お昼をひとりで食べるようになって、私は公園へ通うようになった。
今までもよく行ってはいたけれど、最近はほぼ毎日足を運んでいる。

私の会社の近くには、2つの公園がある。
ひとつは、入社当初よく同期四人でお弁当を食べた会社の大きな公園。
会社のすぐ近く――5分もかからないところ――にあり、グラウンドもあるためよくうちの会社の野球部もキャッチボールをしていた。
子供も多く、老人やホームレスも多い。
鳩は丸々と肥え太っていて、人のお弁当のおかずを必死で狙う。余談だけれど、私とは非常に仲が悪く、最近は公園に入るだけで警戒したようにボーボーと鳴かれる。
もうひとつは、会社から少し離れた小さな公園。
子供も会社の人もいない代わりに、工事現場で働くおじさんたちがのんびりと日向ぼっこをしている。
鳩も少しはいるけれど、人間なんて我関せず。決して自分から寄ってはこないし、こちらが寄るとすぐにどこかに行ってしまう。
静かだけれどさびしくはなくて、最近はこっちの公園にばかり通っている。

この公園には、よく猫が現れる。
灰色の毛並みが艶やかな大猫で、よくご飯をねだってくるものの、何もないことを見せるとすぐに興味を無くして行ってしまう、クールな美人さんだ。
私は彼女(彼?)のことをとても好もしく思う。
どっしりと構えていて滅多なことでは驚かず、決して懐かない。
私がそこへ通うのは、彼女に逢うためだと言っても、過言はない。

今日は、彼女には逢えなかった変わりに、別の猫と相席になった。
チャコールグレーと一段淡いブルーグレーのしましま模様の青年猫。
私がベンチに座るなり、なんだコイツと大きな琥珀の目を瞬かせて、後ろへ飛びのいた。
足元の毛だけが白くなっていて、くつしたを履いたように見えるのは、実家の犬と同じでなんだか親近感が沸く。
それからは、私のベンチの周りを行ったりきたり。
どうしようか考えあぐねるようにぐるぐると同じところを廻っていた。
普段なら――いつもの美人さんなら、深追いはしないのだけど、いちいち探るような反応が新鮮で、思わず一歩踏み込んでしまった。

餌を上げてしまったのだ。

はじめは警戒していて、お弁当のフライドポテトを投げても短い毛並を逆立てて、脱兎のごとく逃げ出した。
それでも私が追いかけたりはしないので、恐る恐ると寄ってくる。
私はただ琥珀の目をまっすぐに見て、無言のまま首を傾げる。
猫は困ったように口を大きく開けて、小さな牙を剥き出して牽制してきた。
それでも何も言わずにただ目を見る。
安全だと考えたのか、恐る恐るポテトに口を寄せ、一気に飲み込んだ。
もう一度、投げてみる。
やっぱり大分警戒した後、持ち帰って食べた。
もう一度。
今度は逃げずに、それでも後ろを向いたまま食べた。
もう一度……。
後ろを向いたままとはいえ、大分近くで食べてくれた。
私は嬉しくて、そのまま猫に会釈だけをして、会社へ戻った。

それがまずかったなと思ったのは、少し時間を置いてから。
私はただ少しだけ懐いてくれたような気がして嬉しくて、重大な間違いを犯してしまったんだ。

餌を上げること。
それは本当は気楽な思いでやっちゃいけないことなんじゃないのか?

たとえば。その子が飼い猫だった場合。
飼い主からきちんとご飯を貰っているにも関わらず、私があげた餌を食べてしまったことになる。
食べなれないものにお腹を壊してしまうかもしれない。
食べすぎて、太って動けなくなってしまうかもしれない。

それでも、まだそれはいい――よくないけれど。
もっと恐ろしいのは、野良猫だった場合だ。
私が餌をあげたことで、自分で餌を集める術を忘れてしまうかもしれない。
もしもこのまま続けた場合、私がその公園に行かなくなったら、その子はどうなる?
人間に警戒を無くしすぎて、危険な目にあうかもしれない。
餌をくれる人がいると仲間が集まり、一帯が猫だらけになって、近隣の人々が眠れなくなるかもしれない。塵を漁る猫が出て、猫狩りがはじまってしまうかもしれない。
実際、猫に餌をあげるひとが死んだりいなくなったりしたせいで、増えすぎた猫の鳴き声に眠れなくなる人だっている。
そんな人の中に、猫に危害を与える人が出ないとは言い切れない。

たった一度餌をあげただけ。
そう、一度。
一度ならいい?
だけど、どこまでがいいなんて、線引きできない。
気まぐれに餌をあげること、それは本当は優しさなんかじゃないんじゃないか?
自己満足にすぎないんじゃないか?

その子の一生に深く関わっていく覚悟もないのに。
「何か」起こってしまったときに、責任を負う心構えもないのに。
もしも餌をそのままあげ続けるならば、それ位の覚悟はしていかなければならないんじゃないのか?
私は、動物を撫でるのが怖い。
嫌いだからじゃない。
触りたくないからじゃない。
その温もりを覚えてしまうのが怖い。私も、その子にとっても。
だから、いつも目を見る。
何か喋ることもせずに、ただ目をまっすぐにじっと。
大切なものが増えるのは、とてもとても怖いこと。

勿論、餌をあげることが必ずしも悪いことではないかもしれない。
その子はお腹をすかしていたかもしれないし、ひょっとしたら食べなければ飢え死んでいたかもしれない。

何が悪くて、何が良いことなのか。
本当はとてもとても難しいこと。

水戸黄門や大岡越前や――時代劇の世界のように、勧善懲悪だったらもっとわかりやすいけれど。
残念ながら現実は、きっぱりと悪と善は別れていないことの方がずっと多い。
よかれと思ってやったことが、他の人にとっては迷惑でしかないのかもしれない。
私にとっての正義が、全ての人にとっての正義とは限らない。
私にとっての悪が、必ずしも全ての人の悪とは限らない。
どの視点で、立場で物を見るのかによって、いとも簡単に善悪は入れ替わる。

帰り道公園の前を通ると、昼間の猫が居た。
私を見ると歩くのをやめ、ぺたんと道路脇に座り込んだ。
特に媚びるでもなく、ただどうでもよさそうにこちらを一瞥した。
そのまま私のことは忘れてしまうといいと思った。
懐かなければ良い。
期待しなければいい。


私がその子に餌をあげたのは優しさなんかじゃなく、淋しかったからなんだろう。
普段だったらそこまで踏み込まなかったのに。
寂しさは厄介だ。


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