記事のサンプル2 算数編青山学院の国語の傾向と対策1

2014年02月06日

記事のサンプル3 社会編

記事情報

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記事内容

*以下の記事は、サンプルです。実際の仕様とは異なる場合があります。


A【歴史<一問一答>帳】のサンプル

【問題】

【1】建武の新政と南北朝

01 1333年に鎌倉幕府を倒した天皇は誰か

02 1334年から約2年半に行われた政治を何というか

03 建武の新政が失敗した原因を説明せよ

04 1336年から1392年までの争乱を何というか


【解答】

【1】建武の新政と南北朝

01 後醍醐(ごだいご)天皇

02 建武の新政

03 武家社会の習慣を無視し、貴族や寺社の利益を重視した

04 南北朝の内乱


B【政治<一問一答>帳】のサンプル

【問題】

【1】内閣の地位としくみ

01 第65条「□権は、内閣に属する」(憲法の条文の語句を記入、以下同じ)

02 内閣は内閣総理大臣と何大臣とで構成されるか

03 内閣総理大臣は必ず何の中から指名されるか

04 内閣総理大臣を指名する機関を何というか

05 内閣総理大臣を任命する機関を何というか

06 国務大臣を任命する機関を何というか

07 国務大臣の過半数は何でなければならないか

08 議院内閣制を簡単に説明せよ

09 議院内閣制では衆議院は内閣に対して何という決議ができるか

10 議院内閣制では内閣は衆議院に対して何を行うことができるか

11 内閣が全員やめることを何というか


【解答】

【1】内閣の地位としくみ

01 行政

02 国務大臣

03 国会議員(衆議院議員でも参議院議員でもよい)

04 国会

05 天皇

06 内閣総理大臣

07 国会議員

08 内閣が国会に対して政治上の連帯責任がある制度

09 内閣不信任決議

10  (衆議院の)解散

11 総辞職


C【社会<正誤問題>帳】のサンプル

【問題】(豊島岡女子22年度第1回)/歴史>律令国家

次の説明のうち、7世紀後半のことではないものを1つ選び番号で答えなさい。

1:持統天皇のときに、戸籍が作られたり藤原京に都が遷(うつ)されたりした。

2:壬申の乱で大友皇子を倒した大海人皇子は、即位して天武天皇となった。

3:中大兄皇子や中臣鎌足らが、蘇我蝦夷・入鹿親子を滅ぼした。

4:白村江の戦いに敗れた後、北九州に防衛のための城が築かれた。


【解説&解答】
正解:3

1:正。

・持統天皇は、天武天皇の皇后()で、戸籍を作った(どういう戸籍かは大学受験レベルなので覚えなくてよい)

・持統天皇は、694年に藤原京を造営した。藤原京の次が、701年の平城京である。

2:正。

・672年に、壬申の乱が起こった。

・壬申の乱では、天智天皇の弟の大海人皇子と、天智天皇の子供の大友皇子とが対立した。

3:誤。

・大化の改新は、645年の出来事である。

4:正。

・663年に、白村江(朝鮮半島にある地名)の戦いが起こった。

・白村江の戦いは、唐と新羅の連合軍が百済を滅したあと、百済を救援するために日本軍が唐と新羅の連合軍と戦って、大敗した争いのこと。

【コメント】

・3の大化の改新が645年に起こったことを知っていれば、簡単に正解できる問題です。

・天智天皇、大友皇子、大海人皇子(天武天皇)、持統天皇の4人を混同しないように。

・藤原京については、最近、入試問題でよく取り上げられるようになりました。


D【社会<記述問題>帳】のサンプル

【問題】(駒場東邦19年度)/歴史>江戸時代

1800年、佐原(現在の千葉県香取市)の伊能忠敬は、自費で海岸を測量しました。忠敬の技術に驚いた幕府は、全国測量を忠敬個人の事業ではなく、幕府の事業としました。忠敬の測量技術の高さ以外に、全国測量を幕府の事業とした理由はどこにありますか。忠敬が生きた時代のことを考えながら説明しなさい。


【ターゲット】

・1800年前後の時代は、外国船が日本近海に近づいている時代であった。

・鎖国を守りたい幕府は、外国船の来航に備えて、国防(軍事)力を整備する必要があった。

・そのためには、全国の沿岸部の地形を知る必要があった。

・記述は、「外国船の接近→鎖国政策の死守→軍事力の整備→沿岸部の警備→地形の把握→伊能忠敬の仕事を幕府の事業にする」という流れにする。

目的手段記述型の問題。


【記述例】

・1800年前後は、例えば1792年に ロシアのラクスマンが根室に来航したように、外国船が日本近海に現れるようになった時期でもある。鎖国政策を守りたい幕府は国防の整備を考えた。周りを海に囲まれている日本は、特に沿岸部を警備するために、沿岸部の地形を正確に知る必要があった。幕府は、伊能忠敬の測量が、このような幕府の外交政策や国防政策に役立つと判断したのである。


【コメント】

・「忠敬が生きた時代のことを考えながら」という指示があります。時代背景を書くことを要求しています。記述例にあるように、具体的な出来事を1つでも書くと、見栄えのいい答案になります。

・列強の接近例は次の通りです。

・1792年のラクスマン(ロシア)の根室来航。

・1804年のレザノフ(ロシア)の長崎来航。

・1808年のフェートン号(イギリス)の長崎侵入。

・幕府の国防政策、外交政策は、次の通りです。

・1798年に近藤重蔵と最上徳内に択捉島などの千島列島を探検させた。

・1808年に間宮林蔵に樺太を探検させた。

・1825年に異国船打払令を出し、外国船を撃退することを命じた(1842年には薪水給与令を出して、漂着した外国船には燃料と食糧を与えることにした)



sunami_method at 12:30│Comments(0)TrackBack(0) 【有料ブログご案内】 

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