2008年01月

2008年01月29日

雪の道
今のポップミュージックがどのように出来上がってきたのか、まず19世紀にさかのぼってみる。
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19世紀末にアメリカ合衆国のニューオリンズでJAZZが、アルゼンチンのブエノスアイレス ウルグアイのモンテヴィデオ辺りでTANGOが、ブラジルのリオデジャネイロやバイーア地方辺りでSAMBAが...そしてRUMBA , MAMBO 等のアフロアメリカンのラテンリズムがキューバのハバナ、サンチャゴ・デ・クーバ、トリニダード島、ハイチなどで生まれていくが...これら20世紀のポピュラー音楽に繋がる、民衆の音楽が19世紀末に湧き上がったということだ。

要因1  :20世紀になると...封建社会の崩壊⇒独占資本の確立/ 近代都市の形成 ---その歪みがポピュラー音楽を生み出す土壌、 そしてそれを享受する社会層を準備した。 逆にスラム街をも生む。多民族国家でのマイノリティ、エスニックグループ---自分たちの祖国の文化を捨てることはできない.
近代都市の形成.......逆に田舎では19世紀のままの生活が続いた。 

要因2  :20世紀になると...レコード、ラジオ、新聞、雑誌等 マスメディアの発達。録音技術(マイクロフォンで歌える---発声法が代わりクラシックのようにバカでかい声を出さなくても、日常生活から題材を得た新しい表現ができるようになる=それこそがポピュラー音楽の原点。ダビング録音の確立)電気楽器の開発(エレキギター、アンプ)などの技術革新も大きな要因だ。
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そして更にそれ以前のむかしむかしの時代の出来事にに注目してみると.....
●1492年 コロムブス(イタリア生まれ)が西インド諸島へ到着。
●1518年 西アフリカからカリブ海の島に奴隷が連れてこられる→→→以後約370年間に1500万人(実際は4〜5千万人?とも言われている)のアフリカ人が奴隷として南北アメリカ大陸に来る。
 1873年に最後の奴隷船。主にセネガル、ガーナ、ナイジェリア、マリ、ガンビア等西アフリカから。
●1619年にアメリカ合衆国ヴァージニアに初めて20人のアフリカ人奴隷がオランダ人によって連れてこられる。   1776年イギリスより独立、アメリカ合衆国誕生。

〈奴隷制度〉
*イギリス植民地(現アメリカ合衆国)では奴隷制度によってアフリカから連れてこられた黒人たちは精神面まで支配抑圧されアフリカの宗教、言語、音楽、文化等禁止に。キリスト教を強制させた。よって結果的にほぼゼロから新しい音楽を生み出していく土壌になってしまった。ただしアメリカ南部 ルイジアナ、テキサス、西海岸カリフォルニア等はスペインやフランス領、またはメキシコ領だったりしたので多少事情が異なる。
*スペイン・ポルトガル植民地(現キューバ、プエルトリコ、ブラジル等)ではイギリス植民地より比較的緩やかだったので、ある程度アフリカ文化が保たれた。例えば打楽器中心の音楽が生き延びることができた。ex)サンバ、ルンバ、マンボ等アフロアメリカンリズムによって再生された。

(参考文献:ミュージックマガジン社 中村とうよう、青木啓、日暮泰文、濱田滋郎、長門芳郎...各氏の文)

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これらは重要な出来事だ。奴隷制度という非道なことがありながら、結果的にはそこに素晴らしい音楽が芽生えていくのを素直に肯定できないが、我々はその恩恵でポップミュージックを楽しんでいる。アメリカ大陸で起こったことは社会の底辺で大衆音楽がじわじわ生まれていく凄い歴史といえる。
つづく.....



(01:11)

2008年01月25日

禁じられた遊び1951年にフランスで制作された素晴らしい映画。タイトルの『禁じられた遊び』...はあまりあってないような気もする。
1970年代に『ミツバチの囁き』(ビクトル・エリセ監督)というスペイン映画で子役が素晴らしい演技をしているが、ここでも非のつけようがない演技をしている。子供が主役といっても子供映画ではなく、深いところで反戦があるし、登場人物もいい人ばかりでない。嘘もつき、隣同士仲が悪かったりで、普通の人間のドラマの中に感動を見いだす。戦争中のフランスの田舎が舞台になっていて主人公の女の子はほんとうに可哀想としかいいようがない設定なのに、なんか強く、ほほ笑ましく生きていく。ナミダなしには見れません!でもウェットで臭い盛り上がりの感動ではないので気持ちいいです。
戦争中という緊迫した時代と田舎ののんきさ....そして子供の世界の無邪気さと大人の世界の非情な現実が交錯して、物語りは展開する。
音楽はナルシソ・イエペス演奏の「禁じられた遊び」が劇中にちりばめられていますが、メジャー展開の部分があっているように思えた。悲しいシーンが多いので、そこにまた短調の悲しく綺麗な旋律はちょっと....という気がする。まあこの時代は今ほどひねくれて劇伴してない、細かいオリジナル劇伴ではない、といえばそれまでだけど。変にオーケストラでいっちゃうよりはいいのかもしれないので...まあこれはこれで。

----ちょっと劇伴の歴史を.....
映画の劇中音楽いわゆる劇伴奏音楽は1930年代に作曲家マックス・スタイナーによって開拓された手法だ。
映画『六百万交響楽(1932)』で初めて、現実音とかではない効果としての音楽(劇伴音楽)を取り入れた。それはミュージカルの旋律のように音楽メインという効果ではない作曲編曲の技術が求められた。それまではミュージカルでもないドラマのシーンに現実音でない音楽がバックに流れるのは不自然と考えられていた。マックス・スタイナーは《アンダー・スコア》といっていわゆるセリフバックでの音楽、メロディ主体というより雰囲気でつくられる音楽。そして《ライトモティーフ(示導動機)》は登場人物のテーマ風の音楽で物語りを分かりやすくする、などの手法で映画音楽の道を開いた。

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ルネ・クレマン監督は他に『太陽がいっぱい』などいい映画たくさん撮っています。
監督:ルネ・クレマン 原作:フランソワ・ポワイエ 出演:ブリジット・フォッセー、ジョルジュ・プージュリー、スザンヌ・クールタル、ジャック・マラン



(01:45)

2008年01月23日

3つの瓶東京も雪のようですね。こちらも降ってます。写真の瓶、青、黄、赤、っていう感じで綺麗なのでパチリ!この左のお酒、飛騨産でとても美味しいです。田中雅彦さんどうもです。後の2つはまだあけてないのでこれから飲みます。全部いただきものだった....この場をかりて、皆さんありがとうございます。


(12:14)

2008年01月22日

つらら温暖化で乱れてはいるけれど、いちおう大寒も過ぎ一年で一番寒い時期でしょうか。窓の外には「つらら」が。最高気温がマイナス2度とか・・・最低気温がマイナス12度とか・・・です。


(21:28)

2008年01月18日

TAP STEPCHICK COREA『TAP STEP』は1979年のアルバム。なんで久々にこれ聴いたかっていうと・・・このタイトル曲「TAP STEP」はチャーリー・パーカーに捧げられているのでした。でも超才人のチック・コリア、決してバップ、ビバップのような音楽をそのまんまやってパーカーにデディケイトしてるわけではないのが凄いところ。自身が弾くミニ・ムーグ、オーバーハイム、ローズピアノにBunny Brunelのフレットレス・ベース、Don Alias(パーカッション)、Tom Brechtlein(ドラムス)、Al Vizzutti(トランペット)、JoeFarrell(サックス)というメンバーでスネアがロールするような高度なマーチ風なリズムにモード手法で曲を仕上げた。ヴィズッティのトランペットもしなやかで凄いテク。バニー・ブルーネルも相当な腕前。確かにリフにバップを想起させる部分はあるが和声も斬新だし、凄い曲だ。
そういえばこのアルバム、CD化されてないと聞くがほんとう?ジャズトランペットの五十嵐一生君が欲しがっていた。
その他の曲では完全にスルード(この写真でチックが叩いている。ブラジルでサンバに使われる大太鼓)と歌とミニ・ムーグだけでブラジル風ポップなサンバ曲(フローラ・プリム等参加)があったり、奥さんのゲイル・モランのヴォイスを生かした格調高い音楽あったり、現代音楽のアルバン・ベルグに捧げた曲があったり、セロニアス・モンクに捧げた曲あったり凄〜く濃い内容。
そして、これは1979年だからこの後、チックは弦楽編成やどんどんクラシック編成で自分の独創的な発展的JAZZ(JAZZとかいう言葉は不適当かも・・・とにかくチックのミュージック)を推し進めていく時期にはいるわけだ。

P.S.
またチャーリー・パーカーの話に戻ると、1960年代イギリスのブルースバンド《YARDBIRDS》
(エリック・クラプトン、ジェフ・ベックらが在籍した伝説のバンドで最後のメンバーたち,ジミー・ペイジやロバート・プラント、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジョン・ボーナムらがレッド・ツェッペリンを結成)の名前、ヤードバードはチャーリー・パーカーのニックネーム「バード」「ヤードバード」からとったネイミングだと言う。
またROLLING STONESの最初のリーダーで亡くなったブライアン・ジョーンズは10代の頃クラリネット、サックス、ピアノ、ギターなど様々な楽器を弾いたがサックスはチャーリー・パーカーがアイドルだったらしい。ドラムのチャーリー・ワッツもパーカーをリスペクトしている。
これはなんでか・・・・1950年代イギリスで空前のブームだったスキッフルはスウィング風リズムの軽いポップで、それを打ち破るのがストーンズやヤードバーズのブルース的な動きだったようだ。そこにはスウィングジャズ(当時イギリスではトラッド・ジャズという言い方をよく耳にする)等に革命を起したチャーリー・パーカーがイギリスの若者の間ではとてもクールな存在だったに違いない。だからパーカー信者が多いのだろう。
またパーカーさんはアルコール、ドラッグ系も半端ではなく、それを手に入れる為に楽器を売ったとか、激しいエピソードが多い。亡くなり火葬された骨はつかめないほどボロボロだったいう。


(22:59)

2008年01月16日

C.PARKER『JAZZ / POPの歴史だあ!』ってだいそれたことしちゃった......学者でも評論家でもないのでたいしたことは言えませんが、新たなシリーズがスタート.....こうやって楽しみつつプレッシャーかけつつ遊びつつ、学んでいるのだ!なんちゃってね。
今回のこの写真のアルバムはCHARLIE PARKERだ。チャーリー・パーカーは1940年代1950年代にニューヨークを拠点に活躍した天才的altosax奏者。ジャズの歴史でいうとBOPの創始者、ジャズの開拓者だ。
1940年代までのスウィングジャズ全盛期に革命を起こした。
硬く言うと....スウィングjazzの2ビートから4ビートに発展、全くそれまでのジャズとは異なる器楽表現を推し進め、跳躍するフレーズ、高度に進化していくコード進行和声、オフ・ビートでの強いアクセント、シンコペーションでの即興演奏....というように大衆商業音楽というよりは個人の芸術表現としての形態に発達する。チャーリー・パーカーはそれ以前のアドリブとは全く異なるフレーズを開拓した。凄いことだ。チャーリー・パーカーのBOPイディオム以後のジャズこそがモダンジャズと言える。「ジャズ」といったらパーカー以後のことを指す。それ以前のものはスウィングとかディキシーとかニューオリンズスタイルとか言わなくちゃならない。

パーカーのバンドには若き日のマイルスも参加している。コルトレーンだってパーカーがいなけりゃ出なかっただろう。
それまでジャズはベニー・グッドマンなどのスウィングジャズ、ビッグバンド全盛時代でありスウィングは白人的な明るいダンス音楽だった。1930年代後半になるとニューヨーク・ハーレムのジャズクラブ、ミントンズなどではビッグバンドできちんと譜面を奏する仕事を終えた腕に自信あるプレイヤーたちが夜な夜な集まりジャム・セッションを繰り広げた。これがBOP を確立するきっかけになったと言える。明るいダンス音楽から一転して高度な即興演奏主体の、そして歌モノではない器楽表現の音楽が確立していったわけだ。ジャズギターで初めてシングルノート(単音)でのアドリブ奏法を開拓したチャーリー・クリスティアンのミントンズのライヴ盤は僕もアナログ盤で持ってるけど歴史的なレコード。

このアルバムは後にでた編集盤で「NOWS THE TIME」なんかのオリジナルのブルース以外はほぼコール・ポーター(アメリカを代表するティンパン・アレイの作曲家--数多くの作品がスタンダードとなっている)のスタンダードをやっている。




(02:02)

2008年01月12日

c.simonカーリー・サイモンの1979年のアルバム『SPY』。リンダ・ロンシュタットもそうだが、この頃のカーリー・サイモンは絶好調時代だ。
彼女は基本的にはシンガーソングライターだけど、人に書いてもらったりもしている。ここでもタイトル曲の「SPY」はジェームス・テイラーの作品。ここでもJ.T.は目茶苦茶いい曲書いてる。上品だけど、ノリはあるし、臭い盛り上がりとかしない現代都会人の感覚。オシャレだけど、ちゃんとエモーショナルで、フレーズの独特の節回しが何とも言えず知的なアメリカ人な・・・ほんと素晴らしいソングライターだ。一時カーリー・サイモンと夫婦だったはずだよね、まあいいか。カーリー・サイモンは背も高く大きな口でダイナミックに歌うが繊細な面もあり、独特の色気のある女性シンガー。自作曲では、ええ?!そういう風にいくんだ!と思わせるいい意味で自己流の作風がティンパンアレイ的職業作曲家になく魅力的。サイモンシスターズでデビューした頃のカントリー娘から、この頃になるとニューヨークの都会のかっこいい女性を代表するような雰囲気が伝わってくる。

参加メンバーだが、この時代のニューヨークの一流スタジオミュージシャンが大集合している。
David Spinozza(e-guitar),Don Grolnick(piano),Richard Tee(piano&rhodes),Warren Bernhardt(keyboards),Tony Levin(bass),Steve Gadd(drums),Rick Marotta(drums),Randy Brecker(trumpet),Michael Brecker(t.sax),David Sanborn(a.sax),Mike Mainieri(vibes),Hubert Laws(flute),Will Lee(bass),James Taylor(chorus)Gene Ordoff(strings)等ちょっとちょっと凄すぎる伴奏陣。やっぱりニューヨークですね。この時代のポール・サイモンなんかもこんなメンツでやってる。トニー・レヴィンはその後プログレの超大御所バンドKING CRIMSONに参加するし、マイク・マイニエリはこの後カーリー・サイモンのプロデュースする。ドン・グロルニックはリンダ・ロンシュタットやジェームス・テイラーのバックもやってる。
しかし1曲目にコーラス参加してるTim Curryというシンガーはもろにミック・ジャガーみたいに歌ってる。そうかカーリー・サイモン大ヒット曲「ヨー・ソー・ヴェイン」はミックがノークレジットでコーラス参加、ハモってるんだったっけ!更に思いだすとリンダ・ロンシュタットもストーンズの「タンブリング・ダイス」をやっててこれまたミックがコーラス参加してた。先日you tubeでシェリル・クロウがミック・ジャガーと一緒に「Honky Tonk Women」歌うライヴ見たけど、ジャガーさん愛されてんだなあ。

produceと弦管アレンジはアリフ・マーディンで、この頃のNYC最先端のリズムセクションを使い16ビート系やダンサブルなアレンジでポップな仕上げをしている。素朴なリンダのアルバムとはその辺がちょい異なる。またジャズ・フルートの第一人者ヒューバート・ロウズはじめ、デヴィッド・サンボーン、マイケル・ブレッカーにはソロ・パートを与えているし、最後の曲ではなんとスティーヴ・ガッドのドラムソロまである。ポップシンガーのアルバムでドラムソロがあるなんて、なかなかない。
リチャード・ティのローズピアノのフェイズかかった和音での伴奏なんか雰囲気あるし、これもプレイヤーの味満載でアレンジされたスタジオ・ミュージシャン黄金時代のポップアルバムと言えよう。




(23:22)

2008年01月11日

連載ROCK Vol.13アナログLPもたま〜にしか聴かなくなってしまったけど、久々にリンダ・ロンシュタットの『 PRISONER IN DISGUISE』を出してきた。これは1975年の録音。曲目ラインアップがよく考えられている。ニール・ヤング、ジェームス・テイラー、ローウェル・ジョージ(LITTLE FEET)、ジョン・デヴィッド・サウザーなどアメリカを代表する白人シンガーソングライターの作品、スモーキィ・ロビンソンとミラクルズの1965年のナンバー「Tracks of my eyes」、マーサとヴァンデラスの「ヒート・ウェイヴ」(1963年頃:ホランド=ドジャー=ホランドというR&Bのトップソングライター)というモータウンR&Bナンバーのリメイク、レゲエのジミー・クリフの名曲「Many Rivers to Cross」などなど、リンダ・ロンシュタットはどの楽曲も見事に歌いきっている。この後確か1979年か1980年に来日して武道館公演に行ったのを思い出す。

参加ミュージシャンもL.A.の匠プレイヤーたち、ラス・カンケル(drs)、怪人?デヴィッド・リンドレイ(fiddle)、アンドリュー・ゴールド(vo,gtr,pf)、ケニー・エドワーズ(bass)、ダン・ダッグモア(steel-gtr)、マリア・マルダー(ゲストvo--ソロシンガー)等に作曲者のサウザー(vo,gtr)やローウェル・ジョージ(slide-gtr)も参加、弦、木管アレンジにデヴィッド・キャンベルという豪華な布陣。デヴィッド・キャンベルは30年後の最近のシェリル・クロウの弦アレンジでもいいスコア書いているから長〜く活躍していることがわかる。この時期のASYLUMレーベルはいいレコードをいっぱい制作している。

プロデューサーはPeter Asherでイギリス人だがロスに渡りアサイラム・レーベルでイニシアティヴをとり成功した。この人は1960年代にイギリスで〈ピーターとゴードン〉というポップデュオをやってた人だ。妹のジェーン・アッシャーは当時ポール・マッカートニーの恋人だったのを1966年頃ミュージックライフ誌で見た。アメリカ西海岸の1970年代がイギリスの1960年代にダブる。
リンダのアルバム、内容はカントリー色のあるロックポップづくりで、若い(当時)のに実力派リンダの張りのある素晴らしい声が気持ちいい。ただ、ロック全盛になる時代でそういうものに対応してはいるが、現代のシェリル・クロウとかに比べちゃうと(失礼ながら)、女の子っぽいというか、多少頑張ってロックしてるのかなっていう感じ。それと実力あるが音程の間でニュアンスを出すタイプではないので本来ロックやソウル向きではないかもしれない。フレディ・マーキュリーなんかもそういうタイプだ。一般の方々にはそのほうがちゃんとした上手い歌手、なんて思われるわけだけど。
とにかくここでは元にある白人的バラードとか、カントリー色がセンスよくポップに仕上げられている。ジョン・デヴィッド・サウザーとのデュオもなかなかいいし、アンドリュー・ゴールドなどコーラスアレンジも素晴らしい。

何故、これを久々に聴いたかというと、実はミラクルズの「Tracks of my tears」が目茶苦茶好きなので、リンダのカヴァーをもう一度聴いてみよう、と思ったからなのでした。この曲コード進行はほぼ3コードでシンプルなんだけど、スモーキィ・ロビンソンの歌のコブシがけっこう凄くて(リズム演歌みたいな感じ)、リンダはそれをどう対処してるか?確認したのでした。
いやいやリンダの解釈も無理なくのびやかで、素晴らしかったです。元々のR&Bナンバーがスティール・ギター等でカントリー&アコースティックっぽくなってリラックスしたムードです。
原曲のスモーキィ・ロビンソンはというとコブシ&フェイク(メロディを崩して歌う)凄〜いです。どうしてもマネして歌えない箇所あります。このコブシ好きですねえ!1番と2番でどんどんコブシやフェイクでメロディをいい意味で崩していくし、サビでのバックコーラスに答えるように入る(コール&レスポンス)でもがんがん即興で入れていきます。モータウン・レーベル(デトロイト・サウンド)は当時の南部メンフィスのスタックスやアトランティックに比べ都会派で洗練・・・ということでしたけど、歌を分析していくとめちゃ黒人色が凄いデス。

・・・・・話がミラクルズのほうにいっちゃったけど、このアルバムいいですよ。70年代は腕のいいプレイヤーがちゃんと集まって打ち込みナシでレコーディングしてて、ショービジネスっぽい無理な作り込みしてない(L.A.のいいミュージシャンが集まって作ってる感じ)のが、ロック的精神かもしれないし、つまり・・・プレイヤーの味もでててメインの人の世界もちゃんと築いていてふくよかな人間的なサウンドで、当時は当たり前のように感じていたのを、今の打ち込み時代にはやんわりとでも深〜くココロに響くわけです。

(23:10)
氷柱氷つながりで。旧軽井沢の奥の方、標高1200m程のところに「白糸の滝」があるが。その近くで今年も恒例の「氷柱」ができた。初めて見たけどいやいやお見事!
そして「白糸の滝」へはここから歩いて数分だが道がめちゃくちゃ凍結していてやめた。
しかし例年の降雪量だとここまでは雪と凍結の山道なので、とても来る気がしないが、今年は雪少ないし来てみた。途中の山道は多少凍結してたがまあ大丈夫でした。

(02:50)

2008年01月09日

バケツと氷と私の気持ち外に出しておいたポリバケツの水が凍ってた。その氷出してみると、ほぼバケツのカタチのままだった。......ある冬の午後の日


(01:13)

2008年01月08日

不思議な木この木。まず最初の幹は地面から左に30度くらいの角度で斜めに成長、その後その斜めの幹からまっすぐ上に3本の枝が成長。何があった知る術もないが、とりあえずスバラシ! .....散歩にて


(02:44)

2008年01月05日

オンザコーナー なんでこの時期にレコードコレクターズの表紙がマイルスの『ON THE CORNER』(1972)なのかと思ったら、な、なんと『ON THE CORNER』の頃のレコーディング・セッションをまとめて6枚組CDーBOX『The Complete ON THE CORNER Sessions /MILES DAVIS』として発表されたのだった。
1969年の『BITCHES BREW』でジャズ界に革命的変革を起し、問題作として古い評論家からは「ジャズではない」と酷評されたマイルスはその後も「でもそんなの関係ねえ!!」とばかり『フィルモア・ライヴ』『ジャック・ジョンソン』『ブラックホーク・ライヴ』等、BITCHES・・・サウンドぎんぎんの作品を発表していき1972年に更にリズムを進化させたファンク『ON THE CORNER』をリリースさせたのだった。
タイトルが示すように高尚な『BITCHES BREW』から、今度はマイルスはハーレムの街の角にやってきて、マイルス流の濃〜いファンクを唸らせる。旋律もないようなリズムのカオスの、こんなストリートミュージックあったら、ぶっ飛ぶゼ。

当時『ON THE CORNER』にはミュージシャン・クレジットをわざと載せなくして、評論家の「誰がはいっているからなんだかんだ・・・」とういうような論をはぐららかせたり挑戦的で自信満々のマイルスだったような気がする。
「オレがその気になったら世界最高のロックバンドをつくれる!」は当時のマイルスの言動。
高校生くらいだった僕は確かに、『ON THE CORNER』けっこう好きだった。スネアのアクセントの位置が16分音符の裏で外すところが、とにかくカッコいい、と思った。
それと曲が単なるアドリブ回しじゃないし、おじさんの4ビートのジャズはもうかっこワリイと思ってたガキだったから、泣けるメロディないのも気持ちいい。乾いた感性で通すとちょっとしたメロディがまた良くなったりするし。

『ON THE CORNER』では当時まだ21〜22歳のファンク畑出身のマイケル・ヘンダーソンのベースを核にしてブラックファンクにバダル・ロイのタブラ等のインド打楽器、細分化されたビートに永遠にリフレインするようなサウンド、しかしジョン・マクラフリンのギターやベニー・マウピンのバスクラ、その他カラフルな即興風アンサンブルが70年代エスニック&ジャングルサウンド、といった風情でもある。このコンプリート版ではエスニック寄りではないファンク・リフの曲もあり、そこへ行く着く様子を完全に収録している感じ。
口笛メインのような短いリフ以外メロディらしきものはあまりでてこない。ロマンティック、湿った情緒とは無縁の世界が、しかし熱く展開する。この時期のドラマーは2拍4拍のスネアでのいわゆる普通のロック・ビートは叩いていたり、いなかったり、という過渡期なのも注目すべき点。「ジャック・ジョンソン」のコブハムや「アガルタ」でのアル・フォスター以後のマイルスはロック・ビートになるのはわかっていたけど、ビリー・ハート参加のセッションでは2拍4拍ロックが聴かれる。それは「LIVE EVIL」でやってた曲だ。
そしてマイルス、ここではエレクトリックでワウペダルを多用している。
またイギリスの作編曲家ポール・バックマスター(一時、弦アレンジでバックマスター風というのが流行った。また「山羊の頭のスープ」でローリング・ストーンズの弦アレンジもしている)との交流がライナーでうかがえる。それは知らなかった、ちょっと以外。ポール・バックマスターによるとこの頃のマイルスはスライ・ストーン等のファンクに思い入れがあったり、バックマスターの持ち込んだ、現代音楽のシュットクハウゼンなんかも聴いていた、とのことだ。MILESはピカソのように時代によって目まぐるしく変貌とげる。マイルス逝っちゃって17年か?チャーリー・パーカーのバンドに入ってたのが1940年代末で1949年に『クールの誕生』1951年に本格的にBeBopのリーダーアルバム発表して1991年まで....もうこんなカリスマはいないなあ。

『The Complete ON THE CORNER Sessions /MILES DAVIS』。16beatで混とんとしたマイルス・ワールドが脳の中をおもいっきし、かき混ぜてくれることは確か。「癒し」とかなんかないってくすぐったいショウバイしてる音楽よりよっぽど癒されるゼ!



(16:44)

2008年01月02日

元旦明けましておめでとうございます。おとといあたりから雪が降ったりやんだりで、大晦日の晩も少し降っていたので、今年は雪の元旦でした。大雪ではないのですが朝から、軽く雪かき。といってもサラサラのパウダースノウだから、竹ぼうきでさ〜っと掃いていくと雪は跳んでいく。
雪が積もると静かなのがいい。ショウバイがら「音」に疲れている身にとって、「音ナシ」の生活を基本にしなくては。
「音」がないから「音」が欲しくなる、「音」がいい響きであるには静寂がもと、だから「音」のない・・・って禅問答のようだけど、沈黙、静寂があってこそ、それを打ち破る「音」の意味が大切なんだ。これは故武満徹のお言葉(多少アレンジしてますが)。素晴らしい。現代生活、特に都会生活は無駄な音が多すぎるシイ〜。

風はなかったし、雪かきでカラダ動かし、陽もでてきたのでマイナス3度の中でも、寒くなく気持ちいい朝でした。今年も気持ちよくいきたいものデス。


(00:57)