いきなりなに言い出してんだコイツ?
と思うかもしれませんが、たまたま読んでいた『我らひとしくギャルゲヒロイン』に出てきた『南方熊楠』という偉人について調べてみて、当たり前ではあるものの考えていない事柄が頭に浮かんでしまったので書いてみます。
『物(物質・肉体)』と『心(精神・思想)』があるからこそ『事(出来事・事件)』が発生する『理(理由・原因)』であるのは当たり前ですが、この『理』から逆に辿っていくと、その先には様々な物事が複雑に絡み合って生じているのがわかるため、その事理の『真(真実・本当)』を知ることができます。
『事』だけをぼーっと眺めているだけでは理解することができませんよね?
たとえば、自分がきょう再びブロンをODしてしまった『事』の『理』は、我慢ができずに飲んでしまったからです。
ならばなぜ我慢ができなかったのかと言うと、『物(ブロン)』と『(心(飲みたい)』と言うものがあわさったからです。なら、なぜ『飲みたい』という『心』
が発生したのかの『理(理由)』は、普段から飲んで依存してしまっているからですよね?
普段から飲む事になってしまった理由は、最初にブロンをODしたという『事』が起こったという『理』にたどり着きます。
その『理』はなぜ発生したのか、それは好奇心という『心』と社会的に辛い出来事『事』が合わさって生まれたからであり、自然発生したものではありません。
こうやって紐解いていくと、いずれは真相にたどり着くわけです。
その『真』より先にはたどり着けませんが、そこには『始』があるわけで、それを人間が理解することは叶わないと自分は思ってしまいます。
なぜなら、いくら『事』の『理』を手繰り寄せても『1』には気づけようとも『0』にはたどり着けないからです。
なぜなにも無いではなく、なにかが在るのか?
という言葉もありますよね。
宇宙が出来た理由は?(2) ビッグバンが起こったから(1)。
ビッグバンが起きた理由は?(2) インフレーションがどうこう(1)。
ならなんでそれが起こったの?(2) 神様が光あれとうんぬん(1)。
なら神様は誰が産み出したの?(1) それは人類には語り得ない(0)。
こういう意味でとると、たしかに無はないですよね。
だって『無』はたしかに『在る』のだから……。
話がだいぶ逸れましたが、本題は、オカルト(陰秘学・新品学)と科学が仲違いせずにちからを合わせたら、より一層深い認識ができるようになるんじゃないかということが言いたいんです。
なに言いたかったのか自分でもわからなくなってきたところで、ではまたw
協力オナシャーッッス↑