、それはト……」
 言葉は続かなかった。
 どうしたんだろう、思うより先に真帆の頭に衝撃が走った。
 話を聞いていない二人に業を煮やした独裁者――副会長の拳骨がめりこんだのだ。
 水野は既に机に突っ伏して、敗北者と化している。
 へんじはない ただのしかばねのようだ
 2人の前には、鬼の形相の副会長が怒りで湯気を立てている。
 一応口は笑みの形にかたどられているものの、目が笑っていないのが逆に怖い。
「水野くーん、真帆ちゃーん。ユリの話聞いててくれたぁ? 聞いてなかったよねえ。うん、聞いてなかった。傷ついちゃうなあ、ユリ。はい、もう怒った。明日の抜き打ちの部活調査、2人だけでお願い。サボっちゃだめよ。そんなことしたら、ユリ、どうするかわかんないから」
 副会長に逆らってはいけない、それは金管高校に通うものなら誰しもが知っている暗黙の了解だ。
 会長なんてのはお飾りで、あってないようなもの。
 下手をすると教師より権力は上かもしれない。
 金管学校の政権は全て、副会長――岩清水ユリカに握られている。
 まあ、それでもほんの一部にしか反感を抱かれていないあたり、彼女の手腕が優れているということの証拠なのかもしれないが。
 そういうわけで。
「わかりました」
 真帆に用意できた、そんな服従の台詞だけだった。
 ばたんきゅーと伸びたままの水野の返事は返ってこなかったけれど、ユリカは真帆の返事に満足そうに目を細める。
「物分りのいい子は、大好きよ」
 はあ、真帆の口から大きく溜息が漏れる。
 そんな中、上から流れるメロディはようやく間違いに気付いたように、主旋律が正しく直っていた。

 帰り道、見慣れた風景が早足で駆け抜けていくバスの中、明日のことを考える。
 部活の査察は面倒くさいけれど、水野が一緒だというのはなかなかいいシチュエーションかもしれない。
 変わった子だなあと元々思っていたけれど。
「水野くん、か」
 嫌いじゃないな、ああいう子。
 なんとなく、幸せな気分に浸れた。

 そういえば。
 トロンボーンも、半音ずれてるんだよね。
 真帆は自分の考えてしまったことを、すぐに打ち消す。
 まさか、ね。
 自分で考えたことがあんまりに突拍子もなくて、笑ってしまう。
 真帆の最大のライバル、どんな卑怯な闘い方でも勝つためなら手段を選ばない、非情のトロンボーンファイターを思い出してしまったのだ。
 対して水野といえば、どこかぼんやりしていていつも寝惚けたようなおっとりとした少年だ。
 結びつくところはどこにもない。
 そんなことはありえない。
 水野くんが「アイツ」だなんて。

                             【つづ……かない】
                             ※この話は基本的に続きをかかない予定です。


>業務連絡
思いがけず第2話更新。
思いついたら思いついたときに推敲ナシで出しちまおうと。
Mちゃんに好評だったようなので、ついつい書いてみたり……。
オリジナル設定ばかり作りまくってごめん。
新キャラ(ユリカ)勝手に作ってごめん。
そして、直都さんばっかりに力入れてるのが分かる出来でごめん。
昨日関係ないときにでた会話(半音ずれてる)を勝手にネタにしてごめん。
というかね、私小学校の頃しかブラバンやってなかったからね、わかんないのよ。
半音ズレてるってのも昨日初めて知ったくらいだし。
ホルンは音階ずれてるのかどうかもわからんという駄目っぷり。
調べて書くより勢いあるうちに書いちゃえとドバッと更新。
もし間違ってることあったら教えておくれ、ドキドキ。
ホルンをよく知りもせず、ただ「ヒロインっぽい!」という駄目な理由で主人公の武器は絶対ホルンと言い張った私を許して下さい。
そして、水野登場なわけだが。
……本当に奴の性格がわからねえ。
おもいだせねえ。
興味がないから考えつかねえ。
だからちょっとでも書きやすく、とぼんやり属性入れちまった。(勝手に少しでも好みに変えてしまった……)
原作はそうじゃなかったのは承知の上で。
少女漫画にありがちなクールビューティーは俺には書けねぇ。
そっちのが絶対人気出るんだろうが。
少女漫画(設定)失格ですまねえ。
書きやすさに逃げたおいらを許しておくれ。
求む、水野設定!
つけたしでも原作でもいいから教えてくれぃ。
貴方の求める水野(ヒーロー)像を。
そしたら今回分も直します。
はじめっから好き同士ってのは書きにくかったので、今回ので「意識するキッカケ」にしちまいました。
何も思ってなかった人に興味が沸く瞬間ってあるよね。
今回のタイトルは「ジェットマン」のEDテーマ曲「ココロはタマゴ」から取ったのは、お兄さんとボクだけの内緒だぞ? だぞ?