2005年12月
2005年12月30日
先日中野で展覧会があった、友人の松本小銀杏(まつもと こいちょう)君のイラスト。小銀杏くんは、これまた親しき友人の画家、寺門孝之氏を師とするアーティストでイラストレーター、画家、服飾デザインとマルチな活動をしている。彼のつくった、マフラー、パンツ(ズボン)も愛用しています。
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昨日のロック話、ここで言ってるロックは最初の原型としてのロックのことであり、今や多岐に渡って様々なロックがあるので簡単に言うことは難しい。歌謡曲も演歌サイドのものと、ポップサイドのものとあり、現在はポップサイドのものが様々なカテゴリーに展開していると言える。演歌も一言では難しいが、民謡から発展したもの、ムード歌謡と呼ばれるラテン歌謡から影響受けて日本独自に発展したものといろいろある。北島三郎の「は〜るばるきたぜ函館...」や「北酒場」「岸壁の母」「ズンドコ節」は民謡からの発展型。「北の宿」「津軽海峡冬景色」などは和声的には別に日本的ではない。シャンソンなどに近いかもしれない。「東京砂漠」「そして神戸」なども和声、旋律は演歌的ではない。演歌も相当幅広い。ただウェットなフィーリングとかなんか共通性があるのかもしれない
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昨日のロック話、ここで言ってるロックは最初の原型としてのロックのことであり、今や多岐に渡って様々なロックがあるので簡単に言うことは難しい。歌謡曲も演歌サイドのものと、ポップサイドのものとあり、現在はポップサイドのものが様々なカテゴリーに展開していると言える。演歌も一言では難しいが、民謡から発展したもの、ムード歌謡と呼ばれるラテン歌謡から影響受けて日本独自に発展したものといろいろある。北島三郎の「は〜るばるきたぜ函館...」や「北酒場」「岸壁の母」「ズンドコ節」は民謡からの発展型。「北の宿」「津軽海峡冬景色」などは和声的には別に日本的ではない。シャンソンなどに近いかもしれない。「東京砂漠」「そして神戸」なども和声、旋律は演歌的ではない。演歌も相当幅広い。ただウェットなフィーリングとかなんか共通性があるのかもしれない
(00:10)
2005年12月29日
昨日、簡単に「歌謡っぽさもなく...」なんて書いたけど、じゃ歌謡、歌謡曲ってなんだろう?ロックとどう異なるのか?なんて考えた。雰囲気ではわかっていても言葉で論理的に説明するのは難しい。
ただロック以後と以前では作曲のしかたが違う。ロックは、そのルーツがリズム&ブルース、ブルースというアフリカ系アメリカ人たちの伝統音楽に発し、ブルースにみられるリフレインのフレーズが特徴だ。それがリズム&ブルース等、強烈なリズムキープにのって、単純なフレーズをリフレインするところから特性が生まれた。ロック以前のいわゆるスタンダードといわれる音楽は巧みなコード進行とメロディアスな旋律、起承転結、解決のしかたが整然とあるのに比べ、ロックはシンプルなリフを繰り返しているうちにカラダ全体の高揚感が生まれ盛り上がる。「下半身でノル」とも言える。サビ部分は、さらに美味しいリフで全員で歌ったりできるとそれでいい、というわけだ。解決の仕方、起承転結が巧みに作られていなくてもいいのだ。
そしてリズム、つまりドラムの音や歪んだギターの音ががんがん入るので歌も強いフィーリングになる、男声でも音域の高いところでシャウト、なんていうのがリズムに負けないという意味で普通になっていく。スタンダード時代のテンションコードのデリケートな和声より単純な和声のほうが、歪んだギター、強いリズムには心地よいことになる。
そして歌謡曲だが、いわゆる西欧スダンダードとも違うが、リズムがなくても口ずさめる、リフレインよりは起承転結があって、情緒的なメロディ、「泣き」がある、ウェットな感じ、とかという特性があるのでは。ただ1980年代は歌謡曲も必死にかっこいいロックの影響受けてそういうヒット曲が生まれたが、まだロックやソウルをほんとうにカラダで理解しているに至らず、この国独特の歌謡曲ができたのではないか。リズムはロックだけど、メロディはなんかダサい泣きがあったりして、とか、そのリズムにのってる旋律とは思えないのだが、とりあえずロックのリズムでタイコがやってる、みたいな。しかし結果的にはオリジナルな歌謡ポップができてしまった、と言える。かえって今のほうがみんなリズムのレベルが高くなり、洋楽のセンスも良くなり、洋楽パクリになってしまっている傾向が強い。言いすぎ?おやすみなさいマセ。
ただロック以後と以前では作曲のしかたが違う。ロックは、そのルーツがリズム&ブルース、ブルースというアフリカ系アメリカ人たちの伝統音楽に発し、ブルースにみられるリフレインのフレーズが特徴だ。それがリズム&ブルース等、強烈なリズムキープにのって、単純なフレーズをリフレインするところから特性が生まれた。ロック以前のいわゆるスタンダードといわれる音楽は巧みなコード進行とメロディアスな旋律、起承転結、解決のしかたが整然とあるのに比べ、ロックはシンプルなリフを繰り返しているうちにカラダ全体の高揚感が生まれ盛り上がる。「下半身でノル」とも言える。サビ部分は、さらに美味しいリフで全員で歌ったりできるとそれでいい、というわけだ。解決の仕方、起承転結が巧みに作られていなくてもいいのだ。
そしてリズム、つまりドラムの音や歪んだギターの音ががんがん入るので歌も強いフィーリングになる、男声でも音域の高いところでシャウト、なんていうのがリズムに負けないという意味で普通になっていく。スタンダード時代のテンションコードのデリケートな和声より単純な和声のほうが、歪んだギター、強いリズムには心地よいことになる。
そして歌謡曲だが、いわゆる西欧スダンダードとも違うが、リズムがなくても口ずさめる、リフレインよりは起承転結があって、情緒的なメロディ、「泣き」がある、ウェットな感じ、とかという特性があるのでは。ただ1980年代は歌謡曲も必死にかっこいいロックの影響受けてそういうヒット曲が生まれたが、まだロックやソウルをほんとうにカラダで理解しているに至らず、この国独特の歌謡曲ができたのではないか。リズムはロックだけど、メロディはなんかダサい泣きがあったりして、とか、そのリズムにのってる旋律とは思えないのだが、とりあえずロックのリズムでタイコがやってる、みたいな。しかし結果的にはオリジナルな歌謡ポップができてしまった、と言える。かえって今のほうがみんなリズムのレベルが高くなり、洋楽のセンスも良くなり、洋楽パクリになってしまっている傾向が強い。言いすぎ?おやすみなさいマセ。
(01:59)
2005年12月28日
Sheryl Crowの『Wildflower』このアルバムでは全体にしっとり、mellow、少し内省的なムードがまた素晴らしい。サウンドとしてはあまり軽いハッピーなものはなく落ち着いていて、ストリングスがうまくカバーしているのが効果的だ。弦アレンジはDavid Campbellでたしか1970年代80年代から活躍している有名な方だ。
そしてジャケットだが、これが不思議でいい。まるで日本の昔昔の、例えば「洛中洛外図」とかの絵のような雲だったりして....樹も道も花もなんか耽美なムード。DVDに収録されているプロモ映像でもその絵のなかにシェリルがいて歌っている。ロックのぎんぎんのリフよりMellowなムードでせまってくる。またギターサウンドと同時にウーリッツァのエレピがいい感じ。...そういえばこの間心斎橋の楽器屋さんでウーリッツァのエレピ27万くらいででていた。いいよね、あのサウンド。
そして、ジョン・レノンっぽいけだるいメロディもあったりする。とにかくシェリル・クロウはアルバム数枚を発表しているアーティストだけど、そのロックチューンコンポーザーとしての作曲能力は凄い、大物といっていいだろう。シンガーソングライターにありがちな、作曲上ちょっとわけわかんない部分を歌でおぎなうとか、なんかあまり繋がりよくないけど、それも味、みたいな、そういうことが全くといってない。完璧なロックのリフをつくってくる人だ。情緒的にたよる歌謡っぽさもない。かっこいいのだ。そしてこの人は男とか女というの超えた曲を書いている気がする。歌詞は別として、男が歌って問題ない...というかとにかくロックのエキスに溢れている。いい意味で現役バリバリのロック作曲のお手本!7thでの作曲の教科書!8ビートにシンプルにノル最高のアーティストといえる。
そしてジャケットだが、これが不思議でいい。まるで日本の昔昔の、例えば「洛中洛外図」とかの絵のような雲だったりして....樹も道も花もなんか耽美なムード。DVDに収録されているプロモ映像でもその絵のなかにシェリルがいて歌っている。ロックのぎんぎんのリフよりMellowなムードでせまってくる。またギターサウンドと同時にウーリッツァのエレピがいい感じ。...そういえばこの間心斎橋の楽器屋さんでウーリッツァのエレピ27万くらいででていた。いいよね、あのサウンド。
そして、ジョン・レノンっぽいけだるいメロディもあったりする。とにかくシェリル・クロウはアルバム数枚を発表しているアーティストだけど、そのロックチューンコンポーザーとしての作曲能力は凄い、大物といっていいだろう。シンガーソングライターにありがちな、作曲上ちょっとわけわかんない部分を歌でおぎなうとか、なんかあまり繋がりよくないけど、それも味、みたいな、そういうことが全くといってない。完璧なロックのリフをつくってくる人だ。情緒的にたよる歌謡っぽさもない。かっこいいのだ。そしてこの人は男とか女というの超えた曲を書いている気がする。歌詞は別として、男が歌って問題ない...というかとにかくロックのエキスに溢れている。いい意味で現役バリバリのロック作曲のお手本!7thでの作曲の教科書!8ビートにシンプルにノル最高のアーティストといえる。
(01:22)
2005年12月26日
2005年12月25日
軽井沢は23日深夜から雪が降り、24日の朝は2〜3センチ積もってました。この辺り、緑があるのはモミの木とかコニファー系くらいなのでモミの木に雪が積もってホワイトクリスマスっちゅうところでしょうか。クリスマス?そうね、キリストさんの誕生日がポピュラーになって宗教と全く関係なく、この国でも盛り上がるのにいちいち文句つけたくはないんですけど.....それにほぼ経済行為としてそれを否定すると商売商売がやばいことになっちゃうくらいクリスマスクリスマスだしね。テレビなんか100%ちかくそれで盛り上がっているもんね。誰も批判はしないし。アメリカではキリスト教徒のブッシュがキリスト教以外の宗教に気を使ってクリスマスホリデイをハッピーホリデイって言い換えて、かえって批判を浴びたようだ。まあこの国とはちょっと事情が異なる。日本では25日過ぎるとツリーもクリスマスソングもいっさい消え、一転して今度は年末年始の神社への初詣でに移行だ。(ちなみにヨーロッパにお正月に行った際、1月7日あたりまでクリスマスホリデイっていう感じでした)まあこのいい加減さは、ヘンに宗教にはまりすぎ排他的になったり、自己の民族だけを美化していくようなのよりいいんだけど、クリスマスで家や庭に異様に飾り付けして盛り上がる家はなんかアホっぽい気がするゼ。ケーキ食べるくらいでいいじゃん!毎日新聞で辛口のテレビ批評コラムを書いている町山ひろみさんとかはどう思ってるんだろうな....
(00:20)
2005年12月24日
2005年12月23日
先日、講座を行った名古屋学芸大学の教室。その準備中のところ。映像はプロジェクターから大きなスクリーンに。
名古屋学芸大学はメディア造形など、新しい表現カテゴリー中心に学部が構成されているとのこと。
名古屋から地下鉄東山線の上社(かみやしろ)に出てそこからスクールバスで20分くらいの丘の上にある。新興住宅街と丘陵地帯の間みたいなところか。
nuas=nagoya university of arts and sciences
しかし名古屋はよく通ってはいるけどちゃんと訪れたのは数十年振り。一番の繁華街、栄町の久屋大通りは緑地帯を挟んで2つの広い通りが平行に走る。緑もあってとてもキレイ。その裏にも平行して通りがある。とにかく名古屋は道が広い。これはいいことだ。戦争で被災し、その後の都市計画がよかったようだ。じゃ東京はどうなの?って日本橋の上に高速つくっちゃって。まあとにかく名古屋は万博が成功してとても活気づいている。景気もいいとのことだ。味噌カツはまあまあとして、きしめん、ひつまぶしは美味しくいただいた。去年、大阪心斎橋周防町筋辺りの呉服屋のご主人のこてこての浪速弁聞いたけど、みゃあ〜みゃあ〜言う(失礼しました)こてこての名古屋弁には出会わずザンネン!
名古屋から大阪へはわざと新幹線使わず、近鉄特急で大阪難波に出た。とちゅう鈴鹿、津を通り、山づたいになり、伊賀、名張など三重県奈良県の山中を通過、長谷寺を右に見て奈良盆地南の桜井を通過、天香久山を左に見て生駒山地の南端を抜けると大阪。2時間ノンストップ。この電車の車両と車両の間のドアの上にモニターで新幹線などはニュース、次の停車駅等情報が出るが、近鉄の特急はテレビモニター程の大きさになっていて情報以外に運転席からの進行方向の景色をカメラで捉えて、流している。これはとてもよかった。しかし名古屋では間一髪で大雪に遭わずセーフ! 大阪から帰りの新幹線は70分遅れたけど大雪の名古屋を横目に見て通り過ぎました。
p.s.あっちこっち行っててホテル宿泊が多いワケ。家族に「そのホテル大丈夫?」なんて会話ありだ。ほんと勘弁してよねぇ。音楽は編曲構造でベース、キック抜きとか骨になるのを抜いたりするのも時としていい。感性の世界だから。建築は命かかっちゃうんだからちゃんとやってくれよダス!
名古屋学芸大学はメディア造形など、新しい表現カテゴリー中心に学部が構成されているとのこと。
名古屋から地下鉄東山線の上社(かみやしろ)に出てそこからスクールバスで20分くらいの丘の上にある。新興住宅街と丘陵地帯の間みたいなところか。
nuas=nagoya university of arts and sciences
しかし名古屋はよく通ってはいるけどちゃんと訪れたのは数十年振り。一番の繁華街、栄町の久屋大通りは緑地帯を挟んで2つの広い通りが平行に走る。緑もあってとてもキレイ。その裏にも平行して通りがある。とにかく名古屋は道が広い。これはいいことだ。戦争で被災し、その後の都市計画がよかったようだ。じゃ東京はどうなの?って日本橋の上に高速つくっちゃって。まあとにかく名古屋は万博が成功してとても活気づいている。景気もいいとのことだ。味噌カツはまあまあとして、きしめん、ひつまぶしは美味しくいただいた。去年、大阪心斎橋周防町筋辺りの呉服屋のご主人のこてこての浪速弁聞いたけど、みゃあ〜みゃあ〜言う(失礼しました)こてこての名古屋弁には出会わずザンネン!
名古屋から大阪へはわざと新幹線使わず、近鉄特急で大阪難波に出た。とちゅう鈴鹿、津を通り、山づたいになり、伊賀、名張など三重県奈良県の山中を通過、長谷寺を右に見て奈良盆地南の桜井を通過、天香久山を左に見て生駒山地の南端を抜けると大阪。2時間ノンストップ。この電車の車両と車両の間のドアの上にモニターで新幹線などはニュース、次の停車駅等情報が出るが、近鉄の特急はテレビモニター程の大きさになっていて情報以外に運転席からの進行方向の景色をカメラで捉えて、流している。これはとてもよかった。しかし名古屋では間一髪で大雪に遭わずセーフ! 大阪から帰りの新幹線は70分遅れたけど大雪の名古屋を横目に見て通り過ぎました。
p.s.あっちこっち行っててホテル宿泊が多いワケ。家族に「そのホテル大丈夫?」なんて会話ありだ。ほんと勘弁してよねぇ。音楽は編曲構造でベース、キック抜きとか骨になるのを抜いたりするのも時としていい。感性の世界だから。建築は命かかっちゃうんだからちゃんとやってくれよダス!
(01:09)
2005年12月21日
写真は特別講師をしている大阪スクールオブミュージックのバンド「ブレインストーミング」のブラスセクションの皆さん。この日は私が作編曲した曲「熱帯ジャーニー」(タイトルはバンドメンバーで決めた!)のレコーディング風景。スタジオは大阪四ツ橋の学校内にあり、SSLのコンソールが入りブラスの皆さんがいる一番広い部屋以外にピアノブース、それ以外に2つブースのある、立派にプロユースな素晴らしいスタジオ。勿論プロトゥールズでの録りだ。エンジニアもプロの先生が見守る中、エンジニアコースの学生たちが録る。そしてこの特別イベントはレコーディングであり私の担当クラス《映像-音楽作曲ゼミ》の受講者にとってはレコーディング授業というカタチになって、配布された曲のスコアコピーを全員チェックしつつ10時から18時までの間の実践的音楽講座となった。今は恵まれています。こんなこと学校で勉強できるんだからねぇ。
楽器編成はalto-sax , french-horn ,trumpet×4, trombone ,keyboard,guitar,bass,latin-percussions,drumsという変則的なビッグコンボといったところか。打ち込みもない録りだったので
いきなりリズムセクションと熱いブラスの音が響きつづけた一日でした。
楽器編成はalto-sax , french-horn ,trumpet×4, trombone ,keyboard,guitar,bass,latin-percussions,drumsという変則的なビッグコンボといったところか。打ち込みもない録りだったので
いきなりリズムセクションと熱いブラスの音が響きつづけた一日でした。
(12:01)
2005年12月20日
アル・クーパー『BLACK COFFEE』(MHCP793)。
AL KOOPERがほんとうに久々に新作をリリースした。AL KOOPERといえばやっぱり1968年頃のギタリストMIKE BLOOMFIELDとの『SUPER SESSION』『フィルモアの奇蹟』やBLOOD,SWEAT&TEARSでの活躍だ。ピーター・バラカン氏に言わせるとMIKE BLOOMFIELDにあんな素晴らしいプレイを引き出させたAL KOOPERのプロデュースは凄い、とのことだ。確かに『SUPER SESSION』『フィルモアの奇蹟』はエリック・クラプトンのCREAMやジミ・ヘンドリックスの活躍と並んで当時のロックムーブメントの主役のひとつと言っていい。そのマイク・ブルームフィールドも今はいない。
それ以前のアル・クーパーは確かBLUES PROJECTというバンドをやっていたと思う。BSTの前だ。BSTに参加していたのは「Spininng Wheel」が大ヒットする前で、『子供は人類の父である』なんていうアルバムが凄かった。ブラスアレンジが見事で、哲学的な独自のポップワールドだった。それからボブ・ディランのサポートなんかをやっていてディランの「Like a Rolling Stone」のセッションにはマイク・ブルームフィールドと一緒にスタジオミュージシャンしている。まあそのハモンドオルガンの音とプレイはひとつのロックポップの典型となるサウンドをつくった。アル・クーパーはそういうセッションを通じていいプレイヤーの個性を引き出すプロデューサー的な才能があったわけだ。根本にあるのはブルースとR&B。新しいアルバムにはあのアル・クーパーっぽいブラスアレンジやちょっと高めの声質のヴォーカルが聴けて嬉しい。そしてブルースをやったり打ち込みも取り入れたり今を生きていることも示している。ジャケット見るとやたら恐〜い感じのおじさんになっているけど、音楽雑誌のインタビュー読んだら、優しくオトナな会話をしていた。まあそうなんだろうね、あれだけいろんな人々をくっつける能力があるから、わがままとかではなくてオトナなんでしょうね。ただ現在のポップシーンには殆ど興味がない、みたいな感じでした。それで長い間活動していなかったらしい。昔は痩せていたっけ。あの高くて繊細な声で「Til the End of Time」のスローR&Bは最高!僕もガキの頃、歌ってました。
AL KOOPERがほんとうに久々に新作をリリースした。AL KOOPERといえばやっぱり1968年頃のギタリストMIKE BLOOMFIELDとの『SUPER SESSION』『フィルモアの奇蹟』やBLOOD,SWEAT&TEARSでの活躍だ。ピーター・バラカン氏に言わせるとMIKE BLOOMFIELDにあんな素晴らしいプレイを引き出させたAL KOOPERのプロデュースは凄い、とのことだ。確かに『SUPER SESSION』『フィルモアの奇蹟』はエリック・クラプトンのCREAMやジミ・ヘンドリックスの活躍と並んで当時のロックムーブメントの主役のひとつと言っていい。そのマイク・ブルームフィールドも今はいない。
それ以前のアル・クーパーは確かBLUES PROJECTというバンドをやっていたと思う。BSTの前だ。BSTに参加していたのは「Spininng Wheel」が大ヒットする前で、『子供は人類の父である』なんていうアルバムが凄かった。ブラスアレンジが見事で、哲学的な独自のポップワールドだった。それからボブ・ディランのサポートなんかをやっていてディランの「Like a Rolling Stone」のセッションにはマイク・ブルームフィールドと一緒にスタジオミュージシャンしている。まあそのハモンドオルガンの音とプレイはひとつのロックポップの典型となるサウンドをつくった。アル・クーパーはそういうセッションを通じていいプレイヤーの個性を引き出すプロデューサー的な才能があったわけだ。根本にあるのはブルースとR&B。新しいアルバムにはあのアル・クーパーっぽいブラスアレンジやちょっと高めの声質のヴォーカルが聴けて嬉しい。そしてブルースをやったり打ち込みも取り入れたり今を生きていることも示している。ジャケット見るとやたら恐〜い感じのおじさんになっているけど、音楽雑誌のインタビュー読んだら、優しくオトナな会話をしていた。まあそうなんだろうね、あれだけいろんな人々をくっつける能力があるから、わがままとかではなくてオトナなんでしょうね。ただ現在のポップシーンには殆ど興味がない、みたいな感じでした。それで長い間活動していなかったらしい。昔は痩せていたっけ。あの高くて繊細な声で「Til the End of Time」のスローR&Bは最高!僕もガキの頃、歌ってました。
(00:12)
2005年12月19日
2005年12月15日
2005年12月09日
久々にビデオで1933年のミュージカル映画『42nd Street』(監督:ロイド・ベーコン)を観た。72年前の映画だけどニューヨークの活気、エネルギーが伝わってくる。内容はミュージカルの舞台の舞台裏を描いたものでコーラスラインのひとりとしてオーディションにやってきたミュージカルスターを目指す新人女優ペギーが、ひょんなことから最後には主役に抜擢されるというもの。ミュージカルといってもミュージカルをつくっていく舞台裏ドラマなので、あの明るくいきなり歌い出す「うそ〜っ」っていう感じではなく、ドラマとしてリアリティある。
当初主役だった女優ドロシーの恋のスキャンダルと怪我そして降板、ドロシーにスポンサーであることを理由に無理矢理交際する田舎の成り上がり社長、敏腕ヒットメーカーの演出家の悩み、いろんなキャラクターのコーラスガールたち(新人をいじめる女、誰とでも寝るという噂の通称「OKアン」、田舎娘等々)、新人女優にちょっかいだす男優たち、やくざ、制作者側がそれぞれうまく描かれ90分にまとめられた名作だ。最後の舞台シーンでは画期的な装置、カメラアングルの斬新さ、等々楽しませる。
また女性一人暮らしのアパート続きを読む
当初主役だった女優ドロシーの恋のスキャンダルと怪我そして降板、ドロシーにスポンサーであることを理由に無理矢理交際する田舎の成り上がり社長、敏腕ヒットメーカーの演出家の悩み、いろんなキャラクターのコーラスガールたち(新人をいじめる女、誰とでも寝るという噂の通称「OKアン」、田舎娘等々)、新人女優にちょっかいだす男優たち、やくざ、制作者側がそれぞれうまく描かれ90分にまとめられた名作だ。最後の舞台シーンでは画期的な装置、カメラアングルの斬新さ、等々楽しませる。
また女性一人暮らしのアパート続きを読む
(18:25)
2005年12月08日
2005年12月04日
最近TVCMでROLLING STONESの「Jumping Jack Flash」(1968年 by Mick Jagger & Keith Richards)がまた使用されている。ここ5〜6年で3回目だ。多額の許諾料払ってるんだろうな...なんてゲスのかんぐりですが、まあこの曲はロックミュージックのスタンダード、20世紀を代表する音楽のひとつと言えよう。
黒人音楽の影響をうけたイギリス人たちがコピーからしだいにオリジナルなロックチューンを生みだすという音楽史的にも重要なものだ。リズムとしては8beatの重ためのグルーヴ。今ではそれが主流となったがベースは垂れ流し風に低域を埋める。キース・リチャーズのギターのカッティングがすばらしい。和声的には1度と5度の和音、♭7度と4度の和音、♭3度と♭7度の和音から構成されるリフのリフレインがAパートを伴奏する。コード進行というよりは7th系オスティナートといっていいだろう。♭3度があるからといって短調ではない。ブルーノートとしての♭3度なのだ。これがクラシックにはない、ブルース、ロックの独自性だ。エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカー=CREAMの「Sunshine of your love」などもこういう7th系(&ブルーノート♭3度)オスティナートでできている。
そしてその冒頭のメロディ、ミック・ジャガーは「I was born in a cross-fire hurricane」と歌う。この「born...」の音程に注目だ。♭3度から ナチュラル3度にしゃくりあげるようなフィーリング....ギターでいうチョーキング....で歌っている。これが素晴らしいのだ。「3度の領域は作曲の領域でなくプレイヤーの領域」、これが僕が言う「ロックの3度の理論!!」なのデスヨ。先ほど言ったようにブルースやロックでは3度の音がナチュラルとフラット両方混在するが、むやみに両立しているわけではなく、演奏者のセンス、フィーリングによって成立するわけだ。
作曲上でそこまで束縛できない領域かもしれない。3度の音の扱いがうまいとカッコいいブルースが演奏できるのだ。演奏者の領域と言ったのは譜面で示しにくいからだ。エレクトーンで弾くビートルズっていうのはよく聞くがエレクトーンで弾くストーンズというのはあまり聞かない、エレクトーンでは様にならないのだ。それでいい。ブルーノートのあいまいな領域はセンスがないと、そして12音だけでは難しい。鍵盤楽器の12音だけで表現するにはよっぽどのフィーリングが必要だ。
またこの「Jumping Jack Flash」はサビでは短3度上のメジャー3和音、からトニックの長2度下のメジャー3和音、そしてサブドミナントの3和音からトニックへ進行している。ドミナントを使用していないのも重要なファクターだ。ストーンズはsus4 の使用もすごく多い。機能的なドミナントを使用せずに作曲しているのは注目であり、技巧的なコード進行の一般的スタンダード時代と全く異なるロック以後の作曲法として燦然と輝いている。
写真は「Jumping Jack Flash」が入っているアルバム《THROUGH THE PAST,DARKLY》
黒人音楽の影響をうけたイギリス人たちがコピーからしだいにオリジナルなロックチューンを生みだすという音楽史的にも重要なものだ。リズムとしては8beatの重ためのグルーヴ。今ではそれが主流となったがベースは垂れ流し風に低域を埋める。キース・リチャーズのギターのカッティングがすばらしい。和声的には1度と5度の和音、♭7度と4度の和音、♭3度と♭7度の和音から構成されるリフのリフレインがAパートを伴奏する。コード進行というよりは7th系オスティナートといっていいだろう。♭3度があるからといって短調ではない。ブルーノートとしての♭3度なのだ。これがクラシックにはない、ブルース、ロックの独自性だ。エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカー=CREAMの「Sunshine of your love」などもこういう7th系(&ブルーノート♭3度)オスティナートでできている。
そしてその冒頭のメロディ、ミック・ジャガーは「I was born in a cross-fire hurricane」と歌う。この「born...」の音程に注目だ。♭3度から ナチュラル3度にしゃくりあげるようなフィーリング....ギターでいうチョーキング....で歌っている。これが素晴らしいのだ。「3度の領域は作曲の領域でなくプレイヤーの領域」、これが僕が言う「ロックの3度の理論!!」なのデスヨ。先ほど言ったようにブルースやロックでは3度の音がナチュラルとフラット両方混在するが、むやみに両立しているわけではなく、演奏者のセンス、フィーリングによって成立するわけだ。
作曲上でそこまで束縛できない領域かもしれない。3度の音の扱いがうまいとカッコいいブルースが演奏できるのだ。演奏者の領域と言ったのは譜面で示しにくいからだ。エレクトーンで弾くビートルズっていうのはよく聞くがエレクトーンで弾くストーンズというのはあまり聞かない、エレクトーンでは様にならないのだ。それでいい。ブルーノートのあいまいな領域はセンスがないと、そして12音だけでは難しい。鍵盤楽器の12音だけで表現するにはよっぽどのフィーリングが必要だ。
またこの「Jumping Jack Flash」はサビでは短3度上のメジャー3和音、からトニックの長2度下のメジャー3和音、そしてサブドミナントの3和音からトニックへ進行している。ドミナントを使用していないのも重要なファクターだ。ストーンズはsus4 の使用もすごく多い。機能的なドミナントを使用せずに作曲しているのは注目であり、技巧的なコード進行の一般的スタンダード時代と全く異なるロック以後の作曲法として燦然と輝いている。
写真は「Jumping Jack Flash」が入っているアルバム《THROUGH THE PAST,DARKLY》
(01:32)
2005年12月03日
ウェイン・ショーターがマイルスバンドに入るまではいろいろあった。1959年にジョン・コルトレーンがやめ、ジョージ・コールマンやサム・リヴァースとサックス奏者はなかなかお目にかなった人がいなかったが、ショーターでやっと決まり、といういきさつだ。
ウェイン・ショーターはジュリアード音楽院卒のエリートミュージシャン。コルトレーンスタイルでスタートしているがいち早く、そこから脱却し、作曲の才能も含めマイルスバンドでは指導的なコンセプションを導く働きをするほどの活躍をする。その後1970年代は「WEATHER REPORT」を結成し、ジャズからクロスオーバー、独自のフュージョンへの中心人物となる。
話戻ってウェイン・ショーターはこうしてアート・ブレイキーのバンドからマイルス・デイヴィスのバンドへ移るわけだが(まあ、つまり出世=よりいいバンドへ引き抜かれる)、その1年前くらいにハービー・ハンコックがドナルド・バード(trumpeter)のバンドからマイルスのバンドへ移った。その時のエピソードは....ハンコックはそのうちマイルスから誘われるぞ、という噂が流れ始めた頃、バンドリーダーのドナルド・バードから「もしマイルスから誘われたら自分はフリーだからマイルスバンドにすぐ移れる、と言え」と言われていたそうだ。
ハンコックは業界のいろんなことを世話になりバンドリーダーのドナルド・バードに、「それは申し訳ないよ」と言ったがドナルド・バードは快く自分のバンドの優秀な若手ピアニストの出世をフォローしたわけだ。優しい人ですね、ドナルド・バードは。いい話だ。
そしてマイルスがハンコックに電話してきた。マイルスは「今、どこかのバンドに束縛されているか?」と言った。ハンコックは「いや自分はフリーだ」と言って、めでたくマイルスバンドに参加したということだ。これは「ワイト島のマイルス」のDVDの中のインタビューでハービー・ハンコック自身が語っている。ドナルド・バードにも凄く感謝しているそうだ。
そしてそのハンコックも1968年に新婚旅行でブラジル方面に行ってる時、飛行機トラブルかなにかでマイルスバンドのライヴ予定日に帰れなくなった。そこでマイルスはピアニストを探し、評判のいい若手のチック・コリアに連絡する。チックはサラ・ボーン(JazzVocalの超大御所)のサポートメンバーでライヴスケジュールがあったが、天下のマイルスからお声がかかったので、ボブ・ジェームスにトラ(業界用語:臨時に頼む時,トラを頼むと言う=エキストラが語源)を頼みマイルスバンドにデビュー。マイルスの信頼を勝ち取るわけだ。しかしトラで頼んだピアニストがボブ・ジェームスっていうのも凄い話、さすがNEWYORK!....こんな話、今日、六本木のBOOMERANGスタジオでジャズピアニストの松本峰明さんとしてて盛り上がった。
ウェイン・ショーターはジュリアード音楽院卒のエリートミュージシャン。コルトレーンスタイルでスタートしているがいち早く、そこから脱却し、作曲の才能も含めマイルスバンドでは指導的なコンセプションを導く働きをするほどの活躍をする。その後1970年代は「WEATHER REPORT」を結成し、ジャズからクロスオーバー、独自のフュージョンへの中心人物となる。
話戻ってウェイン・ショーターはこうしてアート・ブレイキーのバンドからマイルス・デイヴィスのバンドへ移るわけだが(まあ、つまり出世=よりいいバンドへ引き抜かれる)、その1年前くらいにハービー・ハンコックがドナルド・バード(trumpeter)のバンドからマイルスのバンドへ移った。その時のエピソードは....ハンコックはそのうちマイルスから誘われるぞ、という噂が流れ始めた頃、バンドリーダーのドナルド・バードから「もしマイルスから誘われたら自分はフリーだからマイルスバンドにすぐ移れる、と言え」と言われていたそうだ。
ハンコックは業界のいろんなことを世話になりバンドリーダーのドナルド・バードに、「それは申し訳ないよ」と言ったがドナルド・バードは快く自分のバンドの優秀な若手ピアニストの出世をフォローしたわけだ。優しい人ですね、ドナルド・バードは。いい話だ。
そしてマイルスがハンコックに電話してきた。マイルスは「今、どこかのバンドに束縛されているか?」と言った。ハンコックは「いや自分はフリーだ」と言って、めでたくマイルスバンドに参加したということだ。これは「ワイト島のマイルス」のDVDの中のインタビューでハービー・ハンコック自身が語っている。ドナルド・バードにも凄く感謝しているそうだ。
そしてそのハンコックも1968年に新婚旅行でブラジル方面に行ってる時、飛行機トラブルかなにかでマイルスバンドのライヴ予定日に帰れなくなった。そこでマイルスはピアニストを探し、評判のいい若手のチック・コリアに連絡する。チックはサラ・ボーン(JazzVocalの超大御所)のサポートメンバーでライヴスケジュールがあったが、天下のマイルスからお声がかかったので、ボブ・ジェームスにトラ(業界用語:臨時に頼む時,トラを頼むと言う=エキストラが語源)を頼みマイルスバンドにデビュー。マイルスの信頼を勝ち取るわけだ。しかしトラで頼んだピアニストがボブ・ジェームスっていうのも凄い話、さすがNEWYORK!....こんな話、今日、六本木のBOOMERANGスタジオでジャズピアニストの松本峰明さんとしてて盛り上がった。
(00:29)
2005年12月02日
1961年のアート・ブレイキー(jazz drummer)のスタジオライヴのビデオを久々に観た。
これは当時来日していたアート・ブレイキーとジャズメッセンジャーズの演奏をTBSテレビのスタジオで収録してオンエアしたものだと思う。
この時のメンバーはテナーサックス:ウェイン・ショーター、トランペット:リー・モーガン、ピアノ:ボビー・ティモンズ、ベース:ジミー・メリット、そしてリーダーでドラムのアート・ブレイキーだ。だいたいドラマーがリーダーっていうのが凄い。
ジャズの歴史の中でも名を残すドラマーといったらアート・ブレイキー、マックス・ローチ、エルヴィン・ジョーンズ、トニー・ウィリアムズ、ジャック・ディジョネット....まあいろいろいるけど。
メンバーも若き日のウェイン・ショーター、リー・モーガンというニューヨークの次代のジャズシーンを担う優秀なメンバーでウェイン・ショーターはこの後マイルスのバンドに引き抜かれるわけだ。
時代的にはBEBOP,FANKYなジャズからMODE手法への転換期というところか。マイルスが『KIND OB BLUE』を発表したのが1959年、モードジャズの幕開けなので、その直後、まだまだ一般的にはビバップ色が残っている頃なのだろう。
僕はといえば生まれてはいたけど、まだジャズなんて知らないガキだった。
そしてそのウェイン・ショーターのプレイはまだマイルスバンドやブルーノートレーベルに残すブラックマジック風な作風はまだあまりみられず、ストレートに吹きまくっている。ただスローのショーターのオリジナルと思われる曲ではBEBOPから抜け出すモード風の雰囲気をつくりだしている。しかし吹いている時の感じはWEATHER REPORTの時などとたいして変わっていない。この来日の際に日本ジャズ界にモード手法というものを紹介したのがウェイン・ショーターだというのを30年前にスウィングジャーナル誌で読んだ記憶がある。
一方トランペットのリー・モーガンもその後「サイドワインダー」というジャズロックの大ヒットを生む前だ。
そして御大ブレイキーのドラミングはほんと凄い。とにかく手首は柔らかく、見ていて気持ちいい。右手左手のバランスも対等で、「ナイアガラ」と呼ばれたロールの技法もすばらしい。また、右手と左手がまたぐように交差して叩くドラマーを他に見たことがない。しかもそれがあまりにもスムースにやってのける。アフロラテンの名曲「チュニジアの夜」でのドラムソロは見物だ。転換部でのフィルイン等、メリハリのあるドラミングだ。勿論大ヒット曲「モーニン」「ブルースマーチ」などが演奏される。「モーニン」「ブルースマーチ」は原信夫とシャープス&フラッツが共演する。
今の時代はドラムでもタイコのひとつひとつにマイクが立ってるがこの頃の映像見るとマイクがあまり見えない、ドラムにひとつってことないだろうけど、とにかくオンマイクの音ではないわけだ。
それでも凄い音してるし、いい意味で空気中に放たれた音を拾った自然な音していて、とてもいいと思う。
しかし1961年当時の人はこんなテレビ番組が見れたなんてある意味感動ものだ。
これは当時来日していたアート・ブレイキーとジャズメッセンジャーズの演奏をTBSテレビのスタジオで収録してオンエアしたものだと思う。
この時のメンバーはテナーサックス:ウェイン・ショーター、トランペット:リー・モーガン、ピアノ:ボビー・ティモンズ、ベース:ジミー・メリット、そしてリーダーでドラムのアート・ブレイキーだ。だいたいドラマーがリーダーっていうのが凄い。
ジャズの歴史の中でも名を残すドラマーといったらアート・ブレイキー、マックス・ローチ、エルヴィン・ジョーンズ、トニー・ウィリアムズ、ジャック・ディジョネット....まあいろいろいるけど。
メンバーも若き日のウェイン・ショーター、リー・モーガンというニューヨークの次代のジャズシーンを担う優秀なメンバーでウェイン・ショーターはこの後マイルスのバンドに引き抜かれるわけだ。
時代的にはBEBOP,FANKYなジャズからMODE手法への転換期というところか。マイルスが『KIND OB BLUE』を発表したのが1959年、モードジャズの幕開けなので、その直後、まだまだ一般的にはビバップ色が残っている頃なのだろう。
僕はといえば生まれてはいたけど、まだジャズなんて知らないガキだった。
そしてそのウェイン・ショーターのプレイはまだマイルスバンドやブルーノートレーベルに残すブラックマジック風な作風はまだあまりみられず、ストレートに吹きまくっている。ただスローのショーターのオリジナルと思われる曲ではBEBOPから抜け出すモード風の雰囲気をつくりだしている。しかし吹いている時の感じはWEATHER REPORTの時などとたいして変わっていない。この来日の際に日本ジャズ界にモード手法というものを紹介したのがウェイン・ショーターだというのを30年前にスウィングジャーナル誌で読んだ記憶がある。
一方トランペットのリー・モーガンもその後「サイドワインダー」というジャズロックの大ヒットを生む前だ。
そして御大ブレイキーのドラミングはほんと凄い。とにかく手首は柔らかく、見ていて気持ちいい。右手左手のバランスも対等で、「ナイアガラ」と呼ばれたロールの技法もすばらしい。また、右手と左手がまたぐように交差して叩くドラマーを他に見たことがない。しかもそれがあまりにもスムースにやってのける。アフロラテンの名曲「チュニジアの夜」でのドラムソロは見物だ。転換部でのフィルイン等、メリハリのあるドラミングだ。勿論大ヒット曲「モーニン」「ブルースマーチ」などが演奏される。「モーニン」「ブルースマーチ」は原信夫とシャープス&フラッツが共演する。
今の時代はドラムでもタイコのひとつひとつにマイクが立ってるがこの頃の映像見るとマイクがあまり見えない、ドラムにひとつってことないだろうけど、とにかくオンマイクの音ではないわけだ。
それでも凄い音してるし、いい意味で空気中に放たれた音を拾った自然な音していて、とてもいいと思う。
しかし1961年当時の人はこんなテレビ番組が見れたなんてある意味感動ものだ。
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