水響絵美子セラピストのつれづれ

東京・白金高輪にて、癒しのサロンsunsmile を運営しております。

◇大神神社、石上神宮

三日目は、大神神社と三輪山で聖なる深遠な時間を。(2)

こちらは、大神神社の拝殿です。
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旅館をチェックアウトした後、
私たちは大神神社の御神体である三輪山(みわやま)へ向かいました。

旅の目的の一つが、この三輪山への登拝だったため、
朝から、心は興奮につつまれ、静かなワクワク感にあふれていました。


ただ、三輪山は、絶対的な神域であり、
厳しくも大切に守られてきた禁足地でもあるため、
(山に生える草木はすべて神が宿っているため、
一切、斧をいれることをしてこなかったというくらいに)

るんるんとした楽しく軽やかな感覚はまったくなく、
おごそかさにつつまれ、心はきゅっと引き締まっていました。

*

三輪山に登拝する際には、必ず、

狭井神社の受付で、氏名・住所・電話番号を記し、
入山初穂料300円を納め、
入山者の心得を教えていただいたうえで、
(水分補給以外の飲食禁止、撮影禁止、火気厳禁など)、

参拝証となる襷(たすき)を首に掛ける必要があります。

*

近くにコインロッカーがあったので、
私たちは手荷物をすべて預けて、身軽な状態で登ることにしました。

高さは、467メートル。
行程は上り下りあわせて約4キロ、2時間くらいとのこと。

裸足で登拝される方もいらっしゃるとのことで、
私も上りだけ、裸足で登ることにしました。


*

「三輪山で見聞きしたこと、体験したことは、
一切口外せず、心の中に大切にしまっておくこと」

実際に登拝してみて、その意味を深く実感しております。
 

ただ、三輪山を登られた方は、
その時またはその後に、かけがえのない、特別な(または特異な)、
そして、のちのちにとって大変重要な体験をなさるのでは、と思います。

また絶対的な神域のため、
登拝にたいしての賛否両論もあるようですが、
私は登ることができて本当に良かったと心から思いました!


ご興味のある方は、よろしければ登拝なさってみてくださいね。

ただ、、、だれかと一緒に登られる場合は、
心から信頼できる方と一緒に登られることをオススメいたします!


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*


以上が、9月の三連休に出かけた旅日記となります。


ブログにアップするのに2ヶ月もかかってしまい、
申し訳ありませんでした!

楽しみにしています!と声をかけてくださったみなさま、
気長に温かく見守ってくださっていたみなさま、
本当にありがとうございます。(*^-^*)


今、あらためて振り返ると、

6月にうかがった厳島神社、そして、
この9月にうかがった石上神宮、大神神社、三輪山で、

体験したことや体感したこと、いただいた気づきや発見、叡智は、
本当にかけがえがなくて、

のちに人生を振り返ったときに、
あのときあの体験があったからこそ…と絶対に思うだろうなあと。

あとから、あとから、その奥深さをかみしめる日々です。


いろいろ整理ができたので、
あとは、10年後の自分に向かって、一歩ずつ、一つずつ、
重ねていきたいなあと思っております!

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三日目は、大神神社と三輪山で聖なる深遠な時間を。(1)

二日目は朝から石上神宮と山の辺の道でこのうえなく幸せな時間を過ごし、
その後、旅館へ向かいましたが、

チェックイン時刻まで、まだ少し時間があったため荷物だけ預けて、
大神神社(おおみわじんじゃ)をお散歩がてらのんびりお参りすることに。

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9月三連休の中日だからか、交通祭の前日だからか、
境内はどこも人、人、人。

たくさんの人でにぎわっていました。


でも、エネルギーはまったく乱れていなくて、

どんなに人がいたとしても、人の往来があったとしても、
境内はどこも、研ぎ澄まされた清らかさ、深い優しさ、
凛とした清清しさにあふれていて、

そのしなやかな揺るぎのない在り様に、心から感動しました。



この日は、朝に信貴山(しぎざん)を散歩し、
石上神宮と山の辺の道もたっぷり歩いていたため、
足もくたくたな状態、

しかも人がとても多かったため、
大丈夫かなあ、歩けるかなあとも少し思ったのですが、

のんびりゆったり境内を散策していたら、
いつのまにかすっかり足が回復していて、ビックリでした。

エネルギーが本当に心地よくて、驚くほど気持ちよくて、
ずっとここに居たいなあと感じてしまうほど、でした。^ ^


*

大神神社も、日本最古の神社の一つだそうです。

三輪山そのものを御神体として本殿をもたず、
拝殿さえも江戸時代に入ってから造営されたのだとか。

その成り立ちは「古事記」や「日本書紀」に記され、
古くから中心的な存在として、パワーの源として、
清らかに揺るぎなく日本を(そこに在る人々を)守ってこられたそうです。

*

こちらは、翌日の早朝にうかがったとき。

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実は、滞在中、3回も訪れてしまいました!
(エネルギーがあまりにも心地よく、
何度でもいつまでも味わっていたいという思いがあふれまして。(^^ゞ)


この早朝は、ちょうど2回目の参拝となります。
(夫は気持ちよく寝ていたので、一人でお参りしました。^)


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境内はまだ暗く、いたるところに灯りがともっています。
参拝客の方々もちらほらといらっしゃいました。


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清らかさが極まっているってこういう感じなのかな、と思うくらい、
すべてが清清しくて優しくて、深く澄みわたっていて。


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ここにいるだけで、自分自身がみずみずしさに満ちていくような、

意識やエネルギー、心や体のすべてにおいて、
ずれたり損壊した部分が補修されていくような、

エネルギーの密度が濃くなり、その層が厚くなり、
流れがぐんぐん豊かになっていくような、

そんな感覚をおぼえ、

自分の奥深くにある大切な宝物が(神聖な核の部分が)
穏やかにやわらかく、清らかに力強く、
光り輝いていくのをじんわりふんわり感じていました。


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なにより、「補修」がなされていく感覚が新鮮で、

充電、解放、浄化の要素がすべて含まれていることにも、
その威力の深さにも、ただただ感動いっぱいでした。

二日目は、石上神宮と山の辺の道で、このうえなく幸せな時間を。(3)

そんなこんなで、石上神宮(いそのかみじんぐう)を予定より早く出発することになり、
本日の宿泊地であり、大神神社の最寄り駅である三輪駅へ
向かうことにしました。

ところが、石上神宮の出口に向かって歩いている途中、
ふと「山の辺の道」の案内図が目に飛び込んできまして、

それを眺めていたら、
これから行こうとしている大神神社が終着点であること、
その道中にはさまざまな神社やお寺、古墳があることなどがわかり、

楽しそうだなぁと思ったら、
夫が「ここ歩いてみたい!」と目をキラキラと輝かせながら言ってくれたので、
「じゃぁ歩こうか!」ととりあえず行けそうなところまで歩くことに♪

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「山の辺の道」は、日本最古の道といわれています。

三輪山の麓から石上神宮のあたりを通って奈良へと通ずる、
全長約35キロの道だそうで、古事記や日本書紀、万葉集にも
たびたび登場しているのだそうです。


道中は、どこまでもどこまでも柿畑がひろがる、
のどかな優しい景色がつづきます。

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絵本の中に入り込んだ感覚になったり、
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コスモスから力強いパワーをいただいたり、
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空や雲から、自由にのびやかに羽ばたいていくことの大切さと
そのために必要な清らかな無限のエネルギーをいただいたり、
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ただ歩いているだけで、心が躍り、楽しい気持ちがあふれ、
喜びや幸せが心の奥深くに広がっていく、
なんともいえない至福感をもたらしてくれる素敵な道でした。


また歩きたい!と心から思いましたし、
ここを歩くことをメインにした旅を企画してみたいなぁと思うほど、
大好きな道になりました。

でも、今度はちがう季節に(とくに春あたりに)歩いてみたいかな。

*

翌日に、三輪山登山を控えていたため、
そこそこ足が疲れてきたところで山の辺の道を降りて、
JR桜井線の長柄駅へ向かいました。

列車に乗って三輪駅で降り、宿に寄って荷物を預け、
14時過ぎ、こんどは大神神社(おおみわじんじゃ)へ向かいました。

二日目は、石上神宮と山の辺の道で、このうえなく幸せな時間を。(2)

石上神宮(いそのかみじんぐう)は、日本最古の神社の一つであり、

仏教が伝来する前の日本においては、
中心的な存在でもあったようです。

というのも、当時、大和朝廷の軍事を担当し、
政治にも深くかかわっていた豪族・物部氏の総氏神だったからとのこと。

物部氏は祭祀も司っており、
当時は斎宮もいたようで(諸説ありますが)、

神様とつながることで(そのメッセージを伝えることで)、
大和朝廷に大きな影響力をおよぼしていたともいわれています。


鎌倉時代末期に建てられた楼門。
拝殿内では結婚式が行われ、幸せエネルギーにあふれていました!
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境内は、きりりと研ぎ澄まされた清らかさと
妥協を許さない深い温かさ、気品と荘厳さに満ちていて、
畏怖の念をおぼえるほど。

なんというのか、すべてが一瞬にして、
有無を言わさずに洗い清められていくような感覚もあり、

鋭く見透かされ、
深く見通され、

ほんとうの望みがなんであるかを再確認させてくれるのと同時に、
そこにむかってまっすぐに進んでいけるよう、力強いパワーを
授けてくれているような、そんな感覚につつまれます。

余分な感情や感覚、エネルギー、思考が
はらりはらりとそぎ落とされていくのを真摯な気持ちであじわっていました。


こちらは結婚式が終わったあとの拝殿。清清しさに満ちていました!
(国宝/神社の拝殿としては現存する最古のものだそうです。)
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石上神宮には、もともと本殿がなく、
拝殿の奥にある聖地が御神体として祀られ、
禁足地として大切に守られてきたそうです。

明治時代に、その聖地が発掘され、
刀(神剣)や曲玉(神宝)などがたくさん出土したため、
それらを奉斎するための本殿を大正2年に建造したとのこと、

今も聖地は禁足地として大切に石の瑞垣で囲われているそうです。


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こんな大好きな場所ですが、
不思議なほど「長く過ごしたい、何時間もここに居たい。」
という気持ちは湧いてこず、

むしろ「もうすべては済んだから」とさらっと
(といっても一時間はいたのですが…(^^ゞ)、
立ち去りたい気持ちになりました。

そういえば2006年に参拝したときもそうだったなぁと
あとで思い出したのですが、

前夜に「石上神宮は大好きな場所だから半日は過ごしたいんだ。」と
私にお願いされていた夫は、

とっても拍子抜けしたようで、

「えっ?もういいの?! 大丈夫? 気を遣っていない?」と
何度も優しく温かく確認してくれて、申し訳ない気持ちになりました。(^^ゞ



でも、本当に良かったのです。

御礼を伝えられたから。
ご報告ができたから。
自分を再確認できたから。


あのとき、
「自分のセッションルームをもちたい。サロンをオープンしたい。」と望みながら、
不安や怖れ、疑いなどの感情やエネルギーに揺らされそうになっていた私を
有無を言わさず洗い清め、背中を大きく押してくださったことへの
感謝の思いを伝えられ、

「システムエンジニアをやめて、セラピストの世界に飛び込んで、
本当に良かった。」と心の奥底から晴れやかに、一点の曇りもなく、
思えている自分をきっぱりと報告でき、

今、自分が新たに望んでいることを再確認でき、
そのために不要なエネルギーも削ぎおとしていただけて、

ただただ幸せでした。



サロンをオープンして9年目。

毎日が、胸が熱くなるほどの感動につつまれたり、
おだやかな喜びが胸いっぱい広がったり、
祝福の思いで心がぽかぽかと温かくなったりの日々でして、
そのような日々を過ごせることに、心からの感謝の思いを深く感じます。

そして、あのとき思いきって踏み出して本当に良かったと、
石上神宮への御礼参拝をとおしてさらに深く、しみじみと感じておりました。

二日目は、石上神宮と山の辺の道で、このうえなく幸せな時間を。(1)

一日目の夜は、奈良の信貴山温泉に宿泊し、
翌朝、朝食後にのんびりうたたねしている夫を残し、
信貴山(しぎざん)へふらっとお散歩にいってまいりました。


信貴山は、聖徳太子にゆかりのある土地で、
蘇我氏とともに物部守屋を討伐しようとした際、
毘沙門天によって必勝の秘法を授けられた場所とのこと。


そのとき、聖徳太子が「信ずべし貴ぶべし」と
いったことから、この名前がついたのだとか。


こちらは、その毘沙門天が祀られている朝護孫子寺です。
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偶然にも聖徳太子ゆかりの土地に宿泊できて、
朝からほっこりとした嬉しさにつつまれておりました。^ ^

*

さて、二日目のメインは、大好きな石上神宮(いそのかみじんぐう)です。
http://www.isonokami.jp/

約9年ぶり(とメルマガでお伝えしましたが、
正確には8年8ヶ月ぶりでした!)の参拝となります。


前に参拝したのは2006年の年始となり、

セラピストの世界に飛び込んで二年弱、
出張やレンタルサロンをとおして活動の幅を
広げはじめて約半年というところ、

夢が叶いはじめている充実感を感じているときでした。


ただ、

「そろそろ自分のセッションルームをもちたいなぁ。
サロンをオープンしたいなぁ。」という思いがふくらみつつもあり、

そのたびに、

「できるかな?大丈夫かな。」という思いや、
「まだ早い。きっと無理。」という思い、

「でも、人生は一回きりだから。
あのときやればよかったと後悔しながら生きつづけるのはイヤだから。
やっぱり踏み出そう!」という思い、

そのほかにもさまざまな思いが交錯し、
もんもんとする気持ちが胸に広がっているときでもありました。



そんなとき、年始に、実家に帰省をしました。
母と何気ない雑談をかわしていくなかで、ふと、

「私、システムエンジニアをやめて、
セラピストの世界に飛び込んで、
本当に良かったとつくづく思うんだ。」

とぽろっと言ったとき、母が、

「そんなの、良かったかどうかなんて、まだわからないじゃない。
きっと、死ぬまでわからないわよ。」

とばっさりさっぱり伝えてくれまして。
(母は超がつくほどのリアリストなので!笑)


「確かに。(今もんもんとした気持ちも抱えているし…)」とハッとして、
「本当に良かったと心の奥底から晴れやかに思えるようになろう。」
と納得したのと同時に、

なぜか「そうだ、石上神宮と法隆寺に行こう!」と思いたち、
翌日ふらりと日帰りで行くことにしました。

それが前回の2006年年始の参拝となります。


あらためて、自分と深く向き合いたいなぁと思ったことに加えて、

当時の実家が大阪にあり、奈良までわりと気軽に行けたことや、

年始だから初詣に行きたいなぁと思っていたこと、

昔から歴史の飛鳥時代が大好きで、
石上神宮にはいつか行ってみたいと少し焦がれていたこと、

法隆寺は何回か訪れて大好きな場所だったこと、

・・・などのような思いが一気にかけめぐり、
ぽんっとそういう結論にいたったのだと思いますが、

この時間が思う以上に貴く、
のちのちにつながる大事な時間となりました。


その道中、そして石上神宮で、
ぐんぐん不要な思いや考え、感情などがそぎ落とされ、
一点の曇りもない晴れやかな決意と覚悟だけが深まっていき、

帰る頃にはすっかり、
「サロンを開いて、自分のセッションルームをもとう。」
と明晰に思うことができていました。



いつか石上神宮に御礼を伝えにいきたい、と思うたび、
もう一度、あの素晴らしいエネルギーを体感したい、と思うたび、

そのタイミングをはかっていたのですが、
今回ようやく、そのときを迎えることができ、感無量でした。^ ^

*

石上神宮は、JR桜井線・天理駅から、
歩いて30分(タクシーで10分くらい)のところにあります。

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境内では、神の使いである鶏たちが
自由自在にのびやかに生きていて、心洗われます。
この姿はまるで仙人のよう!(お気に入りの一枚です。^ ^)
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2006年に訪れたときよりも、
エネルギーや満ちる気が研ぎ澄まされているように感じられ、
胸が熱くなりました。

→ つづきます。
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