会長のひとりごと

当社の会長である松本道彦によるコラム

安倍元総理襲撃事件(国葬)

 前回の続きを書くつもりであったが、昨日の安倍元総理国葬について述べたい。927日は安倍元総理の国葬と予定表に入れていた。何をするというものではなかったが、もし社長であったなら、この日は半ドンにしてもいいと冗談半分であるが口にしていた。国葬は午後2時からだったので1時過ぎに帰りテレビの前に座った。テレビをつけるとNHKであり、国葬に反対する人が何パーセントと国葬を問題視するようなニュアンスが感じられたのでチャンネルを8に変えた。こちらは安倍元総理の功績について報道しており、局の姿勢がうかがえる。遺骨を乗せた車に自衛隊の儀仗といった手厚い弔意は安倍元総理の功績にふさわしい。

 式典が始まり岸田総理大臣の葬儀委委員長としての弔辞も悪くなかった。紋切型でつまらないとの声がなくもなかったが、あれはあれでよかったと思う。特筆すべきは菅前総理の友人としての弔辞だ。淡々とした中にも真の友人としてのあふれんばかりの思いが込められており、聞いていて涙がとまらなかった。特に、最後の安倍元総理が読みさしにしていた岡義武著「山県有朋」のマーカーペンをひいた一首を自分の思いを表したものとして紹介されていましたが、たまらない気持ちにさせられました。弔辞が終わるや拍手が鳴り響きましたが、弔辞で拍手というのはあまり聞いたことがありません。それほど多くの人の心を打った弔辞と言えます。蛇足ですが、早速アマゾンで件の本を注文しました。もう絶版のようで古本で注文したのですが、岩波文庫ですから、1,000円までのものでしょうが2千数百円の価格がついていました。まさか菅前総理の弔辞の影響ではないと思いますが、少し驚きです。

 国葬は滞りなく終わり、家まで帰ってテレビを視た甲斐があると満足したものの少し言いたいことがある。立憲民主党の泉代表他何人かの国会議員が出席を拒否していたが国会議員としての見識を疑う。泉代表は「国民の理解や納得は得られなかった。大きな禍根を残した」と感想を語ったと今朝の新聞にあったが、国民の理解や納得は別にしてあなた自身の思いは奈辺にあるのか是非伺いたい。国会での決議がなかった云々で参列しなかったのか、安倍元総理の功績は国葬に値しない故のことなのか、各国から賓客がお見えになる国葬を貶めることがあなたの真意なのか、自民党がやること故否定するのか、ご自身の考えを明らかにすべきである。そもそも国葬は吉田茂首相以来のことである。こういった機会に巡り合うのは極めて稀有なことであり、主義主張は別として、政治家として是非経験しておこうというくらいの度量がなくてどうするのかと問いたい。また、死者を弔う、その死を悼むというのはそれぞれが持っている惻隠の心ではないか。尤も、個人的には安倍元総理の死を悼む気持ちはあると言われるであろうが、公党の代表としてそれを形にして表すことができないのは如何なものかと言わざるを得ない。また、同じく立憲民主党の近藤昭一衆議院議員は「国葬に反対することは民主主義を守ることだ」と反対派の集会に参加してあいさつしたとのこと。何をか言わんや。

 平成279月に成立した安保関連法制は安倍元総理の最大の功績であると聞く。あの当時は立憲民主党でなく民主党であったが、岡田代表が法案成立時に、これで1億の国民は我々の味方になったと声を大にして叫んでおられたが、現時点で安保関連法案を廃案にしようとの声は全く聞かれない。現在の日本を取り巻く環境からして「よくぞ安保関連法案を成立させくれた」と安倍元総理の先見の明を称賛する声はあっても廃案にすべしとの声はない。事程左様に責任の伴わない政党はいい加減であるということを忘れてはならない。

安倍元総理襲撃事件①

 安倍元総理が襲撃されたのは78日のこと。この日は気が置けない友人たちとゴルフを楽しんでいた。プレーが終わりくつろいでいたとき、家内から「安倍さんが撃たれた」とのライン。慌ててネットでニュースを視ると、奈良で応援演説中に背後から撃たれ、心肺停止とのことだった。その後のニュースでお亡くなりになったことを知った。あれから2か月半が過ぎたが、この事件を思うと未だに釈然としない。その理由の第一番は、もう安倍元総理は居ないということ。「なんでや!」と繰り返してもいないものはいない。山上何某が犯人であることは毎違いないが、巷間言われている殺意の原因がどうもしっくりこない。

 櫻井よし子さんが主宰する「言論テレビ」715日版で気になるコメントがあった。この日は、緊急特番「安倍元首相凶弾に斃れるⅡ」とのテーマでゲストが政治ジャーナリスト石橋文登氏、月間「正論」発行人兼調査室長有元隆志氏、元陸上幕僚長岡部俊哉氏の3人であった。番組の冒頭、安倍元首相襲撃の動画が流された。これはSNSで流されていた多くの動画の中からピックアップされたもので、その映像はまるでこの事件を予測していたが如く極めて冷静な撮影であった。銃声があっても映像は全くブレることなく、安倍元首相が倒れたシーンからスムーズに犯人取り押さえの映像へ移動している。これを視て、元幕僚長の岡部氏は「とても素人に撮れる映像ではない。銃声に冷静に対応できるのは相当訓練を受けた者でも難しい。事前に予測していたのなら可能かもしれないが」とコメントされていた。また、「聞くところによると、この映像は7日の夜にSNSにアップされたもので、エクアドルの放送局を通してのものとのことだが、真相はわからない」とも。あれこれ詮索しても何の意味もないが、このような状況を捜査関係者はどのようにとらえているのか非常に関心のあるところだが、今までのところこれに類する情報は皆無だ。

 容疑者の犯行動機は、母親が統一教会に財産を使い果たし、家庭が壊れてしまい、その恨みを統一教会の宣伝媒体に出ていた安倍元総理に向けたと聞く。そもそも母親が統一教会にかかわりをもち財産を提供した時期はいつなのか、ネットで調べる限りにおいては大学時代に母親が統一教会に入信したとある。そして、祖父から相続した実家を売却し、全てを寄付させられて自己破産したのが2002年とのこと。大学も退学したとのことだから、母親が家庭を壊してまでのめり込んだ統一教会が憎い、恨み骨髄までとの気持ちはわからないでもない。だからといって20年も前の出来事を、統一教会が日本で広まった原因が安倍元総理にあると思い込み犯行に及んだと記載してあるが、鵜呑みにすることは到底できない。

 親父が女に入れあげて家庭が壊れてしまった、また博打で家どころか会社ごと持っていかれてしまったなどの例は世に珍しくない。その都度、当該者でなくその関係者とおぼしき人を恨み、それも20年も経ってから殺害するといった事件は寡聞にして知らない。

 事ほど左様にこの事件は謎また謎に満ちている。もう少しマスコミにあってはここらあたりを突っ込んで欲しいと思うが無理な相談だろう。後は国家権力に真相の解明を期待しよう。

団体活動(業界活動④)

 近畿支部長に就任すると同時に本部の理事となり、東京での理事会に出席するようになる。尤も、東京へは副支部長時に総務担当であったから本部総務委員会出席のため年に数回出かけていた。今思えば、協会活動で一番面白かったのはこのときの総務委員会であった。その頃、協会の経営改善が大きなテーマであり、思うところを遠慮なく述べた。時の専務理事がかなりのやり手であり、丁々発止のやり取りが新鮮で東京へ行くのが楽しみでもあった。その当時の総務委員会のメンバーから「松本さんは最初の切り口は鋭いけれど、後半は矛先が鈍る」と指摘されたが、まさにそれが自分流であった。委員会終了後は近くの居酒屋でワイワイガヤガヤ、そして最終の新幹線で帰途につく。

 理事会は、全国に10の支部があり、その支部長と会長、2名の副会長、専務理事で構成されている。会長は元国交省キャリアであり、気さくな方だが会の運営はそつが無く、流石と思うことしばしば。理事会にあっては、報告事項、協議事項と整理されており、どちらかと言うと報告事項に時間がとられていた。総務委員会のような面白さを理事会に望むのは無理な話だ。それでも機会があれば積極的に発言していたのではないかな。もちろん終了すれば必ずグラスを傾け話に花が咲く。アフターファイブの方が有意義な時間になっていた可能性無きにしも非ずだ。自分で支部長の任期は3期と決めていたので時期が来た時点で後任を決めた。当然、本部理事もお役御免となるわけだが、次期副会長にとの声が出始めていた。特に後任の近畿支部長から「松本さん、是非副会長になってください」と強く勧められたが、こればっかりは「じゃ、なります」というものでなく、大勢に従うしかない。また、支部長就任時に頭をよぎった補償部門の売上、企業規模等を考えれば執着するものでもないし、自然体で居ればいいと考えていた。結果として推薦されたので素直に受けた。

 協会本部へ電話をすると、音声で用件ごとの番号案内が流れる。小さな組織であるのに番号案内は会員サービスの観点からして変えるべきと以前から疑問に思っていた。これについては事務局マターであり、副会長の立場で云々するものではないが、どうも事務局サイドはこの件について触れたくない様子だった。そこで、他の副会長2名と相談した結果、一度本部女子職員5人と食事をしながら電話の件を改めるよう話し合いをしようということになった。費用はこちら持ちで日時と場所はお任せして実施した。結論から言うと5人が結束して現状を変えることはできないと言う。その理由を聞いたが、会員サービスより自分たちのためとの意識が強く、3人そろって返り討ちにあってしまった。環境に慣れ切った自分を守ろうとする醜い一面を見た思いで、以後、これに触れることはなかった。

 副会長を24年務めたが、コロナ禍のため後半はWeb会議に変わることがしばしばであった。どうもWeb会議は苦手で、ちょっと耳に痛いことを発言するには笑って、を基本としているが、モニターではそれが通じないので自分の意図するところと異なって伝わったこともあったようだが、これは力不足故のこと。やはり会議はフェイストゥフェイスがいい。そして、会議の後の懇親の場があってこそ会議が会議となり得るのだ。

 本部理事、副会長を9年務めたが、特筆すべきは出会いである。多くの方から刺激をもらったことが何にもまして自分の財産となった。賢木副会長には大曲の花火に招待してもらった。間瀬副会長には東京読売カントリークラブへ幾度か連れていってもらった。坂田会長はワインについて一家言あるか方で、大阪九条、中村支部長お薦めの店でワイングラスを傾けたことも忘れられない。ついでに言うと、今年の10月に四国支部長だった二川さんの世話で土佐カントリークラブ、黒潮カントリークラブで以前の仲間とプレーをする予定だ。

 お前の協会活動は「一杯呑みと遊びか」との声が聞こえてきそうだが、そうではない。人と人の付き合いが「一杯やろうか」であり、遊びなのだ。四角いテーブルで堅い話をするだけでは何も面白くない。言うまでもないことだが、一杯やりつつ談じるのは協会活動であり、人間を知るには遊びに勝るものなし。ま、過ぎてしまえばそんなことはどうだっていい。

 家族があって、仕事があり、そして協会活動もやった。何も言うこと無し。

記事検索
月別アーカイブ
プロフィール

suncom_hitokoto

カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ