美術博士 純丘曜彰教授のドイツ大学講義日誌

マインツ大学 メディア学部 映画学科 客員教授

ブエルタが終わった

 いやいや、今年は、いいレースだった。変な連中がいなくて、気持ちのいいレースだった。例年、ブエルタなんて、おまけ扱いで、同着だらけ。それが、今年はフルームが本気だし、ニバリはジロをテュムランなんかに荒らされてブエルタに賭けていたし、なにより辞める辞めると毎年言っていたコンタドールがほんとに辞めるらしい。チャベスやバルデなどのように思っていたほどでもなかった選手もいたが、それでも完走。

 とくに第20ステージのコンタドールは、かっこよかった。姑息に最後のパンチで勝つのではなく、堂々、数十キロも前から飛び出した。それもあの坂だ。へたって吸収されてしまう方がふつうだろう。にもかかわらず、独走。これじゃ、思わず見入ってしまうじゃないか。スカイやバーレーンのサポートもみごとで、ニバリがコンバッティヴだったが、フルームはチーム力だけなく、個人TTで、圧倒的なパワーを見せつける。ジロのデュムランのはったり威嚇みたいな詐術抜きで、本気のレース。

 最終日も、みんな楽しそうだった。いくつかワンデイなどが残っているにしても、これで今シーズンは、心情的には終わり。サガンは裏でがんばっているようだが、ツアーこそ華。来年はフルームの五勝クラブ入りが掛かっている。それにしても、スペインの空は青かった。いまからでもどこかヨーロッパの田舎に行きたい気分だ。

ペーター・サガン失格

 ゴール直後からどうなるのかと思っていたら、いったんは降着+ポイント取り消しで落ち着いた。ところが、その後、失格。フランス語のオフィシャルサイトも、そうなっている。もともとキャヴェンディッシュの方が悪評高かったのだが、サガンもたいがいで、おそらく前日にもまったく同じラフプレーをやっていた件が再燃したのだと思う。前回だけなら、たまたま、とも言い逃れができるが、二日続けてでは、レッドカードもやむをえまい。

 当たった当たらないを写真で言い争うのは、あまりにバカバカしい。物理学の法則からして、60キロで前進している物体は、よろけ倒れても、スリップして斜め前に飛ぶはずだ。ところが、それが、ほぼ真横に倒れたとなると、時速60キロの慣性をはるかに超える、かなり強烈な横向きの力が新規に加わったということ。ふつうには、むしろ60キロで前進するものに、真横の力を加えることのほうが難しい。ありうるとすれば、同じく60キロで前進するものが、横向きに、というより、斜め後ろにド突いた、からにほかならない。

 それにしても、そもそも、コースが悪い。逃げも無く、切れもせず、各チーム、まったく消耗なしで、全員がゴールに殺到。その前の落車を含め、起こるべくして起こった感がある。いくらスプリンターステージだとはいえ、あえて途中で各チームのメンバーを振り落としていくのでないと、こうなる。

 背景には、ブックメーカーの都合があるのだろう。日本ではほとんど表沙汰にならないが、チャリンコレースなんて、将棋や相撲、野球などと同様に、賭けの対象として生まれてきたものだし、それで新聞を売ってきた。勝敗が見えては困るが、やたらベットが集中しても困る。それで、このように、ゴール直前まで管理レースのような展開になりそうなコース設計になる。

 とにかく運営の奪い合いを含め、いかにもヨーロッパ的な陰湿なドロドロが百年来うごめいているゲーム。だれが勝つか、なんて、チームを横断して、いかにもいろいろありそうなところが、また魅力。それにしても、この季節、このあたりの景色は、ちょうど麦の実りの時期で、とても美しい
 

ジロとサミット

 ここのところ、ずっとイタリアのテレビ漬け。例年、ジロ、つまり、イタリア周遊自転車レースなんて、フランスのツールに比して、同着だらけの事なかれ。ところが、去年のニバリの大逆転に加え、今年は百周年ということもあって、大波乱の激戦に。大物スカルポーニが直近で事故に遭って亡くなり、嫌われ者のデュムランがタイムトライアルで2分もリード、ところが、それが腹を壊して珍事に。最終日なんてパレードしておしまいのはずが、もともとここにまた平坦コースで個人トライアルが入っているせいで、上位6位までが本気のつばぜり合い。誰が優勝しても不思議ではない展開に。

 テレビでもそうだが、安定してしまうと、チャレンジが無くなる。強固なファンがいても、ジリ貧になる。むしろ、ハタから見ていて面白いのは、どっちへ転ぶかわからない不安定な状態。わからないからこそ、おもしろい。目を奪われる。日本がダメなのも、安定しすぎたからだろう。関わっても、家柄勝ちにはかなわない。かってにやってなよ、というように人心が離れていっている。

 イタリアのテレビでは、もちろんサミットのニュースもやっている。でも、やっている場所がシチリアなこともあって、まったく注目されていない。移民問題云々と言っても、イタリアにとっての移民は、中東系ではなく中国系で、服飾品などのビジネスを含め、その他のヨーロッパ諸国とは問題の構造が違う。まして、テロなんか、なにをいまさら、というところ。国内のヤバい連中による有力者爆殺なんて、ちょっと前まで日常的に頻発していた。ひどくダメな国だが、さほど困っていない、というのが、イタリアのいいところ。

 こういう意味で、日本は、あのダメなイタリアに学ぶところは大きいのではないか。こんなに働いているのに幸せになれない国と、ろくに働いていないのに、なんとなくまあまあな国。安定しているだけで何のチャンスの無い国と、がだがたのぐちゃぐちゃだからこそ、なんだかわいわいがやがや活気のある国。もうすこし若かったら、イタリアに住みたかった。

春の自転車レース

 ヨーロッパのなんでもない地方の風景が好きだ。それで、チャリンコレースがあると、夜、そのliveを見ている。三月に入って、二つの海レース(8日ティレーノ〜14日アドリアティコ)、ミラノ〜サンレモ(18日)、ヴォルタ・ア・カタルーニャ(20日〜26日)と、海から山まで。残雪がまだ多いのに、爆走。とくに今年は世代交代の時期のようで、古い世代が前に出るかと思うと、若い世代が追い抜いていく。とくに、26日のフルームが逃げ切りに失敗して、5キロも残してプロトンに飲み込まれ、そこから混戦になったのは、圧巻だった。

 昔、テレビはボクシングやプロレス、相撲のようなものしか映せなかった。それが望遠やスイッチングの発達で、野球やゴルフが人気。横長のハイビジョンとともにサッカーへシフト。いま、ヘリからの星送りで自転車が注目される。まだ画像が乱れるが、ゴールで待っているだけの時代からすれば、長足の進歩だ。かつては電車に乗ったなんていう話もあったのに、いまや魔法の絨毯はもちろん、途中で仲間のケツを押しただけでもばっちりカメラに撮られてしまい、ペナルティを取られる。

 とはいえ、昨年の自転車担ぎだの、チーム全員脱落だの、わけのわからないことが起こるのもまた魅力のうち。相撲と似て、勝てばいいというものじゃないのが、人気第一のプロスポーツ。おまけに賭けだらけ。ドーピングはやたら厳しくなったが、そのへんの怪しさを含めてのツアーか。ま、べつに自分は賭けているわけじゃないから、だれが勝ってもいいんだけど、そのいろいろが旅や人生を思わせ、興味深い。

 なんにしても、最初から飛ばすのは、ダメ。後ろを振り切るのも、賢明じゃない。チームのサポートは大切。とはいえ、当てにならないこともある。そして、なにより単独ステージより総合優勝。ちょこちょことした下っ端の動きに振り回されず、自分の体力の限界を知りながら、うまくタイミングを見計らってパンチ。あんなふうに人生もたちふるまえればいいのだけれど。

ヨーロッパのニュース

 メディアはニュースを正しく伝えていない、と、トランプ大統領が怒っているが、情報がメディアのフィルタを通さずに得られる時代になると、メディアの存在意義そのものが怪しくなる。日本では、6年前の東北大震災が致命的な分水嶺になった。爆破弁だとか、ただちに問題は無いとか、フェイクだらけ。政府慰安所と民間女衒をごちゃまぜにしただけでなく、ウラ取りもしていない、というより、わざとセンセーショナルな捏造までメディアがやって売ろうとしたり、椿本みたいに政権交代はメディアのお陰だなんて言ったり、もう無い方がまし、ということにもなりかねない。

 米国はもちろん、日本でも、ヨーロッパのニュースは、あまりに弱い。報道していないわけではない、と言うが、どうでもいい野球だの相撲だのばかり。最近はトランプに飽きて、延々と北朝鮮。ほかに伝えるべきニュースが無いのか、というと、そんなわけがない。つい先日、24日にもシリアでISの大規模な報復自爆テロがあったが、延々と北朝鮮。頭がおかしいとしか思えない。

 もちろん記者や通信社は重要だ。ロイターやAFP、AP、UPI、TASS、そして、時事や共同と、がんがん毎日の状況を、選別なく送りつけてくる。原語でもいいし、わからなければgoogle翻訳でもいい。なにが起こっているのかさえわかれば、詳細は別のソースからウラ取りすることもできる。だが、メディアのフィルタは、いらない。はっきり言って、あいつら、頭が悪いか、世界観がおかしい。そんなののフィルタを通すと、世界観までバカになる。

 典型がトランプ当選で、メディア連中は、自分たちの好き嫌いと、東部西部の取材だけで妄想を垂れ流していた。しかし、米国各地のネットラジオなどを聴いていれば、これはやばい、えらいことになる、くらい、だれだってわかったはず。ようするに、私みたいな個人のほどにも、組織としての取材力が無い。というより、組織であるがゆえに、かえって妄想がカルト宗教のように内部反響して捏造されてしまうのだろう。外に目を向け、耳を傾けていないメディアは、いったい何と何を繋ぐメディアなのだろうか。

 興味深いのは、昨年来、トランプとCIAが仲違いしていること。CIAというのもたいがいで、メディアに近い妄想で米国を振り回してきた。一方、トランプは、むかしからダイレクトに「敵」の要人と繋がって親交を持ち、生の情報を得ている。日本が太平洋戦争開戦前に、陸海軍の現地情報網と、外務省の政府情報網で世界観が一致せず、支離滅裂な状況に陥ったのに似ている。

 もっとも、ヨーロッパ移民村の凍死続出のような話になると、通信社よりさらにローカルな地元新聞などでしか伝えられていない。これだけ北朝鮮をテレビや新聞で採り上げていながら、その中東の深い繋がりも、まずだれも口にしない。我々は中世のキリスト教世界や仏教世界のわけのわからない妄想を、プリミティヴと蔑むが、いまのテレビや新聞も、当時の教会や寺社の説教と大差ない。そして、恐ろしいのは、そういう説教をしている連中は、リアルな世界の広がりの方をペイガンとして激烈に攻撃すること。あー、くわばら、くわばら。

『ロッシュフォールの恋人たち』50周年

『ラ・ラ・ランド』が元にしているのが、半世紀も前に作られた『ロッシュフォールの恋人たち』。『ラ・ラ・ランド』以上にハッピーでぶっ飛んでいる。

若きカトリーヌ・ドヌーヴとその実の姉フランソワーズ・ドルレアックが演じるポップな双子姉妹に、その母親役が名女優のダニエル・ダリュー。これに絡むのが、本格的なバレエダンサーでブロードウェイミュージカルの花形のジョージ・チャキリスとグローバーデール。しかし、この二人はじつは狂言回しで、当時のフランスのアイドルスター、ジャック・ペランと、MGMミュージカル映画の大物、ジーン・ケリー、そして、フランス映画の名優ミッシェル・ピコリ。そして、衣装は、フランス映画の定番、ジャクリーヌ・モロー。無地のジャンパースカートの色違いが次々と出てくる。まさにお祭り。これらの米仏オールスターを、『シェルブールの雨傘』を当てた音楽ミッシェル・ルグラン、監督脚本ジャック・ドゥミのコンビがまとめて、影のかけらも無い、大西洋の青空のような、色鮮やかな作品を仕上げた。デジタルリマスターで、いまもその輝きは褪せることがない。

話は、金曜の朝から月曜の正午まで。日曜のお祭りのために、西海岸のロッシュフォールの街の中央広場に、エンターテナーのチャキリスたちがトラックで乗り付けるところから始まる。しかし、これは、フランスの一般的な田舎町の話ではない。そもそもこのお祭り、この年だけの特別な話なのだ。ロッシュフォールの街の創設三百年記念。ふつう、ヨーロッパで広場と言えば、教会の前にある。ところが、この街は、もともと宗教色が薄い。ロッシュフォール城をぶっ壊して、1666年にルイ13世が対英戦争のための軍港にした。海岸からすこし河を遡ったところにあって、英国艦隊もここまで入り込むことができないからだ。

それから三百年、1966年当時、フランスは、実質的に巨大アフリカ大陸の支配者であり、大西洋対岸のカナダ、そして東南アジアにもヴェトナム植民地を持つ海洋国家だった。米国のサンディエゴのように、ロッシュフォールは、そのフランス海軍の最大の拠点であり、水平軍舎や海軍工廠で多くの若者を抱え、また、これらの若者を支えて、街は大いに繁栄していた。中国がけしかけてヴェトナム独立戦争が始まる直前。フランスがまだ平和な夢にまどろんでいられた時代。

当時、「外国人」は、田舎町に世界を見せ、そこから連れ出してくれる大きなきっかけだった。それが三百年にたった1日だけ、街にやってくる。こんな田舎町で埋もれて終わりたくない、そう思う若者たちは、運命の恋愛を口実に、パリへ、世界へ飛び出していく。

実際、あの映画からの半世紀は、ロッシュフォールにとって、あまりに厳しかった。フランスは、ほとんどの海外植民地を失った。その旧植民地から大量の移民が流れ込む一方、ロッシュフォールの海軍関連の施設は廃止され、街から若者はいなくなった。人口は3分の2に激減。旧市街の大半が荒廃し、傷病兵のために作られた病院が老人のためのものとして残っているくらい。ロケ当時のぴかぴかしていた町並みは、くすみ、ガラスが割れて板で塞がれ、そこら中にペンキの汚いイタズラ書き。それどころか、建物が痛み崩れて撤去され、更地にされてしまっているところさえある。これが同じ場所か、と驚かされる。

2003年、『ノートルダム・ド・パリ』の出演者たちで、『ロッシュフォールの恋人たち』もステージミュージカルになった。演出は、アルジェリア出身ダンサーのレドハ。この作品も驚かされる。出だしから『マッドマックス』のようなバイクで、すさんだ浮浪者連中が街にやってくる。広場のカフェも、どうみても売春宿。小学生のブブを消し去るから、登場人物たちを出会わせるつなぎが無くなって、話が元と似ても似つかない。音楽も、ミッシェル・ルグランのエスプリ溢れるおしゃれな生バンドのジャズの味を叩き潰して、乱暴でドライな電気音があばれまくる。なによりステージが汚い。なんでこうなった? レドハという人物には、もともとかなり問題がある。元の作品に対して、よほどの敵意があったのではないかと疑われる。「外国人」は、街の平穏の破壊者でしかない、それで悪いか、と言わんばかりだ。

昨年、2016年の夏、ロシュフォールは創設350年周年の祭りがあったが、若者たちが去ったこの街は、まるで老人ホームの慰安会のよう。50年前とは比べようもなく、ステージ版のような、あくどく、うさんくさい「外国人」たちさえも、現実には、こんなしみったれて、老いさらばえた街には寄りつきもしない。それでも、この3月、あの映画の公開から50周年になる。もはやあの青空のロッシュフォールは、アルカディアか、ブリカドーンか。どこにもない若々しさのユートピア。

マインツのオバケ屋敷

 walpodenstrasse 23 と言えば、マインツでは有名だったオバケ屋敷。私が住んでいた家のすぐ近くだ。もともとマインツは、クッパーベルクの山から湧き出る清水の小川の聖所。ちょうどライン川がここから先、谷間の急流にさしかかる(いわゆるライン下り)ので、その前のところにローマ時代から街ができた。

 ところが、この街を西の野蛮なゲルマン人から守るために、クッパーベルクの尾根筋に城壁が作られた。その後、選帝侯や宮廷伯の時代になっても、フランク王国からこの重要な河港を守る必要があり、城壁は2つの要塞を持つ強固なものへと膨れあがっていく。ここにおいて、もともとの谷筋が弱点となり、この谷筋を渡ってクッパーベルクの「丘」が作られる。丘と言っても、レンガを積み上げて谷を埋めた橋のようなもので、中は空っぽ。ちょうどいい、ということで、この下の部分がワインケラーとして使われ、どんどん東へ拡張。それで、上が広場になるほど巨大化。

 この上はもちろん、下にも、この味のいい湧き水を使って、ワイン工場だけでなく、ビール工場だの、リンゴ酒工場だの、さらにはアイス工場までできる。それもこれも、クッパーベルクのケラーが巨大で、良好な冷温庫として使われたからだ。おまけに鉄道が文字通り山の中、つまり地下(実際は谷筋をレンガで埋めたところ)を走っていて、搬入搬出にも便利。さらに戦争中には、それこそ対フランス戦の拠点として、この地下に線路で移動する超巨大高射砲や戦車、飛行機、高速艇などが隠されたらしい。

 つまり、クッパーベルクは、正確には「山」ではなく、ローマ時代から2000年もかけて積み上げられてきた巨大レンガの地下空間。その丘の崖の前側、walpodenstrasse 23にビール工場があった。これが1971年末で閉鎖になり、その後、大きな賃貸住宅になったが、オーナーがむちゃくちゃな店子虐めをしたために、80年代末までに無人化。そこへ浮浪者たちがかってに入り込み失火、身元不明の焼死者を出し、いよいよおどろおどろしくなった。おまけに、ドイツ独特の又貸しで所有権賃貸権がぐちゃぐちゃになり、四半世紀、オバケ屋敷に。

 それが2014年、ようやく再生プロジェクトがまとまった。手前は5階建てだが、奥はクッパーベルクの崖に食い込んでおり、迷路のような作りになっている。とはいえ、しょせんレンガなので、水を掛けて、どんどん瓦礫を運び出した。ところが、地べたの高さまでどけたら、まだ下に穴がある。掘ったら、さらに縦横無尽のレンガのトンネルだらけ。もともと、このはるか手前のシラー広場より上の斜面の建物は、ぜんぶレンガで出来ているらしい。いや、シラー広場の当たりですら、あの下10メートルくらいまで、ローマ時代のレンガの地下道(当時は地上だった?)だらけ。ラインの水面の高さより上は、マインツはぜんぶレンガでできている。レンガであちこちにアーチを作っているうちに、それらがつながって空中庭園になり、平気でそのうえにまたアーチを作って空中庭園。そのさらに上に4階くらいの住宅が建っている。それが、クッパーベルクの谷を覆い尽くしている。

 結局、古すぎてよくわからない、ということで、walpodenstrasse 23は、道路の高さのところで鉄筋コンクリの基盤を作って、蓋をしてしまった。そして、15年、そのうえに18戸の高級マンションができた。1戸が100平米で45万オイロ、約5500万円。マインツでは、あくまで旧市街で、より斜面上の方で、でも山の上ではない、かつ駅にも近いので、もっとも立地がいいところ、ということになる。

 さて、これでオバケ騒動は収まるのやら。もともとマインツは、あまりに歴史がありすぎて、オバケ話には事欠かない。だから、そんなことを気にしている間もなく、どんどん再開発が行われる。

ヨーロッパの治安

 よく旅行者が、現地の治安は? などと聞くが、一般論と実際論とでかなり違う。たとえば、一般論で言えば、ヨーロッパなんて、どこもあんまりいいところではない。だが、実際論としては、ある程度の良識があれば、そうそう巻き込まれるものでもあるまい。まして、旅行者となると、その人次第。

 とはいえ、ここしばらく、どうしても、というほどの用もないし、いろいろこっちで忙しくて、さあ、観光に遊びに行くぞ、という時間の余裕もない。えい、やっ、っと、午前中に乗ってしまえば、現地夕方に着くのはわかってはいるが、それほど気分が盛り上がらない。

 というのも、治安だ。こっちではほとんどニュースにもならないが、実際は、きな臭い話がいっぱい。未然に防いだというような小ネタは、かなり多い。そして、昨夏のニースの花火大会テロ、昨年末のベルリンのクリマテロのように、かんたんに現実化する。中東「難民」も、最初のころこそ好意的だったが、徒党を組んで力尽くで権利主張するようになると、受け入れ側の反発も高まる。ヨーロッパは、一般には、カネを落とす日本人は歓迎されるが、安価なものが溢れる日本でのように爆買いするわけでもなく、ただ来るだけの中国人には嫌悪感が向きだし。そして、どういうわけか、どこでも韓国人は激しく嫌われている。そして、連中に、日本人と中国人、韓国人の違いが顔でわかるはずもなく、まちがえられても面倒なだけ。

 おまけに、気候だ。気候が悪いから、現地の連中がカリカリしているのかもしれない。夏は酷暑、冬は極寒。この数年来、かなりひどい。住んでいたってしんどいのに、旅行でそんな気候の中をわざわざうろうろしに行くのは、浮浪者並みの話。そこまでしてなにも、と思ってしまう。

 行ってみたいところが無いわけじゃない。行けば多くの発見があるのはわかっている。だが、この治安、この気候をおしてまでわざわざという気分にはなれない。友人が1年のサバティカルを取ると聞いてうらやましいかぎりだが、彼もどうも国内でおとなしくしているようだ。私もいずれとは思うが、ヨーロッパの中でもこれまで比較的、温和で良好だったバーゼルのような町がかえってイスラムが多くて、近年は揉めていると聞くと、さてどこへと思ってしまう。いっそイタリア北部山麓とか、チェコ東部平原とも思うが、そんな大学も無いようなところでは、サバティカルにならないし。風土で決めるのは本末転倒のようだが、実際問題として、治安リスクの大きいパリやロンドン、ベルリンなどは、いましばらく問題外だろう。一方、ローマは、年来、気候が最悪。あんなところ、夏場に寄りたいとも思わない。

 まあ、そんなこんなで、ことしもチャリンコレースでも見て、旅行気分でいいか、というところ。どういうわけか、「成城石井」や「カルディ」のようなところだけでなく、「業務スーパー」みたいなところでも、最近はやたらヨーロッパの食品なども売っているし、わざわざ買い出しに行かなくても、けっこういろいろ手に入る。ドイツなどはまだグーグルアースが無いところもあるが、他のところなら、路地裏まで探訪できる。日本のマッサージチェアに座りながら、向こうの菓子をかじって、VRでグーグルアースの町歩きでもしているのが、とうざ、いちばん安全なのかもしれない。

ドイツ銀行とブリテン離脱と移民問題

 8月末にドイツ政府は国防計画として国民に10日分の食料の備蓄を呼びかけ、チェコがこれに追随。いったい何事か、と話題になったが、結局、よくわからない。が、なんとも表に出せない事情も見えてきた。

 ドイツ銀行だ。昨年来、いろいろ言われている。バランスシート上は成り立っているが、中になにを抱えているかわからない。いわゆるデリヴァティヴ。EUは、ブリテンに、離脱するというのなら、とっととしろ、と啖呵を切っているものの、どれだけの返り血を浴びるか、わからない。とくに、このドイツ銀行がポンド絡みでどんな面倒なデリヴァティヴを組んでいるやら。ドイツからの資金で、ブリテンからの製造拠点の引き受け手と予定されているチェコがびびるのも当然だ。

 ブリテンのEU離脱の原因となった移民問題も、まったくうまくいっていない。90年10月3日の東ドイツ吸収の成功体験が、強気の根拠となってきたが、同じドイツ文化の「経済難民」をドイツ社会に吸収するのと、経済原理も生活習慣も異なる移民とでは事情が異なる。くわえて、それを、日本と同じく人口減に苦しむ地方村落に放り込もうとしたところで、イスラム村になるか、もしくは、すぐにかってに都市部に舞い戻ってスラムを作るか。

 いずれにせよ、移民関連の小口経済の大量集積のような問題は、大企業への巨大融資のノウハウしかないドイツ銀行の手に負えるところではない。頼みは、ブリテンから国内やチェコへの工場移転だが、為替も不安定で、利益体質ではなくなってしまっており、よけい為替を不安定にしている。

 いわば三すくみ。三つのうちのどれが破綻しても、三つとも破綻する。かといって、どれかを解決しようにも、他の問題が障害になって、どうにもならない。国防は、他国の攻撃に備えるというより、自滅の危機に対処しなければならなくなってしまっている。

パリ・フランドル通りの移民の追放

 16日、とうとうバスで運び出された。19区フランドル通り。東駅行きの線路とラヴィレット運河の間。もともと18区東側は、アルジェリア系の「フランス人」が多かったが、昨年来、ここに移民が2000人ほど路上生活者として転がり込んでおり、大きな問題となっていた。フランス各地に分散したようだが、しかし、その後、また少しずつ元に戻ってきているらしい。

 ようだ、とか、らしい、とか、曖昧だが、パリでも、治安の問題だけに、正確な情報が公開されていない。まして、日本のテレビや新聞で採り上げないのは、露骨に情報統制されているからだろう。在日の問題があるので、移民の問題は、採り上げないことになっているらしい。とにかくテレビ局も、新聞社も、政治家も、在日がらみだらけ。それはそれで、日本がそういう方向なのだから、まあいい。だが、戦前のヨーロッパも、社会支配層がユダヤ人だらけで、あんな極端な破局的事態に突っ込んでいった。強引な政策は、いつか悲劇を引き起こす。

 パリも2000人というのは、このフランドル通りの無国籍移民だけでの数字で、パリの北郊外のサンドニのあたりのアルジェリア系「フランス人」街を入れたら、数ではもはやはるかに純フランス人をしのぐ。米国南部同様の暴動になっても不思議ではない。ただ、奇妙なことに、パリ人は、大革命とナチス占領のせいで、建前上、リベラルを気取っている。しかし、それは建前のことで、実際には絶対に「外人」を社会の中には入れない。ドイツ人以上に保守的だ。とくに、インテリ富裕層のユダヤ系が純フランス人側についていて、イスラム嫌いを煽っている。日本人を含むアジア系もまた、彼らから排除される側だ。近年の危機的状況に、おしゃれを気取ってパリ中心部に住んでいた日本人も、だいぶ帰国してきたのではないか。

 90年代後半には、ミュージカル『ノートルダム』のように、アルジェリア系を社会の中に受け入れるべきだ、という建前がまだあった。00年代にも、『1789』のように、反富裕層のような考え方も残っていた。しかし、テロ事件以後、許容融和すべきだ、などという論調は、皆無。かといって、ナチスのような排除もできない。シャルリー・エブド紙のような、いつも左を気取りながら、本質は底抜けの徹底的な外人差別主義、というのが、パリのスポーツ新聞水準の庶民の本音たろう。

 古代ローマにおいても、ゲルマン人が大挙して住み着き、結局、ローマ人の方がコンスタンティノープル(いまのイスタンブール)に逃げ出した。いまの時代、古代ローマほどにも移民排除はできまい。各地に分散したところで、人権としてその移動を制限できない以上、都市部に舞い戻ってくるのは当然のこと。パリでも「浸食」されてしまった区のカルチェ(四分街区)に残り住んでいる純フランス人は、ほとんどいない。

 日本でも同じようなことが起こるだろうか。一時期、政策的な韓国ブームで、赤坂や大久保のあたりに韓国人街ができたが、工作資金が尽きたら息切れしてしまった。マスコミや政治を在日が支配することはあっても、街区を占拠するなどというのは、日本の在日の日本での暮らし方からして、彼らは好まないように思う。だが、半島情勢次第では、反動的にマスコミや政治で「在日狩り」が起こる危険性は大いにある。

 一部の人々は、民族的アイデンティティなんていらない、これからは国際化だ、と言うかもしれない。ところが、そういう考え方こそが、ハーフ独特の民族的アイデンティティだったりする。戦後は、出身校、企業への所属が人為的に作られたアイデンティティとなってきた。しかし、それが崩れてくると、その下支えになるものは、民族的なアイデンティティくらいしか残らないかもしれない。自分が国際人だから、みんなもそうあるべきだ、などという押しつけは、いつか大きなしっぺ返しとなりそうで、恐ろしい。 

腐ってもスペインのブエルタ・ア・エスパーニャ

 わけのわからないオリンピックが終わって、ブエルタ。キンタナとバルベルデのスペイン語2枚看板のモヴィスタ―に、フルーム・ケーニッヒのスカイ、チャベス・イェーツのオリカが三つどもえでいい感じ。ブルゴスで好調だったコンタドールも、きちんと5位に食い込んでいる。だれが勝ってもおかしくないから、おもしろい。ツールのようにフルーム圧勝では、レースにならないものなぁ。

 ま、レースはどうでもいいんだけど、自転車レースは景色が見もの。どのツアーも、昔から観光案内が半分の企画だ。今年のコースはオーレンセのあたりをぐるっと回って、それから北岸、ピレネー、バレンシアへ。高校生のころ、世界歴史地図帳で見て、なぞって書き写していたあたりのところが、いま、空撮で俯瞰できる。ああ、こんなあたりをフランスと、取った、取られた、とやっていたのか、とか、なかなかに感慨深い。

 今年は行かないが、ブエルタの地図には、かならずアフリカ北岸も出ている。というのも、ジブラルタル海峡の対岸にセウタ、アルボラン海に突き出た半島にメリリャの街をスペインは持っているからだ。とくにメリリャは、アフリカとの交易の中心で、いまでもまさにスペインの街並み。もっとも、カサブランカと同じで、モロッコの交易都市は、イスラム教徒とユダヤ人、ポルトガル、スペイン、フランス、ドイツが入り乱れて、まさに取ったり、取られたりしてきたところで、ヨーロッパとはべつの意味での多様な文化が混在する国際都市。EU以前から衰退続きのスペインより、モロッコの方が勢いがある。

 逆に言うと、スペインからすれば、モロッコは脅威だろう。もともとスペインなんていう国は、北側、つまり、フランスやブリテンの方を向いていた国で、地中海岸はイスラムのグラナダ王国。それをレコンキスタで取り込んだものの、心情的にはやはり地中海気質で、北の連中とは相性が悪い。もちろん、日の沈まぬ国、なんて言っているうちはよかったが、北側の没落が著しく、足を引っ張られ続けているくらいなら、対岸とビジネスした方がまし、という考え方も出てくる。「幸い」まだ、独裁軍事国だったモロッコが政情として落ち着かないままなので、かろうじてEUの方を向いているが、北アフリカが民主化すれば、イタリアやトルコ、エジプトまで含めて、地中海世界の方が仕事しやすかろう。

 世界歴史地図帳というものが、じつは帝国主義の版図という思想に支配されている。面で国土を持つ、という発想は、農本主義の農民連中が政治の中枢を握ったから。中世までの商業主義からすれば、違うところとところを繋いでこそ、商品価値が生まれる。面で広げても、隣はかえって価値がない。だから、植民市が沿岸のあちこちに点在し、それ以上、内陸に広がろうとしなかった。現代も同じで、内陸にむだに版図を拡げても、維持が重荷なだけ。商業都市としては、空港と港湾で、できるだけ異質のところが近い方が都合がいい。中国が、内陸部奥地を見捨ててフィリピン沿岸に出っ張ってくるのも同じ理由だ。

 スペインだけではあるまい。米国も、日本も、商業国家になれば、無駄な内陸部を見捨てるのは必然。ブエルタの空撮を見ていると、その捨てられつつある内陸農業部、集中が著しい港湾都市、そして、北側と南側の格差などが目で見える。自分の国の姿以上に客観的に見えてしまうので、なかなかに怖い。

ニバリが落車?

 ひょっとして金? と思っていただけに、残念。前は、やたらしかけて、途中で脱落していたが、今年はジロの大逆転もあったし、調整でツールも出てきていたし、前半、妙におとなしいから、けっこういけるんじゃないか、と期待させておいて、ある意味、期待を裏切らない、いつも「メイク・ドラマ」なスター。とはいえ、ブルゴスがすっかすかと思っていたら、けっこうなメンツがこっちに来ていて驚いた。フルームもいるじゃん。大物でいないのは、キンタナとコンタドールくらいか。

 それにしても、ひどいコース。石畳を入れたのはいいが、それが周回部分で、それもヨーロッパのローマ街道とは違って、チェーン外れが続出。上って下りてくるだけの文字通りグルマリの単調なぐるぐるが終わると、長い、高級リゾートの海岸。ここまではまだまし。残り80キロあたりから、カノアスの周回。ここの客層の悪いこと、悪いこと。ピレネーよりさらにひどい。並走してビデオを撮るだけでなく、選手に触るし、砂だか米だか直接にぶつけるし。

 残り25キロあたりからイタリア組が引いて、そのうち、フルームが遅れ、ニバリがアタック。3人で爆走して、この調子で今度こそ、と思わせておいて、あの落車。アルプスでびびって、若手に抜かれたのの反動か。あのあたり、道が湿っていたようだし、見通しをも悪いし。だけど、後から来たサポートカーにクラクション慣らされて、道端にはってよけていたのは、ちょっとかわいそう。

 結局、アーベルマート。それにしても、さえない試合だ。フルームが数分遅れて、ひょうひょうと入ってくるし。レースの体をなしていない。コースのせいか、むだに3分の2が脱落。これは、過去のオリンピックからみても、率が悪すぎる。国別のサポートカーのせいで、やたら台数が多いし。そのわりに、手当できていないし。こういうのを見ると、昔のツールもこんなだったのかな、と思わせる。

 グレートブリテンなんて、サポートメンバーは、スカイのシャツのまま。これじゃ、ほかの少人数国が不利なだけ。最初から、ふつうにチーム対抗でいいのに。自転車に限らず、サッカーでも、ゴルフでも、テニスでも、昨今、有力選手は十代早々で海外に留学してしまう。30前後なら、生まれた国より出先の方が長い、なんていうことになる。それを生まれた国別で戦わせることに、なんの意味があるのやら。日本の選手だって、いまや白黒赤青、ハーフみたいなのも珍しくない。まして、今年の個人参加や難民参加となると、ナショナリズムとははなから縁が無い。

 いまや国際企業だらけなんだから、オリンピックも、マクドナルド対マイクロソフト、コカ・コーラ対トヨタ、みたいなスポンサー対抗でいいんじゃないの? その方が企業イメージに敏感で、ドーピングも少なそう。ナショナリズムを言うなら、新城だって出てるんだから、チャリンコも生中継しろよ。え、沖縄は日本じゃない? それが本音か? でも、重量挙げなんかより、チャリンコの方が、日本でもスポーツ人口の裾野も広いと思うけどなぁ。

ブリテンのEU離脱

 イギリス、なんて言ってると、状況が見えない。CNNなどでは、イングランドとブリテンを分けている。日本のニュースではEU崩壊か、などと言っているが、それ以前にブリテンが瓦解する。もともとブリテンがイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの同君四ヵ国連合で、この四ヵ国連合がまとまってさらにEU、すなわち、ヨーロッパ連合に加盟する、という二重の連合形態を取ってきた。これにもともと無理があった。

 今回の国民投票は、ブリテン4ヵ国連合としての残留か離脱かという話で、4ヵ国連合として離脱が決まったとしても、スコットランドや北アイルランドがEUに加盟することはできないことではない。もちろん、現状では、これら4ヵ国は独立国家ではなく、主権も持っていないが、ここまで方向性が異なると、ブリテン連合として維持していくことの方が無理だろう。スコットランドのブリテンからの独立は、昨年、否決されたとはいえ、数年以内に確実に再可決されることになる。

 さらに面倒なのはアイルランド。アイルランドは、ブリテンとは別の独立国だが、北部をブリテンに「占領」され続けている。独立アイルランドは、EUに加盟しており、通貨もユーロ。これによって、かつての最貧国は驚異的な成長を遂げている。占領下の北アイルランドにおいても、総体としてEU派が強く、ブリテンの経済支援が弱い以上、ブリテンから離脱して、EU下のアイルランドとしての統一をめざす可能性が高い。

 いずれにせよ、移民労働力はもちろん、それに頼っていた外国企業も、もともとEU市場相手なのだから、イングランド・ウェールズからは逃げ出す。これまで米国と同じ英語圏ということで外国企業を集めてきたが、立地や語学のメリットを失い、いよいよ老人閉塞国家としてイングランド・ウェールズは凋落する。スコットランドが独立し、アイルランドが統一するまで、EU帰参はできないだろうから、外国企業は、工業国のドイツかチェコに拠点を移すだろう。

 イングランドの中でも、へたをすると、ロンドン市だけ独立国家になってEUに加盟する、という可能性すらある。ヴァティカン市国のように、ヨーロッパの主要都市の多くは、もともと地域とは別の独立都市国家。女王は、総じて同君連合であれば、それぞれの国が主権を持って、個別にEU加盟することに反対するまでもあるまい。ただ、経済圏としてできたEUの大統領制と、ブリテン諸国の伝統的な王政とは、もともと調整が難しく、たとえロンドン市国やスコットランド、アイルランドがEUに加盟したとしても、EUの中心になることはない。

チャリンコ中毒

 あかん、ジロの最後がおもしろすぎた。最後の最後でニッケロがやらかして降着になるし。まあ、次はツールというのが例年の話なんだが、あとひと月も待てない。

 8日間だが、今年はドーフィネも見てしまいそう。ジロの最後の山岳ステージと近いところだ。ツールも今年はあのあたりをうろうろするらしい。去年、これでフルームが勝って、その勢いでツールでも優勝。今年も出てくるんだろうか。

 いや、べつにチャリンコそのものはどうでもいいんだ。あっちの田舎に住みたい。ほんとは、チャリンコ止めて、村のリデルとかカルフールとかで買い物したいんだ。とにかく日本は暑い。湿気っぽい。なんにもない野原で、寝っ転がってレースを見ている(のか?)人たちを見ると、むしょうに向こうに住みたくなる。

 まあ、昨今、向こうも大学関係は、いろいろ厳しいらしい。昔のように教授になったら城館のような邸宅に住めるなどということは、もはやありえまい。いや、べつに城館なんかに住みたいわけじゃない。そんなに日当たりがよくなくても、ほどよく風が抜ける家、できれば庭付きに住みたい。

 しかしなぁ、向こうの医療体制とか、いろいろ面倒だし、向こうに行ったって、ずっと、変な外国人、としか思われんのだろうし、かといって、デイヴ・スペクターみたいな道化になって、空手の真似したりしてウケ狙いで生きていくのもしんどそうだし。

 なーんて、ほんとうに移り住む気もないくせに、チャリンコみながら、この町だったら、あのあたりがいい、とか、このうちが素敵だ、とか、アホな現実逃避をしているのが、楽しい。はやくドーフィネやらんかなぁ。

ニバリのネバリ

 ここのところ、いろいろ所用が多くて忙しく、ジロどころではなかった。ちらっと見ても、キッテル、カンチェラーラ、デュムラン、グライペル、と、なんだかみんないつの間にか山に登る前に帰っちゃってるし、レースも、だるだるで、やる気が感じられない。まるでフランスの前の足慣らし。ニバリもピンクのクルイスウィクに5分近くも差をつけられては、手も足も出るまい。

 と思っていたら、今日、突然、どうしちゃったの? えらいことになっている。とくに残り50キロあたりから、ものすごい展開。ピンクのクルイスウィックが自滅的に雪の壁に突っ込んで一回転。5位のザッカリンが路肩から自転車もばらばらに吹っ飛んで、鎖骨骨折。3位のヴァルヴェルデは、まったく調子が出ない。その間隙をぬって、われらがニバリがチャベスやニエヴェと競う。そして、最後の登り坂5キロでアタック! 振り切って勝っちゃった。なんだこりゃ。ニバリ、勝って泣いてるよ。去年からいろいろ言われてきて、わからないでもないが、そういうやつだっけ?

 実質、あと1ステージしかないのに、チャベスに44秒差でニバリ、1分5秒でクルイスウィク、1分48秒でヴァルヴェルデ。それも、第20ステージは、フランスからイタリアに戻る山岳コースで、距離は134キロと短めながら、カテゴリ1の2000メートル級の山を3回も登らないとといけない。そして、最後にイタリアに入って、8キロ下って2キロを登る。ひどいコースだ。だが、これって、ニバリ向きかも。

 マラソンだ、トライアスロンだ、と、オリンピックがらみで、テレビが騒いでいるが、それほど厳しいスポーツか。一方、ジロ。体力バカの拷問大会としか思えないすざまじさ。21ステージ連チャンなだけでなく、酷暑の海岸から極寒の雪山まで、よくもまあ、こんなひどいレースを99回もやってるもんだ、と思う。それでいて、ゴールした後、けっこうみんな、平気で、ぷらぷら歩き回っているし、インタヴューでも、息も切らさず、話てんだよね。倒れるやつなんか、いやしない。どうなってるのやら。肉はもちろん、心肺能力、さらには精神力まで、むちゃくちゃに鍛えてないと、こんなこと、やってられまい。

 長帳場なだけに、そこに人生が見える。水戸黄門の歌じゃないが、遅れたら抜かれる。かといって、無理にがんばっていても、最後の最後に後ろから刺される。アタックしたって、振り切れるとは限らない。まして、落車すれば、すべてを失う。へたをすれば、骨折で再起不能。明日も、RAI1が楽しみだ。

ダンケルクとジロ

 ジロに先立って、ダンケルクが始まった。「4日間」とはいうものの、いまは5日間5ステージ。コースは、それぞれ180キロ前後と、なかなか。ただ、しょせんあんなところ、まったいらでなぁ。中継を見ていても、どこがどこやら。ゴール前も、ただ速度が上がるだけで、ぜんぜん盛り上がらんなぁ。

 ジロも今年は最初の3ステージはネーデルランド。顔見世というところか。その後も、今年は長靴の爪先からイタリアの背骨を北上。街の近くを通らないので、かなり地味。いきなり観光名所モンサンミッシェルからスタートする今年のツールとは華やかさで較べようもない。

 むちゃくちゃなニバリとかは好きだけど、あとは選手にも、チームにも、あんまり関心がない。いちばん好きなのは、ヨーロッパのCM。この時期、各国のEuroSportsのストリーミングが活況だ。ただ、うちの回線ではよく落ちる。おかげで、多言語中継をあちこち切り替えても、平気でわかるようになってしまった。(日本のJSportsのサッカーバカたちが語る自転車実況のほうが、よほどわけがわからない。)

 向こうのテレビで、あんだけしつこくCMをやられると、フェスティナ買っちゃおうか、と思ってしまった。今年から5年間、ツールのオフィシャルタイムキーパーは、ティソに変わるそうだが、ティソは無いな、と思うが、ずっと見てたら、やっぱ欲しいわ、と、洗脳されてしまうのだろうか。

 今年の楽しみは、ジロの第14ステージ、5月21日。文字通りの山場。コルティナダンペッソのあたりを210キロも上ったり下りたり、ぐるぐる回る。コースとしてはむちゃくちゃ。景色は壮観。またむちゃくちゃなニバリがむちゃくちゃに勝負をかけてひっかきまわしてくれるのを期待している。でも、もう旬は過ぎたのか。ま、中継がおもしろければ、なんでもいいや。翌日の登山タイムトライアルも、レースとしてはかなりおもしろそう。

 夏時間で時差7時間。現地12:30にスタートだとすると、日本で19:30。200キロくらいだと、ゴールは連日、日本の深夜にずれ込む。それが、ツールを含め、来月末まで。寝不足で体調を崩さんようにせんとなぁ。
 

ブリュッセルのテロ騒ぎ

 ベルギーなんて小国。ところが、ヨーロッパの首都だ。昔、東西が分かれ、西ドイツとフランスの仲も悪かったころ、アムステルダムとコペンハーゲン、プラハが、あやしい国際都市だった。いろいろな意味での中立地帯で、いろいろな連中が入り込んでいた。

 しかし、東西冷戦が終わり、EUができて以来、ベルギー、というより、その首都ブリュッセルが、さまざまな国際交渉の中心になった。もともとここは、あるアルジェリア(北アフリカ系)の移民が多い。かつてフランスが植民地にして、その後、ほったらかして事態を悪化させた。おまけにフランスで差別をしまくるものだから、同じフランス語圏のブリュッセルに逃げ込んできた。ちなみに、ドイツは、旧東ドイツとトルコの連中でいっぱいで、アルジェリア系が入り込む余地がなかった。

 そんなこんなで、ブリュッセルは、テロなんかなくても、ずいぶん前から、しょっちゅうデモをやっている。それを平気で警察が攻撃。そういう意味で、ブリュッセルに、もともと治安なんかあったもんじゃない。それでよけい、金持連中、外交関係の連中は、ブリュッセルの中でも特定の地域に立てこもる。今回、攻撃の対象となったのは、まさに連中の空港とマルビーク。ブリュッセル公園とサンカントネール公園の間。日本で言えば、六本木・麻布のようなところ。

 ベルギーも、ブリュッセル以外は、いたって静かで穏やかな田舎。もともとアルカディアのブルゴーニュ公国だ。ブリュッセルは、ヨーロッパの首都になったのがよかったのかどうか。日本もそのうち外国人だのハーフだのが東京に集住し始めるだろう。彼らとタワーマンションの連中と揉め事が起こったとき、日本の警察はどうするのだろうか。

 現地では、2つの原発発電所に警察ではなくもはや軍隊が出動し、作業員を「退避」させているニュースが流されている。正確に言えば、「排除」しているのだ。原発のような危険な仕事は、これまでほとんど移民まかせ。その中にテロの同調者がいたら、一巻の終わり。これまでの一連の逮捕者から、なにかそんな情報があるのだろうか。ヨーロッパも偏西風の関係で、風は西から東へ吹く。なにかあったら、ケルンやデュッセルドルフが汚染される。

カーニバルが嵐で中止!

Blick Mainzer Dom und Gutenberg-Statue mit Narrenkapp


カーニバル(ファスナハト)が中止だと。とんでもない荒天の暴風で、へろっへろの張り子の山車なんか出せたもんじゃない。マインツやデュッセルドルフは、早々にローゼンモンターク・ツークを中止。ケルンは強行するらしい。まあ、北の方はもうすこしましなのか。

しかし、オバカは負けない。ビニールカッパ被って、へらぅ!と叫んでるやつらがいっぱい。一年に一度、というか、マインツの連中は、この一日のために一年を待っているようなもんだからねぇ。かえって騒ぎを起こしそうなのか、警官も1000人規模で出動とか。

こんな年もあるんだねぇ。もともとパリのテロの問題で、大丈夫だろうか、なんて言われていたけれど、テロより嵐の方がすごい。市場広場に、大聖堂の屋根も越えるような、どでかい観覧車なんか立てているが、あれ、大丈夫なんだろうか。南の方、パルテンキルヒェンなんかも、雪が少なくて、スキー場が開けないなんていうところもあるとか。あちこちガタガタだ。

毎年、山車が百台以上も出るが、今年のは、移民問題だの、テロ事件だの、風刺の毒がきついらしい。このひどい天気以前に、ヨーロッパは状況が良くないからか。でも、笑えない風刺というのは、カーニバルらしくない。カーニバルの神様も、お怒りなのか。

人探しの難しさ

 昨年、日本を発った友人一家と連絡が取れない。そろそろ一年になる。カリフォルニアにいるとは思うのだが、よくわからない。まあ、私に連絡が無くても、それはそれなのだが、他の友人のところも連絡が取れないとのこと。いろいろ心配している。

 このネット時代、調べる気になれば、というより、テレビ局のころから、その手の仕事が仕事なのだが、調べていいものなのかどうか。というのも、友人の仕事が仕事なので、いろいろその仕事の都合があって、いましばらく連絡を取れない、取れない状況にあるのかもしれない。しかし、家族まで、というのは、ちょっとよくわからない。

 米国の場合、Truthfinder とか、MyLifeとか、Homemetryとか、いろいろな人間の検索手段があって、これでさまざまな公文書、交通違反や訴訟などの記録まで、ごっそり漁り出すことができてしまう。しかし、これが、ひどい。年齢と州が同じだと、同じ人物扱い。だから、同姓同名がごっそりいっしょこたになってしまう。そもそも、米国では親子がシニア、ジュニアと、まったく同じ名前を使うことは珍しくもない。おまけに、ファミリーネームが同じ、というだけで、みんな親族。逆に、ミドルネームが入っていたり、無かったり、フルで書かれていたり、で、同じ人がまったくの別人物に。こういう国で、社会保険番号が重視されるのはよくわかる。

 もうすこし細かく文章解析で同定していく方法もあるのだが、もともとセキュリティが堅い組織で、本人も自覚を持っていると、痕跡は多くないし、痕跡をたどれないように、わざと混乱させているだろうと思われることもある。これまた、やれば読み解ける、というより、わざと読み解けるようになっているのだろうが、そもそも、こちらからの連絡が届いているはずなのに、向こうから連絡が無い、というのが、なんらかのメッセージで、一番の問題は、そのメッセージの意味が読み解けない、ということ。同業というわけでもないので、先方の昨今の仕事の様子が、どうにも想像がつかない。

 さて、どうしたものか。いちおうは、住所も、電話も、割り出せてしまったのだが、確実に組織を通じて転送されて届いているはずのオフィシャルルートのメールにも返事が無いのに、電話したり、手紙を出したりしていいものなのかどうか。データ相互でのウラは取れても、そのデータどおりに、そこに住んでいる実証が無い。米国で、あのあたりだと、自分で持っていても、人に貸している可能性も高い。

 いや、こうなると、連絡を取るのが目的では無い。なにごとも無いのなら、それはそれでいい。ただ、なにかあったのなら、こっちで連絡や様子伺いなど、友人として手助けできることもあるのではないか、遠慮無く言ってくれればいいのに、と、やきもきしている。まあ、連絡が無いのだから、その必要も無い、ということなのか。それにしても、急に一年、様子がわからなくなる、というのは、友人として心配だ。

雪が無い!

 日本も妙な天気続きだが、ヨーロッパもおかしい。クリスマスももうすぐというのに、どこにも雪が無い。ガルミッシュパルテンキルヒェンやベルヒテスガーデンも、まったく積雪無し。地べたが出ている。スイスのベルンはもちろんグリンデルヴァルトでさえ雪が無い。もちろん上まで登れば白いが、それだってはげちょろけ。チロルの山間のインスブルックも、山の頂点が白いだけ。気温は1度そこそこで、寒いことは寒いのだが、雨になってしまう。それでよけいに雪が融ける。スキー場も惨憺たるもの。高度が高いところはいいが、これでは麓まで降りて来られない。下りもリフトだ。

 パリでCOP21(国連気候変動会議)だそうだが、この現状を見れば、そりゃ危機感も持つだろう。もともとさして雪など降らない街中からすれば、変な天気だ、くらいのものだが、アルプスで、雪のある無しは、見た目にも決定的。だいいちスキー場などの観光産業が、まったく成り立たない。ここまで景観が違うと、やばい、と思わない方がおかしい。

 とはいえ、二酸化炭素排出のせいなのか? 石油石炭燃料を使わなければ、もとに戻るものなのか。地球の歴史からすれば、気候なんか、これが本来の定常状態などということがあったためしはなく、やたら寒くなったり、暖かくなったり、変化し続けている。もちろん、人間のせいで人間が住めなくなる、というのは、バカげていることだが、逆に、人間がなにかすれば、なんとかなる、などというのも、同じくらい思い上がりの気がする。

 アルプスが隆起したころ、氷河谷ができたころになど、人間の力で戻せるわけが無い。冬場の産業や海っぺりの砂浜を不当占拠して住み着いた大都会を守るため、というのは、結局のところ、別の意味の既得権保護の話で、なかなか合意形成には至るまい。

 古代のギリシアやローマの人々は、あまりの暑さゆえに、裸同然のかっこうで街をうろうろしていたが、そのうち、クリスマスも、スキーやソリも、歴史上の文化になってしまうのだろうか。いや、もう、なりつつあるのかもしれない。現に、ヨーロッパのどこを探しても、絵に描いたようなクリスマスシーズンを見ることができない。残っているのは、フィンランドのサンタ村、ロヴァニエミくらいか。そこだって、いつまでもつやら。来年にでも行って見てきたい。

『アルプスの少女ハイジ』のリニューアル



なぜか今年はヨーロッパで『ハイジ』年。『みつばちマーヤ』や『小さなバイキング・ビッケ』と、瑞鷹のアニメの3D化をやってきたベルギーのstudio100が、今年は『ハイジ』を3D化。四月の頭から毎日、全39話(1話正味22分)をヨーロッパ各国で放送。キャラクターもストーリーも、瑞鷹のものを踏襲。ヨーロッパで作るだけあって、細かな時代考証や自然描写には、けっこう手が入っている。ピッチだの、子猫だの、スピリの原作には無いエピソードも、きちんと入っている。(元は52話なので、はしょっているところもある。)加えて、後半、おんじのところは、描き込みも深くなって、ちょっとハラハラドキドキ。DVDも出てはいるのだが、1枚3話10ユーロ前後なので、13枚にもなる。そのうち爆安のセットが出ると思うが。



一方、来月10日から実写の映画も公開。studiocanalのクリスマス作品。これまた不思議なことに、スピリの原作よりも、瑞鷹のキャラクターやストーリーの影響が大きい。それくらいもう瑞鷹のシリーズがヨーロッパでハイジのイメージとして定着してしまっているのだろう。

もともと日本でも数年前に『ヤマト』と並んで『ハイジ』のリメイクの話もあったにはあった。しかし、あの時代のものは、日本では複雑な恩讐が絡み合っていて、また、当時のように、世界の子供のために良い作品を作ろうなどという気風も失われてしまっている。studio100の3Dハイジも、元のアニメのイメージとズレるところもあって、こうるさいおっさんたちがあまり良くは言ってはいないようだが、子供のために、きちんと作ろうよ、という根本のところは、ヨーロッパの方がずっとしっかりしている

フランステロの現地ニュースを知る

 日本の新聞やテレビの報道局の実体からすれば、ヨーロッパは、というよりワシントン以外の世界は、まるまる欠落している。地方新聞社が共同や時事からネタを買っているのと同様、APやロイターのような米国系通信社の英語情報を買っているだけ。フランスのAFPも英語配信があるので、多少は入ってくる。いずれにせよ、大量の英語情報を処理できる人材は限られており、その結果がこの始末。

 13日の金曜日、それも真っ暗な新月を狙ってパリで同時多発テロ。そのニュースが日本では、ほとんどまともに入ってこない。ケーブルでCNNを見ていても、現地が深夜になったこともあって中継無し。わけがわからない。が、最近は、CNNに頼らずとも、ネットでLIVEのニュースが流されている。

 フランスのニュースといったら、france24。これはフランス政府の国策会社。オフィシャルな情報には強い。しかし、政府に都合の悪い情報は流さない。
http://www.france24.com/fr/

 側面から情報を得るなら、ケルンのN-tvとベルリンのN24。N-tvは、1992年にできたニュース専門局で、ヨーロッパ最大の多言語民放RTLによるもの。これに対して、N24は、2000年にドイツのpro7&Sat1系として創設され、CNNやNBCとのつながりが強い。つまり、ヨーロッパ全域をカバーするという意味では前者、地域相互配信という意味では後者が、それぞれ別システムで動いている。
http://www.n-tv.de/
http://www.n24.de/n24/

 フランスは、難民問題を根本解決するとして、9月27日からロシアと協調してシリアのIS空爆を繰り返しており、その報復は当然に予測されていたこと。だが、空爆については、フランス国内ではあまり積極的に報じられていなかった。また、ややこしいことに、米英は、北朝鮮とつながるシリアのアサド現政権を嫌っており、これに対抗するISへの支援がウワサされている。10月31日のエジプト上空でのロシア旅客機事故を含め、実行犯はともかく、本当は誰がやらせたのか、わからないことだらけ。なのに、オラント大統領は、いきなりISに宣戦布告(とっくに始めているくせに)。おまけに、教皇まで、これは第三次世界大戦だ、などと煽っている(こいつ、去年から、この調子で困りもの)。

 なんにしても、脳天気な日本人たちが、あいかわらずヨーロッパにクリスマス旅行などと浮かれているが、これらのテレビから現地情報を聞き及ぶだけでも、秋口からかなりキナ臭いことだらけ。まして今回の一件で、パリで戦時中以来の夜間外出禁止令、フランス国境封鎖、ロンドン・ガドウィック空港退避など、過剰反応も含めて、連中の神経は尋常な状況ではない。当然、フランクフルト、ローマ、プラハ、コペンハーゲンなどの主要空港にも、事態は拡大する。8月21日には、タリス(マルセイユ〜アムステルダム高速鉄道)で、テロ未遂事件も起きている。実際、次にまたどこでテロが起きても不思議ではあるまい。というより、第二段が予想外のところで計画されている、と考える方が、当然。日本の自衛隊も、こんなわけのわからない話に巻き込まれていくんだろうか。

ヨーロッパはかなりの朝型生活

 十年来、早寝早起きだ。かつて自分が深夜番組に携わっていたことなど、いまは信じられない。昔はいろいろドラマや映画も見たものだが、昨今はテレビやビデオもまったく見ない。食事も終わると、すぐに眠くなる。で、朝の五時前には眼が醒める。すぐに仕事をすればいいのだが、けっこうのんびり。それで、こんなところに書いていたりする。

 きっかけは、ドイツでの生活だろう。どこの国でも夜型の人間はいるものだが、あっちは基本的に朝型が多いように思う。だいいち夜は寒い。店が閉まるのが早い。夜遅くまで外で食事をしているイメージがあるかもしれないが、あれはほんとうに短い夏の間だけの楽しみ。秋にもなれば、石造りの街は底冷えする。寒さを我慢して外の席に座ってなんかいられない。(レストランはどこも、皿が出てくるまで、やたらと待たされるし。)中にしたって、寒いから、雨戸、というか、シャッターを閉めてしまう。例の、薄黄色い電球色の間接照明だけで、ちょっと甘めのデザートワインでも飲んでいたら、すぐ眠くなる。

 そうでなくても、ヨーロッパの街の夜は危ない。まず足下がゴミだらけなのだ。酔っ払いの酔っ払い加減が半端ではなくて、ガラス瓶の割れたのがそこら中に落ちていたりする。場所によっては麻薬ジャンキーも。駅の地下道やエレベーターの中に注射器が転がっていたりする。電車の中が血まみれだったこともある。これまた、ドイツというと、ビールだ、ワインだ、というイメージがあるかもしれないが、それははるか昔のこと。今は車社会で取り締まりも厳しいし、職場でもアルコールには不寛容。だから、BIOのようなノンアルコールの健康飲料、せいぜいレッドブルのようなカフェイン飲料、アッフェルショーレ(リンゴジュースの炭酸割り)の方が、まともな市民では一般的。もはや日本より酒は飲まないのではないか。(ビールだ、ワインだ、というのは、社会的にも、かなり下層の人々のもの、というイメージが強い。なにしろ、ワインなんかも、およそ高級品ではなく、牛乳より安いのだから。)

 一方、朝。早いよ。夜明け前、五時半からSat1で、『フリューシュトゥック(朝食)』というワイドショーが始まる。七時にもなれば、バイエルンやオーストリアのテレビで、体操番組があって、天気予報とリゾート地の中継映像のパノラマ番組があって、ヨーデルだの、ポルカだの。夜中、ずっとシャッターを閉め切っているから、ちょっと寒いが、窓を開けて換気。この時間、大小さまざまの道路清掃車が、大通りや裏路地の石畳を掃除。この人たちが、オレンジ色の制服で、かっこいい。子供たちにも大人気だ。

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 パンは焼きたてが当然だから、6時から店を開いている。Realのような超巨大スーパー&ショッピングモールですら、7時開店。そのレストランも。それで、犬の散歩だの、配送のトラックだの、人がわなわな街に出てくる。寒いことは寒いのだが、一晩、もわっと、石造りの建物に蒸された(夜中でもTシャツで十分)体には、コートを着て、白い息を吐いても、これがまた気持ちがいい。

オリンピックロゴとヤン・チヒョルトのWaddem Choo NFのこと

WaddemChoo

 いずれ騒ぎになって検索し、ここにたどり着く人もいるだろう。 Jan Tschichold、日本語で「チヒョルト」と表記されるが、ドイツ語としてはチッヒョルトと呼ぶ方が正しい。Waddem Chooは、ペンギンブックスのリデザインなどで世界的に著名なヤン・チッヒョルトが、ムダの無い機能美モダニズム・タイポグラフィーを提唱し、自分のTransitoフォントを改良して発表した1931年の超古典的フォント。

 問題のWaddem Chooだが、「ワッデムチュー」と読む。意味がわからんという人は、欧米人でも、ドイツ人さえでも多い。というのも、これ、狭いロンドン市内だけの下町方言だから。幼歌『Three Little Fishies』(fishiesで正しい、魚の縮小名詞、さかなちゃん、という感じ)でも使われており、1939年に米国でけっこうなヒットになっている。が、もとはもっと古い。これは昔の言葉遊びで、「oop boop dit-tem dat-tem what-tem Chu!」(うーぷ、ぶーぷ、でぃってむ、だってむ、わってむ、ちゅー!)という表記の方が一般的か。これは、「おいおい、見ろよ、あれだよ、ありゃ何だ? ひゃぁ!」 という意味。ロンドン下町語のコックニーたちは、「上品」なthの歯摩擦音ができず、dないしtになってしまう。(『マイ・フェア・レディ』で、”The rain in Spain stays mainly in the plain”が、だ、らいん、いん、すぱいん、すたいず、まいんりぃ、いん、だ、ぷらいん、になってしまう、というやつ。)

 で、話は戻って、チヒョルトのフォントだが、Waddem Chooは、「なんだこりゃ、ひゃぁ!」という、かなりふざけた通俗的ネーミング。当時のドイツの本は、威厳ある、というか、あえて一般人には絶対に読めないようにした、一般ローマ字体とはまったく異なるフラクトゥル(髭文字)を使っていた。それをモダニズムの気鋭デザイナー、チヒョルトは、誰でも見れば読める、なんだこりゃひゃぁフォント、に変えてしまった。ラテン語聖書をドイツ語に訳にしたルターにも匹敵する文化的革命だった。いままた、こういう場面で彼の名前が出てくるのは、とても感慨深い。

 このフォントのパーツの多くに縦線のスペースが空けられているのは、これが当時のデザインや看板のステンシル(型抜き染め)を想定していたから。この形に穴があいた金属板ないしベニア板の上から枠をなぞれば、かんたんに複製できる。ペンキをぺろっと塗るだけで同じ文字が量産できる。大道具、小道具など、多くのものにマークを入れなければならないリエージュ劇場のロゴなどでも、このアイディアを踏襲している。まして、文字列の場合、文字間隔を正しく調整するために、スリットは縦の穴でなければならなかった。きちんと勉強していないやつは、理由がわからず、平気でパーツを密着させる。まあ、うちの父の時代のトレスコの灼熱地獄も知らないで、スキャンを「トレース」と言ってごまかすようなやつでは話にならない。(クロワッサンに網点が出ているぞ。網点までトレースしたとでも言うのか?)

ついでながら、Waddem Chooの後についている"NF"だが、これは、Nick's Fontのこと。ニック・カーチスという1948年生まれのじいさん、じつはこの業界ではものすごい。もともとテレビのフリップなんかを描いていたんだが、先見の明があって、1997年から、図書館や博物館で調べまくり、これまでの世界中の歴史的著名フォントの数々をデジタル・リデザインした。ステンシルだったり、鉛の活字だったりしたフォントがいまもなおデジタルで使えるのは彼のおかげ。しかし、いったい、この人、どれだけのデジタルフォントの「著作権」を持っているのやら。ただ、1フォントセット10ドル、と意外に良心的。それでも、世界全体からすれば、とんでもない金額が転がり込んでいるのは確実。


9月7日の追記: この場におよんでまだ、「ステンシル体/ローマン体」とか、わけのわからないことを言い出した人(自称ロゴ専門家?)がいて、びっくり。フォントは、セリフ系/サンセリフ系、オールドフェイス(太さ一定)/とモダンフェイス(太細あり)、そして、ローマンタイプ(アンティカ、刻印用直線字)・イタリックタイプ(筆記風傾斜字)・フラクトゥルタイプ(ブラックレター、装飾写本髭絵字)の3軸が基本。どんなフォントにも、ローマンタイプのbodoniやdidotでも、看板などのためにステンシルとして入れてデザインし直されたものがある。で、結局、「ステンシル体」ってなに? そりゃ「爆破弁」のようなもの? 問題は、例のTが、上がセリフ系のくせに足に本来のセリフが無くて、片側にだけ逆にそっくり返っている変な銀のパーツが付いていたこと。なんでこんな妙なものになったのか、ぜひ説明を教えてほしい。

ツールドフランス番組のタイトル曲

もとはすべてASO、すなわち、Amaury Sports Organizationというフランスのスポーツメディアグループがぎゅうじっている。19世紀末からフランスでは自転車競技が人気で「日刊自転車」なんていう総合スポーツ新聞が出ているほどだった。しかし、これが政治的にも左よりで、これを嫌って「日刊自動車」という新聞ができた。前者が緑色の紙を使っていたのに対抗して、後者は黄色。ちょっとやそっとの緑や黄色じゃない。
lauto-levelo


 この黄色新聞が1903年にツールドフランスを始めた。これが大当たり。戦後に名前が「日刊チーム」に変わり、68年、レジスタンス新聞で成り上がったアムリに買収される。そして、この一家が雑誌やテレビまでメディアを駆使して、自転車、自動車、マラソン、と、フランスの商業スポーツを発展させてきた。

 この会社のおもしろいのは、売れるスポーツの素材を創って、その素材そのものを売ってしまうところ。普通なら、自社で主催したものは、自社で編集し、その製作物を売りそうなものだが、そうではない。だから、Jsportsなんかだと、視聴者でさえ、さまざまなものを映しているカメラを選べたりする。この太っ腹さが、成功の鍵なのだろう。実際、ツールドフランスのような、長大なコースを行くレースとなると、観客によって見たい場所、見たいチームや選手がまったく異なっている。イタリアの視聴者は、やはりイタリアのチームや選手に関心があるだろうし、地元はレースなんかどうでもいいから御近所の風景が見たいという場合もある。それが好きに選べてしまうのだ。

 番組ですら、そう。Euro Sportはもちろん、SKYでもなんでも、垂れ流し。Euro Sportも、インタヴューの都合などもあり、フランス系、英米系、イタリア、スペイン、等々、と、まったくの別編集。NHKの場合、NBCスポーツの素材を買って翻訳しているようだ。以前のフジテレビはどこのだったのやら。さらに、素材のバラ売りなので、音楽も別。たとえば、コロンビアでは、NHK=NBCと同じ映像にまったく異なる音楽が乗っている。フランスなどでは、Kraftwerk以来のテクノ系、フジではT−スクウェアの「CHACER」のようなフュージョンを載せ、後には映画音楽の「ライトスタッフ」などを使っていた。


 さて、いまのNHK=NBCは、おそらくCody Westheimer。カナダの若手作曲家で、この手のスポーツ番組などのタイトル音楽が得意。2011年から「VERSUS」という曲を提供していたが、今年のものは、まだクレジット表示されていない。前のは、これ。



ツールドフランスのライブ中継をネットで見るには

 問い合わせがあったので、つなぎ方をまとめておこう。ただし、フランス語か英国英語、イタリア語その他なので、ふつうにはjsports4の方がいいとは思うが、見えればいい、現地の熱狂の雰囲気が知りたい、というのなら、こっちの方がだんぜんおもしろい。

 まず、ここで選択。スタートの1時間前くらいになったら、リンク先が表示される。いくつかのリンク先は有料の会員登録が必要。しかし、そうでない無料(ただし冒頭に広告がある)のところもあるので、探してみよう。

https://www.procyclinglive.com/livestream/

 うまく表示されたとしても、前面と下部に広告が出て、映像が見えないかもしれない。重要なのは、広告内部の消去ボタン(X印)は罠のダミーだということ。これを押すと、さらに余計な広告が表示され、変なページに誘導されてしまう。普通の逆、左側の広告の外にある小さな赤いXボタンが本物。まず下部の広告を消そう。中央の広告は30秒のカウントダウンがある。それより前に消去すると、やはり別ページに飛ばされる。ので、カウントダウンが終わってから左側上の小さな赤いXボタンで消去。すると、ようやく画面の下側に黒いコントロールパネルが表示される。音量はここで調整。その右側に斜め上下矢印のボタンが出ている。これを押すと全画面表示になる。もし落ちたら、しばらく待つか、F5でリロードして、上の広告消しをやり直す。

ツールドフランスをリアルタイムで

 日本では Jsports 4 が毎日、中継をやっている。ところが、申し訳ないが、この中継、なんとも要領を得ない。べつに自転車なんかあまり関心が無いのか、フランス語のできなそうな出演者たちがウダウダ。こんなんだったら、素材そのものの方が見たい、と思ったら、あら不思議、けっこう簡単に見つかった。eurosort HD がネットで簡単に拾える。ほとんどコマ飛びも無く、CMまで、放送のまま。えらい時代になったものだ、と思う。

 ツールドフランスの魅力は、誰が勝つか、だけじゃない。ビリヤードに似て、21ステージの序盤は、まだ駆け引きのうち。いや、それぞれのステージも最後の最後のゴール直前、1キロ手前のフラムルージュまでチーム戦。そこから一気にエースが飛び出してモリ漕ぎ。となればいいのだが、そこまでの200キロ近い競り合いの間に、落車などの番狂わせが。

 前評判など、まったく当てにならない。まったくの下っ端がマイヨジョーヌを取っちゃたり、エースが事故や怪我でリタイアして、代わりのエースがぶっちぎったり。今年だって、昨年優勝のニバリは、チームのアスタナの昨年来のドーピング騒ぎで、なんだかぱっとしないし、モヴィスターのキンタナは、ヴァルヴェルデをサポートに回してまで騒いでるわりに、最初から結果が伴わないし。初日からBMCのデニスなんて、個人TTとはいえ、みんなノーマークだったし。

 ヨーロッパだと、サッカーはもちろんながら、自転車のロードレースは人気なんだけど、日本ではまだまださっぱり。今年は出ていないが、日本人選手もUCIにはけっこういる。日本のshimanoの変速機はほとんどの自転車が使っているし、昨年まではチームスポンサーもやっていた。(今年はshimanoが手を引いて、ドイツのalpecinに。1905年創業の毛生え薬の老舗ブランドだ。ここ、カフェイン入りシャンプーがヒット商品。それも「あなたの髪にドーピングを!」がキャッチコピーということで、けっこう問題になった。それで、しばらくこのコピーは自粛だとか。)

 まあ、23日間、21ステージ、毎日200キロ近く、それもピレネーだのアルプスだのの山岳路を駆け上がるなんて、まともなスポーツじゃない。言ってみれば、オリンピックの全試合にチーム全員が出続けるようなもの。おまけに、どこも、F1やゴルフ、テニスのように資金が潤沢というわけじゃない。そりゃ、アームストロングのようなドーピングがチームぐるみでなんていうことにもなりかねない。キャンピングカーでの宿泊が禁止されたとかいうのも、そういう問題があるからだろう。

 しかし、レースはレースとして、それ以上に楽しいのが、空撮。ドローンではなく、あいかわらずの空撮のようだが、トラクターしか通らないような田舎道を198人が時速50キロで疾走する。観光で行くような街中や高速道路では見られない、本来のヨーロッパの雰囲気が味わえる。ときには、あ、ここ、知っている、と思う道を走ることも。賭けているやつも多いらしいが、こっちは見ているだけで楽しい。

 eurosortの中のCMで、ツールドフランスのエアロバイクシミュレーターが出て来た。検索したら、日本でも売り出すらしい。googleとタブレットを組み合わせて、走っているかのような風景が見られる。30万円、って、本体のみにしても、意外に安くないか。プロの選手と競い合えるほど、足が回るわけじゃないが、けっこう魅力的なおもちゃだ。

 おや、落車で、その後、揉めまくってるぞ。どうするんだ?

クリスマスソングとコカコーラ


山下だの、ワムだの、ラジオで聞くと、なんだかがっかりする。昨今、DJや放送作家が曲を知らなすぎる。車のラジオで聞くクリスマスソングなら、クリス・レアの『Driving home for Chrismas』だろう。この人、イングランド人なんだけど、英国ではあまりぱっとしなかった。ところが、1986年に、この曲をドイツでシングルカットして出したら大ヒット。ドイツのアウトバーンは、車が集中するくせに雪が降ると渋滞がひどいから、クリスマス気分にぴったりだったんだろう。




もう一曲というのなら、これ。『Wonderful Dream』 2001年のコカコーラのCM。このクリスマスキャラヴァンのCMは、1995年にドイツで始められ、その後、世界各国でも流されることになった。その後も、繰り返しクリスマスシーズンのコカコーラの広告に使われている。しかし、もともとは、holydays are comming のコーラス部分しかなかった。それに歌がついたのが、2001年。これを歌ったのは、メラニー・ソーントン。サウスカロライナ州の出身だが、これまたドイツのフランクフルト市で売れた。それで、ドイツのコカコーラのCMに起用されたのだが、2001年11月24日、飛行機が墜落。スイス山中で死亡。彼女は、このCMをテレビで見ることはなかった。




かような都合で、差し替えられたのが、タミー・ハリソンの『a beautiful time』。2005年からは、ドイツでは、こっちが使われている。95年からのコーラスは同じなので、60秒CMでは違いがわからないかもしれないが、まったく別の曲ということになっている。ソーントンの方が神秘的でゴスペル的なコブシが効いている。こっちはアメリカンポップス風で元気がいい。しかし、この人も、素性がややこしい。父親が英国人で、太平洋のオーストラリア大陸の生まれ。それが、6歳のときにヨーロッパのオーストリアに引っ越してきた。つまり、ぜんぜんアメリカンポップスな人じゃない。




すでに2007年には、ポーランドでは『Wonderful Dream』の方をポーランド人歌手のアーニャ・スザーマックがポーランド語でカバーしていたが、さらにおまけで、昨2013年秋には、レベッカ・ニューマンもカバーを出してきた。この人、もともとはイングランドのヨーク市の結婚式場歌手。クラシックのソプラノ声なんだけど、ポップスのカバーでアルバムを出して、けっこう売れている。ソーントンのゴスペル仕込みとはまた違う感じに仕上げている。同様に、昨2013年秋には、ジョー・マケルダリーもカバー。この人も英国だが、オーディション番組出で、みずからすでにゲイをカミングアウトしているとおり、独特のゲイ・ヴォイスで、これまたなかなか良い感じだ。

スティーヴン・キング『シャイニング』の解説

 もうケチをつけないから、といって、映像化権を取り戻したのに、キングは、また映画版の批判をしている。それくらい、あの映画は許せないものなのだろう。パヤオもそうだが、映画を作りたかったら、人の原作をレイプするのは、止めた方がいい。クリエイターとして、悪質な剽窃も同然。

 原作についてだけ説明しよう。これは、キングの自伝だ。当時、彼は食えなかった。卒業してすぐに結婚したものの、高校教師とクリーニング屋の掛け持ち。子供二人を抱えながら、電話代も払えないほど困窮し、荒れたアル中生活に落ちていく。ところが、当時、ヒットしていた『ローズマリーの赤ちゃん』などのモダンホラーの風潮に合わせて書いた『キャリー』がかろうじて売れた。そのカネで季節外れのスタンレーホテルへ。彼は次こそ純文学の長編で勝負するつもりだった。つまり、『シャイニング』の父親ジャックは、彼自身だ。

 その一方、子ダニーもまた彼自身。キングの実の父親は、やはりアル中で、すでに彼の幼少時に行方不明になってしまっている。ところが、叔母の家の屋根裏で、キングは、父親の未発表原稿を見つけてしまい、父親もまた文学を目指していたことを知る。だが、その原稿は、ひどく才能の無いものだった。そして、キング本人にも、その才能の無い血が流れている。どうやっても逃げようがない恐怖。これがこの物語のホラーの根幹。

 そのうえ、もうひとり、トニーというのが出てくる。これは、ダニーにしか見えない、ダニーの助言者。その正体は、ダニーの十年後の自分。それが、こんなホテル(純文学)に行っちゃダメだ、いちゃダメだ、と、何度も忠告するのだが、ダニーは、父の仕事のためだから、といって、我慢してしまう。

 シャイニングは、物語を読み取り、語り出す能力。物語の中の父親ジャックは、ホテルの地下で、ホテルの新聞記事のファイルブックを見つけ、これをネタにすれば、おれは文学者として成功できる、と、舞い上がる。ところが、ジャックの頭の中で、死んだホテルの亡霊たちの物語が膨れあがるにしたがって、亡霊たちの方が、おまえなどではムリだ、息子のダニーをよこせ、と、ジャックを悩ませ始める。一方、息子のダニーの方は、禁断のホラーの部屋217号室を開けてしまい(『キャリー』を書いてしまったこと)、それに首を絞められる。ホテルの亡霊たちは、ダニエルをお仕置きしろ、おまえではなく、ダニーに、純文学としておれたちの亡霊の物語を書かせろ、と、ジャックを責め立てる。テレビ版でキング本人が亡霊たちのパーティのバンドマスターをやっていたのが象徴的だ。

 ようするに、ジャックも、ダニーも、スティーヴン・キングの中の葛藤。ホテルは、文壇。死んだ亡霊たちが、うるさく指図し、ついにはクズのジャックを酒で乗っ取ってしまう。そして、ダニエルをも亡霊の世界に取り込もうと、例の追撃。ダニーの父(純文学)への愛と恐怖、ジャックの子(大衆文学)への愛と嫉妬が絡まり合い、最後は文壇の崩壊と脱出。アル中の父、純文学の父、指図と懲罰の父。それは、自分自身でもある。そして、その父殺しによって、いや、父みずからの自死によって、彼はやがて父と再会することができる。

 小説だけじゃない。絵でも、音楽でも、映画でも、大学でも、かつての栄光を懐かしんで、死のパーティを踊り続けている亡霊だらけ。亡霊たちはすでに実体を失っていながら、指図と懲罰で、生きているきみをいいように動かそうとする。そんなホテルに行っちゃいけない。いちゃいけない。キングにとって、キューブリックみたいなのは、まさにそういう亡霊だ。肖像画の中の存在のくせに、手まで出してくる。「死人は黙って死んでいろ! おまえの時代は終わったんだ」と言っても、作品として彼に呪い付いている。それで、今度こそ、そういう亡霊たちを始末しようと、キングは続編を書いていると漏れ聞くが、さて、ほんとうにそんなことができるのか。彼がすでに亡霊の側になりつつある自覚があると、なかなか難しいかもしれない。 

ALL ABOUT THAT BASS

 昨今、海の外に行くヒマもないが、外の話題だから、こっちに書いておくかな。なぜか日本ではいまだにレリゴーをムリヤリやっている。ところが、米国やドイツ、ヨーロッパのラジオでは、この曲がこの夏からものすごいヒット、それも長期ホームランになっている。フランスと日本、ブラジルだけが、異端異教扱いで拒絶しているみたいだ。

 20歳の女の子 Meghan Trainorが自分で作って、自分で歌っている。レリゴーの中身にそぐわない、ニキビを気にするだけのノーナシバカタレ女がカラオケ上手なのとはケタが違う。先行して『ヘヤスプレー』みたいなミュージカルもあったけれど、こっちは作り物じゃない。古くさいフェミニズムでもない。新しい、地に足がついたフェミニズム。



 さすがに、これ、聞き取れない。とはいえ、見ればわかるけどね。'Bout that bassと言ってる。歌詞は、こんな感じ。plain Englishすぎて、かえってわかりにくい。
  
  わかってるでしょ
   Because you know
  わたしはようするにいわゆるデブよ
   I'm all about that bass
  いわゆるデブよ、ガリじゃない
   'Bout that bass, no treble
  そう、ママも言ってた、サイズなんて気にするな、ってね
   Yeah, my mama she told me don't worry about your size
  男の子はちょっと大きなムッチリを抱えて眠るのが好き、って
   She says boys like a little more booty to hold at night
  私はバービーみたいな棒人形になんかなりたくないのよ
   You know I won't be no stick figure silicone Barbie doll
  でも、そっちが好みなら、向こうで追っかけでもやってたら
   So if that's what you're into then go ahead and move along
  私はムッチリを復権させる
   I'm bringing booty back
  骨皮ビッチたちにそう言ってやるわ
   Go ahead and tell them skinny bitches that
  いえ、ちょっとからかっただけ、
   あなた、自分で太ってると思ってるみたいだから
   No I'm just playing I know you think you're fat
  でも、言っておくけど、
   But I'm here to tell ya
  てっぺんからつまさきまであなたはどこもパーフェクトよ
   Every inch of you is perfect from the bottom to the top

 いや、人形の方も、こんなのがクラウドファンディングで作られようとしている。前にバービーを現実の体型にしたものがあったが、あれはむしろ現実の女性の体型に対する悪意を感じた。一方、ラミリーは、ピッツバーグ大出のマーケティング・デザイナーのラム氏がゼロから本気で作っただけに、とても魅力的だ。なにより、知的で、自信に溢れている。これと比較すると、バービーが体型だけでなく、表情からして、精神的にも病んでいることがわかる。

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 いまだにユニクロなんかが、スキニー押しの裾足らずでやっているが、アパレルのくせに、世界のファッションの潮流から遅れるなんて、そんな触角とセンスの無いデザイナーたちは首にした方がいい。まあ、べつにあんな田舎者の会社がどうなろうと知ったこっちゃないけどね。それに、日本じゃいまだに、いかにも作り物のアイドルが商売品として売られている。あいつら、やってて恥ずかしくないのかね。ありゃ、売春と同じだよ。これまた、その末路がどうなろうと知ったこっちゃないけど。あいつら、一回り前のバブルフェミニズムの裏返しなんだろうが、それまたバブルフェミニズムと同様に、まるごと時代から見捨てられる。なんにしても、作り物はヤワで、時間とともにムリが出てくるよ。

 海の外だと、デブだろうとなんだろうと、自分の生活を楽しんでる。ファッションも、思い思いに。作り物の服が魅力的なんじゃなくて、人が魅力的だ。人が魅力的じゃないと、なにをやってもうまくいかないと思うけどね。
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Profile
純丘 曜彰
すみおか てるあき 

美術博士(東京藝術大学/美学)、文学修士(東京大学/哲学)、東海大学准教授、ドイツ・ヨハンネス=グーテンベルク(マインツ)大学客員教授を経て、現在、大阪芸術大学教授。専門は哲学、メディア文化論。

東京生まれ。東京大学教養学部1組(横断インタークラス)、同文学部哲学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修了。テレビ朝日報道局報道制作部ブレーンとして『朝まで生テレビ!』を手がけ、現職に至る。

wikipedia 純丘曜彰
純丘曜彰の映像論


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