珈琲村便り

2015年09月

「ゃっやばい!足が・・・・・・・・!これはかなり深刻な感じだ。」
何か分からないブログのスタート。昨日の9月27日兵庫県神河町の
ハーフマラソンに参加した。この地は、映画ノルウェーの森、大河ドラマの
平清盛、軍師黒田官兵衛のロケ地で有名だ。以前に書き込んだように、私は
走るのが趣味ではないが毎年、篠山マラソンに魅せられ、参加すればぎりぎり
セーフのへぼランナーだ。まぁ来年もエントリー出来れば少しでも余裕のあるタイム
で完走したいと思い練習を兼ねて、景色の綺麗な高原ハーフマラソンを楽しもうと
エントリーをした。やはり例のごとくほぼ練習はなし、普段の山登りコースと少しの
走り込みで本番を迎えた。ハーフなのでたかがと、しかし何か高原なので
アップダウンのあるコースと想像すれば一抹の不安がよぎる。そしてスタート!
「なにぃ~このコースは!」いきなりの下り坂、ダカダカダァ~と下りていき、そして
上がる。想像以上のアップダウン、下り坂が長ければ復路は当然上り坂、平地は
あまりない。本当に笑っちゃうぐらいのハードコース。でも景色は最高!時折り走り
ながら写真を撮る。これはハーフマラソンの気楽さの余裕か?15K過ぎの長~い
上り坂クリア、一緒に併走していたカップルを抜き去って今度は長~い下り坂、快調に
飛ばそうとしたら突然に「ゃっばい!足が・・・・・・・・・・!」と言う冒頭の
言葉だ。かなり深刻な足の痙攣がおきたのだ。もう走ることも歩くことも出来ない。
ライバル?(笑)のカップルが「大丈夫ですかぁ」と通り過ぎて行く。
しばらく(10分ぐらい)ストレッチなどをしながら座っていたら痛いが歩けるぐらい
 
に復活。残りの約2キロぐらいは歩いたり、走ったりでゴ~ル。
敗北感の残ったハーフマラソンであった。

*砥峰高原、景色の綺麗な場所、私のお気に入りの地になった。

神河町ハーフマラソン 005

神河町ハーフマラソン 007

神河町ハーフマラソン 031

神河町ハーフマラソン 027

この間、お店の☎回線工事で業者の方が来た。ずいぶん以前から☎工事を
当社でして頂くと☎料金が安くなると言う営業が頻繁にあってヘキエキして
いたのだが、今回は主装置の移動を頼むことになりやってもらうことになった。
工事前日に打ち合わせを兼ねて下見に担当者が来たのだが光回線に変更を
するとのこと、何年か前に、別の工事業者が当ビルの天井裏のラインが複雑で
出来ないと帰って行ったことを思い出した。工事当日、やはり担当者は悪戦苦闘
時間もかかり、私も気の毒に思ったのだが彼も色々な所からトライをして最終的に
やり遂げる。工事終了のサインをした後、お店のアイスコーヒーを振る舞うと彼は
ほとんど一気に無言で飲み干した後、「ぷはぁ~めちゃくちゃ美味しいですね!」
と言い放った。
そう、苦労してやり遂げた仕事の後、サン珈琲のアイスコーヒーは特に美味しいの
である。

*なにぃ~夏の仕事の後に飲む生ビールの方が美味しいだと!

「東京オリンピックの新しいエンブレムを発表します。」とテレビを見ていたら
華々しくエンブレムのお披露目発表がニュースで流れてきた。私は「えぇ~
何で?オリンピック招致合戦の時に使った、あの桜のデザインは駄目なの。」
と思い、個人的には好きだったのだがあれはイメージデザインで公式エンブレム
には使えないのだろうか?その後に類似疑惑のごたごたは最終的に使用中止
となったのだが、私が本当に物申したいのはその間の専門家のお偉いさんの
コメント、彼らの言うのはコンセプトが違うので全然、似ていないとの意見である。
「何を言っているん?やっぱり似ているやん。」直感でそっくりやと民意が思えば
法令とかデザイン上の理屈なんか関係ないのだ。その上、思うのは今回の公式
エンブレムの決定する為の税金の無駄遣い、以前にも最大手スーパーが破綻
した時には大き過ぎて潰されないから、国の経済再生機構が入って再生する為に
税金を投入されその時のひとつの策としてロゴマーク、看板をすべて替えたことは
どれだけ膨大なお金を使われたか!中小企業、零細企業はそんな資金は簡単には
捻出できないのが現状だ。東京オリンピックは国民にとって最大のイベントなのだから
政府はもっともっと国民目線で何事もやって欲しいと本当に思う。

*私たちの仕事においてもプロ目線ではなくお客様の立場で物事を考えると言うこと
 が大切だと改めて思います。

こんにちは、清水です。今回、私にとって寂しい、悲しい出来事があります。
それは私の行きつけのお店が9月の中旬に閉める事になったのです。
考えてみると、もうそのお店を利用して25年の歳月が経ちました。
いつも楽しみにしていたママさんの手造りのランチはもちろんのこと
ママさんとのおしゃべりが出来なくなることにとても、とてもショックです。
自分の私生活まで話せるママさんには人生の先輩としていつも励まされ
癒されて、お店を出る時は元気になっていました。
お店の常連さんの中には、もう行く場所がなくなった、癒せる場が失うことに
寝れなくなったという年配の女性もいらしてママさんの人柄がこのお店を作って
来たのだとつくづく思います。本当に残念で寂しいですが、彼女のしたいことが
あるとお聞きしたら仕方がないのですね。
ママさん、長い間、お疲れ様でした。そしてこれからの人生を楽しんで下さい。


*この清水さんの愛していたお店(カフェ)は偶然にもサン珈琲のお得意様でした。
 私自身が開店当初にワンバーテンのお手伝いをしたことは昨日のことのようです。
 物事は必ず終わりがあるのですが私もすごく寂しい気持ちで一杯です。
 
 

このページのトップヘ