美術博士 純丘曜彰教授のドイツ大学講義日誌

マインツ大学 メディア学部 映画学科 客員教授

September 2016

パリ・フランドル通りの移民の追放

 16日、とうとうバスで運び出された。19区フランドル通り。東駅行きの線路とラヴィレット運河の間。もともと18区東側は、アルジェリア系の「フランス人」が多かったが、昨年来、ここに移民が2000人ほど路上生活者として転がり込んでおり、大きな問題となっていた。フランス各地に分散したようだが、しかし、その後、また少しずつ元に戻ってきているらしい。

 ようだ、とか、らしい、とか、曖昧だが、パリでも、治安の問題だけに、正確な情報が公開されていない。まして、日本のテレビや新聞で採り上げないのは、露骨に情報統制されているからだろう。在日の問題があるので、移民の問題は、採り上げないことになっているらしい。とにかくテレビ局も、新聞社も、政治家も、在日がらみだらけ。それはそれで、日本がそういう方向なのだから、まあいい。だが、戦前のヨーロッパも、社会支配層がユダヤ人だらけで、あんな極端な破局的事態に突っ込んでいった。強引な政策は、いつか悲劇を引き起こす。

 パリも2000人というのは、このフランドル通りの無国籍移民だけでの数字で、パリの北郊外のサンドニのあたりのアルジェリア系「フランス人」街を入れたら、数ではもはやはるかに純フランス人をしのぐ。米国南部同様の暴動になっても不思議ではない。ただ、奇妙なことに、パリ人は、大革命とナチス占領のせいで、建前上、リベラルを気取っている。しかし、それは建前のことで、実際には絶対に「外人」を社会の中には入れない。ドイツ人以上に保守的だ。とくに、インテリ富裕層のユダヤ系が純フランス人側についていて、イスラム嫌いを煽っている。日本人を含むアジア系もまた、彼らから排除される側だ。近年の危機的状況に、おしゃれを気取ってパリ中心部に住んでいた日本人も、だいぶ帰国してきたのではないか。

 90年代後半には、ミュージカル『ノートルダム』のように、アルジェリア系を社会の中に受け入れるべきだ、という建前がまだあった。00年代にも、『1789』のように、反富裕層のような考え方も残っていた。しかし、テロ事件以後、許容融和すべきだ、などという論調は、皆無。かといって、ナチスのような排除もできない。シャルリー・エブド紙のような、いつも左を気取りながら、本質は底抜けの徹底的な外人差別主義、というのが、パリのスポーツ新聞水準の庶民の本音たろう。

 古代ローマにおいても、ゲルマン人が大挙して住み着き、結局、ローマ人の方がコンスタンティノープル(いまのイスタンブール)に逃げ出した。いまの時代、古代ローマほどにも移民排除はできまい。各地に分散したところで、人権としてその移動を制限できない以上、都市部に舞い戻ってくるのは当然のこと。パリでも「浸食」されてしまった区のカルチェ(四分街区)に残り住んでいる純フランス人は、ほとんどいない。

 日本でも同じようなことが起こるだろうか。一時期、政策的な韓国ブームで、赤坂や大久保のあたりに韓国人街ができたが、工作資金が尽きたら息切れしてしまった。マスコミや政治を在日が支配することはあっても、街区を占拠するなどというのは、日本の在日の日本での暮らし方からして、彼らは好まないように思う。だが、半島情勢次第では、反動的にマスコミや政治で「在日狩り」が起こる危険性は大いにある。

 一部の人々は、民族的アイデンティティなんていらない、これからは国際化だ、と言うかもしれない。ところが、そういう考え方こそが、ハーフ独特の民族的アイデンティティだったりする。戦後は、出身校、企業への所属が人為的に作られたアイデンティティとなってきた。しかし、それが崩れてくると、その下支えになるものは、民族的なアイデンティティくらいしか残らないかもしれない。自分が国際人だから、みんなもそうあるべきだ、などという押しつけは、いつか大きなしっぺ返しとなりそうで、恐ろしい。 

腐ってもスペインのブエルタ・ア・エスパーニャ

 わけのわからないオリンピックが終わって、ブエルタ。キンタナとバルベルデのスペイン語2枚看板のモヴィスタ―に、フルーム・ケーニッヒのスカイ、チャベス・イェーツのオリカが三つどもえでいい感じ。ブルゴスで好調だったコンタドールも、きちんと5位に食い込んでいる。だれが勝ってもおかしくないから、おもしろい。ツールのようにフルーム圧勝では、レースにならないものなぁ。

 ま、レースはどうでもいいんだけど、自転車レースは景色が見もの。どのツアーも、昔から観光案内が半分の企画だ。今年のコースはオーレンセのあたりをぐるっと回って、それから北岸、ピレネー、バレンシアへ。高校生のころ、世界歴史地図帳で見て、なぞって書き写していたあたりのところが、いま、空撮で俯瞰できる。ああ、こんなあたりをフランスと、取った、取られた、とやっていたのか、とか、なかなかに感慨深い。

 今年は行かないが、ブエルタの地図には、かならずアフリカ北岸も出ている。というのも、ジブラルタル海峡の対岸にセウタ、アルボラン海に突き出た半島にメリリャの街をスペインは持っているからだ。とくにメリリャは、アフリカとの交易の中心で、いまでもまさにスペインの街並み。もっとも、カサブランカと同じで、モロッコの交易都市は、イスラム教徒とユダヤ人、ポルトガル、スペイン、フランス、ドイツが入り乱れて、まさに取ったり、取られたりしてきたところで、ヨーロッパとはべつの意味での多様な文化が混在する国際都市。EU以前から衰退続きのスペインより、モロッコの方が勢いがある。

 逆に言うと、スペインからすれば、モロッコは脅威だろう。もともとスペインなんていう国は、北側、つまり、フランスやブリテンの方を向いていた国で、地中海岸はイスラムのグラナダ王国。それをレコンキスタで取り込んだものの、心情的にはやはり地中海気質で、北の連中とは相性が悪い。もちろん、日の沈まぬ国、なんて言っているうちはよかったが、北側の没落が著しく、足を引っ張られ続けているくらいなら、対岸とビジネスした方がまし、という考え方も出てくる。「幸い」まだ、独裁軍事国だったモロッコが政情として落ち着かないままなので、かろうじてEUの方を向いているが、北アフリカが民主化すれば、イタリアやトルコ、エジプトまで含めて、地中海世界の方が仕事しやすかろう。

 世界歴史地図帳というものが、じつは帝国主義の版図という思想に支配されている。面で国土を持つ、という発想は、農本主義の農民連中が政治の中枢を握ったから。中世までの商業主義からすれば、違うところとところを繋いでこそ、商品価値が生まれる。面で広げても、隣はかえって価値がない。だから、植民市が沿岸のあちこちに点在し、それ以上、内陸に広がろうとしなかった。現代も同じで、内陸にむだに版図を拡げても、維持が重荷なだけ。商業都市としては、空港と港湾で、できるだけ異質のところが近い方が都合がいい。中国が、内陸部奥地を見捨ててフィリピン沿岸に出っ張ってくるのも同じ理由だ。

 スペインだけではあるまい。米国も、日本も、商業国家になれば、無駄な内陸部を見捨てるのは必然。ブエルタの空撮を見ていると、その捨てられつつある内陸農業部、集中が著しい港湾都市、そして、北側と南側の格差などが目で見える。自分の国の姿以上に客観的に見えてしまうので、なかなかに怖い。
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Profile
純丘 曜彰
すみおか てるあき 

美術博士(東京藝術大学/美学)、文学修士(東京大学/哲学)、東海大学准教授、ドイツ・ヨハンネス=グーテンベルク(マインツ)大学客員教授を経て、現在、大阪芸術大学教授。専門は哲学、メディア文化論。

東京生まれ。東京大学教養学部1組(横断インタークラス)、同文学部哲学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修了。テレビ朝日報道局報道制作部ブレーンとして『朝まで生テレビ!』を手がけ、現職に至る。

wikipedia 純丘曜彰
純丘曜彰の映像論


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