しかし、アメコミ人気の寿命は短い。たかだか太平洋戦争から朝鮮戦争まではやったにすぎない。というのは、見てのとおり、話が複雑になったとき、読むに耐えないものになってしまったからだ。ナレイションも吹き出しもすべて横書きで画面の上に並ぶと、読む順序が定まらないだけでなく、絵を見なくなってしまう。言い換えれば、コマの視認動線が、絵を通り抜けていないのだ。これでは、もはやマンガではない。この後、テレビ化で出版社は生きながらえるが、マンガの人気は尽きてしまう。
February 2008
マンガの基本文法が確立された段階で、アメリカンコミックがマンガの発展をリードする。
コマの動線、すなわち、読者の主観的な視線の流れは、登場人物のアクションの方向へ影響を与える。
このコマ展開を読む順序など、わかりえようか。中世の注釈だらけの本より、レイアウトがひどい。これは、詩に絵をつけたもので、詩の時間的な順序と絵の時間的な順序が二次元平面上に展開されているのだが、原理原則がない。
1コマ漫画は、その人気とともに、より複雑な事態を風刺し、その画面に多くのキャラクターを擁するようになる。パノラマ漫画だ。ここにおいて、さまざまな立場や対立、野合などが、平面的な空間に同時的に提示される。
風刺画から、漫画への過渡期において、1コマ漫画が登場する。しばしば定義が混乱しているが、風刺画は、パロディであり、原画を有している。これに対して、1コマ漫画は、やはり風刺性は持つが、社会状況を戯画化したものである。この意味で、風刺画から、キャラクターそのものにシンボル性を持つ1コマ漫画への展開は、きちんと認識されなければならない。
ドナルドダックのデザインは、最初からカラーで設計されている。白をベースに青いセーラー服、歩きと表情は黄色い水かきと口ばしで、観客の目を捉える。そして、赤い蝶ネクタイ。しかし、この白ベース3原色添えのデザインは、ドナルドタックだけではない。ナポレオンがポップカルチャーの成立において果たした意義の大きさがここでようやく理解できるだろう。
1934年、すでにカラー化されていたシリーシンフォニーシリーズの『賢いめんどり』で、ドナルドダックが登場する。こいつ、ろくなもんじゃない。が、うさんくさい学級委員のようなミッキーより、ずっと人間くさい。ミッキーみたいに、文明的なパンツははかない。もともと白いから、ミンストレルのような白手袋などしない。陽気だが、怒りっぽく、めんどくさがりで、嫉妬深い。自尊心が高く、子供相手だろうと、容赦しない。だが、意外に臆病で、社会秩序にあらがうほどのバカでもない。
ようするに、現実の現代アメリカ人そのものだ。ドナルドは、ミッキーのような、観客に対するエンターテナーとしてではなく、まさにその素の姿をさらすことによって、現実の鏡のように、意図せず、笑いをとる。
しかし、ディズニーは、みずから開発したカラー映画で、苦境に立たされることになる。もともと白黒で設計されたキャラクターのミッキーをカラー化しなければならなくなったのだ。幸い、雑誌が先行し、赤いパンツ、黄色い靴、白い手袋、そして肌色の顔で、ジャイケルマクソンのように疑似白人化することに成功した。一方、野生のフェリックスはすごい。カラーになってもこのとおり。色のことなんか、ぜんぜん気にしていない。だが、これではダメだ。ほんとうにアル中の作者サリヴァンの問題もあって、人気は急落してしまう。
しかし、ミッキーマウスには、当初からフェリックスと大きく違うところがあった。パンツだ。キバのはえた裸の野性的フェリックスとちがって、ミッキーはパンツをはいている。フェリックスが酒を飲んでバカ騒ぎをするのに対して、ミッキーは本だって読める。フェリックスと同様に粘着偏執的だが、文明化されている。コミックブックになると、靴まではいて、手袋もはめている。よく指摘されるように、まるでステージにあがることを許されたミンストレルニガーのようだ。(写真は、『ジャズシンガー』から。)ちなみに、コミックブックのミッキーは、アイワークスが去ったあとのディズニープロダクションの若手ゴッドフレイドスンによるもので、パイカットと呼ばれる眼の描き方に特徴がある。これは、黒い瞳の中にさらに三角形の瞳の輝きを描き込む方法で、動くアニメーションとちがって、コミックでは眼の方向を静止的に提示する必要があったために創出された。たとえば、実際、この絵でこのパイカットが無いと、顔の向きのままにミッキーは右の遠くの方を見てしまい、正面の読者の方を見ることができない。
最初期のミッキーマウスだ。知ってのとおり、ラッキーラビット・オズワルドの問題から、ディズニーはオリジナルキャラクターを作り直さなければならなくなる。そこで最初に作ったのが、幻の『飛行機狂』1928。しかし、これは、リンドバークの大西洋横断人気に便乗した多くの映画のひとつであり、フェリックスの『ノンストップ飛行』にカット割りまで似ている。絵を見ても、ぶっとんだキャラクター設定まで、フェリックスそっくりだ。だから、おもしろいのだが。
フェリックスの『ウースウーピー』1930は、とにかくおもしろい。キャラがぶっとんでる。アニメとしては繰り返しだらけ。でも、だからこそ酔っぱらいっぽくって、おもしろい。フェリックスは夜中ちゅうバカ騒ぎしているが、家では白ネコの奥さんがぶち切れていて、なんとか帰ろうとするのだが、アルコールのせいで、途中、わけのわからないバケモノが次々とフェリックスに襲いかかってきて、帰ろうにもなかなか帰り着かないという話。(白ネコ奥さんとの出会いは、『フェラインフォリーズ』1919を参照。)このフェリックス、耳が尖っていて、牙も尖っている。丸とトゲでできている。だが、ドラキュラよりも先だ。そして、この映画がぶっ飛んでいる理由は、この映画が作られたのがなにしろ1930年だ、ということ。つまり、アル・カポネが逮捕された年だ。禁酒法の最中に、それも子供も見るような大衆映画館で酔っぱらい映画なんて、よく作ったものだ。まあ、それだけにいきおいがあるが。
大ヒットした白黒キャラを語るにチャップリンと並んで忘れてならないのは、ドラキュラ。ベラ・ルゴシの当たり役だ。真っ黒なマントをはおって、血の気が無く、顔色がやたら悪い、つまり、顔が白いことこそ、成功の要因だろう。ヘルシング教授に妖術をかけるときの、「こーむ! こーむ!」という妙な外国人風の発音と映像の間が魅力的。もっとも、十字架をちらつかせただけで退散するくらい、けっこう弱っちい。(そう言えば、なにかのコメディ映画に、心理学者(当然、ユダヤ人)がドラキュラと対決した際、思わず首のダビデの星のペンダントをかざして、おたがい気まずい状況に陥る、というギャグがあった。なんの映画だったか。。。)
1927年の『ジャズシンガー』は、世界初のトーキー映画としてばかり語られるが、じつはむしろキャラクターの白黒問題からしても重要な作品だ。これは、白いユダヤ人ではジャズを歌っても売れない、ということで、ステージで黒いアフリカ人に化けようとする話。(この背景には、南北戦争以前からの黒人のミンストレルショーの人気がある。)きちんとフィルムを見るとわかるのだが、白キャラで出ているとき、背景は真っ黒の闇。黒キャラで出ているとき、背景はスポットライトの白抜きになっている。このことは、当時すでに、ハイコントラストであることがキャラクターの条件である、ということが、かなり一般的に認識されていたことが伺われる。
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新聞は早くからカラー化が行われたが、映画は白黒のままだった。ここにおいて、最初にキャラクターを意識したのは、舞台ヴォードヴィルコメディアン、チャップリンだった。半端なモノトーンの画面において目立つのは、真っ黒い人物だ、と、彼は気づいた。実際、映画は暗闇の中でスクリーンの反射光を使っており、基本的にまぶしい。そのまぶしさから眼を避ければ、当然、黒い人物に引きつけられる。それゆえ、チャップリンは、顔を真っ白に塗り、喪服のような真っ黒のスーツ、それもシルエットルールから、ひどくアンバランスなダブダブスーツにドタ靴、そして、メロン帽にステッキ、という黒いキャラクターを生み出した。
新聞は早くからカラー化が行われたが、映画は白黒のままだった。ここにおいて、最初にキャラクターを意識したのは、舞台ヴォードヴィルコメディアン、チャップリンだった。半端なモノトーンの画面において目立つのは、真っ黒い人物だ、と、彼は気づいた。実際、映画は暗闇の中でスクリーンの反射光を使っており、基本的にまぶしい。そのまぶしさから眼を避ければ、当然、黒い人物に引きつけられる。それゆえ、チャップリンは、顔を真っ白に塗り、喪服のような真っ黒のスーツ、それもシルエットルールから、ひどくアンバランスなダブダブスーツにドタ靴、そして、メロン帽にステッキ、という黒いキャラクターを生み出した。
先に述べたように、19世紀のサンタは、アンクルサム同様、本来は青いキャラクターだった。そして、赤いサンタに変わる以前に、黄色いキャラクターが爆発的な人気を得る。このパジャマ姿の幼児は、最初、白黒で絵の片隅に登場し、新聞のカラー化に際してもあくまで薄青で塗られていた。しかし、黄色で塗られるようになると、人気が沸騰し、イエローキッドと呼ばれるようになる。そして、ハーストによる新聞戦争によって、ニューヨークワールド紙からニューヨークジャーナルに引っ越すことになる。このイエローキッドこそ、イエロージャーナリズムの語源と言う人もいるが、これは嘘くさい。そうではなく、当時の新聞は紙自体が黄色かったからだろう。
そして、有名なのが、この1931年のサンドブロムのサンタ。サタデーイヴニングポストの裏表紙の広告。ロックウェルの赤いサンタより後だが、都市伝説として、サンタはコカコーラのイメージカラーで赤くなった、という話ができた。コカコーラやウェルチは、もともと19世紀末からの禁酒運動と関係している。逆に言うと、サンタは、黒いギャングスター、アル・カポネと表裏一体だ。カポネは、25年のクリスマスの虐殺でマフィアのトップに君臨することとなり、30年のクリスマスには貧しい人々に食事を配ったりもしている。しかし、31年のクリスマスは、脱税容疑で刑務所の中だった。当時、32歳。
ネット時代には孫引きのいいかげんな情報が飛び交うが、世界で最初に赤いサンタを描いたのは、ノーマン・ロックウェル。1921年の『カントリージェントルマン』誌の表紙がそれだ。これは、『トミーへの太鼓』という絵だ。このトミーという名前は、だれでもよかったわけではない。そうではなく、ここから、ロックウェルがトーマス・ナストのサンタイメージの継承を意識していたことを伺われる。
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