【入所前】
小さいときから、人がニガテな子どもだったね。
集団行動がキライだから、保育園なんて大キライ。
行きたくなくて、毎朝泣いてた。

保育園に行ったら、泣いたり、先生を困らせたりは絶対にしなかった。
事を起こして、注目されちゃうのがイヤだったの。
おとなしくしていれば、かまわれることもないからね。
できる限り、一人にしておいてほしかった。

保育園ではずっと「早くお母さん迎えに来ないかな~」ってことばっかり考えてた。
家に帰ってくると、本当にホッとした。

小学校に入っていじめられたのは、ある意味しかたがなかったかもしれない。
助けてくれる友達もいなかった。
それほどツラくはなかったんだよね。
オレってなんか冷めてるところがあってさ。抵抗するのもめんどうくさい、みたいな。

野球を始めたのは、原辰徳さんが大好きだったから。
そこでは団体行動もチームワークもそれほどうっとうしいとは思わなかった。
見てるわけじゃん、原さんがそうやってチームメイトと野球しているのを。

初めてラブレターもらったのは5年生のとき。そんなにうれしくなかった。
むしろめんどうくさいことになるのがイヤで返事しなかった。

【事務所入所】
中学に入る少し前、いとこが「写真を撮らせて」って急に家に来たんだよね。
ふざけて撮らせてやったのを覚えてる。
それがオレの人生を変えちゃうんだから、わからないもんだよね。

6月、「オーディションに来てください」っていう連絡が来たときも、なんのことかわからなかったよ。
事態が飲みこめても、「めんどくせ~な~」ってだけだった。

オーディションでは一番後ろでただ揺れてただけ。
踊れるわけないじゃん、その気もないのに。
3日後くらいには電話がかかってきて。
いわれた場所に行ったら、雑誌の取材だった。

(インタビューは)今もニガテよ、基本は。
自分のことなんてしゃべりたくないし、ヘンに語ってるのを何年かあとに読み返すと、めちゃめちゃ恥ずかしいしね。

初めてファンレターをもらったのは仕事を始めて半年後。
それはちゃんと覚えてる。だって、すごいうれしかっただもん。

Jr.になってからは、いろんなオーディションを受けさせられたの。
でもオレはことごとく落ちまくってた・・・。
やっと受かったのが「STAND BY ME」だったんだよね。
受かってからが大変だったんだけど。
芝居なんて初めての経験だし。永山さんには「おまえは猫背だな!」って背中バンバンたたかれるし。

明日から撮影(ドラマ「天城越え」)って日の夕飯のとき、人がすごいいっぱいいたんだよ。
でもオレ「関係ね~や」って、すみっこで1人で食ってたの。
そしたらプロデューサーが来て、「明日、おまえのことだけ撮るためにこれだけの人間が動くんだぞ」っていったんだよね。
そのときが初めてだったかもしれない。
仕事で「がんばらなきゃ」って思ったのは。
前向きな責任感が生まれた瞬間だよね。

芝居って、いいも悪いも、手を抜いたら抜いただけの評価が全部、自分に返ってくるでしょ。
それも好きだったな、わかりやすくて。

芝居が好きになった分、ジャニーズJr.として出るバラエティーには興味が持てなかった。
正直「オレがいなくたっていいじゃん」くらいに思ってた。
ちょっと調子に乗ってたかもしれないね。

アメリカで監督業とか映画制作の勉強をしようと思った。
オレが役者気取りで向こうに乗りこんでいったところで、仕事なんかあるわけないんだし。
裏方の勉強して、裏方の仕事をしたほうが建設的だなって思ったの。
99年12月で全部やめて、アメリカに行くって決めた。
お金もちゃんとためたんだよ。

【嵐デビュー】
それなのに9月。ハワイで「今度デビューする嵐です!」なんていってた。
あれは人生最大のピンチだったね。

ハワイで「デビューする」っていう事実を知ったときは、「もう日本に帰りたくない」って思ったよ。
帰ったら、現実を受け入れる以外なくなるじゃない。
レポーターには「嵐になってどうですか?」ってさんざん聞かれて、「うれしいです!」なんて答えて。

最初、「どうやったらやめられるかな」って考えてたのは事実。
「オレみたいな気持ちのヤツがいるだけで、嵐にとっては迷惑だよな」って思ってた。
「迷惑をかけたくない」っていう気持ちで仕事を続けてきて、その結果、一番大きい迷惑になるようなことをしてるのかもしれないって。

今まで続けられたのは、なんだろうね?
大きかったのは、嵐の雰囲気のよさ。
あのメンバーじゃなかったら、こうなってなかったかもしれないって思う。
5人でいるときがすごく楽しかった。
これまで、人とつるむことをしてこなかったオレが初めて味わう居心地のよさだった。


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