2007年01月05日

辛い時

辛い時には、お仏壇で手をあわせてください。


自分が見えなくなったときには、お仏壇で手をあわせてください。

もうだめだと思ったときには、お仏壇で手をあわせてください。


なんまんだぶつとお念仏を称えて、

お経を読んで、御文章を拝読したら、


少しだけ気がおさまるでしょう。

問題は何も解決されなくても、今なすことを精一杯やるしかないということが分かるでしょう。

みほとけさまが、ご一緒です。


sunya at 21:44|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!仏法 

2006年12月09日

ハリネズミのジレンマ

ぼくの背中にゃハリがある
きみの背中にもハリがある

さむい夜はふたり温め合おうって
近づくと突き立つハリ 傷付け合うハリ
背中に1000本

近づけば突き刺すし、離れれば寂しい
背中のハリは見えなくても

お母さんが言ったんだ
「あなたのことを思って」って

そんなことぼくは望んでいないのに

さむい夜はふたり慰めあおうって
近づけば近づくほど 傷付け合うハリ

仲良くなりたいと望めば望むほど
近づけなくなるハリ 背中に1000本

それでも尚、背中のハリをもろともせずに
抱きしめられるとハリネズミは、
きっとハリが変化する

きみに飛び込むことを恐れずに
ぼくに近づくことを恐れずに

2006年11月23日

おまけびとYOUTUBEに初登場!

おまけびとのラップ曲「HEYYO!」が、な、なんとyoutubeに載りました!
世界に向けておまけびとの曲を発信します!

youtubeは、一般的には市販のPVやテレビ番組をアップして楽しむ所だと思われていると思います。
しかし、表現したい欲求がある人にとって発表する場所という一面もあるのです。

ちなみに「HEYYO!」はおまけびと2ndアルバム『LOVE尊者』に入っています。「いじめだけは絶対しないで!」という、おまけびとポリシー、社会はメッセージが込められています。

皆さん是非見てください。そして、もし宜しければ宣伝してくださいませ。合掌

先日リニューアルしたメリシャカからどうぞ!




sunya at 11:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2006年11月21日

矛盾ソング(仮)

人はなぜ死ぬのに生き
人はなぜ別れるのに愛して
人はなぜ作り壊し
人はなぜ手を繋ぎ切っていくの?

君はなぜ泣きながら笑って
君はなぜ怒りながら恋して
君はなぜ走りながら躓いて
君はなぜ俯きうたっているの?

空も歌も鳥もヘビも蛆虫も一如




sunya at 22:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!表現 

2006年11月20日

だって僧じゃない

将来僧になって後を継いで
そんなこと直に言われてない
将来僧になってお経を読んで
そんなこと頼まれていない

だけど
いつの
間にか
SO(僧!)

いつか僧になってお葬式して
そんなこと直に想像して
いつか日曜日には遊べない
そんなこと言っている暇ない


だって僧じゃない
「いじめ、格好悪いよ」

だって僧じゃない
「生かされて、生きてる」

だって僧じゃない
「あなたのいのちをいただきます」

過去僧
現在僧
将来僧
僧さボクらは!
世界にひとつだけの花(白蓮華)

だって僧じゃない

「在り難し!」


2006年11月14日

たとえば僕が死んだら

たとえば僕が死んだら

森田童子

たとえばぼくが死んだら
そっと忘れてほしい
淋しい時はぼくの好きな
菜の花畑で泣いてくれ



youtubeで向井秀徳が歌っていたのを聞いたのがはじめ。
イースタンユースのCD ”口笛、夜更けに響く”に入っているらしい。

凄い歌詞だと思った。

「たとえば僕が死んだら」、「そっと忘れて欲しい」のに、
にもかかわらず、菜の花畑で泣いて欲しいという。

本当は、忘れて欲しくないんだろう。
いつまでも思っていて欲しいのだろう。
いつまでも自分を愛して自分のために泣いて欲しいのだろう。

それなのに、「そっと忘れて欲しい」というのは、
愛する人が哀しむことが、「僕」にとっては堪らないのだ。

この矛盾、愛別離苦。それがどうしようもなく人間なのだろう。

CD欲しいな。http://www.youtube.com/watch?v=6GHXMIhCogQ

sunya at 23:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2006年11月06日

ちょいぱくり短歌一首

いつかまた君と僕とがすれ違う、誰かがそれを「ご縁」と呼んだ。

sunya at 00:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!表現 

2006年10月20日

Rail Star

レイルスター

時速180キロの恋は
涙を超えて 紫煙を越えて
流れて流線型
きらめくランデブー
きみとぼくはレイルスター
行き先はひとつさ(でも死ぬ)

新大阪止まりの恋は
例も星(スター)もない
霊も起(スタンドアップ)もない
流れて超特急
ふたりの直滑降
それが良いとこレイルスター
君ものりなよ(でも死ぬ)

レイルスター
レイルスター

御浄土行きアミダ号

レイルスター
レイルスター

「まもなく終着駅です。人生にお忘れ物はございませんか?」

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2006年10月09日

チスイの俳句道

布教使たるもの言葉に意識的でなければならない。色々と錆付いている自分に活を入れるため、これからこのブログでは俳句を読んでいこうと思う。

ご指導ご批判どんどん受け付けています。



柿木なき光栄寺にも鳴る鐘よ

黒猫を死なせて婆や徘徊し

曼珠沙華餓鬼の織り成す宴かな

良し悪しの分かるものには分かれ 泣く

マジシャンに星座の名前を聞きに行け

おしまいの日に鐘の鳴る寺であれ

蚊を叩き蛾を叩き叩き合掌す



一生懸命考えたが、全然ダメだ。情景が切り取れてない。余韻も何もあったもんじゃない。難しい。



sunya at 23:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!俳句道 

2006年09月19日

東京

東京 懐かしい

君と行ったハナヤシキも

君が混ぜたモンジャ焼きも

君がお参りした築地本願寺も

君がコスプレした中野の坊主バーも

君がこけたディズニーランドも

東京じゃないけど

行ったことないけど ぜんぶ嘘だけど

東京タワー 高いんだろう

六本木ヒルズ 高いんだろう

お台場フジテレビ 高いんだろう

みんなみんな 高いんだろう

日本の中心

日本の孤独

君の住む街

君が歌う街

君がギターを弾く街


全部嘘だけど 総てが懐かしくなるのは

きっといつか行ったことがあるのだろう

(全部ぼくの脳内で)

(石原さとみに捧ぐ)



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2006年09月14日

セミックス

蝉は夏に生まれて夏に死ぬ。

蝉は春秋をしらない。

だから、今が夏であるということを知らない。

でも、蝉は歌をうたう。

夏の暑さに催されて、生まれたぜ。

恋をしたくって、歌いだす。

愛し合って死んでいく。

それでいいじゃない。


春を知らなくても歌は歌える。

夏を知らなくても歌は歌える。

秋を知らなくても歌は歌える。

冬を知らなくても歌は歌える。

それでいいじゃないか。いいじゃないか。


蝉は夏に生まれて夏に死ぬ。

他の季節を知ることなく、今の季節を知ることなく。

ただ、力の限りに鳴いて啼く。

ただ、力の限りに泣いて無く。




みーんみーん! (みーんみーん!)

じーじーじー! (じーじーじー!)

ジャージャージャー! (ジャージャージャー!)

ツクツクボウシツクツクボウシ! (ツクツクボウシツクツクボウシ!)

2006年09月10日

ありがとうということ2

例えば、おばあちゃんが旅行に行くとします。

そしてお土産を買って帰ってきたとします。

おばあちゃんが買って帰るのは、大抵2つのお土産です。

一つは、近所のお友達へのお土産。

このお土産は「高そうに見えて、実は安い」お土産です。

そしてもう一つは、孫にあげるお土産です。

このお土産はどういうものかというと「孫が欲しがっていたもの」です。

ですから、温泉地に行っても、おばあちゃんは孫にムシキングカードみたいなのを買って買えることがあります。

そして、おばあちゃんは孫に対して、「○○ちゃん、これ買ってきてあげたから」と言います。

すると、孫は「わーい!」と言ってそれを受け取ろうとします。

その時、おばあちゃんは言います。「ちょっと待ちっ!○○ちゃん、おばあちゃん、これ○○ちゃんのために、買って帰ってあげたんじゃけえ、ちゃんと座って『ありがとう』と言いなさい」

孫は座って「ありがとう」と言ってもらいます。

ーーーーーーーーー

おばあちゃんは、決して押し付けがましく、孫にありがとうと言ってもらいたい訳ではない。

じゃあ、何故、おばあちゃんは「ありがとうと言いなさい」と言われたのか?

それは「ありがとう」と言える子になって欲しかったからだ。

これから成長してゆく孫に、「ありがとう」を教えたかったからだ。何故なら、「ありがとう」と言える人生というものは、きっと素晴らしい人生だから。いろいろな人のお世話にあって、いろいろな人と一緒に生きていくということは、ありがとうの人生だからだ。

ーーーーーーーーーーー

アミダさまは、私を救うのに、一切条件をつけません。
これをしたら救ってやるとか、これをがんばったら救うとか。
よい心になれとも言われません。
お念仏を称える数までも、一切条件に入れておられません。

それが親心。「そのまま救う!」の親心です。

しかし、私の側から言えば、その様な親心に出会うとお念仏には「ありがとうございます」の意味が備わってくるのだ僕は思っていました。

でもそれだけではなかった。

それさえもアミダさまの御手回し。「ありがとう」と言える人間に育ってくれよ。なぜなら「ありがとう」って素敵なことばでしょう。「ありがとう」の、感謝人生は空しくないよ。

と言う期待をアミダさまはしてくださっているのだ。そういう人格を育ててくださっているのだ。

sunya at 19:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!仏法 

2006年08月08日

ありがとう。

倉敷の児童相談所の先生から、保育士である母親が聞いてきた話だ。

今の子どもは、なかなか「ありがとう」や「ごめんなさい」が言えないのだそうだ。
確かにお寺で子ども会をさせてもらっていても、これらの言葉が発せられる回数は少ない感じがする。

「ありがとう」という言葉は、子どもが本当に心が満ちるような感謝の気持ちがなかったら出ないのだそうだ。

その子自身が「本当にありがたい」という気持ちが持てるような経験がない(少ない)と、その子の口から「ありがとう」は出てこない。

裏返せば、そのこが「ありがとう」という言葉が出るということは「誰かに何かをしてもらった」「助けてもらった」「手を差しのべてもらった」というような「自分のために」苦労してもらったからこそ、働いてもらったからこそ、ありがとうが出ると言える。そういう経験が多く、心が満ち足りた子は、「ありがとう」「ごめんなさい」がいえるようになる。


この話聞いて母は、これは、お念仏と同じではないだろうかと思ったらしい。
「南無阿弥陀仏」は、ほとけさまの働きが今まさに自分の身にみちみちているということ。「お前を救う手立ては総て、私が満足させてあるぞ!」と手を広げて、働きかけてくださってあるということ。
ほとけさまの働きが先にある。
自分が見えない部分で、自分のために働きかけておられる。「おまえを必ず救うぞ!私にまかせよ」というお呼び声となり私のもとに至り届いておられる。

私が今お念仏申されると言うことは、見えない部分でほとけさまが働いておられるのだ。

そして初めて感謝の気持ちが生まれる。お念仏に「どうもありがとうございます。そのままお任せいたします」という報恩の意味が備わってくるのだろう。



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2006年07月30日

「この子はわたしの宝物」

お盆参りに回っています。門徒総代(お寺の役員)さんの御宅に御参りすると、僕が参るのを楽しみに待っていてくださったようだ!
というのも、先日お寺で行われた月例の法話会で、金子みすヾさんの童謡を紹介して、法話をしたのだが、その総代さんご夫婦は、金子みすヾさんの大ファンだったのだ。
そして、山口の仙崎にあるみすヾ記念館に行かれた時に買われた本や、中島潔さんがみすヾさんの童謡をモチーフに描かれた絵を見せてくださった。
そして、「お寺に持って帰って、前坊守さんと一緒に見てください」と言われた。
実は、僕よりも祖母の方が、金子みすヾファン暦は長いのだ(笑)


お借りした本(『みすヾコスモス(わが内なる宇宙)』矢崎節夫著)で、めちゃくちゃ感動した箇所があった。祖母もそこが凄く心に残ったという。それは「誰がほんとを」というみすヾさんの童謡に対する、著者矢崎さんのエッセイである。

以下、『みすヾコスモス(わが内なる宇宙)』矢崎節夫著より引用。

あの大震災の後、こんな話を聞きました。
耳の不自由な両親と両親の耳がわりの小学生の少女の上にも、地震は襲いました。
水や食料の配給の声は、少女だけが聞こえるので、そのたびに少女が飛び出していきます。
テレビカメラがそんな少女の姿を追いかけた後、両親が少女について語ったそうです。
まずお母さんが「この子がいなければ、私たちは生きていけなかったのでしょう」と話しました。
それから「この子は」とことばが続いた時、はっと声がとまりました。
この時になって、カメラマンは気がついたのです。話をしているのはお母さんではなく、お母さんが、「この子」と語った少女だということを。
カメラがうしろに引かれると、手話で話をしている両親と、横に座って手話を通訳している少女が映りました。少女はことばゆれながらも、それでも通訳をしました。
「この子はいのちの恩人です」
次にお父さんが手話で話し始めました。通訳をしようとした少女の目に。涙がいっぱいあふれてきました。それでも、なんとかことばにしなければと、ようやくのことで、とぎれとぎれに、こういったそうです。

「この子は私たちの宝物です」


(以下省略)

少女は、感動に震え泣きそうになりながらも、耳が聞こえず口がきけない親の通訳をしました。それは本当に温かな素敵な言葉でした。
「この子は私たちの宝物」
親の少女に対する万感の思いが、今、少女の口を通して発せられたのです!

ああ、これは念仏だと思いました。

仏教の、浄土真宗における、私たちがお唱えする南無阿弥陀仏。

「南無阿弥陀仏」それは口にすればたった6字ではありますが、親の「お前の大切な大切ないのちは、私の宝物だよ」という願いが詰まっている。もっというと「必ず救う。我にまかせよ」という呼び声そのものです。

お父さんお母さんから直接「あなたは私たちの宝物よ」って呼びかけられて、少女は本当に嬉しかったのですね。
だから、体を震わせながらも、それでも必死に親のコトバを通訳した。親の自分に対する愛情を体いっぱいに受け止めながらも、言葉にでたのです。
私たちのお唱えするお念仏もまた、自分の声でありますが、自分の力で発せられたものではないのです。自分の口で称え、自分の耳で聞きますけど、紛れもなく仏様のおはたらきそのものです。

それはわが子を決して一人にしないという、親のやるせない想いが満ち満ちていて・・・

親というのがつまり、生きとし生けるものの大慈悲の親「阿弥陀様」です。

金子みすヾさんの童謡を通して、矢崎さんの文章に出会い、そしてお念仏の味わい方に気付かされた。
総代さんに感謝したいです。

PSブログデザインを変更。宮崎あおいですね。

sunya at 22:55|PermalinkComments(0)TrackBack(1)clip!仏法 

2006年05月26日

いのししの話

皆さんはいのししを生で見たことはありますか?

僕の住む芳井町には山側によくいのししが出ます。(田舎と言うことが分かってもらえるでしょう)

昨年の1月にあるご門徒さんの家に御参りしました。その時その家のご主人さんから、いのししの被害で困っている話を聞きました。

ここ数年全国的にいのししの被害が深刻だそうですね。
その家の畑にいのししが出て農作物を悉く荒らし、ほとほと困っていらっしゃいました。その地区は禁猟区でしたが、町に頼んで特別に罠を作るのを許可してもらったのです。捕まえたいのししは猟友会の人に頼んで持って帰ってもらうことに決まったそうです。

ここで、クイズ。皆さん、いのししの大好物は何だと思いますか?
いのししを捕まえる罠に仕掛ける大好物の食べ物はなんでしょう?(ヒント・いのししは人間の食べる農作物なら何でも食べる)

サツマイモの粉も好きなんですけど、答えは「米ぬか」だそうです。それはもう大好物で、矢もたても堪らず突進してくるそうですよ。

そしてご主人さんがいきなりこういう質問をされたのです。「若院さん(僕のこと)、アミダさまから見てな、アミダさまから見て、罠を仕掛けていのししを捕まえるこのワシと、それを実際に銃で撃って持って帰ってくれる猟友会の人と、アミダさまから見たら、どっちが罪深いんかいのお?」と言われたんです!

突然そんなことを聞かれても困りますよね。僕はすぐには答えることが出来なかったんです。するとご主人は話を続けられた。

「若院さん、大人のいのししが獲れた説きはそこまで胸が痛まないんじゃ。畑を悪さするから仕方ないと思う。大人のいのししは、軽自動車くらい大きい(???)からな。でもな、最近は大人のいのししはあんまり獲れないんじゃ。

じゃが、子どものいのししが捕まることがある。最近はそれが多いんじゃ。大人のいのししは知恵がついて、なかなか警戒して入らない。でも、子どものいのししは、大好物の米ぬかと、芋の粉があれば、とっとっとっとと走っていって捕まってしまう。いのししの子どもは背中に線が入って可愛いんじゃ。「ウリボウ」言って、愛嬌のある顔をしとる。
それでも半年もしたら大きくなるから、逃がさず殺す。

時に親子で捕まることもある。ワシは想像するんじゃが、いのししの子どもを助けようと、お母さんのいのししが、後から罠に入っているんじゃないか。いのししは畜生じゃけど、やっぱり自分の子どもが可愛くて、、柵を親のいのししがドーンドーンと押して、朝行ったら鼻が血まみれになっていることもある」

壮絶な話だ。

「若院さん、その時は、さすがのこのワシもむげえような気がする(岡山弁で惨いということです)。」

しばらく、考えて僕はなんと答えたら良いか分かりませんでしたが、その時に感じたことをお話しました。

「ご主人さん、罠をしかけるあなたも、それを鉄砲で撃って殺してくれる猟友会の人も、そして、いのししではないけれど、毎日お肉やお魚を食べているこの私も、アミダサマから見たら、同じ罪の深さじゃないでしょうか。

そのようなお前たちを皆救う!と言われているのではないでしょうか」と言いました。

するとご主人さんは「そうかいのお」と笑いながら首を傾げられました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

その時は、話し足りないことがあったと今となっては思うのです。今度また今年のお盆に、お参りしたときにそのご主人さんに伝えたいことがあります。

それは、僕は毎日、肉や魚や野菜を食べています。しかし、それを「むげえ」と思ったことは一度もない。
それらはスーパーで1パック幾らの切り身であり、プラスティックの容器に入っていて、そこのいのちまるごとを奪っている「むごさ」を感じることはなかったんですよ。

ご主人さん、あなたからのいのししのお話を聞いて、初めて、アミダサマから見たならば、なんと言う罪深い僕かよということに気付かされたんです。

いのししのお母さんはケモノだけど、子どものウリボウが罠に捕まったら放っておけなくて、自ら罠に入っていく。
そして罠の柵をどおんどおん!と鼻でぶつかって壊そうとしていく。血まみれになりながら。子どものために。
そのような親子を捕まえてワシはむげえことをしとる、とあなたは言われた。僕はそんな自分のむごさに気付かずにいて、ごはんの時も「この肉はちょっと美味しくないな」とか、残すこともあったと思います。
ご主人さんとお話しすることによって気付かされました。

仏教では「生き物は殺してはならぬ!」と「殺生戒」として、戒律(五戒)の一番最初に戒められています。だけど、実際には生き物を殺さずには一日たりとも生きていけない、僕がここにいる。野菜だって生きている。薬を飲むのにも、その薬の実験台になって命を失った動物がいる。車を運転すれば、いっぱい虫がぶつかってくる。

たとえば、タバコやおさけは、やめようと思えばやめられるんです。僕もお酒は少し飲みますがね(笑)やめようと思えば、不断の努力によってやめることができる。
でも、ごはんを食べるのをやめろと言われてもできない。一日たりとも、僕たちは生き物を殺さずには生きていけないんです。

でも、そのような僕たちを救うために、アミダさまは今立ち上がってくださったのですよ。奈良の大仏さんとかは座っておいでです。アミダさまは立ち上がって、前のめりで私のもとにいたり届こうとされています。

生き物を殺さずには生きていけないこの私を救うために、アミダさまが五劫という間考え抜いて、私のために立ち上がってくださった。お念仏となって僕のもとに届いてくださった。

「お前が罪深いものじゃということは、もう分かっておる。どうもこうもならん者じゃということは、私がもう見抜いておるぞ。
じゃけど、そんなお前を、見捨てるべきお前を、このミダ如来だけは決して落としはせんぞ!!!!
なぜなら、私はお前の親だから」と誓われた方が、こちらにおられるアミダ如来様です。


こんな歌があります。

「降る雨を降らすまいとはそりゃ無理よ。
傘をさすのが手にてそうろう。

煩悩を起こすまいとはそりゃ無理よ。
念仏申すが手にてそうろう。」

じゃからね、ご主人さん、一緒にお念仏申しましょうや。
「おかげでごちそうさまでした」とせめても手を合わせて。
そんな私を生かしてくださるいのししのいのちに感謝して、
罪深い私と気付かせてくれて、救ってくださるほとけさまに感謝しましょうや。

と、今度会ったら、お話したいと思っています。


sunya at 20:50|PermalinkComments(0)TrackBack(1)clip!仏法 

2006年04月22日

春過ぎ迄

福山のお寺の桜が散った。不思議なほどに、あっさりと。


4月始めに桜が咲きはじめて、凄い風に吹かれてた。だけどその時桜は散らなかった。突風に煽られても、雨に打たれても決して散らない、若さと力があった。


それが今週いきなりどさっと散った。一気に散った。何の躊躇いもなく散ってしまった。

花吹雪が春の空に舞った。


花は散る散る、舞い落ちる。
呆気ないほどに。
気付かないうちに。
いつの間にか散っている。


そこに自分を重ね合わせたりするから、季節は人の心を打つ。
若さなんてものはすぐに、果て、散る。
きっと気付かないうちに。確かめぬうちに。気付いた時には手遅れだ。
楽しいと思っている日常の快楽もいつか、ムナシク思い出すことがあるのか?

そんなことを思いながら、桜の枝を見ていた。



あおあおとした葉っぱが、そこにはあった。


桜の花が散ってもまた、桜餅ができますね(笑)



おまけびと、うたまっぷに載りました!
http://svrf.utamap.com/art_tune/introduce/

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2006年04月08日

釋チルドレン・メリシャカ・爆誕!

本日平成18年4月8日は記念すべき年になった。

まず、おまけびと新アルバム『釋チルドレン』発表
昨日完成品が一枚届いたが、アレンジの素晴らしさに震えた。
今日の昼は、お寺の窓から桜の木を見ながら、エンドレスにCDを聞き続けた。
すると、窓の外にたくさんの小さい子どもたちが、お母さんと一緒にやってきて、お花見をしだした。写真を撮ったり遊んだりし始めた。

僕はぼんやりとその光景を見ながら、「おしゃかさまの誕生日に、お寺の桜の木の元に子ども達が集まるのって、なんか良いなあ」と思った。

それこそ、「釋チルドレン」じゃないか!

日本の未来とかどうなるか分からなくて、結構ネガティブな方向に向かうのじゃないかと思うときもあるが、子どもたちをいつも見守り、そして許し続けるほとけさまに感謝して生きていこうと思った。

そして、今日は、仲間たちと立ち上げた新サイトメリシャカデーでもある。

このプロジェクトは昨年末に京都で行われた、若手僧侶のオフ会から始まった。

今後はサイト運営と共に、全国でイベントをしていくという壮大な野望を持っている。

おまけびとも今年の8月に地元の野外ロックフェスティバルに出演が決定した。

面白い流れに身を任せていたら、なんだか知らない間に色々と興味深いことが始まっていて自分の中でソワソワするような感じがする。

春ですね。花粉症です。

sunya at 00:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!表現 

2006年04月06日

『メリシャカ』コンセプトとメンバー

「才能はいっぺんに世に出る」と言う。

トキワ荘しかり、バンドブームしかり、『新本格』ブームしかりだ。

何故ならお互いに刺激し合えるから。

表現活動というのはある意味孤独な作業であるし、一人の時間が濃密であるほど凄いものが生まれる。しかし、それを発表し認め合える仲間がいるということは、何にもまして有難いことである。
一人だけで喜んでいても、それはすぐに喜びではなくなるような気がする。
誰かと喜びを分かち合いたい。
そして、一人の作品を見て、読んで、もう一人がまた奮起するような、刺激し合える仲間でありたい。


『仏教』『寺』を現代社会に埋もれさせるわけにはいけない。
もっと可能性がある。こんな今だからこそ皆に訴えかけるものがある。

ということを信じて『メリシャカ』というサイトが始まりそうです。
自分たちを「トキワ荘」のメンバーとなぞらえているわけではございませんが、それくらいの意気込みは持って、『メリシャカ』と言う言葉を広めて行きたいです!

メンバーは、

ZengyouNet としさん。
現在の真宗若手サイトの旗手だと思います。劇団を主宰されているということもあり、総合的なプロデュース力のある多彩な方です。

徘徊倶楽部wed しんきさん。
ハード面、フラッシュデザイン面を一挙に引き受けて下さっています。思い入れのあるものに対して入魂の方です。僕にはない感性の持ち主であり、かつ熱い想いを共有しているのです。

香想 るるさん。
大変お馴染みですね!彼女ともかれこれ長い付き合いになりますが、いつも何らかの刺激を与えてくれます。

borderliner ケンユウさん。
僕たちが活動するきっかけとなった、刺激を与えてくれた超宗派サイト彼岸寺の創設からのメンバー。温かみがあり且つ知性のあふれた文章に気付かされることが多いです。


おまけびと マサキさん。
これまたお馴染み、おまけびとの盟友。おまけびとでメリシャカに登場ということもありそうです。


サイトを持っている人を中心に紹介しましたが、他にもステキなメンバー(イケメン多い)が続々参加を表明してくださっています。


メリシャカスタートまであと、2日



↑4月8日(メリシャカデーにクリックすると何かが起こります!!)


おまけびと『釋チルドレン』4月8日発売。
ご注文は omakebito@hotmail.comまで

2006年04月05日

卒業〜フルバージョン〜

桜が咲きましたね。僕の住む岡山では今週末が一番の見時みたいです。

花見のお誘いは誰からも来ませんけれどね!チスイです。こんばんは。
「桜の木の下に死体が埋まってるんだってね〜」「へえ」小話終わり

空に散る雲に散る永久に散るさくら ちすゐ



というわけで、春の季節をモチーフにした歌って良いのがありますよね。
コブクロの「桜」とか本当に良い歌だと思う。ばっちりハモったら、女の子にモテそうですよね。あと、ケツメイシの「さくら」とか切なくて泣けますもん。


春は感傷的な歌ができやすいのかもしれないです。
おまけびと新アルバム『釋チルドレン』の中にも春の歌があります。
思いっきりの想いを込めた、チスイの詩の中でもベストオブリリカルな詩です。
この詩を書いて、僕は長年引きずってきた「失恋」といもの受け止め、少しだけ癒されたような気がするのです。


『卒業』作詞;佐藤チスイ 作曲;川島雅樹

君と別れて僕はギターを弾いて
腱鞘炎になってギターを壊した

巡り往く季節は変わらないんだけれど 
人の気持ちはいつか変わってゆくのかな

二人並んで歩いたバス停までの道も 
自転車こぎ迎えた夕焼け空も
放課後の匂いも映画館のけだるさも 
僕はみんな忘れず覚えていれるかな

僕だけが変わらず 変わっていく友よ
僕だけが変わらず 変わっていく君よ

哀しくないけど涙が出るよ 
きっと変わってしまったのは自分なんだろう



君と別れて僕はドラムを叩いて
筋肉痛になってドラムを壊した

移り往く季節は終らないんだけれど
二人描いた夢は終っていくのかな

二人並んで歩いた桜並木道も
夕立降り走った鴨川の夏も
秋祭り終って二人っきりの鍋も
君はみんな残らず忘れてしまうのかな

僕だけが変わらず変わってゆく人よ
僕だけが変わらず変わってゆく街よ

哀しくないけど涙が出るよ
きっと変わってしまったのは自分なんだろう

おわり。


『卒業』が入っている、おまけびとアルバム『釋チルドレン』4月8日オンセイル!
定価は500円(消費税込み)みんな、買ってね〜!
宣伝カイ!
メールアドレス omakebito@hotmail.comまで宜しくね。



ニューウェイブテラエンタメサイト、メリシャカまで後、3日






sunya at 01:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2006年04月03日

釋チルドレン

おまけびと待望のニューアルバムが4月8日(おはなまつり、お釈迦様の誕生日、つまりメリシャカの日)に発売される。

アルバムタイトルは『釋チルドレン』と言う。

タイトルに込められた意味としては、『小泉チルドレン』に対して、僕たちおまけびとは、『釋チルドレン』だということ。

つまりお釈迦様の弟子だという自負を込めて付けさせていただいた。

おまけびとメンバー川島と僕は、浄土真宗本願寺派僧侶になる研修で出遇った。
僕はそこにご縁を感じる。

実は僕は高校生の頃一生懸命勉強してどうしても行きたい国立の大学があった。
しかし結果は前期試験でも後期でも残念ながら落ちてしまい、泣く泣くお坊さんの大学に進んだ。そして、折角お坊さんの大学、つまり龍谷大学に入ったのだからと、一回生の春休みに得度と言って、僧侶に正式になる研修を受けることにしたのだ。

その時の僕はまだ受験失敗のトラウマを引きずっていて、しかも自分に自信がなくどうしてもモテないという自意識過剰モンモン大学生であったため、大変暗い感じだった。

そんな時得度の研修で出遇ったのが、同じ班の川島さんであった。
僕が研修の初めに自己紹介で「大槻ケンヂが大好きで、自作の詩があります」と言う非常に今となっては「キモい」ことを自信満々に語ったら、後でこっそり大きい男の人がやってきて「君は大槻ケンヂが好きかい?僕も好きだよ!」と言った。

そして、二人は厳しい研修中、暇を見つけては、つまり風呂場とか休憩時間には、話をするようになった。話はつきることがなかった。
お互いにリスペクトするもの(大槻ケンヂ、筋肉少女帯)が同じであり、しかも表現活動をしているという共通の部分があった。

川島さんは自宅録音の趣味があり、自作のCDを出すのが夢だった。
僕は、何か分からない自分の中にあるトラウマのような、やりきれない叫びのような、泣き言のような詩を誰かに聞いて欲しいという念願があったのだ。

今から思えば不思議だ。

僕らはその研修に行っていなければ遇う事がなかった。
つまり、僕が他の大学に合格していると「おまけびと」は結成されていなかったのだ。唯一無二の親友とは遇えていなかったと言える。


出遇いはいつも不思議であり、
出遇いはいつもご縁の賜物である。


4月8日、僕たちの夢が一つまた叶いそうである。
『釋チルドレン』是非ともたくさんの方に聞いてもらいたい。

ご希望の方は omakebito@hotmail.com までメール下さい。待っています。

syakujake

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