美術博士 純丘曜彰教授のドイツ大学講義日誌

マインツ大学 メディア学部 映画学科 客員教授

December 2008

ドイツは花火禁止の国!

ドイツの花火と消火器

まさか飛行機でおみやげに持ってくるやつはいないと思うが、ドイツは個人の花火が徹底的に禁止されている。連発ものはもちろん、日本の線香花火やネズミ花火のような小さいものでもダメ。とにかく火薬はダメ。あちこちに銃砲店があって、いくらでも弾薬を売っているくせに、花火はダメダメ。

この禁止、理屈ではなく、どうもあの戦争の後遺症らしい。日本人には経験がないのでわからないが、花火の音が、かつての市街戦を思い起こさせるらしい。空爆をくらったうえに、アメリカ軍だのソ連軍だのがそこらでの街中でバンバンとロケット砲を撃ち込んできたのだから、気持はわからないでもない。すぐ家の隣で聞こえてくるバババババッ!という花火の強烈な連続爆音は、たしかにパン、パンと散発的な、呑気な野山の銃声とはわけがちがうだろう。

でも、この花火禁止は、大きな例外がある。年末だ。12月29日から31日だけ、店は花火を売ってよい。12月31日と1月1日だけ、個人で花火を上げてもよい。で、いっせいに売り出され、大量に買われる。これだけの量が、新年の最初の10分で、全ドイツでぶちあげられるとなると、とんでもない量だ。

それも、ドラゴン花火なんていうかわいいものではなく、大半が、45センチくらいの足がついた大型のロケット花火。実際、あちこちで花火が当たって死者が出る。そうでなくても、花火をばらして、オリジナルの花火を作ろうとして、年末に家を燃してしまうやつが毎年のニュースになるし。

去年は雨だったそうだが、今年は晴れそうだ。こうるさい世界文化遺産の街なんかだと、正月でも花火禁止だが、マインツは関係ない。だだっぴろいライン河岸は、とくに花火に最適だ。しかし、昼でも最高気温マイナス3度、夜になったら気温はマイナス8度だぞ。風の吹き抜ける河岸なんか、もっと寒い。でも、酒飲んでバカ騒ぎしていれば関係ないのか。

ドイツの今年のヒット曲:シュヌッフェルの『クッシェル・ソング』


ドイツで今年どんな曲がはやったかというと、ダントツでこのSchnuffelのKuschel Song(すりすりソング)。シュヌッフェルは、昨年の暮れに、ヤンバというベルリンの携帯ダウンロードサイトが作ったオリジナルCGキャラクターで、もともとは呼び出し音画面の30秒しかなかった。それが大人気になると、2月にフルサイズの曲となり、テレビのVIVA(ドイツのMTVみたいなチャンネル)でミュージッククリップとして流され、レコードはもちろん、ぬいぐるみまで売り出されるようになる。そのぬいぐるみは、今年、あちこちの祭りのクジ引き景品でも大人気だった。

その後、同じ仕掛けで出す曲、出す曲が当たり続け、この年末もクリスマス・ソングが大ヒット。CGも、最初のころのテカテカした感じから、フカフカした感じにクォリティアップしている。まあ、目がでかくて、ウルウル、なんて、あざとい、と言ってしまえばそれまでだが、どんくさいCGばかりのドイツにしては、かなり出来がいい。

このほか、東京ホテル、というアイドルロックバンドが若い子に人気。もう少し下の年代では、ディズニーの、ハイスクール・ミュージカルが絶大な支持を集めている。逆に、もう少し上では、ディーター・ボーレン(54歳)が、プロデューサーやタレントとしてだけではなく、しぶとく現役シンガーとしても活躍。若手のマーク・メトロックと組んで、「You Can Get It」や「Summer Love」など、縦ノリ曲を当てている。ドイツやオーストリアでおっそろしく国民的に根強い人気があるのが、ハンシ・ヒンタージーヤーで、ボーレンと同じ54歳。ドラマにも自分自身の役として出てくるような、アルプスの山で白い歯の輝く永遠の若大将。

ドイツの曲は、概して全部、ウンパ、ウンパ、ウンパ、ウンパ、という縦ノリばっか。複雑にずらしたリズムはない。R&Bはもちろん、三連符スィングすらない。ひたすら、ウンパ、ウンパの縦ノリ後打ち。日本のビーズみたいだ。ディスコビートというより、それがドイツの土着のリズムで、ポルカとかヨーデルとかにも共通する。ようするに、小学校の運動会音楽みたいのがほとんど。もちろん、それ以外もないわけではないが、そういうのは、国民的大ヒット、とはならない。

ここ数年で人気なのは、DJエッツィ。日本で言うがっかりマークのÖTZiだ。ヒンタージーヤ−と同じくオーストリア出身。でも、エッツタールではなく、もっとドイツに近いところ。ポジティヴシンキングのお祭りの音頭取り屋さんで、「ハンバーガー・ソング」のようなオバカダンスでも子供に絶大な人気。まともな曲でも実力派の歌手で、昨年はニックPと組んで「Ein Stern(あなたの名のついた星)」が大ヒットした。今年はディーター・ボーレンと組んでいるからすごい。

ドイツの音楽、というと、クラシック、せいぜいテクノポップを思い浮かべがちだが、ドイツのポップミュージックは、まったく違う。こういうふつうの話って、もっとちゃんと日本にも紹介されるべきだと思うのだけどなぁ。

ドイツの年末の日曜日

年末のマインツ駅前

今年は、クリスマス(24日−26日)が水木金だったので、土曜にちょっと営業して、また日曜で休み。明日29日と明後日30日はやるけれど、31日も午後から2日までみんな休み。街はとっても静か。駅前のバス停なんか、だれもいやしない。

朝から晴天。でも、気温はマイナス3度。雪が降るわけでもなし、ただ寒い。人が出てこないわけだ。それでも、午後になると、部屋で退屈して、コートを着込んで、散歩している人もちらほら。私もそういう一人。

店がぜんぶ休みなので、行くところなどない。が、駅の構内はやっている。ということで、駅へ。ここなら、本屋やスーパーもある。みんな考えることは同じで、駅の中は、けっこう人がいる。

ほんとうはDVDに直接に書けるマジックがほしかったのだが、いいのが売っていなかった。明日、街へ出て探そう。

年末年始の災害映画

きっといまごろ、日本のテレビは、どうでもいいお笑いの人々とともに、今年の流行語がどうのこうの、というような、平和ボケした、どうでもいい話題で盛り上がっていることだろう。

ドイツでは、正月過ぎまで、テレビはやたら災害映画が放送される。『タイタニック』から『ポセイドン』『ポセイドン・アドベンチャー』『タワーリング・インフェルノ』『大地震』などなど。そのほか、災害特番も少なくない。クリスマスに救世主が生まれ、それで救いのチャンスが与えられたのだから、次は、その救いの教えに従う人と従わない人を別ける最後の審判がいつあってもおかしくない、ということなのだろうか。

実際、4年前の2004年12月26日の朝、スマトラ沖地震があった。こっちではインド洋海底地震と言う。95年の阪神淡路大震災の死者が六千五百名近く。もちろんそれも大変な災害だが、スマトラ沖地震は、インド洋全体に広がったその巨大津波で、二三万人近い死者を出した。負傷者、被災者、被害面積に至っては、これまでの天災の中でもケタ違いだ。

ドイツにとって、この季節、太陽輝く東南アジアは、あこがれの観光地だ。スマトラ沖地震においても、観光客で最大の被害を受けた国はドイツで、千名以上が死亡ないし行方不明となった。そして、今日も、こっちのテレビでは、多くの人々が、波に飲み込まれ、流れに引きはがされ、生きているのか死んでいるのかわからないまま、沖へ、沖へ流されていく、あの日の映像がニュースや特番で繰り返し放送されている。こんな生々しい、生死の合間は、日本では絶対に放送されないだろう。いま生きて大声で救けを求め叫んでいた人が、だれも手をさしのべようもなく、死んでいく瞬間の映像だ。あまりに痛ましい。

国境無き医師団数万人をはじめとして、各国各組織が救援に入った。日本は800人、370百万オイロ。ドイツは、最大の補給支援艦ベルリンとともにコブレンツの国防軍緊急衛生旅団数千名が投入され、EUの500百万オイロの他に、ドイツ政府単独で500百万オイロ、ドイツ人の民間寄付で500百万オイロが送付された。国別では近隣のオーストラリアさえも越える最大規模の支援だ。

日本にしても、アメリカにしても、金融・自動車・電器のような二十世紀的産業の延命にムダ金をつぎ込むくらいなら、もっと生きたカネの使い方もあるだろうに。儲かったときは自分のふところに入れ、困ったときは政府頼みという、これらの産業の昔からの体質も、時代錯誤だ。その前の石炭や鉄鋼が無くなったって大したことはなかったように、本気でつぶす覚悟を決めれば、これらの産業が無くなったって、経済危機ということはあるまい。むしろこんな古い産業に日本経済全体が無理心中させられる方が大変だろうに。

これらの産業は、いずれ時代が変わるという危機感もなく、国際的拡大路線を採り続けてきた連中だ。延命できても、再生はしない。日本という国も、おそらくそうなのだろう。あちこちいじってみても、もはやどうにもなるまい。そして、いつか巨大災害が襲いかかり、だれも責任を取らず、すべて仕方なかったで済ますのだろう。しかし、いくら言っても、人の話など聞く耳を持たない連中だし、べつにこっちもなんの力があるわけでもないので、せいぜい自分一人、災いに巻き込まれないようにすることしかできないのだが。

ドイツのクリパ

パーティの飾り

今日は、友人宅でクリスマス・ホームパーティ。略して「クリパ」。他の大学の先生も来て、おいしい食事にたのしい会話。

この友人、なにしろ飾り付けのセンスがいい。いつもの部屋を、へたにゴテゴテすることなく、さらりとクリスマスっぽい雰囲気に演出。このさりげなさが、粋だ。

夜になると、空も晴れて、星が出てきた。このあたり、ちょっと郊外なので、星がとってもきれいだ。正月のしぶんぎでも、流星見物パーティをやろうか、という話になった。でも、その前に、大晦日の大花火大会かな。

しかし、また寒くなったぞ。たぶん氷点下だ。風も強いし。ドイツの天気は、ぜんぜん予想がつかない。

マインツのクリスマスミサ

クリスマスミサ

表のマーケットはもう空っぽなのに、中は、すごいひとだ。まあ、大きいから、入りきれないことはないのだが、ケルン大聖堂などのように脇に飛梁を持つゴシック様式ではなく、ドイツ第一の大司教座だったマインツ大聖堂は、今年で千年になる、ひたすら上へ積み上げた古いロマネスク様式だから、中の柱が太い。そのうえ、ライン両陣様式で、内陣が東西の両方にあり、それも低い方の西側でミサを上げるから、たいへん。

16時過ぎから合唱が始まって、17時にお誕生宣言。ヴァティカンやケルンでは、あいかわらず深夜0時だが、マインツは、古い教会歴に戻して、日没から翌日扱いなので、17時。たいした意味はないが、ちょっと早いと、ちょっと得した気分。

ここで帰っちゃう人も多い。が、ここから来る人も少なくない。以後、拡大版のミサ。キリエでもなんでも、今日は曲も明るいしね。でも、小節線もなしに四分音符と二分音符が羅列され、繰り返しがどこかへ飛んでいく例の譜面は、ドイツ語の歌詞と別に書かれているものだから、さっぱりわからない。大半の人は、ぼそぼそ。でも、中にはすばらしい歌声で歌っている人もいる。

ドームの中は、人は多いが、壁も、床も、石が冷え切っていて、けっこう寒い。しかし、じつは外陣のところどころに床ヒーターが仕込まれていて、その網の上に立っているとすごく暖かい。ちょっとのぼせそうなくらいだ。祭壇は見えないけれど、まあ音はワウワウよく聞こえるので、まあいいか。

ドイツの暖かいクリスマス

クリマの屋台

さて、クリスマスも、あと数日。クリスマスマーケットも、明日23日までのところが多い。駅前は、もう片付け始めていた。さみしいな。

それにしても暖かい。外気温で10度もある。この前までの寒さは、いったいどこへ行ってしまったんだ。テレビの中継で、毎朝、アルプスのスキー場の様子が見えるが、地中海からの湿った海風が当たるオーストリア側は、かなりのドカ雪だ。カメラが凍り付いているところさえある。話では、スペイン・フランス国境のピレネー山脈の方も、大雪でたいへんらしい。

が、ドイツは雪がない。せいぜい生ぬるい雨が降っているだけ。Webcamで、あちこちをのぞいてみたが、ほんとうにどこにも雪がない。せいぜいシュヴァンガウ(ノイシュヴァンシュタイン城のへん)は白いが、そこだって、フュッセンの湖まで降りたら、まったく雪がない。例年は数メートルもの雪に埋もれるアマガウも、今年は牧草地が見えている。まして、北の方は、雨、雨、雨。マインツも暖かい。風さえなければ、コートの前を開けて歩けるくらい。店の中に入ると、ちょっとのぼせそう。

今年の冬は、金融危機の影響なのか、食料品や衣料品がまったく売れなかったらしい。アメリカより、アメリカに貸し込んでいたドイツとフランスの主要銀行の方がダメイジがひどいものなぁ。アメリカは金利を下げてしまったが、ヨーロッパの銀行は、当座のカネも足らなくて、逆に金利を上げている。これって、ひっくり返る前の典型的な行動パターンだろう。

小売店では、早くもクリスマスセールのポップを除けて、冬物一掃セールが始まっている。この後、気候がどうなるかわからないけれど、いくら安くなっても、とりあえず今日、ブーツやコートを買おう、という人はいないだろうな。その一方、ニュースによると、貴金属は好調だとか。こっちは、プラチナよりも、ステンレスに人気がある。(925シルバーは手入れが面倒だからダメ。)そのうえ、ダイヤに限らず、大きなジルコニアやスワロフスキークリスタルも質がいい。なので、アクセサリーが手頃で買いやすい。デザインも斬新なものが多い。シンボルの体系も歴史があるし。

なんにしてもクリスマスも、もうすこし。24日の昼過ぎには、スーパーもなにも、みんな閉まってしまうので、日用品をしっかり買っておこう。でも、ここ、駅やガソリンスタンドも近い(閉店法の例外で開いているはず)から、困ることはないんだけどね。

キャンプな『バットマン』と桑田次郎のアメリカ復刻版

アメリカの書店のマンガ

というわけで、一路、アメリカへ。クリスマス・テロの警戒で、やたらチェックが厳しい。

が、街は、やはりここもラスト・ミニッツ・パニッカーで、大にぎわい。そのうえ、感謝祭より後は、もう冬物一掃セールだからね。やはり製造年2008の後に2009が出てきてしまったら、もうそっちを買ってしまうものな。売るなら今のうちだ。

ちょっと書店へ。ビデオは長いクリスマス休みにむけて、やたらテレビのボックスものの出がいいようす。あいかわらずERだのSATCだのが人気。マンガ関連では、日本のものも好調。ドイツと違うのは、ドイツが、トウキョウポップのせいなのか、安っぽくて下手っぴな今どきの少女マンガ系が多いのに対し、アメリカは、フランスのバンドデシネ風のグラフィック・ノヴェルっぽいのが当たっているらしい。それだけに、マンガのくせに本の作りが豪華で、紙質もよく、やたら高い。

目についたのは、『バットマン』。それも、なんと日本の桑田二郎(桑田次郎)のキング連載の豪華復刻版。なんだ、これ。表紙にドリフターズとか書いてあるし。編集が下手だから左右ページが反転して、ザラ紙の染みまで写真で取り込んでるし。古文書のファクシミリ版じゃないんだから、フォトショップかけて、もとの白黒に戻してクリアに刷ればいいのに。日本の半紙B5まがいの疑似等寸サイズだから、ミミの広告とか切れちゃってるし。製本より製版にカネをかけろよ、と思う。

で、なんでこんなのが出てるのか、というと、もともとのアメリカのオリジナルのコミック版の『バットマン』にちょっとした困った事情があるからだ。いま映画で『ダークナイト』とかやっているが、あれは、オリジナルの『バットマン』とはあまりに似ていない。デザインがどうこうではなく、ノリが違うのだ。古いテレビ版の方がオリジナルのコミック版に近い。

『バットマン』は、「アクションコミック」誌のスーパーマンに対抗して「デテクティヴ・コミック(DC)」誌で1939年に連載が始まったものの、しょせんずっと本家スーパーマンの亜流でしかなかった。しかし、DC誌はほかに頼る主力作品もなく、ずるずると連載された。が、とうとう戦後の1964年には打ち切りが決まった。そこでヤケになってデザインも設定も、そして、とくに敵役たちを、コンテンポラリー・ポップなものに一新してしまった。ようするに、当時流行の原色サイケを取り入れた、ということだ。

そして、1966-68のテレビ版で最盛期を迎える。このテレビ版が、コミック版以上にポップで、画面に擬音がテロップで表示されたりする。ビートルズの『ヤァ!ヤァ!ヤァ!』や『イエロー・サブマリン』に近いノリ。このオバカなテレビ版『バットマン』(ABC系)と対抗して、NBC系ではビートルズのパロディのオバカバンドショーの『モンキーズ』が企画されたくらい。そして、テレビ版がまた逆にコミック版に影響して、バットマンとロビンは、ほとんどボケとツッコミのかけあいとなり、敵役との戦いさえも、パンツのゴムが伸びてユルユルってな感じとなる。(個人的には、こういうオバカ路線が大好きだ。)つまり、それまでのクソまじめなヒーローもののすべてをごたまぜにしてパロディ化してしまったのであり、ゾンタークの言うキャンプの典型として、『バットマン』は、コミック版も、テレビ版も、爆発的にアメリカでは受けた。

ところで、そのころ、日本の桑田次郎(いま、二郎)は、SF作家の平井和正とともにマンガとアニメで『エイトマン』を大ヒットさせたものの、連載をかかえすぎ、自殺を図って拳銃を買い集めて逮捕された。「キング」編集部は、その桑田の復帰のために、テレビ版『バットマン』の日本での放送に連動して、独自ストーリーでの連載を依頼する。しかし、ベトナム戦争とともに黄金の60年代を迎えたアメリカと違って、日本は、朝鮮戦争による戦後景気とオリンピック景気が過ぎ去った後の反動で、トヨタも傾くほどの大不況期。「マガジン」誌ではちばてつやの『ハリスの旋風』に加え、梶原一騎・川崎のぼるの『巨人の星』がじわじわと人気を得、むしろ貧乏・ド根性・クソまじめの新劇的体育会路線が主流となる。テレビでも、『ウルトラマン』のクソまじめ路線が一人勝ちして、オバカなテレビ版『バットマン』はぱっとしない。桑田の『バットマン』は、クソまじめ路線を取り込んだが、とにかく彼の絵は、泥臭いちばてつやや川崎のぼるなどに較べると、イローニッシュでスタイリッシュすぎた。

さて、いま、もはやスーパーマンがダメになると、バットマンをまともなヒーロー路線に戻そうということで、かのオバカ路線はどこかへ吹き飛び、バットマンはスタイリッシュなグラフィック・ノヴェルと化している。オーディナリーピープルの優等生ジャーナリストのスーパーマンより、セレブでダークな感じも、今のような暗い時代に受けがよいらしい。

バットマンの歴史において、いまや、あの最盛期のキャンプでポップな60年代は汚点でしかない。で、世界を見回してみたら、ちょうどその時代に、日本で桑田が、まさに彼らの期待するイローニッシュでスタイリッシュな『バットマン』を連載していた。じゃあ、そっちを復刻して、キャンプな正史と入れ換えてしまおう、というわけだ。

それにしても今の不景気なアメリカが、余裕を失って、日本の60年代のようなクソまじめ路線になると、ちょっと恐い。カネはなくても、この国は、体力や爆弾の方はありあまっているからなぁ。まあ、1ドル90円を割り込んだのは、こうしてアメリカで買い物をするのにはありがたいが。

ウィスバーデンのクリスマスマーケット

ウィスバーデンのクリマ

今日はもう自分の講義も休みにしてしまったので、久しぶりにバスで高級保養地ウィスバーデンへ。

この街はヘッセン州の州都でもあり、革命以来の白系(色が白いのではなく非共産主義の)亡命ロシア人が多いことでも知られる。昨今、隣のヘッセン州も大変だ。CDU(キ教民主)もSPD(社民)も、1月の選挙で過半数に達せず、州知事不在のまま、いろいろ問題のある前任者のコッホ(CDU)がそのまま居残らざるを得なかった。SPDのイプシランティおばさんは、この秋、緑の党に、赤いリンケ(左翼)まで足して連立政権を樹立しようとしたのだが、こんどはSPD内の4人がおばさんを支持しないことを表明して瓦解。というのも、リンケの実態は旧東ドイツの共産主義残党で、亡命ロシア系や自由主義者たちは、根強く嫌っている。(ついでながら秋の選挙で、保守王国バイエルンでもCDUが過半数割れを起こし、不安定な状態になっている。)

ぶっちゃけて言えば、ウィスバーデンは、ようするにケタはずれの金持の自由主義者が多い超高級住宅地。どの家もマインツより豪華。米軍が占領地としてまとめて乗っ取るつもりだったので、戦災の影響も少なかったし。もっともカジノだのカネの匂いはぷんぷんするが、マインツのような文化の香りはしない。

その街のクリスマスマーケットの統一カラーは青。紋章が青地に三金百合だから。クリスマスツリーも青。時間が早かったせいもあって、落ち着いている。この街は、フランクフルトなどと違って、比較的、治安もいいしね。屋台もやたら装身具が多い。スワロフスキークリスタルやアンバー、ジルコニア、そしてステンレスなど、手軽な、しかし斬新なデザインのものがいろいろ出ている。

帰ったらアメリカの友人から、買い物に行かないか、との連絡。あっちもクリスマス商戦で盛り上がっているらしい。

ネットのウジ虫たち

キーファー博士は、いろいろあって、話が暴走している。おもしろい。今日はカナダの話。カナダ映画なんて知らない、と言うかもしれないが、とんでもない。カナダには怪人監督デヴィッド・クローネンバーグがいる。ちょうどクラシック映画とDVD時代の隙間に落ちてしまって、いまはやや忘れられた存在だが、じつはかなり重要な位置にある。

彼の映画『ザ・フライ』(1986)は、『ホット・ショット』とともにソニーのベータ規格のビデオデッキのおまけとして大量に出回った。ジャパニーズ・ホラーを日本のオリジナルだと勘違いしている人も少なくないが、鈴木光司の『リング』(1993)や瀬名秀明の『パラサイト・イヴ』(1995)は、まちがいなくクローネンバーグの模倣亜流と言っていい。彼らにクローネンバーグの『ビデロドローム』(1981)や『スキャナーズ』(1982)を知らないなどとは言わせない。当時のレンタルビデオ店での大人気B級ホラー作品だったのだから。いまやマンガでも、これらの模倣亜流の映像表現があちこちに溢れている。もっとも、彼らはもう、クローネンバーグのオリジナルは知らないのだろうが。

みずからマッドサイエンティストとして映画にしばしば出演している容貌怪異なクローネンバーグは、もともとトロント大学の生化学出身だ。それが文学部に移ってSFを書いて映画監督になったのだから、話に手が込んでいる。

キーファー博士の重要な指摘は、当時のトロント大学におけるマクルーハン教授の強大な存在だ。クローネンバーグのSFホラーは、ただのSFホラーではなく、テレビや転送装置による人間拡張が契機となっている。『グーテンベルクの銀河系』(1962)を書いたマクルーハン教授は、ネット社会を予言する人間拡張を肯定的に捉えたが、そのときの学生クローネンバーグは、それをグロテスクなホラーとして予感した。

この年末になってようやくキーファー博士の講義の全体像が見えてきた。ドラゴンレディにしても、『ブレード・ランナー』にしても、『グラン・ブルー』にしても、ポストモダニズムにおけるメディアによる人間拡張との関連で語られているらしい。ホンモノになろうとしてニセモノに落ちる。その話の落としどころがクローネンバーグの『ビデオドローム』『スキャナーズ』『ザ・フライ』だとは思わなかった。すごい急展開だ。

クローネンバーグの時代(一九八〇年代)では、テレビだの、超能力だの、転送装置だのと言っているが、先述のとおり、ポストモダニズムは、一般に、印刷に代わるインターネットで定義される。この視点からレトロスペクティヴに彼の作品を見るとき、そのホラーは俄然としてリアリティを帯びてくる。クロ−ネンバーグは、その後、『クラッシュ』(1996)で自動車事故への性的倒錯を採り上げ、くだらない、わけがわからん、と揶揄されたが、ネット上の情報にしかセクシュアリティを感じない人々の存在は、いまや世界的に現実のものとなった。

『ザ・フライ』は、古い『ザ・フライ(ハエ男の恐怖)』(1958)のリメイクだが、もとをたどればカフカの『変身』(1915)に行き着く。カフカでは、転換は不条理な受動的な事件でしかなかったが、『ザ・フライ』では、『ジキルとハイド』のようにみずから転送装置による人間拡張を試みて、その拡張とともに、取るに足らないハエを自分の存在に取り込んでしまう。しかし、その結果、その人間の存在の方がハエになっていく。それは容姿よりも、まず思考を犯す。しだいにハエのようにしか考えられなくなっていく。旧作の方は、逆の、人間の頭のハエを探す、というプロットに展開するのだが、クローネンバーグは、この隠喩性に気づき、ついにはハエ男そのものにまで転送装置が食い込んでしまう。そして、その妻は、ハエ男の遺伝子を引き継いだ子供として、大量のウジ虫を産む。

タバコを吸っているうちにタバコに命を吸い取られ、自動車に乗っているうちに肥満脂肪が乗りかかる。そしていまやインターネット中毒の人々は、頭の中からウジが湧き、全身を情報の虚像に乗っ取られ、ハエ男、ハエ女と化していく。その隠喩性に気づくと、キーファー博士が指摘するように、クローネンバーグの一連のSFホラーは、B級映画などとして片付けられない哲学的な問題を提起している。

映画学科のクリスマスパーティ

クリスマスパーティ

今日はマインツ大学映画学科のクリスマスパーティ。ケータリングで豪華な料理も来て、学科の教授や講師、研究生はもちろん、つながりのある他の学科の教授も参加。まあ、日本の忘年会のようなものだが、食事中も研究絡みの話が多いかな。

息子がトレッカー(スタートレックマニア)の映画学科講師なので、その父親の哲学科のラウシャー教授も来ていた。話を聞いたら、ヴィットゲンシュタインの言語ゲーム論から映画・現代メディア論の研究にシフトしたとか。似たようなアイディアをお持ちだったので、とても興味深く話を伺った。今度、山の上のキャンパスの方にも遊びに行ってみよう。

Liebe ist Alles von Adoro und Rosenstolz




Hast du nur ein Wort zu sagen, nur ein Gedanken, dann lass es Liebe sein.
言葉をかければ、もうすこしで愛になる。
Kannst du mir ein Bild beschreiben, mit deinen Farben, dann lass es Liebe sein.
夢を聞かせてよ。そのちからで愛になる。
Wenn du gehst, Wieder gehst,
せめて最後に、
Schau mir noch mal ins Gesicht, sag's mir oder sag es nicht.
顔を見せてね、なにも言わずに。
Dreh dich bitte nochmal um, und ich sehs in deinem Blick.
ふりかえったなら、それでわかるわ。
Lass es Liebe sein, lass es Liebe sein.
この想い、愛にして。

Hast du nur noch einen Tag, nur eine Nacht, dann lass es Liebe sein.
昼と夜を経て、その時間が愛になる。
Hast du nur noch eine Frage die ich nie zu fragen wage, dann lass es Liebe sein.
私に尋ねて。その問いかけが愛になる。
Wenn du gehst, Wieder gehst,
せめて最後に、
Schau mir noch mal ins Gesicht, sag's mir oder sag es nicht.
顔を見せてね、なにも言わずに。
Dreh dich bitte nochmal um, und ich sehs in deinem Blick.
ふりかえったなら、それでわかるわ。
Lass es Liebe sein, lass es Liebe sein.
この想い、愛にして。

Das ist alles was wir brauchen noch viel mehr als große Worte.
言葉よりも大切なものがあるのよ。
Lass das alles hinter dir, fang nochmal von vorne an.
あなたの気持ち、私に見せて。
Denn,
だって、
Liebe ist alles, Liebe ist alles, Liebe ist alles, Alles was wir brauchen.
愛だけが、愛だけが、愛だけが、あればいいもの。
Lass es Liebe sein, Lass es Liebe sein.
この想い、愛にして。

Das ist alles was wir brauchen noch viel mehr als große Worte.
言葉よりも大切なものがあるのよ。
Lass das alles hinter dir, fang nochmal von vorne an.
あなたの気持ち、私に見せて。
Denn,
だって、
Liebe ist alles, Liebe ist alles, Liebe ist alles, Alles was wir brauchen.
愛だけが、愛だけが、愛だけが、あればいいもの。
Lass es Liebe sein, Lass es Liebe sein.
この想い、愛にして。
Lass es Liebe sein, Lass es Liebe sein.
この想い、愛にして。
Lass es Liebe sein.
愛にして。

ドイツではいまクラシックのCDが売れまくっている。夏ごろ、ドイツ・テレコムがCFに例のポール・ポッツを使って爆発的なブームになった。元のタレントショーはいまや日本でも有名のようだが、ドイツ版のテレコムのCFは、観客たちの反応を主に校正して、とてもいいCFに仕上がっていた。もちろんリアルタイムでの観客の絵があるわけではなく、そもそも番組は英国のものなので、役者たちを使っているのだが、いずれも知る人ぞ知る映画の名脇役たちだ。とくに自転車屋のおっちゃんがいい。それを日本での市川準風の望遠によるアップをうまく組み合わせて、最後に「人は人とつながっている」というコピーでほろりとさせる。

さて、この年末、クリスマス前になって、また次のすごい当たり曲が出てきた。アドロという男声クィンテット。SAT1というドイツ国内の民放局が、ドイツ映画の名作『シッシ』全3部(エリザベートの一代記)を3週に渡って放送するに当たり、このアドロの歌がシッシの名場面の切り抜きにかぶせられて先月末から番宣に使われた。

この歌、もともとこっちのデュオ、ローゼンシュトルツの2004年の大ヒット曲。元歌は、もっとぼぞぼぞした感じで、独り言のように女性が歌っている。それはそれで味があるが、それをクラシック仕立てのゴージャスな掛け合いにした。オケはなんとブタペスト交響楽団。

とはいえ、このグループ、そんなにぱっとしたものではなかった。ポップを歌う男声クラシック・カルテットとして、2004年にデヴューした英国のイル・ディーヴォがすでに名声を確立している。もう1人多いクィンテットのアドロの方は、この秋に、この曲の入った最初のCDを出したものの、鳴かず飛ばず。最初のプロモビデオなんか、ちんけな教会の前で、さえない私服の四人組がただ歌っているだけ、という、いまどきものすごく珍しい手作り感覚のチープな作りだった。

でも、世の中、見ている人は見ている、聞いている人は聞いているものだ。SAT1がこの演奏をCFに抜擢するに当たってプロモビデオも、演奏にふさわしく豪華に作り直した。掛け合いがカットの切り替えにリンクして、それにドイツ映画史上、永遠最高のスター、ロミー・シュナイダーの満面の笑顔と波瀾万丈の人生を切り抜いた絵と重ねられていくのだから、そりゃすごい。もともと歌詞の内容も、夫フランツに対するシッシの思いそのものだ。

アマゾンで注文しようと思ったら7週待ちだとか。それで街のレコード屋に行ったら、イル・ディーヴォの後の中にあった。ポール・ポッツもそうだが、良い仕事はどこかでだれかが知っていてくれるものだ。

フランクフルトのクリスマスマーケット

フランクフルトのクリマ

 所用でフランクフルトへ。が、すごい、すごい。第三週末ということで、あわててクリスマスプレゼントを買いに来た、いわゆるラストミニッツパニッカーの買い物の人出。近くにデパートやブランド街があるハウプトヴァッヘ駅は、あっちに行こうにも、こっちに行こうにも、人だらけ。ちょっとデパートをのぞいてみようか、と思ったが、その通路も人、人、人。

 それなら、いっそ広いクリスマスマーケットを抜けて川っぺりへ出よう。と思ったが、これは、さらに失敗。なにがなんだかわからないくらい人がいる。こんなに混んでいるのは、ここのクリスマスマーケットでも特別だろう。

 ぐるっと回ったところで食傷して、そのまま引き上げてきた。正直、どこの街のクリスマスマーケットも、売っているものには、いまや、あまり大差ない。この業界も、この数年で急激に全国チェーン店化が進んだ。フランクフルトのクリマにも、ケーテとか出ているし。どこでも、レープクーヘンやシュネーバルはあるし。その他の売り物も、仕入れ元はみんな同じ。それこそ、来年の1月末に、フランクフルトのメッセで、業者向けのクリマ商品市が開かれるくらいだ。

 だから、あちこちの街のクリマ巡りなんてしても、どうなのかなぁ、なにがおもしろいのかなぁ、と思う。ようやく人混みを抜けて、ああ、フランクフルトなんか住まなくてよかった、適度に地方都市の、落ち着いたマインツはいいな、と思った。あんな人混みより、スーパーの特売巡りの方がいいや。さあ、月曜はなにかいいものがあるかな。

ひさしぶりの晴れ

 今日は朝から珍しく晴れた。テレビを見ると、ミュンヘンやニュルンベルクは白く雪が積もっている。南のティロルは大雪だとか。低気圧が東の方に停滞して、結果、西のこのあたりが晴れたらしい。

 しかし、晴れると、なお寒い。今日は午前中に自分の講義があるので、早々と出校。こうしてちょっとでも天気がよくなると、街にも人がワナワナと出てくる。昨日までと違って、バス停も人がいっぱいだ。

 週末の夜は、テレビでお笑い番組が多い。あちこち録画しながら、録画できないチャンネルを見る。今日は、アンケ・エンゲルケとバスティアン・パステヴカのオバカクリスマスショー。ARD系のミュージックショーのパロディ。この二人、中堅どころの人気お笑いスター。芸風で言うと、日本のイッセー尾形のような、市井の人々の形態模写が抜群にうまい。あー、いるいる、こういう人、というの。

 まあ、概して、こっちのコメディアン、カバレティストは、この種の形態模写がみんなうまいが、この二人は、服装や髪型、アクセサリーなどの見た目やしゃべり方はもちろん、考え方や行動パターンを典型的に再現してみせる。有名人のモノマネではないところが、またおもしろい。実際、こっちは、バイエルンの度田舎者とか、ベルリンの金持ち崩れとか、ケルン郊外の不満主婦とか、典型化して理解しやすい人物像がはっきりしている。

 と、そこで、花火。クリスマスマーケットの方からだ。でも、そんなのクリスマスのプログラムに書いてなかったけどな。とりあえず6階のテラスまであがって、外に出て見る。やっぱりすっごい寒いぞ。というわけで、部屋に戻って、暖かいお茶を飲んでテレビを見ることにした。花火もすぐ終わってしまったようだし。

フランスの「新世代」監督

「新世代」と言っても、いまや中堅だが、スピルバーグ以降の映画監督を指すことが多い。で、今日のキーファー博士の講義。フランスだって。

まず採り上げたのは、レオン・カラックスの『ポンヌフの恋人』(1991)。コッポラの『ワン・フロム・ザ・ハート』(1982)とのつながりで。わからん人にはわからんだろうが、両方とも完全セット撮影だ。ラスヴェガスも、ポンヌフも、実在するのに、撮影許可が下りなかったからかなんだか知らないが、とにかく、その完全なる偽物を作った。まさにキャンプだ。ポンヌフなんか、ルンペンと家出娘のでたらめな映画なのに、当時30,000,000フラン(約5億円)もかかった。そのうえ、ビノシュが脚本にうるさいわりに大根だし。橋の上で長々と踊っているシーンは、どしろうとの『ちんちろまい』みたいだ。いいのは花火だけ。家出娘なら『ザ・チェイス』(1994)のクリスティ・スワンソンの方がいいなぁ。(このリメイクの『普通じゃない』(1997)のキャメロン・ディアスは鼻につくけど。)

で、その後、『グラン・ブルー』(1988)。カラックスとリュック・ベッソンが同世代って、それはそれでいいのだが、どうも今日の話は全体の脈絡がよくわからん。

マインツのクリマはほどよい混雑

マインツのクリマ

 買い物のついでにクリマへ。こないだうちよりは人も増えたかな。といっても、べつになにか買いたいものがあるわけでなし、ぶらぶらして、オルガン弾きのおじちゃんと楽しく合奏したりして、楽しく散歩。ほんとは、とっとと帰って、明後日の講義の準備をしないといけないのだけれどね。

 ちなみに、マインツのクリマは、見に来るなら火曜か、金曜か、土曜。一見、あまり大きくないのだけれど、これが、これらの曜日には、通常の野菜や果物や花や肉などの生活市とつながって、北の劇場の前まで広がる。ただし、スーパーの特売は、月曜と木曜。チーボも木曜だ。というわけで、なんだかんだで、毎日、街へ出てくることになる。ちょっと寒いけれど、きれいな街の散歩は、とっても気持ちがよい。

ヨーロッパの言語と手振り



 今日のブルガコワ教授の講義は手振り。出だしは、チャップリンの『独裁者』。例のトーキーなのに意味不明の言葉で演説をぶちかますシーン。こういうのを見ると、やはりチャップリンはすごいなと思う。でたらめをやるために、数分間を計算しつくしている。水を飲んだかと思ったらズボンに流し込んだり、横をむいて吠えたと思ったらマイクがそりかえったり、左の耳に入れた水が口から噴き出したり。

 それはそうと手振りだ。ヒットラーやレーニンの演説を見ると、これまたすごい。文化人やまったくのどしろうとなど、会話における手振りだけをドキュメンタリーから取り出してみると、その意味がよくわかる。やはりどしろうとはダメだ。手を上下に動かしているだけで会話とリンクしていない。いかにもたどたどしい。それに比して、プロの演説家はサイレントですら話が見える。さすがだ。

 英米語はともかく、ドイツ語、フランス語は、手振りなしでは成り立たない。こっちのレトリックの本を読むと、聴衆は手振りを見て、その言葉の真意を読み取る、とどれも書いてある。つまり、いくら言葉の上できれいごとを言っていても、それに手振りが呼応していないと、それは言葉の上だけのこと、本音ではない、と理解する。つまり、英米語と違って、ドイツやフランスでは、日本と同様、建前と本音の使い分けがあり、それが手振りで区別されている、というわけだ。

 いかに文法的に正しくても、正しい手振りを伴って言わない限り、こっちの人は聞き入れない。まあ、そう言ってるだけの建前として受け取るから。逆に言うと、こっちの人の会話の大半が、文法的にはぶっ壊れた副詞だけによるものであっても、正しい手振りが伴っていれば、それできちんと通じている。

 ただし、ブルガコワ教授によれば、スターリンやゴルバチョフは、英米スタイルで、手振りを用いていない。言っているのは建前の公式発表のみで、本音は隠している、と思わせたことが、かえって期待を集める結果になったようだ。

クリスマスシーズンのにぎわい?

ノイブルンネン

 ドイツは、クリスマスシーズンでおおにぎわい、ではない。平日、それも月曜セールの夕方だというのに、街に人がいない。だって寒いもん。

 近年、日本ではドイツのクリスマスマーケット観光が有名で人気らしいが、そんなのは例外中の例外で、みんな家から出てきやしない。実際、家で静かに降誕を待つ、というのが正しいクリスマスの過ごし方らしい。

 外へ出ても、昼間でも暗いし、雪景色で美しいわけでもないし、やたら霧が多くて湿気っぽいし。まるで滝の近くか、超音波加湿器の前にいるかのよう。バイエルンの方も、今年は雪がほとんど積もっていないとか。山の向こうのインスブルックの方だけのようだ。なんだか中途半端な天気。

 とはいえ、商店街の方もなにもしていないわけではない。この時期、クリスマスプレゼント用の売り出しがいっぱい。かなりお買い得だ。ただし、クリスマスプレゼント、と言っても、日本のように何万円もするものをあげたりもらったりするような習慣はない。せいぜい数千円。どんなに高くても1万円までだろう。

 こっちへ来てみると、やはり日本は異常だと思う。あまりにどうでもいいことで振り回されすぎだ。寒い季節、心静かに過ごす、その方が健全だと思う。

ついにサンタの家を発見!

サンタの家

 サンタはどこに住んでいるのか。なんとマインツのシラー広場にその家はあった!それがこの決定的証拠写真だ!

 しかし、残念ながらお留守の御様子。中は狭い。大きなサンタが入ったらいっぱいだ。とはいえ、きっとここから北極に通じる抜け穴があるのだろう。

 入り口には、土日はここにいます、と書かれている。平日は別の仕事をしていて、週末だけサンタの仕事に専念できるらしい。たしかにサンタも12月だけの季節仕事では食ってはいけないのだろう。大変な時代だな。

 そのうえ、クリスマス直前は近くのおもちゃ屋の中で子供たちの要望受付の事務仕事をするらしい。スポンサーがつく、というのも、時代なのだろうな。 

ヨーロッパ人は靴を脱ぐか

 街を歩けば女性はブーツだらけだ。そこで疑問。家でもあんなの履いてるのか。答え、履いているわけがない。外の気温はマイナスだが、ほとんどの家の室内は強力な暖房でずっと24度くらいに保たれている。むしろ暑いくらいだ。石の壁が厚い(30センチくらいはあたりまえ)ので、いったん建物全体が暖まってしまうと、自分のところの暖房にかかわらず一部屋だけ寒いということはない。

 で、近頃は部屋履きやスリッパがどこでも売っている。フローリングが流行し、床暖房も人気だ。底冷えするので、すくなくとも大きな絨毯を敷いている。つまり、室内では靴を脱ぐ生活が主流となりつつある。

 とくに屋根裏に住む若い世代はそうだ。天井が低いから、イスやテーブルがじゃまになる。それで座布団にちゃぶ台。ベッドも低いもの、さらには床にマット直置きに変わってきている。いわゆる日本のコタツ用テレビ座椅子なんていうのも売っている。(これは興味深い。というのも、日本の方が、高齢化で、畳に座るのがつらいとか言って、逆に和室にイスを置く例が増えてきているようだから。)

 ヨーロッパのくつろぎ方もどんどん変わってきている。全ヨーロッパ的ドラッグストアチェーンでは、炊飯器だの鉄板焼きプレートだのも人気の広告商品だ。日本人がナイフやフォークで食事できるように、箸を使えるのは、もはやマナーとして当然。

 ただし、ヨーロッパで、いまの日本と決定的に違うのは、やたら食べ歩きが多いこと。日本は早くから都市が肥大し、完全人工化したので、ゴミはゴミ箱へ捨てる。が、ヨーロッパは、いまでも街に人工と自然とが共存しており、自然に帰すつもりなのか、ゴミはそこらに平気で投げ捨てる。それどころか、トイレが有料なので、建物の物陰はしみだらけで、くさくてたまらない。

 環境意識が高い、なんて、まったくのウソ。そのうえ、朝食や夕食をきちんと食べる習慣がなく、やたら間食して食べ歩く。そして投げ捨てる。もっとも行政の清掃が徹底しており、あまり目立たないが、それにしてもひどい。そこらにガムがくっついていることもあるので、電車の座席ですら気をつけないといけない。

ドイツの風邪薬

 諸事多忙で風邪気味だ。こんなところで辛味絶佳のショウガ湯を飲んでいたりして。いわゆる風邪薬と違って眠くならないし、重ねて飲んでも大丈夫なのがありがたい。実際、暖まるしね。

 ドイツでは薬は薬屋で買う。赤いAの看板が出ている店だ。しかし、ややこしい薬は医師の処方箋がいる。医師は病院ではなく、町中の普通の住宅の一室で個人開業している場合が多く、電話でアポ(テルミン)を取って診療してもらう。支払いは後から請求書が送られて来るので、振り込み。病院に行くのは、よほど重篤な状態で、通常は街中の開業医からの転送のみ。

 しかし医師にかかるほどでもないとなると市販薬が欲しい。とはいえ、もともと日本のような総合感冒薬などあまり無いようだ。せいぜい「アスピリン・コンプレックス」くらいか。たいていはハーブティか、バスバブル。風邪専用のものがドラッグストアで売っている。あとはビタミン系のドリンクタブレットかカプセル。

 実際、ウイルス性の風邪の場合、殺菌剤も抗生物質も効かないのだから、ほんとうは風邪薬なんて効くわけがない。せいぜい鼻水や頭痛を止めるくらいか。わかってはいるが、日本の薬は効くような気がしないでもない。まだ飲んではいないが、必要程度にはきちんと手持ちで持ってきているので心配もない。あー、それにしても節々が痛い。


マインツのクリッペ

マインツのクリッペ

これがドームの前の、マインツのクリッペ。けっこう濃ゆいです。でも、みんな、なんだかほお骨が張っちゃって、やせこけちゃって。まあ、せっかくおめでたいお誕生日なんだから、なにかおいしいものでも、おなかいっぱい召し上がってください。

クリッペを飾る

リトルピープルクリッペ

 クリッペは、飼い葉桶のこと。幼子イエス生誕のクリスマス・ジオラマのことだ。この季節の教会の中やクリスマス・マーケットの中心には、かならずこのクリッペがある。クリスマスツリーだの、サンタクロースだのより大切だ。

 クリマでも、いろいろパーツを売っていて、少しずつ取り揃えていってもいいのだが、今年はフィッシャープライス社のリトルピープル・シリーズのクリッペを。わざわざアメリカから輸入してみた。なにしろキャラクターがかわいい。屋根の天使を押すと、聖夜の一節が流れ、星が光る。

 ちなみに、ユダヤ教の家庭には当然ながらクリスマスは無い。イエスなんて知ったことか、というわけだが、子供はさみしい。それで、このリトルピープル・シリーズにはハヌカー・セットもある。プレモのクリッペもいいぞ。

 

アドヴェント始動!

ミルカのアドカレ

12月1日と言えば、アドヴェンツカレンダーだ。アドヴェントは、4週前の日曜から始まるが、カレンダーは12月1日から。ドイツには、さまざまなアドヴェンツカレンダーを売っている。しかし、人気は、やはり御菓子もの。実際、これが本来の姿らしいし。

今年買ったのはミルカ。そう、全部、ミルカ。ミルカばっか。ただし、毎日、かろうじて形が違う。それだけ。あんまり代わり映えがしないのだが、1日に続けてまとめて食べるわけでなし、へんに当たり外れがあるより、まあ、いいか。
マインツの時刻と天気
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Profile
純丘 曜彰
すみおか てるあき 

美術博士(東京藝術大学/美学)、文学修士(東京大学/哲学)、東海大学准教授、ドイツ・ヨハンネス=グーテンベルク(マインツ)大学客員教授を経て、現在、大阪芸術大学教授。専門は哲学、メディア文化論。

東京生まれ。東京大学教養学部1組(横断インタークラス)、同文学部哲学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修了。テレビ朝日報道局報道制作部ブレーンとして『朝まで生テレビ!』を手がけ、現職に至る。

wikipedia 純丘曜彰
純丘曜彰の映像論


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