16日、とうとうバスで運び出された。19区フランドル通り。東駅行きの線路とラヴィレット運河の間。もともと18区東側は、アルジェリア系の「フランス人」が多かったが、昨年来、ここに移民が2000人ほど路上生活者として転がり込んでおり、大きな問題となっていた。フランス各地に分散したようだが、しかし、その後、また少しずつ元に戻ってきているらしい。

 ようだ、とか、らしい、とか、曖昧だが、パリでも、治安の問題だけに、正確な情報が公開されていない。まして、日本のテレビや新聞で採り上げないのは、露骨に情報統制されているからだろう。在日の問題があるので、移民の問題は、採り上げないことになっているらしい。とにかくテレビ局も、新聞社も、政治家も、在日がらみだらけ。それはそれで、日本がそういう方向なのだから、まあいい。だが、戦前のヨーロッパも、社会支配層がユダヤ人だらけで、あんな極端な破局的事態に突っ込んでいった。強引な政策は、いつか悲劇を引き起こす。

 パリも2000人というのは、このフランドル通りの無国籍移民だけでの数字で、パリの北郊外のサンドニのあたりのアルジェリア系「フランス人」街を入れたら、数ではもはやはるかに純フランス人をしのぐ。米国南部同様の暴動になっても不思議ではない。ただ、奇妙なことに、パリ人は、大革命とナチス占領のせいで、建前上、リベラルを気取っている。しかし、それは建前のことで、実際には絶対に「外人」を社会の中には入れない。ドイツ人以上に保守的だ。とくに、インテリ富裕層のユダヤ系が純フランス人側についていて、イスラム嫌いを煽っている。日本人を含むアジア系もまた、彼らから排除される側だ。近年の危機的状況に、おしゃれを気取ってパリ中心部に住んでいた日本人も、だいぶ帰国してきたのではないか。

 90年代後半には、ミュージカル『ノートルダム』のように、アルジェリア系を社会の中に受け入れるべきだ、という建前がまだあった。00年代にも、『1789』のように、反富裕層のような考え方も残っていた。しかし、テロ事件以後、許容融和すべきだ、などという論調は、皆無。かといって、ナチスのような排除もできない。シャルリー・エブド紙のような、いつも左を気取りながら、本質は底抜けの徹底的な外人差別主義、というのが、パリのスポーツ新聞水準の庶民の本音たろう。

 古代ローマにおいても、ゲルマン人が大挙して住み着き、結局、ローマ人の方がコンスタンティノープル(いまのイスタンブール)に逃げ出した。いまの時代、古代ローマほどにも移民排除はできまい。各地に分散したところで、人権としてその移動を制限できない以上、都市部に舞い戻ってくるのは当然のこと。パリでも「浸食」されてしまった区のカルチェ(四分街区)に残り住んでいる純フランス人は、ほとんどいない。

 日本でも同じようなことが起こるだろうか。一時期、政策的な韓国ブームで、赤坂や大久保のあたりに韓国人街ができたが、工作資金が尽きたら息切れしてしまった。マスコミや政治を在日が支配することはあっても、街区を占拠するなどというのは、日本の在日の日本での暮らし方からして、彼らは好まないように思う。だが、半島情勢次第では、反動的にマスコミや政治で「在日狩り」が起こる危険性は大いにある。

 一部の人々は、民族的アイデンティティなんていらない、これからは国際化だ、と言うかもしれない。ところが、そういう考え方こそが、ハーフ独特の民族的アイデンティティだったりする。戦後は、出身校、企業への所属が人為的に作られたアイデンティティとなってきた。しかし、それが崩れてくると、その下支えになるものは、民族的なアイデンティティくらいしか残らないかもしれない。自分が国際人だから、みんなもそうあるべきだ、などという押しつけは、いつか大きなしっぺ返しとなりそうで、恐ろしい。