『ラ・ラ・ランド』が元にしているのが、半世紀も前に作られた『ロッシュフォールの恋人たち』。『ラ・ラ・ランド』以上にハッピーでぶっ飛んでいる。

若きカトリーヌ・ドヌーヴとその実の姉フランソワーズ・ドルレアックが演じるポップな双子姉妹に、その母親役が名女優のダニエル・ダリュー。これに絡むのが、本格的なバレエダンサーでブロードウェイミュージカルの花形のジョージ・チャキリスとグローバーデール。しかし、この二人はじつは狂言回しで、当時のフランスのアイドルスター、ジャック・ペランと、MGMミュージカル映画の大物、ジーン・ケリー、そして、フランス映画の名優ミッシェル・ピコリ。そして、衣装は、フランス映画の定番、ジャクリーヌ・モロー。無地のジャンパースカートの色違いが次々と出てくる。まさにお祭り。これらの米仏オールスターを、『シェルブールの雨傘』を当てた音楽ミッシェル・ルグラン、監督脚本ジャック・ドゥミのコンビがまとめて、影のかけらも無い、大西洋の青空のような、色鮮やかな作品を仕上げた。デジタルリマスターで、いまもその輝きは褪せることがない。

話は、金曜の朝から月曜の正午まで。日曜のお祭りのために、西海岸のロッシュフォールの街の中央広場に、エンターテナーのチャキリスたちがトラックで乗り付けるところから始まる。しかし、これは、フランスの一般的な田舎町の話ではない。そもそもこのお祭り、この年だけの特別な話なのだ。ロッシュフォールの街の創設三百年記念。ふつう、ヨーロッパで広場と言えば、教会の前にある。ところが、この街は、もともと宗教色が薄い。ロッシュフォール城をぶっ壊して、1666年にルイ13世が対英戦争のための軍港にした。海岸からすこし河を遡ったところにあって、英国艦隊もここまで入り込むことができないからだ。

それから三百年、1966年当時、フランスは、実質的に巨大アフリカ大陸の支配者であり、大西洋対岸のカナダ、そして東南アジアにもヴェトナム植民地を持つ海洋国家だった。米国のサンディエゴのように、ロッシュフォールは、そのフランス海軍の最大の拠点であり、水平軍舎や海軍工廠で多くの若者を抱え、また、これらの若者を支えて、街は大いに繁栄していた。中国がけしかけてヴェトナム独立戦争が始まる直前。フランスがまだ平和な夢にまどろんでいられた時代。

当時、「外国人」は、田舎町に世界を見せ、そこから連れ出してくれる大きなきっかけだった。それが三百年にたった1日だけ、街にやってくる。こんな田舎町で埋もれて終わりたくない、そう思う若者たちは、運命の恋愛を口実に、パリへ、世界へ飛び出していく。

実際、あの映画からの半世紀は、ロッシュフォールにとって、あまりに厳しかった。フランスは、ほとんどの海外植民地を失った。その旧植民地から大量の移民が流れ込む一方、ロッシュフォールの海軍関連の施設は廃止され、街から若者はいなくなった。人口は3分の2に激減。旧市街の大半が荒廃し、傷病兵のために作られた病院が老人のためのものとして残っているくらい。ロケ当時のぴかぴかしていた町並みは、くすみ、ガラスが割れて板で塞がれ、そこら中にペンキの汚いイタズラ書き。それどころか、建物が痛み崩れて撤去され、更地にされてしまっているところさえある。これが同じ場所か、と驚かされる。

2003年、『ノートルダム・ド・パリ』の出演者たちで、『ロッシュフォールの恋人たち』もステージミュージカルになった。演出は、アルジェリア出身ダンサーのレドハ。この作品も驚かされる。出だしから『マッドマックス』のようなバイクで、すさんだ浮浪者連中が街にやってくる。広場のカフェも、どうみても売春宿。小学生のブブを消し去るから、登場人物たちを出会わせるつなぎが無くなって、話が元と似ても似つかない。音楽も、ミッシェル・ルグランのエスプリ溢れるおしゃれな生バンドのジャズの味を叩き潰して、乱暴でドライな電気音があばれまくる。なによりステージが汚い。なんでこうなった? レドハという人物には、もともとかなり問題がある。元の作品に対して、よほどの敵意があったのではないかと疑われる。「外国人」は、街の平穏の破壊者でしかない、それで悪いか、と言わんばかりだ。

昨年、2016年の夏、ロシュフォールは創設350年周年の祭りがあったが、若者たちが去ったこの街は、まるで老人ホームの慰安会のよう。50年前とは比べようもなく、ステージ版のような、あくどく、うさんくさい「外国人」たちさえも、現実には、こんなしみったれて、老いさらばえた街には寄りつきもしない。それでも、この3月、あの映画の公開から50周年になる。もはやあの青空のロッシュフォールは、アルカディアか、ブリカドーンか。どこにもない若々しさのユートピア。