2007年02月19日

『北の零年』(行定勲 2005)を見ました

いや、本当は、”いくらおにぎり”さんが紹介した『遥かなる山の呼び声』を見たかったのですが、これがビデオ屋になかったので、北海道つながりで借りたのがこれ。うーん、北海道以外、全く関係ないねえ、この2作(笑)

ところで、公開当時の2005年に、両親が見たのですが(もちろん吉永小百合目当て)、評価は「全然よくなかった」というキビシイもの。そんなこともあって、気になるものの、見ることがなかった私。今回初めて、見ることになります。

169分という長丁場の映画ですが、エンドロールを見ながら、両親が「よくなかった」という理由が何となく分かりましたですよ。つまり、主人公の志乃(吉永小百合)と夫の英明(渡辺謙)の間に、予定調和のエンディングがないのですな。たしかにちょっと釈然としない終わり方ではありました。まあ、ネタバレになるのでこれ以上、あらすじやエンディングについて書くのは止めておきましょう。以下、私タランの独断と偏見の感想です。

感想を一言でいうと、これは、棄てられた人々の話だと。新政府に棄てられ、旧藩主に棄てられ、北海道静内で自活を余儀なくされた人々のお話です。主人公の志乃、娘の多恵、そして夫の英明は、明らかに時代の流れから棄てられたといえるでしょう。釈然としないラストシーンは、志乃、多恵がさらに、あるものから棄てられたことを意味する訳で、ある意味、衝撃的なのかもしれません。もっとも、時代の流れから棄てられながらも、2人とも、たくましく生きていく姿が、印象的です。名もなき民衆は、時代から棄てられても、たくましく生きて行き術を、必死になって身につけるのですね。

こんな事をボーと感じていたら、唐突に学生時代に見たある映画が、思い出されました。J・フォード『怒りの葡萄』です(1940 原作はJ・スタインベック1939) 時代も場所も全く異なる2作ですが、棄てられた人々が主役なのは共通していると思います。こちらの主役は、若き日のH・フォンダ演じるトム・ジョード。役どころは、オクラホマ州から”約束の地”であるカリフォルニア州を目指す、貧しい「砂嵐難民」です。こちらも、合衆国政府や機械化が進む大規模農業から棄てられた人々。様々な苦い経験を経て、社会的な不正義に立ち向かうH・フォンダが印象的でした。が、それ以上に印象的なだったのは、最後に母親が呟く「それでも民衆は逞しく生きていくのだよ」(こんな感じのニュアンス)というセリフ。棄てられつつも、逞しく生きて行く民衆の姿が描かれた傑作でしたなあ。

正直、『怒りの葡萄』に比べると、『北の零年』は薄っぺらな印象が免れません。でも、描こうとしているモチーフは、ある意味共通しているのかなあと思った次第。
以上、独断と偏見の感想です。あは。

北の零年 通常版



怒りの葡萄


sunnysidec34 at 20:46│Comments(0)TrackBack(0)日常 

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