社長のひとりごと

当社の代表取締役社長である松本道彦によるコラム

ウッドデッキ

 5月の連休が終わってから自宅のリフォームをした。リフォームと云っても車庫と倉庫のやり直しである。どちらもかなり傷んでおり、ペンキの塗り直し程度でおさまるものでなく、ハウスメーカーの営業の勧めもあり見積もりをしてもらうことにした。見積金額は概ね予想していたものであったが、安くはない金額なので、一応他社の見積も取って検討することにした。多少の金額差なら先に交渉したハウスメーカーに決めるつもりで、その旨を両社に伝えた。ハウスメーカーの営業は若い女性であり、片やオッサンだから前者に契約してあげたいと思うのは人情として当然のことである。

 斯くして両社の見積がそろい確認したところ、かなりの差でオッサンの方が安かった。3万、5万位までの差なら先発業者に軍配を上げるのだが、0が付くとなると若い女性だからと、やに下がるわけにはいかない。結果、オッサンのところと契約する。

 当初は、車庫と倉庫だけであったが、庭をもやり替えようということになった。というのも、家内もお袋も庭に草が生えているのを見ると抜かずにはおられないという厄介な性格なのだ。できたら、草の生えない庭にしたいと声を揃えてのたまう。オッサンの提案は、庭全体に防草シートを張り、その上に小石を敷き詰めると草が生えることはないと云う。また、昔から植わっている大きな木は処分し、もみじ等軽い庭木にしてはどうかとも云う。この提案にのる。

 流石、経験豊富な会社で、出来上がった庭はスッキリと涼しげな雰囲気があり、みんな大満足。これで、よかった、よかったで終わるところ、わが女房殿はまだ思うところがある様子。何かといえば、ウッドデッキをつくろうと言い出すではないか。「そんな物作って、誰が利用するんや」と反対しても本人はやる気満々。

家に関して、あまり口出して家庭の平和が乱れるのも如何なものかと、ここは好きにしてもらうが賢明と「つくれば」と言ってしまう。

 ウッドデッキが出来上がれば、次はテーブルとイスとくる。「誰が座るんや」との声は無視して好みのセットを揃える。これで漸く一件落着。

 「ウッドデッキは良い!」これは全く関心のなかった吾輩の弁だ。倅どもの家族とするバーベキュー。ウッドデッキにイスが大活躍。比較的涼しい夏の朝は庭木を眺め、リラックスタイム。これが実に気持ちいい。気候のいい時節は読書と一番利用しているのは、誰あろう、反対していた吾輩である。我が家に居ながら部屋でする読書より格段に気分爽快であり、大げさに言えばリゾート気分とはちと言い過ぎか。ここのところ暖かい日が続いており、12月に入っても読書はウッドデッキ。もちろん休みの日に限ってのことではあるが。

 道路に面しているから通りがかりの人や近所の人と遠慮なくグラスを傾けることができればより値打ちがあがるだろう。

女房殿 ありがとう!

創立50周年感謝の集い

 この会社に入社したのは、昭和464月だから、もう47年になる。会社の設立が昭和4311月で、当初から夏休みなどアルバイトをしていたから創業当初から働いていたと言っても過言ではない。創業間もないころ、大学の3年だったと思うが、創業者である親父から、大学を休学して測量学校に行ってくれないかと頼まれたことがある。多分、自前の測量士の必要があったからだと思うが、学生気分を謳歌していた頃であり、「それは勘弁してほしい。卒業したら測量学校に行くから」と言ったために、今に至っているのだから、単純と云えば単純だし、好い加減とも言えなくはない。

 大した考えもなく測量という世界に身を投じたわけだが、気がつけば50年という月日が流れたことになる。50周年を迎えるに当たり、記念事業として何が良いだろうかと随分前から思いを巡らせていた。業界関係や地域・友人関係を招いての祝賀会がよくあるパターンだが、これは初めから眼中になかった。また、ずいぶん以前だが、周年記念に広辞苑を贈ったら喜んでもらえるだろうなどと考えたことがあるが、今のネット社会にあっては全くそぐわない。

 50年を迎えるということは、その間数多の方々の支援、協力があったことは言うまでもないことであり、只々感謝あるのみである。50年という節目を誰と共に祝うかを考えたとき、社員と共に祝いたい、というより感謝の意を表す場を持ちたいとの思いが強く、「株式会社サンコム感謝の集い」を計画した。

 社員が元気で働けるのも家族のお蔭であり、同じやるなら家族をも招待して楽しい祝宴にしたいと常務に計画を委ね、会場となるホテルの担当者をも交えいろいろ案を練った。ちょっと豪華な景品を用意したビンゴゲーム、子供たちに楽しんでもらうためのマジックショー、そしておいしい食事と準備を整えた。

 そして、1013日(土)に姫路キャッスルグランヴィリオホテルで「感謝の集い」を催した。社員は勿論パートの皆さんも家族ともども参加してくれたのは嬉しい限りであった。来賓としてメインの金融機関の龍野支店長、友人のM,顧問税理士の3名に来てもらった。

 開会のトップバッターは社長であり、何を話すか、先ず会社の生い立ちから始め、その後の変遷をくどくならないよう簡単に話すつもりで壇上に登ったのであるが、みんなの顔を見渡しているとなぜか感極まるものがあり、最初の一言からウルウルになってしまい言葉にならなかった。自分の頬っぺたをしばきつつ何とか話し終えたが、こうなる自分を予測することができず意外であった。

 大した苦労は何もしていないと笑って云うこともあったが、やはり50年の重みは生半可なものではなく、意識はしていなかったがこの日を迎えることができた喜びとか、いろんな思いが突然に交差したのかもしれない。友人のMとか永きにわたり苦楽を共にした社員は心中をわかってくれたようで嬉しかった。

 あとは、本当に楽しい時間となり、みんな喜んでくれたと確信している。もちろん自分にとっても忘れ難い一日となったことは言うまでもない

軟弱者

 とうとう8月の独り言は書かず仕舞いだった。別に忘れたわけではないが、書こうとの意欲が湧いてこなかったというのが正直なところだ。これは、もしかしたら加齢によるものかもしれない。このままだと止まってしまう可能性大であり、「それでいいのか」と自問自答すると是とするには多少の抵抗がある。よって、少し努力することにした。

 先月の終わり、月曜日のことだが普通に出社して、いつものメニューをこなし、日報の確認をしようとしたら突然咳き込みだして、喘息の症状にするとちょっと違うなと思いつつ仕事をしていたらだんだん体がだるくなってきた。こうなると思考力なし、やる気なしで座っているだけの時間が過ぎる。こんな状態で会社に居ても仕方がないので昼で早退する。

 ベッドで横になり、体温計で熱を測ると373分。うん、まあこんなものかとテレビをつける。テレビを視るでもなく、うとうとするが、時間とともに熱が上がっていくのがわかる。こうなると体温計とはお友達だ。385分、391分これはやばい、医者へ行かなければと家内に頼む。「ほんまに軟弱なんだから」と馬鹿にされつつ医者へ連れて行ってもらう。もうすぐ93歳になろうとするお袋も「ほんまにあんたは弱いんやから」とのたまう。事実故返す言葉なし。

 何が原因でこうなったのかと思い起こすと。心当たりがあった。朝方、寒くて目が覚め、布団にくるまっていた。クーラーは猛暑つづきだからつけっぱなしにしているが寒くなるほどではなかった。なぜか震えが来るほどの寒さを感じていた。夢を見ていたようにも思うのだが、まさか、夢の中で寒かったから風邪を引いたなんてことはあり得ないだろう。

 医者に行ったって、レントゲンを撮って血液検査をして「異常はありません。明日は用心のため寝ていなさい」でおしまい。大したことはないのは有り難いが、よくもまあ簡単に熱が出るものと自分のことながら感心する。というのも、前回熱を出したのは5月で、この時は、東京出張があり、いつものように終わった後懇親会に参加して帰った。多少つかれ気味であったのか3日後の予定がまた東京出張で、行きたくないという気持ちがあったように思う。東京行嫌だなとの思いが強かったのか当日熱が出て、止む無く中止。これを軟弱と云わずして何を軟弱と謂うかと自分で「軟弱者」と納得する。

 昨日のことである。朝、体調も良くいつものメニューをしっかりこなす。ぶら下がり健康器のあと、新聞に目を通していると突然腰の右上あたりに違和感を覚える。おかしいなと思っていると歩くのも苦痛になるほどの痛みが襲ってきた。掃除も朝礼もパスして座ったままじっとするしかなかった。昼から大阪行だのに参ったなと思いつつ取りあえず整骨院へ行く。アイシングをやりながらマッサージ。終わると多少ましになったように思うも、大阪行は取りやめる。夕方になると痛みは大分治まり、ほとんど気にならなくなった。

 今朝、痛みは残っているかと恐る恐る起き上がると痛みは全くなし。昨日の痛みは一体なんだったのだと安心というより不安を覚える。多分近いうちに同じような症状が出るような予感がする。実は、医者へ行くほどのことはなかったが、同じような症状が2回あったのだ。小心者故こわーい病気だったらどうしようかなと思うも、かかりつけの先生に次に行った折に相談すればいい。

 70歳になっても気力、体力はまだまだと思っているが、他の面でその影響がでているとするならこれは致し方のないことだ。多少の無理は元気のもとと考え、軟弱者なりにちょっとだけ頑張ろう。

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