地下鉄に乗っていたら、ドアが開いた瞬間、
キンモクセイのやわらかな香りがふわっと訪れ、車内全体に広がって行きました。

キンモクセイの香りにつつまれると、
秋が本格的に根付いたような気がして、うれしくなります。

大好きな秋を、今年はどのようにして楽しもうか、さらに計画中です♪

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旅の2日目は、高千穂河原を訪れた後、

この5年間、いつか逢いたいなぁと願っていた
「蒲生八幡神社の大クスノキ」に逢いにいってまいりました。


蒲生八幡神社は、鹿児島県姶良市蒲生町にあります。
(高千穂河原からは車で1時間と少しくらいでした。)


こちらがその社殿です。
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ここのご神木である大クスノキは、日本で一番の巨樹とされています。

昭和63年に当時の環境庁が行った「巨樹・巨木林調査」で日本一と認定されたそうです。
(ちなみに二番は、熱海・来宮神社のご神木・大クスノキだそうです。)



こちらが、その大クスノキです。(推定樹齢1500年) 
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夫が撮影した写真になりますが、私はこの写真が一番好きです。
大クスノキのもつエネルギーがそのまま転写されたような、
深い優しさや懐の深い温かさ、清らかなたたずまいがそのままに
伝わってくるように感じるからです。(^-^)



高さ約30m、幹廻り24.2m、根廻り約40m。


最初にこの姿を見たとき、言葉を失いました。

両手を大きく広げたような、美しいその姿に圧倒されたというのもありますが、
いちばんは「生きている感じがしなかったから」となります。


生きているのに、生きていない。

自分のためではなく、他の存在(命)のために生きている感じで、
「生かされている」ということの本質を体現しているようでもありました。


そのエネルギーは、
このうえなく優しくて、温かくて、驚くほどの清らかさに満ちていて、

達観した揺るぎのない観点から、大らかにゆるやかにすべてを見守りつつ、
必要とする存在に自らのエネルギーをただただ与えつづけているような感じです。


生を超越したエネルギーを、ただただ感じていました。


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あとで、地元の方にお聞きしたところによると、

この大クスノキは、台風や落雷、集中豪雨などの白然災害の影響で、
1990年頃には、急激に命が衰えはじめたそうです。

幹の内部は腐り、枯れた枝も目立ち、痛みが相当激しかったのだそう。


でも、古くから蒲生の地のシンボルであり、
蒲生の人たちの心のよりどころとして大切にされてきた樹木だったため、


蒲生町が働きかけ、国の事業として「蒲生のクス」保護増殖事業が
1996年度から4年計画で実施されたそうです。


枯れた枝を切除し、約100箇所にもおよぶ腐りかけた枝を切断し、
殺菌消毒をしたり薬を塗ったりして枝葉を生き返らせ、

幹の内部の空洞も処理し、

さらには、土を入れ替え、水はけを良くし、根が呼吸できるように改善して、
根が踏まれることないよう、根の上にウォークボードを設置したとのこと。


この回復処置が功を奏し、
大クスはみるみる生気を取り戻していったのだ、とのことでした。


でもいまも、幹の内部には、
畳8畳分、高さ16メートルもの空洞があるのだそうです。


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幹や根のほとんどはコケにおおわれ、
そこを温床にさまざまな植物がのびのびと息づいていました。


他の種の木々や植物を喜んで招きいれ、豊かに育んでいる温かな姿に胸打たれます。


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ところで、かつては、この大クスノキと対になるような、
同じくらいの大きさの大クスノキが、拝殿をはさんだ向こう側にあったそうです。
でも、落雷により枯れてしまったのだそう。


1500年ものあいだ生き抜いてきたということは、
あたりまえですが、自然災害などさまざまな困難をくぐりぬけたうえで、
今に至っているのだなぁとしみじみ。


その生き抜いてきた強さが、深い優しさとなって、
すべての存在を見守り育むチカラにつながっているようにも感じました。


そして、

自分の意思で生きる日々は、充分に生ききったからこそ、
他者の手を借りて生きている今は、他の存在(命)への奉仕に
全エネルギーを費やしていけるようにも感じられました。


もしも、「生かされている」ことの本質が、こういうことであるならば、

私はまだ「生きている」のだなぁと思いました。

そして、まだ「生きていたい」と思いました。



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大クスノキのエネルギーが、あまりにも気持ちよかったので、
木陰にあった石のベンチに座り、夫と一緒に心ゆくまでずっと、
ぼーっとしていました。


爽やかな風が吹きぬけ、やわらかな静けさにつつまれる、
このうえなく心地のいい時間でした。