美術博士 純丘曜彰教授のドイツ大学講義日誌

マインツ大学 メディア学部 映画学科 客員教授

ツールドフランスのライブ中継をネットで見るには

 問い合わせがあったので、つなぎ方をまとめておこう。ただし、フランス語か英国英語、イタリア語その他なので、ふつうにはjsports4の方がいいとは思うが、見えればいい、現地の熱狂の雰囲気が知りたい、というのなら、こっちの方がだんぜんおもしろい。

 まず、ここで選択。スタートの1時間前くらいになったら、リンク先が表示される。いくつかのリンク先は有料の会員登録が必要。しかし、そうでない無料(ただし冒頭に広告がある)のところもあるので、探してみよう。

https://www.procyclinglive.com/livestream/

 うまく表示されたとしても、前面と下部に広告が出て、映像が見えないかもしれない。重要なのは、広告内部の消去ボタン(X印)は罠のダミーだということ。これを押すと、さらに余計な広告が表示され、変なページに誘導されてしまう。普通の逆、左側の広告の外にある小さな赤いXボタンが本物。まず下部の広告を消そう。中央の広告は30秒のカウントダウンがある。それより前に消去すると、やはり別ページに飛ばされる。ので、カウントダウンが終わってから左側上の小さな赤いXボタンで消去。すると、ようやく画面の下側に黒いコントロールパネルが表示される。音量はここで調整。その右側に斜め上下矢印のボタンが出ている。これを押すと全画面表示になる。もし落ちたら、しばらく待つか、F5でリロードして、上の広告消しをやり直す。

ツールドフランスをリアルタイムで

 日本では Jsports 4 が毎日、中継をやっている。ところが、申し訳ないが、この中継、なんとも要領を得ない。べつに自転車なんかあまり関心が無いのか、フランス語のできなそうな出演者たちがウダウダ。こんなんだったら、素材そのものの方が見たい、と思ったら、あら不思議、けっこう簡単に見つかった。eurosort HD がネットで簡単に拾える。ほとんどコマ飛びも無く、CMまで、放送のまま。えらい時代になったものだ、と思う。

 ツールドフランスの魅力は、誰が勝つか、だけじゃない。ビリヤードに似て、21ステージの序盤は、まだ駆け引きのうち。いや、それぞれのステージも最後の最後のゴール直前、1キロ手前のフラムルージュまでチーム戦。そこから一気にエースが飛び出してモリ漕ぎ。となればいいのだが、そこまでの200キロ近い競り合いの間に、落車などの番狂わせが。

 前評判など、まったく当てにならない。まったくの下っ端がマイヨジョーヌを取っちゃたり、エースが事故や怪我でリタイアして、代わりのエースがぶっちぎったり。今年だって、昨年優勝のニバリは、チームのアスタナの昨年来のドーピング騒ぎで、なんだかぱっとしないし、モヴィスターのキンタナは、ヴァルヴェルデをサポートに回してまで騒いでるわりに、最初から結果が伴わないし。初日からBMCのデニスなんて、個人TTとはいえ、みんなノーマークだったし。

 ヨーロッパだと、サッカーはもちろんながら、自転車のロードレースは人気なんだけど、日本ではまだまださっぱり。今年は出ていないが、日本人選手もUCIにはけっこういる。日本のshimanoの変速機はほとんどの自転車が使っているし、昨年まではチームスポンサーもやっていた。(今年はshimanoが手を引いて、ドイツのalpecinに。1905年創業の毛生え薬の老舗ブランドだ。ここ、カフェイン入りシャンプーがヒット商品。それも「あなたの髪にドーピングを!」がキャッチコピーということで、けっこう問題になった。それで、しばらくこのコピーは自粛だとか。)

 まあ、23日間、21ステージ、毎日200キロ近く、それもピレネーだのアルプスだのの山岳路を駆け上がるなんて、まともなスポーツじゃない。言ってみれば、オリンピックの全試合にチーム全員が出続けるようなもの。おまけに、どこも、F1やゴルフ、テニスのように資金が潤沢というわけじゃない。そりゃ、アームストロングのようなドーピングがチームぐるみでなんていうことにもなりかねない。キャンピングカーでの宿泊が禁止されたとかいうのも、そういう問題があるからだろう。

 しかし、レースはレースとして、それ以上に楽しいのが、空撮。ドローンではなく、あいかわらずの空撮のようだが、トラクターしか通らないような田舎道を198人が時速50キロで疾走する。観光で行くような街中や高速道路では見られない、本来のヨーロッパの雰囲気が味わえる。ときには、あ、ここ、知っている、と思う道を走ることも。賭けているやつも多いらしいが、こっちは見ているだけで楽しい。

 eurosortの中のCMで、ツールドフランスのエアロバイクシミュレーターが出て来た。検索したら、日本でも売り出すらしい。googleとタブレットを組み合わせて、走っているかのような風景が見られる。30万円、って、本体のみにしても、意外に安くないか。プロの選手と競い合えるほど、足が回るわけじゃないが、けっこう魅力的なおもちゃだ。

 おや、落車で、その後、揉めまくってるぞ。どうするんだ?

クリスマスソングとコカコーラ


山下だの、ワムだの、ラジオで聞くと、なんだかがっかりする。昨今、DJや放送作家が曲を知らなすぎる。車のラジオで聞くクリスマスソングなら、クリス・レアの『Driving home for Chrismas』だろう。この人、イングランド人なんだけど、英国ではあまりぱっとしなかった。ところが、1986年に、この曲をドイツでシングルカットして出したら大ヒット。ドイツのアウトバーンは、車が集中するくせに雪が降ると渋滞がひどいから、クリスマス気分にぴったりだったんだろう。




もう一曲というのなら、これ。『Wonderful Dream』 2001年のコカコーラのCM。このクリスマスキャラヴァンのCMは、1995年にドイツで始められ、その後、世界各国でも流されることになった。その後も、繰り返しクリスマスシーズンのコカコーラの広告に使われている。しかし、もともとは、holydays are comming のコーラス部分しかなかった。それに歌がついたのが、2001年。これを歌ったのは、メラニー・ソーントン。サウスカロライナ州の出身だが、これまたドイツのフランクフルト市で売れた。それで、ドイツのコカコーラのCMに起用されたのだが、2001年11月24日、飛行機が墜落。スイス山中で死亡。彼女は、このCMをテレビで見ることはなかった。




かような都合で、差し替えられたのが、タミー・ハリソンの『a beautiful time』。2005年からは、ドイツでは、こっちが使われている。95年からのコーラスは同じなので、60秒CMでは違いがわからないかもしれないが、まったく別の曲ということになっている。ソーントンの方が神秘的でゴスペル的なコブシが効いている。こっちはアメリカンポップス風で元気がいい。しかし、この人も、素性がややこしい。父親が英国人で、太平洋のオーストラリア大陸の生まれ。それが、6歳のときにヨーロッパのオーストリアに引っ越してきた。つまり、ぜんぜんアメリカンポップスな人じゃない。




すでに2007年には、ポーランドでは『Wonderful Dream』の方をポーランド人歌手のアーニャ・スザーマックがポーランド語でカバーしていたが、さらにおまけで、昨2013年秋には、レベッカ・ニューマンもカバーを出してきた。この人、もともとはイングランドのヨーク市の結婚式場歌手。クラシックのソプラノ声なんだけど、ポップスのカバーでアルバムを出して、けっこう売れている。ソーントンのゴスペル仕込みとはまた違う感じに仕上げている。同様に、昨2013年秋には、ジョー・マケルダリーもカバー。この人も英国だが、オーディション番組出で、みずからすでにゲイをカミングアウトしているとおり、独特のゲイ・ヴォイスで、これまたなかなか良い感じだ。

スティーヴン・キング『シャイニング』の解説

 もうケチをつけないから、といって、映像化権を取り戻したのに、キングは、また映画版の批判をしている。それくらい、あの映画は許せないものなのだろう。パヤオもそうだが、映画を作りたかったら、人の原作をレイプするのは、止めた方がいい。クリエイターとして、悪質な剽窃も同然。

 原作についてだけ説明しよう。これは、キングの自伝だ。当時、彼は食えなかった。卒業してすぐに結婚したものの、高校教師とクリーニング屋の掛け持ち。子供二人を抱えながら、電話代も払えないほど困窮し、荒れたアル中生活に落ちていく。ところが、当時、ヒットしていた『ローズマリーの赤ちゃん』などのモダンホラーの風潮に合わせて書いた『キャリー』がかろうじて売れた。そのカネで季節外れのスタンレーホテルへ。彼は次こそ純文学の長編で勝負するつもりだった。つまり、『シャイニング』の父親ジャックは、彼自身だ。

 その一方、子ダニーもまた彼自身。キングの実の父親は、やはりアル中で、すでに彼の幼少時に行方不明になってしまっている。ところが、叔母の家の屋根裏で、キングは、父親の未発表原稿を見つけてしまい、父親もまた文学を目指していたことを知る。だが、その原稿は、ひどく才能の無いものだった。そして、キング本人にも、その才能の無い血が流れている。どうやっても逃げようがない恐怖。これがこの物語のホラーの根幹。

 そのうえ、もうひとり、トニーというのが出てくる。これは、ダニーにしか見えない、ダニーの助言者。その正体は、ダニーの十年後の自分。それが、こんなホテル(純文学)に行っちゃダメだ、いちゃダメだ、と、何度も忠告するのだが、ダニーは、父の仕事のためだから、といって、我慢してしまう。

 シャイニングは、物語を読み取り、語り出す能力。物語の中の父親ジャックは、ホテルの地下で、ホテルの新聞記事のファイルブックを見つけ、これをネタにすれば、おれは文学者として成功できる、と、舞い上がる。ところが、ジャックの頭の中で、死んだホテルの亡霊たちの物語が膨れあがるにしたがって、亡霊たちの方が、おまえなどではムリだ、息子のダニーをよこせ、と、ジャックを悩ませ始める。一方、息子のダニーの方は、禁断のホラーの部屋217号室を開けてしまい(『キャリー』を書いてしまったこと)、それに首を絞められる。ホテルの亡霊たちは、ダニエルをお仕置きしろ、おまえではなく、ダニーに、純文学としておれたちの亡霊の物語を書かせろ、と、ジャックを責め立てる。テレビ版でキング本人が亡霊たちのパーティのバンドマスターをやっていたのが象徴的だ。

 ようするに、ジャックも、ダニーも、スティーヴン・キングの中の葛藤。ホテルは、文壇。死んだ亡霊たちが、うるさく指図し、ついにはクズのジャックを酒で乗っ取ってしまう。そして、ダニエルをも亡霊の世界に取り込もうと、例の追撃。ダニーの父(純文学)への愛と恐怖、ジャックの子(大衆文学)への愛と嫉妬が絡まり合い、最後は文壇の崩壊と脱出。アル中の父、純文学の父、指図と懲罰の父。それは、自分自身でもある。そして、その父殺しによって、いや、父みずからの自死によって、彼はやがて父と再会することができる。

 小説だけじゃない。絵でも、音楽でも、映画でも、大学でも、かつての栄光を懐かしんで、死のパーティを踊り続けている亡霊だらけ。亡霊たちはすでに実体を失っていながら、指図と懲罰で、生きているきみをいいように動かそうとする。そんなホテルに行っちゃいけない。いちゃいけない。キングにとって、キューブリックみたいなのは、まさにそういう亡霊だ。肖像画の中の存在のくせに、手まで出してくる。「死人は黙って死んでいろ! おまえの時代は終わったんだ」と言っても、作品として彼に呪い付いている。それで、今度こそ、そういう亡霊たちを始末しようと、キングは続編を書いていると漏れ聞くが、さて、ほんとうにそんなことができるのか。彼がすでに亡霊の側になりつつある自覚があると、なかなか難しいかもしれない。 

ALL ABOUT THAT BASS

 昨今、海の外に行くヒマもないが、外の話題だから、こっちに書いておくかな。なぜか日本ではいまだにレリゴーをムリヤリやっている。ところが、米国やドイツ、ヨーロッパのラジオでは、この曲がこの夏からものすごいヒット、それも長期ホームランになっている。フランスと日本、ブラジルだけが、異端異教扱いで拒絶しているみたいだ。

 20歳の女の子 Meghan Trainorが自分で作って、自分で歌っている。レリゴーの中身にそぐわない、ニキビを気にするだけのノーナシバカタレ女がカラオケ上手なのとはケタが違う。先行して『ヘヤスプレー』みたいなミュージカルもあったけれど、こっちは作り物じゃない。古くさいフェミニズムでもない。新しい、地に足がついたフェミニズム。



 さすがに、これ、聞き取れない。とはいえ、見ればわかるけどね。'Bout that bassと言ってる。歌詞は、こんな感じ。plain Englishすぎて、かえってわかりにくい。
  
  わかってるでしょ
   Because you know
  わたしはようするにいわゆるデブよ
   I'm all about that bass
  いわゆるデブよ、ガリじゃない
   'Bout that bass, no treble
  そう、ママも言ってた、サイズなんて気にするな、ってね
   Yeah, my mama she told me don't worry about your size
  男の子はちょっと大きなムッチリを抱えて眠るのが好き、って
   She says boys like a little more booty to hold at night
  私はバービーみたいな棒人形になんかなりたくないのよ
   You know I won't be no stick figure silicone Barbie doll
  でも、そっちが好みなら、向こうで追っかけでもやってたら
   So if that's what you're into then go ahead and move along
  私はムッチリを復権させる
   I'm bringing booty back
  骨皮ビッチたちにそう言ってやるわ
   Go ahead and tell them skinny bitches that
  いえ、ちょっとからかっただけ、
   あなた、自分で太ってると思ってるみたいだから
   No I'm just playing I know you think you're fat
  でも、言っておくけど、
   But I'm here to tell ya
  てっぺんからつまさきまであなたはどこもパーフェクトよ
   Every inch of you is perfect from the bottom to the top

 いや、人形の方も、こんなのがクラウドファンディングで作られようとしている。前にバービーを現実の体型にしたものがあったが、あれはむしろ現実の女性の体型に対する悪意を感じた。一方、ラミリーは、ピッツバーグ大出のマーケティング・デザイナーのラム氏がゼロから本気で作っただけに、とても魅力的だ。なにより、知的で、自信に溢れている。これと比較すると、バービーが体型だけでなく、表情からして、精神的にも病んでいることがわかる。

https://lammily.com/ 
o-LAMMILY-facebook

lammily-doll-2


 いまだにユニクロなんかが、スキニー押しの裾足らずでやっているが、アパレルのくせに、世界のファッションの潮流から遅れるなんて、そんな触角とセンスの無いデザイナーたちは首にした方がいい。まあ、べつにあんな田舎者の会社がどうなろうと知ったこっちゃないけどね。それに、日本じゃいまだに、いかにも作り物のアイドルが商売品として売られている。あいつら、やってて恥ずかしくないのかね。ありゃ、売春と同じだよ。これまた、その末路がどうなろうと知ったこっちゃないけど。あいつら、一回り前のバブルフェミニズムの裏返しなんだろうが、それまたバブルフェミニズムと同様に、まるごと時代から見捨てられる。なんにしても、作り物はヤワで、時間とともにムリが出てくるよ。

 海の外だと、デブだろうとなんだろうと、自分の生活を楽しんでる。ファッションも、思い思いに。作り物の服が魅力的なんじゃなくて、人が魅力的だ。人が魅力的じゃないと、なにをやってもうまくいかないと思うけどね。

リューデスハイムのツグミ横丁

IMGA017202

観光客みたいに観光しちゃおーぜ、というわけで、マインツから船に乗ってリューデスハイム。まあ、ふつうは、フランクフルトから観光バスでこの街に来て、ここからライン下りに乗るもんで、マインツから片道28オイロも払って、こんな近くの街まで船で来るバカは多くはあるまい。とはいえ、観光ごっこをしてみたかったのだから、まあいいか。

昔からライン下りは、マインツ発ケルン着なのだが、あまりに船がとろいために、日本などの弾丸観光ツアーは、マインツからリューデスハイムまではしょって、渓谷部だけ見て、ゴアールあたりで、またバスに戻ってどこかへ消える。連中のせいで、船の中はドタバタ。ケルンまで、一日がかりでゆっくり船旅を楽しむ、なーんていうのは、蹴散らされてしまった。だから、連中が乗り込む前に降りる、というのも、ひとつの選択。

そもそもリューデスハイムが、なんで人気観光地なのか、さっぱりわからない。日本人はもちろん、韓国、中国、その他のヨーロッパ人も、いっぱいくる。だが、ここ、対岸のビンゲンからフランクフルトへ攻め込むための渡河の拠点なので、第二次世界大戦で完全焼失しており、ローテンブルクやフランクフルトと同様、ぜんぶ戦後に再建された疑似中世街だ。城や教会があるわけでもなく、みやげ屋以外に見るものなんか、別にない。戦前から船員や税関職員相手に夜遅くまで飲食店をやっているので、それが日本人観光客用に、フランクフルトからの最初の宿泊地として時差ボケ調整に使われた、ということかもしれない。

とはいえ、悪いところでもない。素顔は、よくある葡萄畑の田舎町だ。観光客はツグミ横丁だけを駆け抜けていくが、本来の街の中心はもっと東側にあり、そのあたりは落ち着いた雰囲気を残している。観光が街の一大産業であることを理解しているから、どこもこぎれいだし、だれも愛想がいい。ラインを通る船で、昔からいろいろなものが手に入るので、物も豊かだ。

昼は、ロカールのローゼンベルガーに寄った。毎年、あれこれの賞を取るこの店は、味もすばらしい。私が頼んだのは、店のおすすめ、という、鯛。とはいえ、中にレモンやハーブを摘めてオリーブオイルとニンニクで焼き上げてあるもので、日本では、まずやらんな、という調理法。これが、うまい!

IMGA017802

クロイツナッハでイチゴティラミス

IMGA0058

バートクロイツナッハまで電車に乗って行ってみた。週末で、うらうらと散歩している人もいっぱい。ここは保養地だものね。

IMGA0064

知人のお宅で食事。デザートは、お手製のイチゴティラミス。これは、すばらしい! ごちそうさまでしたっ!

特売のイチゴ!

2012030401

 ヨーロッパのイチゴは、足が速い。パッケージの中に痛んだのが入っていて当たり前。でも、むちゃくちゃ安い。これで、1.99ユーロ。

 味は大ぶりで、すっぱい。でも、たまらん。日本のは甘すぎるし、柔らかすぎる。あれじゃ、作り物だ。しゃきっと噛んだ感じが、ホンモノの果物! と実感させてくれる。

イタリアの警察はややこしい

2012022901

 イタリアのパトカーのミニカーを買ってきてほしい、と頼まれている。とはいえ、イタリアの警察は、いろいろややこしい。こんな大学の周辺みたいなところは、静かなもんだ。だから、ふつうの警察の、こういう水色のパトカーしかいない。ベースもせいぜいフィアットのプントだ。

 ところが、イタリアは、おっそろしいほどの車大好き社会。真っ赤なフェラーリやガルウィングのランボルギーニを買うのが、社会的な成功者の象徴。そんな国ともなると、高速道路のパトカーは、それより速くないといけない。というわけで、同じマヌケな水色塗装のフェラーリ458だの、ランボルギーニガヤルトだのが、時速100キロまでわずか3秒そこそこという驚異的な加速エンジンを吹かし、時速300キロで追撃してくる。これは、恐い。

 別の意味でおっかないのが、真っ黒いカラビニエリ(騎兵隊)。これ、警察というより、どうみても軍隊。ふつうの警察の緊急電話が113なのに、こっちは112。ローマとかだと、テロ対策なのか、完全重武装で街中にいたりする。だいいち、おっそろしく体格がでかいやつらばかり。雄牛が防弾チョッキ着て立って歩いているんじゃないか、と思うくらいでかい。そのパトカーは、ふつうの警察と同じフィアット・プントなんだけど、真っ黒い塗装だと、えらい迫力がある。そのほか、アルファロメオのパトカーがあるかと思えば、ジープがあったり、ベンツの兵員輸送車があったりで、どうみても、やっぱり軍隊。

 奇妙なのが、灰色のパトカーで、ガーディア・ディ・フィナンツァ(財務警察)のもの。117と書かれている。乗っているのは、やっぱり灰色のおまわりさん。地味だけど、なんだか怪しげ。

 最近の人気は、森林警備隊。テレビドラマにもなっている。パトカーは緑色で、1515と書かれている。車種は、それこそ、スバルのフォレスターとか日産のテラノとか。やっぱ四駆じゃないとね。

 さて、ミニカーを探しているのだが、どうやらパトカー以前に、車種のパテント権の問題があるらしい。イタリアでミニカーとして出ているのは、フィアットやアルファロメオくらいらしい。というわけで、ふつうのフィアット・プントの水色のパトカーを探している。

ミラノ工科大学のバカ騒ぎ

2012022701

 この兄ちゃん、なにを興奮してるか、というと、やっと学位を取れたから。イタリアの大学は、2001年に制度がやさしく変わったとはいうものの、まともに卒業できるのは、あいかわらず、5%そこそこ。

 大学自体は高卒資格さえあれば全入可能なのだが、まず、トリエンナーレで3年間。つまり、従来の大学が4年から3年へ短縮され、日本で言う短大へと格下げされたのだが、実際は、いまでも5年くらいかかり、卒業できるのは、わずか17%。これで、とりあえず「ドットーレ」(準学士、日本だと最近は米国風に「短期大学士」)。ここから、日本の大学相当のマジストラーレ(2年、専修科)へ進学する。もらえる学位は、やはり「ドットーレ」(学士)。ここまでで、10%そこそこしかいないから、イタリア人は、トリエンナーレ(短大)やマジストラーレ(大学)をちゃんと卒業しているだけでも、英語の「ドクター」を自称したがる。(実際は準学士ないし学士ね。)

 しかし、イタリアの大学院水準は、入れば出られる日本の理系大学院などと較べて、むちゃくちゃ厳しい。トリエンナーレからマステルのレベル1、もしくは、マジストラーレからマステルのレベル2に入るが、これが日本の大学院修士相当。これを終えると、マステル(修士)となる。それから、ほんとうの大学院、ドットラートが4年以上かかる。30歳までに論文が通って、最終の「ドットラート・ディ・リチェルカ(博士)」の学位が取れれば、立派なもの。ここまでたどり着くのは、大学院進学者の3割のみ。大半は、途中で学位を諦めてドロップアウトしてしまう。

 だが、米国や英国のようにアカデミック・ガウンを羽織って厳粛に祝う、なんてことは、イタリアの学位授与式には無い。両親からなにからやってきて、大学の中や近くの店で、日が暮れるまで、ちょっとしたパーティを開く。友だちたちがかってに格好を指定する。文句を言わず、その格好で式に出るのがイタリアの伝統ってもんだ。どんな格好でもいいのだが、唯一の決まりは、赤い色が入っていること。良い友だちだと、昼間のタキシード、程度のマヌケさだが、悪い友だちだと、とんでもない格好を指定する。というわけで、この兄ちゃん、じつは、下はマッパだ。

防寒対策は必要なのか?

2012022501

ひさしぶりに仕事で出張。先々週までヨーロッパは大寒波で大騒ぎだったが、さて、大丈夫だろうか。というわけで、スタジアムコートに防寒靴。家を朝早く出てきたが、このかっこう、暑いよ。向こうでもいらない気がする。。。

マインツのシラー広場

P1030309a

駅からアリス広場を抜けて東南へ15分。ここが旧市街の玄関。数百年前は、ここから山の方へ道が延びており、フランスへ通じていた。いまは谷を埋めて、カステルと呼ばれる高級住宅が山の手にそびえている。反対の河の方へ行くと、オペラ劇場や大聖堂があり、これがマインツのメインストリートだ。たいして大きくないが、ほとんど毎週末、なにかしらのイベントがある。

ドイツの切符の自動販売機

CIMG1499a

なにやらややこしげだが、ドイツの切符の自動販売機は、どこでもたいていこの形。左側の表で行き先の地名を見つけ、その番号を打ち込む。そして、縦に並ぶボタンの左側、大人の列で、一回券、往復券、回数券など、適当なものを選ぶ。問題は、バス停などには路線図がないこと。あらかじめネットなどで、路線番号や、目的地に近いバス停の名前などを正確に調べておかないと、どうにもならない。でも、縦横無尽に張り巡らされた路線をうまく使いこなせるようになると、乗り継ぎ、乗り継ぎで、バスだけでドイツはどこまででも行けてしまう。とても楽しい。

教会の日常風景

P1030294a

昨今、ヨーロッパの教会も難しい。年配者が増えれば増えるほど、中堅も若手も寄りつかない悪循環に陥っている。まあ、どこの国でも、年寄りの機嫌取りは疲れる。まして、偏屈ばかりのドイツの年寄りときたら、そりゃ大変だ。

マインツのアリス広場

P1030248a

厳めしい内務省を正面にして、昔は軍事演説集会がたびたび行われたのだが、今はその忌まわしい歴史を抹消すべく、道路を拡張し、名前しか残っていない。

マインツ駅前のラヴェンダー

CIMG1495a

マインツは花の街だ。この季節、駅前はラヴェンダーの花に埋め尽くされる。実際、気候的にも日本の北海道あたりと同じような感じ。

リンゴ酒電車

P1030193a

これがウワサのフランクフルト名物、酔っぱらい電車。乗って飲んで酔っぱらいながら、ひたすら街をぐるぐる回り続ける。アップルワイン、ったって、甘くない。薄めたリンゴ酢みたいな味。しかし、ヨーロッパでは、ブドウ酒の安物代用品として、フランスのブルターニュなど、あちこちでよく飲まれている。日本で言えば、純米酒に対する芋焼酎のようなものか。がたがた揺られて、車内をうろうろしていると酔いもよく廻る。で、電車のデザインもサイケデリックだ。飲んで乗ったら風景もこんな風に見える。

ウィスバーデン

P1030124a

マインツとウィスバーデンは、ラインを挟んだ双子都市だ。交通網も一体化している。住民の交流も深い。ところが、両都市の支配者、進歩的なライン宮廷伯と、守旧的なヘッセン方伯とは、昔から仲が悪い。ただマインツは、大司教がいたので、ヘッセン方伯もやたらと手を出すことはできなかった。そのせいで、いまでも行政はライン宮廷州とヘッセン州に分かれており、いまでも、ウィスバーデンの方が高級感があり、マインツの方が自由な気風に溢れている。

マインツ05のクロッポが辞めた日

P103012002

雨のキューケンホーフ

P103005802

春の川辺

P1030031a

オッペンハイムの中世祭

P1020938a

お気に入りの写真会

 で、日本に帰ってきてしまったので、このブログも放棄しようか、と思っていたのだけれど、そこそこコンスタントに見に来てくれている人もいるようだし、ドイツに留学したり、旅行したりする人の役に立てば、ということで、残すことにした。
 どのみち、けっこう未整理の写真があるので、ぱらぱらと季節に合わせて、みなさんに公開しようか、と思う。場所や行き方など、質問があれば、いつでもどうぞ。

引っ越しに次ぐ引っ越し

Justblogから勝手に移管されたTypepadは、新たな追加サービスもないのに有料化の話ばかりしてくるので、さらにFC2に引っ越しました。新しいURLは以下のとおり。

http://sumiokateruaki.blog2.fc2.com/

マインツ大聖堂

P1020891a

しかし、じつは聖ボニファティウスが来る前から、ライン河の要衝マインツは、ローマ帝国によって軍事拠点とされていた。ここには、西の大地から小川が流れていた。そこに聖なる泉があった。これを地下に組み込んで、大聖堂が建てられた。そして、現在は埋め立てられてしまったが、大聖堂まで入り込む、大きな港があった。

聖ボニファティウス

P1020875a

マインツは745年、聖ボニファティウスが開いた。全ゲルマニア布教の拠点として、フランスとドイツ、南部丘陵地帯と北部低地地帯の中心であるこの地を選んだ。だが、当時、ヨーロッパは野蛮の地だった。彼は、襲いかかる盗賊たちの剣に対し、聖書を盾として身を守った、と言う。

引っ越した先が引っ越しました

JUSTブログが消滅し、これに伴い、私のブログデータも自動でTYPEPADに移管されました。新しいURLは以下の通りです。でも、9月末で有料になるとのことなので、さらに他に引っ越すつもりです。その際には、またここでお知らせいたします。

http://sumioka.typepad.jp/

ブログを引っ越しました

新しいURLはこちら。

http://sumioka.justblog.jp/blog/

物語の基本構造

先に、物語は挫屈していなければならない、と書いた。この説明を物語学の原理から説明しよう。


最小限の物語は、2つの文、すなわち2つの出来事からなる。2つの出来事は、時間順序を持ち、共通の人物または場所が含まれることで繋がっている。しかし、たとえば、これはどうだろうか。

A1 先週、ハワイへ行ったんだ。

A2 やっぱりハワイはよかったよ。

これは話にならない。つまり、どうでもいい。とはいえ、この、どうでもよさ、は、どこからくるのか。このどうでもよさ、は、話し手のものではなく、聞き手のものだ。つまり、物語が物語であるところでは、無言の聞き手もまた重要な役割を果たしている。これが、T型グランドストラクチャ−におけるエロキューションの問題。

話し手が話し始めた時点で、聞き手は、出来事1だけでなく、早くもまだ語られていない出来事2を含む、一つの物語の全体を期待する。この期待は、あえて言葉に出せば、こうなる。

A1 先週、ハワイへ行ったんだ。

B1 へぇ、やっぱりハワイはよかっただろ。


この例は、先の例が話にならない理由を示している。つまり、先の例は、本来、対話であるべきものを独話しただけなのだ。話にならない、というのは、対話であるべきものを独話してしまっており、聞き手の存在を無視してしまっているからであり、それは人に語る行為になっていない。



逆に言うと、物語は、独話、一人語りのように見えて、むしろ対話なのだ。ただし、そこでは、話し手が主導権を握っていることにより、聞き手のリアクションとしての言葉が自明であり、省略されている。つまり、こういうこと。このB1が省略されているのが、物語。

A1 先週、ハワイへ行ったんだ。

(B1 へぇ、やっぱりハワイはよかっただろ。)

A2 ところが、サメが出たっていうんで、そりゃ大騒ぎでさ。 



なぜこんな省略が可能であるか、というと、最初に語られた出来事が、同時に1つの話題(語られる内容、または、語るテーマ)をすでに含んでいるから。ハワイへ行った、と言えば、混んでいた、とか、暑かった、とか、そこから先に語られそうなことは、ふつうは知れている。したがって、聞き手は、最初の出だしの出来事を聞いて、それを前提として先を聞く。

ところが、先述のように、語られそうなことが語られるのでは、対話を独話していることにしかならない。だから、うまい話し手は、次の出来事とは違う、あえてミスリードをするようなイメージを次々と作っていく。たとえば、こう。

A1 先週、ハワイに行ったんだよ、芸能人みたいだろ。

A2 ところが、サメが出たっていうんで、そりゃ大騒ぎでさ。

A3 地元の連中は、むしろみんな海に押しかけ行ってね、

A4 中国バブルで、フカヒレがものすごい高値で売れるんだと。

つまり、物語がつねに挫屈しているのは、本来なら対話として挿入されているはずの聞き手のセリフに対して答えていっているから。これを、順接、逆接で振り回していってこそ、話し手は聞き手を物語に引き込んでいくことができる。

娯楽小説における人称

 私だって、たまには小説も読む。けっこうディープな娯楽ものだ。ところが、とにかく語り方が気になってしかたない。せっかくおもしろい話なのに、なんでこんなに語り方が下手なのだろう、と思う。

 ダメな小説の理由は明解だ。多くの場合、人称の切り換えに失敗している。いまどき一人称だけで物語を貫き通すのは、実験小説くらいのものだろう。だいいち、セリフが出てくれば、それは、地の文に織り込むのでもない限り、その発言者の視点に切り換えざるをえない。

 このことは、たんに人の呼称が切り替わるということではない。人が変われば知っていることも変わり、同じことでも見方が変わる。ところが、下手な語り方だと、つねにみんな同じことを知っていて、みんな同じ見方をしている。ようするに、書き手が声色を代えているだけで、人称が切り替わっていない。

 しかし、その人がそのことを知っているのはおかしい、ということは、書き手も気づくのだろう。となると、そこで、突然、話が過去に遡って、じつは、となる。ところが、ここでさらにおかしくなる。ここで、過去に遡ったところに出てくる人物たちは、じつは、と語っている人物の思いこみであるはずなのに、それぞれ地の文のようになってしまう。これは、ようするに、伏線を張り損ねて、あとで書き足したというだけで、回想にもなんにもなっていない、たんなる書き手自身による事後説明だ。

 同一の読者に対し、異なる視点を同時に提供し続けるためには、いま、この行がだれの視点(に共感したもの)なのか、書き手が自覚して書き分ける必要がある。というより、読者を、そのときどきで、別の視点に憑依させるように押しやる必要がある。映画なら、カメラに背中しか見えない人物が、そのカメラの視点だ。それに相当するレトリックを、文章の行の中に織り込む。

 もちろん、その数行後で、別の人が発言し始めれば、セリフ以上に、読者をその視点に切り換えさせてやる必要がある。このことを自覚的に行えば、それがおのずから段落になる。ところが、とくに日本語で、昔ながらに原稿用紙で書いているヤツは、たいていダメだ。行替えだらけで、どこまでが視点の段落なのだか、さっぱりわからない。というか、そのことが自覚されていない。だから、やたら行替えをするのだろう。書いている本人はいいだろうが、読んでいる方は、思考が細切れに寸断され、流れがさっぱりわからない。

 たとえば、こういうこと。

 A 「ずいぶん待ったぜ」 そう言って男はイスから立ち上がり、銃を女に向けた。

 B 「ずいぶん待ったぜ」 そう言って男はイスから立ち上がった。そして、彼は女に銃を向けた。


 Aが正しい。読者は男のセリフを聞いて、イスから立ち上がる男に目を向け、その後、この男の目とともに、その銃が狙う女を見ることになる。これが、この男の視点に沿った流れだ。ところが、Bでは、後半の文の視点が泳いでしまっている。読者はまた男の方、その男の手元の方をズームアップで見せられてしまい、呆然としてしまう。いったい、いま、自分はだれの視点に依拠しているのだろう、と。

 切り替えと連続、このリズムがないと、物語など読めたものではない。こういうのは、文学的センス以前の話だ。基本的な物語の語り方なんかこそ、小学校できちんと教えるべきなのではないだろうか。
マインツの時刻と天気
Click for ヴィースバーデン, Germany Forecast
Profile
純丘 曜彰
すみおか てるあき 

美術博士(東京藝術大学/美学)、文学修士(東京大学/哲学)、東海大学准教授、ドイツ・ヨハンネス=グーテンベルク(マインツ)大学客員教授を経て、現在、大阪芸術大学教授。専門は哲学、メディア文化論。

東京生まれ。東京大学教養学部1組(横断インタークラス)、同文学部哲学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修了。テレビ朝日報道局報道制作部ブレーンとして『朝まで生テレビ!』を手がけ、現職に至る。

wikipedia 純丘曜彰
純丘曜彰の映像論


(フィルムアート社 ¥2415)








(フィルムアート社 ¥2100)








(集英社新書 ¥756
office SUMIOKA publishing
¥300)






Recent Comments
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ