旅の二日目は、
新山口駅から新幹線こだまで新岩国駅へ向かい、
新岩国駅からバスに乗って「錦帯橋 (きんたいきょう)」へ行きました。
日本を代表する木造橋であり、
日本三名橋のひとつである「錦帯橋」。
中学生の頃から、いつか行ってみたいなぁと思いを馳せていた場所でもありましたので、
旅のプランに錦帯橋が入っているとを知ったときには、とても嬉しくて、
義姉に大感謝でした!
その姿は、優雅で美しく、しなやかで揺るぎなく。
この姿で完成したのは、1674年とのこと。
当時の方々の、強い思いと叡智が結集された
究極の美しさのようなものを感じます。
川幅約200メートルの錦川にかかる木造橋は、
人々の生活を支える大切な箸でありながら、
洪水により何度も流失していたのだそう。
流されない橋を実現することが人々の悲願であり、
そのために、岩国藩当主が、ありとあらゆる情報を集め、
みんなで智恵をしぼり、改良に改良を重ねてできあがったのが、
この美しい錦帯橋だそうです。
以来、1950年(昭和25年)9月13日のキジア台風によって流出するまでの、
276年もの間、人々の暮らしを支えつづけてきたそうです。
その後、ふたたび再建し、完了したのが1952年(昭和27年)12月。
2001年(平成13年)からは3年をかけて木造部分の架替を行ったそうです。
江戸時代の技術のままに。
「一日河原でぼーっと過ごしてみたかったねぇ、
でもこれから宮島にいくから無理だねぇ。」と
思わずなんども言葉がでてきてしまうくらい、
やさしくて心地のいい場所でした。(^-^)
…とおだやかになごんでいたら、突然、ドッカーンと雷が落ちたような轟音が!
音のするほうに行ってみると、
岩国藩鉄砲隊保存会による火縄銃の射撃演武訓練が行われていました。
江戸時代に製作された古式銃を整備して行っているのだそうです。
(2月と8月を除く第2日曜日にかかさず訓練を行っているとのこと。)
訓練の休憩中には、観光客の方々のところをまわり、
火縄銃の仕組みを丁寧に説明くださったり、実際に触れさせてくださったりして、
その温かなご配慮に感激でした。
実際にふれた火縄銃は、ずっしりとした重量感があって、重々しくて。
もうこれを製作できる人はおらず、整備できる人もほとんどいないのだそうです。
人々の思いがさまざまに交錯する歴史を感じるたび、
その時代があったからこそ、今があり、
今が、未来の土台になっているのだなぁということや、
昔と今が、かならずしも同じ価値観ではないように、
今と未来が、かならずしも同じ価値観とはかぎらない、
それでいいのだ、
ということをあらためて深く感じます。
錦帯橋は、「今」を大切に生きること感じさせてくれる素敵な場所でした。
新山口駅から新幹線こだまで新岩国駅へ向かい、
新岩国駅からバスに乗って「錦帯橋 (きんたいきょう)」へ行きました。
日本を代表する木造橋であり、
日本三名橋のひとつである「錦帯橋」。
中学生の頃から、いつか行ってみたいなぁと思いを馳せていた場所でもありましたので、
旅のプランに錦帯橋が入っているとを知ったときには、とても嬉しくて、
義姉に大感謝でした!
その姿は、優雅で美しく、しなやかで揺るぎなく。
この姿で完成したのは、1674年とのこと。
当時の方々の、強い思いと叡智が結集された
究極の美しさのようなものを感じます。
川幅約200メートルの錦川にかかる木造橋は、
人々の生活を支える大切な箸でありながら、
洪水により何度も流失していたのだそう。
流されない橋を実現することが人々の悲願であり、
そのために、岩国藩当主が、ありとあらゆる情報を集め、
みんなで智恵をしぼり、改良に改良を重ねてできあがったのが、
この美しい錦帯橋だそうです。
以来、1950年(昭和25年)9月13日のキジア台風によって流出するまでの、
276年もの間、人々の暮らしを支えつづけてきたそうです。
その後、ふたたび再建し、完了したのが1952年(昭和27年)12月。
2001年(平成13年)からは3年をかけて木造部分の架替を行ったそうです。
江戸時代の技術のままに。
「一日河原でぼーっと過ごしてみたかったねぇ、
でもこれから宮島にいくから無理だねぇ。」と
思わずなんども言葉がでてきてしまうくらい、
やさしくて心地のいい場所でした。(^-^)
…とおだやかになごんでいたら、突然、ドッカーンと雷が落ちたような轟音が!
音のするほうに行ってみると、
岩国藩鉄砲隊保存会による火縄銃の射撃演武訓練が行われていました。
江戸時代に製作された古式銃を整備して行っているのだそうです。
(2月と8月を除く第2日曜日にかかさず訓練を行っているとのこと。)
訓練の休憩中には、観光客の方々のところをまわり、
火縄銃の仕組みを丁寧に説明くださったり、実際に触れさせてくださったりして、
その温かなご配慮に感激でした。
実際にふれた火縄銃は、ずっしりとした重量感があって、重々しくて。
もうこれを製作できる人はおらず、整備できる人もほとんどいないのだそうです。
人々の思いがさまざまに交錯する歴史を感じるたび、
その時代があったからこそ、今があり、
今が、未来の土台になっているのだなぁということや、
昔と今が、かならずしも同じ価値観ではないように、
今と未来が、かならずしも同じ価値観とはかぎらない、
それでいいのだ、
ということをあらためて深く感じます。
錦帯橋は、「今」を大切に生きること感じさせてくれる素敵な場所でした。