富士山コスプレ世界大会
平成29年11月18日(土)、19日(日)清水区駅前銀座商店街において、第5回富士山コスプレ世界大会が行われました。

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昨年は、約1400人のコスプレイヤーの皆さんが、全国から参加して下さいました。
毎年清水区の秋のイベントとして知名度も上がり、定着してきました。
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平成25年スタートした大会も、年を追うごとに規模も拡大し、今年からは静岡市の中心市街地活性化協議会による、「街は劇場プロジェクト」として出発しました。
初日の18日は、雨の中にも関わらず全国から集まったコスプレイヤーの皆さんが、自慢の衣装を身に付け、アニメの世界の主人公になりきり楽しんでいました。
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例年通り、全国から自慢の愛車に華やかな、デコレーションを施した、「痛車」も多く参加、大会を盛り上げてくれました。
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                        (映像公開は、コスプレイヤーの皆さんの承諾を得ております)

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海の貴婦人 海王丸清水港入港

11月2日~6日まで、清水港日の出埠頭に海王丸が入港しました。
海王丸は、総トン数、2556t、全長110.09m、全幅13,8m、マスト4本
の帆船です。その姿の美しさから「海の貴婦人」と言われている大型帆船です。
初代海王丸の後継として、平成元年建造、就航した海王丸Ⅱ世です。


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            (大勢の観客の前で帆を広げた海王丸)

11月4日には、実習生による「セイルドリル」が行われました。セイルドリルという
のは、船の実習生がマストに登って帆を広げる訓練のことです。この時だけ、帆を広げ
た美しい姿を見る事ができます。
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           (マスト上で帆を広げる作業中の実習生)

教官の指示、ホイッスルに合わせ、きびきびした動きで帆を広げる作業が行われ、4本
マスト、最高50mの高さがあり、危険を伴う作業でもあるが、それぞれのポジション
で協力しあい、息の合った掛け声とともに、作業は進められ1時間強で見事な姿を披露
してくれました。

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        (36枚の帆を張り終わった後観客に挨拶する実習生)

11月5日は、船の見学ができる一般公開が行われ、実習生の皆さんから説明が行われ、
6日には、実習生がマストの上に登って「ごきげんよう」と別れの挨拶「登檣礼(と
うしょうれい)」が行われます。帆船ならではの出航風景です。

       

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清水港に豪華客船続々入港!!

秋本番を迎え、清水港には豪華客船が毎週入港してきています。
9月25日には、初めて同日に2隻、セレブリティ・ミレニアム号(90,963t)
スーパースター・ヴァ―ゴ号(75,338t)が揃って入港しました。


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              (セレブリティ・ミレニアム号)
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(スーパースター・ヴァ―ゴ号 スタークルーズ社運航・岸壁看板より

9月30日には、ダイアモンド・プリンセス号(115,875t)が入港、岸壁にはマルシェが設けられ、大勢の一般客も出迎えて下さいました。

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             (ダイアモンド・プリンセス号)

10月にも7隻の豪華客船の入港が予定されています。是非お越しください。
清水港は、本年国土交通省より官民連携によるクルーズ拠点6港湾の一つとして選定されました。(横浜港・清水港・佐世保港・八代港・本部湊(沖縄)平良港(宮古島市))
清水港は、ゲンティン香港が運営する(我が国に寄港する台湾発着のクルーズのシェアは8割強)スタークルーズラインの母港化と北東アジアクルーズの東日本における拠点化を目指しております。
清水駅周辺の市街地に近く、ウォーターフロント地区再開発方針のもと、港湾整備も今後益々整備されます。ご期待ください。




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第70回清水みなと祭りが8月4・5・6日行われました。


 
平成29年8月4日(金)~6日(日)の3日間にわたり、清水の夏の風物詩である清水みなと祭りが盛大にとり行われました。このお祭りは、終戦間もない、昭和22年荒廃した町を再建するため地元の方々の努力によりスタートしたのが始まりです。
4日と5日の2日間、区内目抜き通りの「さつき通り」を、午後5時30分~9時30分まで通行止めにして解放、多くの方が曲に合わせて思い思いに、練習してきた踊りを披露、観客から声援を受けていました。

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3日目の8月6日(土)、正午過ぎ、突然轟音とともに、航空自衛隊浜松基地よりブルーインパルスがお祝いに駆けつけ(飛来)、航空ショーを繰り広げてくれました。皆さん拍手喝采でした。
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祭りのフィナーレは、夜の花火大会です。1万発の鮮やかで色とりどりの光と音の
共演です。
海面にも美しい花火の投影が映し出されていました。





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駿府城まるわかり探検隊・・

    県庁展望ロビーの上から見た天守台発掘現場の西辺は、江戸城より大きい68mとして絵図はかなり信頼でき、そして石垣の高さは地表から12m 水際から19mであった事が分かるそうです。
    東御門にある天守閣の模型と032_300
    現在の発掘現場の石垣

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緑の○は・
・・・小天守の石垣です。自分の目で、江戸時代に積まれた石垣を見て下さい。
角の大きな石の積み方は→ 算木積み・・・熊本城で、あの地震にも耐えた映像を見ましたか
 このほか、坤櫓・紅葉山庭園・東御門・・・全部・・・駿府城まるわかりです。

 
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清水区小島陣屋跡の発掘
 2017年度の発掘調査で御殿書院の柱の痕跡を9割がた特定できた模様です。

 

CIMG0484_300 発見された痕跡は柱を置く為の礎石や
 根固め(礎石を安定させる為の石の集合)です。
 十文字に掘ってあるのはトレンチする為です。
 又、7月7日には元の様に埋め戻されます

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そして、大手門跡の発掘をされていました。
大手門は、柱の間が5m40cmあり控え柱のある薬医門の形態でした。
小高い所にある陣屋は眼下に興津川を見下ろし身延道への交通の要所であった。
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     小島藩瀧脇松平家は三河松平家の分家
   (18松平のひとつ)
   将軍から(静岡市域30ヵ村合わせて)
   1万石を拝領されたが、2万石以下の大名は   城を構える事が出来なかったので   居所は陣屋とした。

詳しくはここをクリック→
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  今川さんって・・・・知っていますか・・・・
          あの、あの、桶狭間で討たれた今川さんです。近年人気が高まって来ています。
          「戦わずして生き残る」事を考えていた「海道一の弓取り」でしたが、

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この葉っぱの一枚が・・涙・・・

非公式ご当地キャラ として
誕生しています。
私は今川さんの名誉の為に
楽しくTシャツを着て街歩きを
します。さて、どこ行こうかな

      現在ウエイブ会員25名
               
今川さんオフシャルサイトへ→
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                          平成29年1月20日(火曜日)

駿府ウエイブ恒例の研修は、今年は「小和田先生と行く女城主・直虎ゆかりの地を訪ねて」でした。また大河ドラマ「女城主・直虎」が始まった事もあり、浜松はとても盛り上がっています。満松山龍潭寺は井の国湖北(浜名湖)五山の一つ。天平5年(733)行基上人開創、井伊家の菩提寺です。ドラマではおとわ(次郎法師・・直虎)が修行をする寺として描かれています。ほかに井伊谷宮・妙雲寺・井伊谷城址・方広寺・気賀関所・蜂前神社・・・・
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  龍潭寺の小和田先生     黄色い帽子が 「井の国会」の石原様・・井伊谷城址
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暖かな良い日でした。みんなで記念撮影です。笑顔が素晴らしい・・自画自賛かな

秋の初め、研修旅行先のアンケートで直虎ゆかりの地巡りに決まった時、ドラマの時代考証をされている小和田先生と行けたらいいなぁ、でも多忙な方だし、なにぶん予算がないからご無理は言えないねという話をしていたのだが、まさかまさかのご快諾をいただき実現する運びとなった。
旅程の相談に伺うと、こちらの案に目を通され、「いいですね、あと折角ですから井伊谷城址に登りましょう、それと直虎 唯一の花押が残っている蜂前神社も。」また「井伊谷には『井の国会』というボランティアガイドさんの会がありますから相談されてみては?」と助言くださり、そこからは訪問先への依頼、昼食会場の手配、セイシン観光と詳細の打ち合わせ、お土産の予約等、皆に満足してもらいたいの一念で研修部長があちこちに掛け合った。
迎えた当日。
バス車内。共保誕生の井戸が井伊家の名前の由来、呼びやすいように井~と伸ばす意味で伊の字があてられました、紀伊などもそうです。先生の講義になるほど~と聴き入るうちに最初の訪問先である龍潭寺到着。そこに『井の国会』の方々が早朝にも関わらずお出迎えくださった。是非とも小和田先生にお会いしたくて、とのことだったが、なんと午前中の行程にずっと同行してくれ、土地に不慣れな私達に近道の誘導や、井伊谷の興味深い資料が展示されている遺産センターへの案内、井伊谷城址の説明等、とても親切にしてくださった。石原さん、内山さん、小池さん。ご同行ありがとうございました。
他社同業者(!)でもある地元の方達に案内をしていただくことはたいへん勉強になり、私達自身の活動のあり方を見つめ直す良い機会。
今川・駿府と、井伊・遠江。世が世なら主従関係にあった国同士。時を経て今、駿府ウエイブと井の国会が一緒に井伊谷城の御殿跡に立っている。
こんなこと、おとわや義元など一体誰が想像し得ただろうか。そんなことをふと、井伊谷の美しい景色を眺めながら思った。

桶狭間の戦いで今川家臣として出兵し、又その後の政争で井伊家の本家筋の男性が皆亡くなってしまいます。そこで、井伊家の危機が・・・・1000年以上続く家督を守らなければと、次郎法師・井伊直虎が立ち上がります。毎週のドラマが楽しみです。


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平成29年1月19日(木) 

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2月4日土曜日に行われる駿府ウエイブ企画・・・東海道・薩埵峠を歩こう・・・の下見がありました。富士山が一年の内でも一番綺麗に見えるこの季節に駿河湾を見下ろすハイキングコースを歩きます。

興津川を渡り、昔あった川越遺跡の前で由比のボランティアさんが待っていて下さいました。  旅人は両側の川会所で「越し札」を買い、蓮台または肩車で川を越しました。
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そして、ここ興津川には面白いお話があるのです。
江戸時代・・・ 駿河の実在の
人物・安鶴さん・・・人足が川越え料金を高値で吹っ掛けたので、そんなら足を濡らさず渡って見せよう・・・と張合い、・・・・逆立ちして浅瀬を渡ったお話が「諸国奇人伝」という本に書かれているのです。詳しいお話はガイドから。

薩埵峠を超えると由比の町に入ります。丁度降りると一里塚があり望嶽亭に着きます。
脇本陣として、あわび・さざえの壺焼きが名物でした。DSC_0071_300
ここには幕末を奔走した山岡鉄舟のお話があります。時は・・・・大政奉還(1867年)の次の年、徳川慶喜公の命を受け勝海舟の依頼をうけた山岡鉄舟が官軍に追われ逃げ込んだのです。話を聞いた主人は隠し階段から舟で江尻の清水次郎長に託し、久能街道を通り伝馬町の旅籠・松崎屋に居た西郷隆盛との会談に繋がり、江戸城無血開城へと導いたのです。江戸の町は守られました。そして、新たな
明治を迎えるのです。

歴史の宝庫、由比の薩埵峠、みんなで歩いて見ませんか・・・・・


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平成28年12月18日(日)「竜雲寺のボランティア」
寿桂尼ゆかりの竜雲寺へ多くの人達が集合しました。9時から読経の後、全員で手分けして
寿桂尼の墓の回りの竹を伐採し、手から手へと渡し、下へ降ろし、枝を払いコンテナに入れる。
いつも気になっていたお墓への道が皆の力で綺麗になり、心地よい汗をかきました。

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沢山の人達が協力しました。
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綺麗になりました。
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永禄8年(1565)寿桂尼は「死後も今川の守護たらん」と願い
今川館の鬼門の方角にあたる葵区沓谷に竜雲寺を開きました。

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北街道から南に入ったこの寺は、かつては今川の栄華を偲ばせる
広大な寺であったと言う。寿桂尼の墓は寺領の飛び地にあり
永禄11年(1568)3月24日に亡くなりました。
その9ヶ月後には三国同盟を破り、武田信玄が攻めて来ました。
武田軍撤退の後、比丘尼屋敷が造られたと言われています。

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        清水区大内(オウチ)の観音さま
  清水区にある霊山寺は、大内の観音さまと呼ばれ、行基僧正が彫ったとされる
安倍七観音のひとつが安置され、創建は奈良時代と言われています。
(他は・・・法明寺・建穂寺・徳願寺・増善寺・平沢寺・久能寺にあり)
 その行基が、養老7年(西暦723年)聖武天皇が幼少の頃、病状が悪化し陰陽師に占わせた所、
駿河の国・足久保法明寺にある楠の大木が今にも命が尽きそうで、その木を切って千手観音
菩薩を彫り、七つの寺に安置せよ・・それによって病気が治癒した
・・・霊山寺には、こんな伝説があります。

      秋葉照る照る 妙音寺は曇る 大内観音さん 雨が降る

この大内観音へ向かう参道にとても面白い碑があるのです。
昔から農耕には水が必要で雨が降らねば夜も日も暮れぬ・・・
祈りにも似た、どこかで聞いた事がある、あの・・・・名文句です。  

     坂は照る照る鈴鹿は曇る、あいの土山雨が降る・・・・・これこれ!


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       江尻宿本陣跡地に碑が建立されました   
 平成28年6月、旧東海道江尻宿、江尻本陣跡地(現清水銀座商店街内)に
「江尻宿本陣跡の碑」が建立されました。
慶長6年(1601)徳川家康の命により、東海道五十三次の宿駅が設置され、江尻宿は
江戸より十八番目の宿駅となりました。息津宿から府中宿に至る経路が大きく迂回
されている。これは清水湊の存在が大きく影響した。
宿内の規模は、東西全長十三町(約1.4K)、宿泊施設として本陣二軒、脇本陣
三軒、旅籠五十軒、臨時宿泊所として、妙蓮寺、妙泉寺、江浄寺、法雲寺、法岸寺、
慈雲寺がこれにあたった。
宿の諸役として、宿付(宿経営の仕事を直接負担)として、江尻、入江、辻、江尻
出作、元追分、上野原の各村。加宿(宿付の費用負担の一部を補う)として、高橋、
上清水、下清水、有東坂、吉川、北矢部の各村。助郷(宿場の人馬不足を補う、及
び人馬の徴用)として、巴川流域の三十三ケ村がこれにあたった。
これらの村名から、現在の清水区中心地の様子がうかがい知れます。

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                               (本陣跡の碑)
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(巴川河畔にある本陣木製プレート)    
(江尻宿案内板・宿跡近隣に)







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徳富蘇峰と富士山・日本平
徳富蘇峰(1863~1957)明治・大正・昭和の時代に活躍した、評論家・
思想家。明治20年民報社を創立し、「
 国民の友」「国民新聞」を刊行。
進歩的平民主義に立つ評論家として知られたが、日清戦争前後から平民主義の
立場を捨て、国権主義に転じた。第二次世界大戦中は大日本言論報国会会長と
なる。戦後公職追放される。蘇峰はこよなく富士山を愛した人物としても知ら
れ、また清水市(現静岡市)とも所縁のある人物でした。
1928年(昭和3年)66歳の時著した「名山遊紀」(名山とは富士山)に
よく記されている。蘇峰はたびたび清水を訪れ鉄舟寺に泊まっている。名山遊
記によると「・・然しながら分けて清水の不二見邊からの眺めは絶景だ。曲亭
翁も龍華寺の富士について記してゐる。然も龍華寺のみには限らない、何れも
同様であろう。予は度々鉄舟寺の招かれざる客となった。・・」

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                        (杉原山より富士山を望む)
「大正11年11月17日、鉄舟寺に一泊するや、談偶ま詩碑建立の事に及ぶ。
鉄舟寺の和尚は勿論・・何れも之に賛成し直ちにその実行を決しやがて鉄舟寺
に隣接する小丘杉原山の頂上に建てる事になった・・」

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       (杉原山への山道)            (蘇峰 詩碑)
その詩碑完成式典には、当時の静岡県知事、清水・静岡両市長をはじめ大勢の
人たちが集まり祝った。「・・大正15年10月24日、杉原山にて除幕式が
行われた。成程委員諸君の誇り説いたる通り、実に絶景という外はなかった。
當面には薩埵、清見関の上に富士山が聳え、眼下に三保の松原が横わり、駿河
湾から箱根、天城、伊豆の半島一帯は風帆出没の間にある・・」とその眺めを
絶賛している。その詩碑には「日夕雲烟住又還」「青宵縹渺是仙寰」「名山不
作不平色」「白髪昂然天地間」と漢詩で刻まれている。蘇峰会心の作である。
日本平について蘇峰は、「・・10月25日、此の山上の平地が・・・而して
其の眺望に至りては、頼山陽か耶馬渓ではないが実に天下一と申しても差支え
あるまいと思う・・・」と日本平からの絶景を褒めている。
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                           ( 日本平 吟望台)
この紀行は翌11月5日の国民新聞に掲載され、当時無名であった日本平の名
が一躍全国に広まった。のち清水市では1930年(昭和5年)から道路整備
に着手、日本平観光の発展を図る。そして蘇峰に委嘱して眺望の良い場所を選
んで命名してもらった。「望岳台」「超然台」「鐘秀台」「吟望台」の4か所
がそれであり、立派な石柱が建てられた。
日本平は静岡市が誇る景勝地であり、日本一の富士山を眺める場所として最も
相応しい場所である。
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  (日本平 望岳台)      (日本平 鐘秀台)
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(日本平 超然台)










               



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