2008年07月

2008年07月31日

4fb7b0b3.jpgうちの最寄り駅、信濃追分駅横のパーキングは1時間まで無料!12時間までで100円!!そして24時間までで200円!!!都会生活から比べるとうっそ〜?!だよね。うそじゃないです、この値段。写真をクリックすると大きく見れます。
この日、旧軽井沢にあるFM軽井沢サテライトスタジオに行く為(月イチくらいのペースで土曜日12時から14時のサウンドガーデンにゲスト出演している)に夏休みを考慮して信濃追分駅の駐車場に車を止めて「しなの鉄道」で軽井沢に向った。車で行けば15分弱のところだが、電車は40~50分に一本なのでスタジオ入り時刻に合わせると1時間ほど余計にかかることになる。まあしゃあないわ。電車は普段なら1車両に数人なのにさすが夏休み、席はほぼうまるほどの多くの人が乗っている。軽井沢駅から旧軽井沢までは徒歩で25分強というところ。旧軽銀座通りは観光客で賑わっていた。

(02:55)

2008年07月30日

98b112dc.jpg友人の画家、寺門孝之氏の作品が常設展示される空間が南青山にオープン!
町田康の芥川賞作品のカヴァーの絵などでも有名な寺門さんとは1993年からの仲。画家でありながら暗黒舞踏の白虎舎の大須賀さん中心にしたライヴパフォーマンス舞台を企画したり、ポエトリーリーディングバンドを結成したり活動が多岐に富んでる。それらは僕が音楽監督したりもした。また1990年代に活動していた僕のバンドBREW-BREWの3rdアルバムやドラマ「つぐみへ...」サウンドトラックアルバムのジャケットを描いてもらったり、また一緒に紀伊半島を一周したりの交流。
そんな寺門さんの作品が常設展示される場所ができたことはほんとうに素晴らしい。「おめでとうございます!」場所は地下鉄表参道駅A-3出口から徒歩1分。青山通りに面したLEMONTREE OMOTESANDO BLDG.4/5F
寺門孝之ミュージァム@表参道LEMONTREE TEL:03-5771-5201

(01:22)

2008年07月26日

8382d2da.jpgミュージシャンの山浦タケヒコ君からBJORKのソロ以前のアルバムを4枚借りてる。こりゃ真夏のビョーク祭りじゃ!!
ビョークの本名はBJORK GUOMUNDSDOTTIR 。難しいねえ、朝青龍の本名思い出した。
1965年アイスランド、レイキャビクで生まれ、アイスランドの文化に育まれると同時に5歳から15歳までヨーロッパクラシックの音楽教育を受けた。そしてすでに11歳くらいのときにデビューし、子役のような感じでテレビにも出演していたがポップミュージックシーンでの世界的成功は1988年の「SUGARCUBES」というバンドでだ。「SUGARCUBES」は1986年にビョーク21歳の時に結成だが、その年にギターのソーとの間に息子シンドリ君を産んでいる。
(ビョークの七不思議!?ソロのライヴで絶対ギタリストを使わないのは何故?)

そしてビョークは「SUGARCUBES」前に「KUKL」というユニット=バンドで活動、2枚アルバムをリリース。それらが「THE EYE」「Holidays In Europe」の2枚。1984年1985年のことだ。
KUKLではシリアスで硬派なメッセージをコンセプトにしていたらしく、インテリなミュージシャンが集まっていたようだが、2年で解散、もうちょい楽しくポップなSUGARCUBESへ移行する。

しかしKUKL.。この時もうすでに現在のビョークにつながる個性的な唱法はできているといっていい。19歳20歳ですでにその才能をかいま見ることができる。欧風クラシックの影響は皆無。表現は自由奔放にぶっ飛んじゃってる。1984年ということでイギリスなどでのロックのポストニューウェイヴ、ポストパンクムーブメントの時代だろうか、シンセや新しい機材の時代でもある。「KUKL」ではイギリス風ニューウェイヴ、プログレ、アヴァンギャルドといった感じのバンドサウンドの中にビョークの強烈なヴォイスが入る。時に楽音でない叫びあり、全体にも多少オドロオドロしい系(まあ統一したコンセプトは感じる)、といった世界。それでもリズムはあるので暗く前向き?みたいな。



(00:55)
266a31ff.jpgビョークが1993年にソロ活動する前にいたバンド「SUGARCUBES」は3枚くらいのアルバムをリリースし成功をおさめるがビョークはこれに飽き足らずソロになるわけだ。「KUKL」での反省?もありかポップな路線を歩むようになったがビョークの才能はまだまだそれでも満足できなかったのだろう。

ところで、「Gling-Glo」は「SUGARCUBES」活動中の1990年に制作されたジャズアルバム。確か当時か、数年後かプロモーションビデオで見たのを思い出す。ビョークがジャズ歌うんだ、って。ジャズといってもミュージカルスタンダード時代のいわゆるティンパンアレイ風な楽曲。エンターテインメントなジャズ。1960年代以降のモード手法系ではない。
アイスランドのピアノトリオをバックにジャズを歌うビョークが聴ける。このピアニストの名前もGUOMUNDAR INGOLFESSONARと難しい。まあでも北欧系の名前も映画監督のイングマル・ベルイマンだとか、ジャズベーシストのニルスヘニング・オルステッド・ぺデルセンとか覚えてしまえば、まあ馴染む。BJORKもほんとうはOの上には点が2つつく。昔テニスのボルグなんてえ人いたけどビヨルンという名前だったっけ。アイスランドのジャズなんてあまり想像できないがGUOMUNDAR INGOLFESSONARというピアニストなかなかの職人肌。

この「Gling-Glo」ではハマーシュタイン&ジェローム・カーンの「I Can't Help Loving That Man」等有名スタンダードも歌っている。ジャズ風、ミュージカル風をこなしつつもビョーク丸出しなところが凄いところ。ジャズ歌手ならばいわゆる「うまいなあ..」的な技巧の凄さとでもっていっちゃうが、ビョークは「うまいなあ...」みたいな箇所で聴かせるのではなくあくまでも感覚で行っちゃってる。この感性についてこれない方々には「あまりうまくないじゃない?」とか思うかもだ。
ビョークは声が張るパートでは他の追従を許さない独壇場でいながら、ピアノ(弱く)で歌う時などにある、ある種の「あやうさ」が...これも魅力になってしまっている。なんか童女的な「あやうさ」と「魔性」が同居するとでもいうような....しかしなにを歌ってもカリスマ的この強烈な個性はほんとうに凄い。今年チベット暴動直前の上海公演で「チベットに自由を」とステージで叫んだのもこのお方です。

(00:11)

2008年07月16日

cddbaba2.jpg「Shine A Light」はあまり知られていないでしょうねえ。シングルカットもされてないし、つまりヒット曲じゃないし。知ってる方は相当なお方!great !
しかしこれはROLLING STONESの隠れた名曲。「Jumping Jack Flash」「Satisfaction」「Honky Tonk Women」のようなロックのカリスマスタンダードではないかもしれないが、ゴスペルの影響を多大に受けた知る人ぞ知る渋い(と言っても26歳の若者ミック・ジャガーが作曲してる)名曲と言っていい。
そして最近撮られたマーティン・スコセッシ監督によるローリングストーンズのライヴドキュメント映画のタイトルこそ何を隠そう「Shine A Light」なのです。ボブ・ディランのドキュメント映画、ブルースのドキュメント映画を撮っているマーティン・スコセッシ監督、さすがおわかりになってらっしゃる!

さてさてイントロ長くなってしまったが「Shine A Light」、作詞作曲クレジットは例によってミック・ジャガー&キース・リチャーズ(BEATLESもジョンの曲、ポールの曲と個々の作品あってもすべてレノン&マッカートニーとクレジット)だがこれはミック・ジャガー作詞作曲の作品。曲はディレイ風のギターやエフェクト音で始まるストーンズとしては珍しく凝ったイントロだ。そしてピアノがガーンと鳴るとミックの声がE4の音で始まる。ふり絞るようなダイナミクスの振り幅の広い歌唱は圧倒的な説得力がなかなかのもの。ジャガーの歌はロックンロールでも軽くはないし、別な言い方で言えばシャープな切れ味というタイプでもないので、R&B調や南部っぽいスワンプのねばりあるムードの楽曲がよく合うと思う。勿論だから「It's Only Rock'n Roll」なども軽くならずRollの持つ「引きづる」ニュアンスをだせてよい。ブルースフィーリングって長調の3和音にflat3度などを使う微妙な世界なのでオクターヴ12音の音程をクラシック的に明確なのも逆にセンスないし、伝統的に気持ちいいブルーノートをグリッサンドする箇所とかをカラダに染込んでいるかが問われる、別の言い方だと、楽譜にない部分でセンスを問われるわけだ。この歌録り時のミック・ジャガーは28歳。今から思うと20歳代後半の若者たちがよくもこんな渋い音楽やってたんだ...なんて。

この曲は1972年南仏ネルコートでレコーディングされているがデモ段階は1970年にロンドンのOlympic Sound Studio(ストーンズの名作「BEGGARDS BANQUET」「LET IT BLEED」等を生んでるスタジオ)で録り、ミックスは1972年ロス・アンジェルスのSunset Sound Studioで完成している。 

参加メンバーはミックのvocalにビリー・プレストン(piano&hammond-organ)、ミック・テイラー(el-guitar&bass)、ジミー・ミラー(drums)、クラウディ・キング,ヴァネッタ・フィールズ ,ジョー・グリーン,ジェリー・カークランド(chorus)という布陣。5人のストーンズメンバーのうちキース・リチャーズ、ビル・ワイマン、チャーリー・ワッツが不参加。御大キースがギター弾いてないんですわこの曲。この時期のストーンズのレコーディングではまあよくあること・・・っていってもキースの家でレコーディングしてんのにキース抜きってねえ。スタッフの回顧録によると夜のある時間になると、当時の愛妻アニタ・パレンバーグとキースは子供を寝かせる時間だからといって何時間もスタジオに戻って来なく・・・だとか。

個々のプレイではなんといっても当時売れっ子キーボーディストのビリー・プレストンのピアノの凄いタッチ、ハモンドのアイディアが抜群に光っている。伴奏の重要な役割を最高の演奏でサポートしていて素晴らしいというしかない。この後ビリー・プレストンはソロ活動もする。昨年亡くなられてしまったのは残念。ビリー・プレストンのこの曲以外でのプレイで光るのはBEATLESの「GET BACK」でのエレピ、ストーンズでは「I GOT THE BLUES」での泣きのサックスのように歌いまくるハモンドのソロは当時びっくりした。こりゃあ白人じゃできないノリだと。

ギターのミック・テイラーのギターはコード弾きはほぼなくて歌のオブリガートや間奏でのアドリブソロでブルースフィーリングの中にスムースなテイラー節ともいうべき歌心あるソロを弾いている。
ベースもテイラーで間違いはないが、やや切りすぎかも。いかにもギターの人がベース弾いたときのフィーリングで、まだロックリズムのボトムという考え方、理論が固まっていない時代なのでしょうがないが、ビル・ワイマンなんかは「Jumping Jack Flash」でその後の(1990年代以降)ロックの基本となる垂れ流し風(表現が良くないかもしれないが、フレーズを切らないで弾く奏法で、時たま切れ目を入れるセンスでグルーヴの良さを出すという、ベースならではの縁の下の力持ち的役割)なベースを1968年にプレイしているのは地味な人だけど称賛されるべき。
ドラムのジミー・ミラーは1968年の「Jumping Jack Flash」から1970年代中期までストーンズのプロデュースした人物(もともとスティーヴ・ウィンウッドのバンド「トラフィック」のプロデュースしてた人)だがドラムもとてもお上手で、ここではKickの4つ打ちとサビでの8beatなど考えられたドラミングを見せている。アルバム「LET IT BLEED」の中のこれも名曲「You Can't Always Get What You Want」でもいいディレクションなドラムを叩いている。またレイ・チャールズのバックコーラスなどのメンバーらによる、ゴスペル色満載のコーラスもこの曲を高いレベルに引き上げている。

ミックが書いた歌詞の内容は女性を主人公に歌ったものだが、これを亡きメンバーのブライアン・ジョーンズに置き換える・・・それはそれでなるほど、なのでミックがブライアンに対して歌ったという説も納得できる。

このアルバム『EXILE ON MAIN ST.』(邦題:メインストリートのならず者)はストーンズ最高傑作と言われる作品で1972年に南フランスのキース・リチャーズ邸(イギリスは税金高くストーンズメンバーは全員フランスに移住した直後で、このキース邸は元ナチスの幹部の別荘だった大邸宅らしい・・・とか、まとめてギターなどを大量に盗まれたりとか、ミック・ジャガーはビアンカと結婚直後で妊娠しているビアンカの為にパリに住んでいたため、キース主導でレコーディングは進められたとか、エピソードに事欠かない)の地下室にレコーディングモービルを持ち込んで録音されたもので、基本的に一発録りで、全体にラフだがリラックスして好きな音楽だけやってるという雰囲気に満ちたアルバムである。しかしリリース当時は評判悪く「ストーンズサウンドの缶詰めだが地味で・・・」的な批評だったのを覚えている。しかし時が経つにつれROCKとはなにかみたいな論議の中でどんどん評価が高まり、しだいにこれこそがROCKそしてストーンズ最高傑作という地位を獲得した。
確かにシングルヒット的なキャッチーな売れセンポップがなく、ミックとキースはヒットチャートを気にすることなく自分たちのコンセプトを突き詰めただけ、ということがまだまだシングルヒット曲相手のミーハー系には理解できず、アルバムでいくというスタイル、ロックの生き方、哲学的な部分から10年くらいかかってどんどん評価が高まったわけである。
そんなこんなで「Shine A Light」はサントラversionなどもあるけどやはり『EXILE ON MAIN ST.』のを聴いていただきたいデス。
ちなみに1980年代に僕もバンドでこの曲をレゲエ風にやってました。

写真はレコードの中に入っている写真。

(23:24)

2008年07月13日

46979c70.JPGここは上田市の山の中にある信州国際音楽村。写真はその野外ステージで遠くに見える山は右端から浅間山系で高峰山、湯の丸高原....。メチャクチャ景色いいし、オシャレで感じよいところだ。室内のコンサート用にも設備があるらしいし、村(という名称)の入口辺りにはラベンダー畑があって、この時がちょうど見ごろなのでした。

(01:38)

2008年07月10日

56f5cf4c.jpgうちには自然に生えてた桑の木がけっこう多い。その桑の樹が実をつける季節になった。赤と黒の実。赤いのがだんだん黒く熟成するのだろう。ちょっと食べてみた。ほのかに甘い。週末大阪東京で真夏日の30度を経験すると今日の軽井沢の最高気温19度は心地よい!

(01:18)

2008年07月03日

71e8f8f1.JPG10年程前にある映像の為にあのサイモン&ガーファンクルで有名な美しい曲「スカボロフェアー」をアレンジした。楽器編成はサンポーニャ(南米のいくつもに並べた筒状の笛)、ヴァイオリン、アコーディオン、マリンバ、箏(17絃)、ガットギター、バンドゥリアで、爽やかなサイモン&ガーファンクルと異なり、平安朝とでも感じるようなある意味隠微で雅、魔界と現世...風な感覚的なサウンドを構築、自分でもとてもとてもとても満足のいく、独特の編曲ワールドを楽しんだ。メロディに対して4度下5度下に2度ぶつかりの内声をつけることで3度6度系のキレイキレイ西欧風から逸脱し、魔界?とのボーダーラインを漂うかの如くの音像なのデシタ。

しかし元の歌詞なども「パセリ、セイジ、ローズマリー、タイム」など不思議さがあるし、コード進行というより旋法でいうとドリアンモード風な、言ってみればちょっと普通のポップにないものが感じる音楽ではあった。そこで原曲を探ってみようと思う。

「SCARBOROUGH FAIR」の原曲は16〜17世紀に遡るイギリスのトラディショナルソングでミンストレル、吟遊詩人たちが旅から旅へと伝承していったもので、そうしていくうちにいろいろなversionが生まれ、歌詞旋律も変化していった。(イギリスのノース・ヨークシャー州にスカボローという港町があり年に45日間フェアー(市)が開かれる。様々な露天、大道芸等の芸能も催される。それが歌詞の冒頭だが、その町の伝承歌ではないらしい)

歌詞をみてみよう。

Are you going to Scarborough Fair?   スカボローの市(いち)に行くのですか?
Parsley, sage, rosemary and thyme   パセリ,セージ,ローズマリー,タイム
Remember me to one who lives there  あそこに住んでいる人によろしく伝えてほしいんです
She once was a true love of mine     私が真剣に愛した人に

こんな風に始まるわけだ。
「パセリ、セイジ、ローズマリー、タイム」はS&Gでヒットした1966〜7年当時、僕は中学生ながら、なんでこんな言葉が入ってくるのかフシギでフシギで強い印象だったのを思い出す。だって当時の日本の歌謡曲にはないし、なんかオシャレな感じもしていた。また、

「あの人にキャンブリック(白麻)生地でシャツを作ってくれるように伝えてください」
「パセリ,セージ,ローズマリー,タイム」
「縫い目も針目もないシャツを作ってくれたら、あの人は私の本当の恋人になるんです」
「あの涸れた井戸でそれを洗えと伝えてください」
「パセリ,セージ,ローズマリー,タイム」
「そこは水も湧かなければ、雨が降ったこともない」
「あの人に1エーカーの土地を見つけてくれるように伝えてください
「パセリ,セージ,ローズマリー,タイム」
「海と岸辺の間にある土地を見つけてくれたら、あの人は私の本当の恋人になるんです」

などなど無理難題を言ってくる詩で、それができたら恋人になれるという展開だ。
そして実現不可能な問いの間を埋めるのが「パセリ、セイジ、ローズマリー、タイム」。

これは伝承されている「ELFIN KNIGHT」(妖精騎士/Child Ballad No.2 )から発展したもので魔界(妖精界)から人間(の旅人)への問いかけ=問答歌で、その間にある「パセリ、セイジ、ローズマリー、タイム」は一種の「おまじない」で人間側としては、こちらはちゃんと「パセリ、セイジ、ローズマリー、タイム」を持っているんだ、ということを唱えるわけだ。中世イギリスではそれらのハーブ系植物を家に備えてあるということは常識的に良いことという慣習からきているのだそうだ。

ちなみに「パセリ」は消化を助け、苦味を緩和し霊的な意味としても捉えた。「セイジ」は耐久力の象徴、「ローズマリー」は貞節、愛(イギリスでは花嫁の髪にローズマリーの小枝を挿す慣習あり)、「タイム」は度胸の象徴で騎士達は戦いに赴く際に盾にタイムの像を付けた。「パセリ、セイジ、ローズマリー、タイム」を唱えることで妖精の誘惑を退けられる、という意味をこめたらしい。ケルト民族の呪術ワールドかもしれない。
まあこういうシュールな民謡、童謡、伝承歌は世界各地にある。日本の「か〜ごめかご〜め...かごのなかのとりは、いついつでやる、よあけのばんに、つるとかめがすべった....」だってリアリズムな表現ではない。

また、この「ELFIN KNIGHT」は海を渡りアメリカ中部、ミズーリ州とアーカンソー州の間にあるオーザクス山脈に伝わる民謡として「ローズマリーとタイム」「キャンブリックのシャツ」として残っている。そこでは「スカボロー」という地名は出てこず、「Yondo's Town」 になっている。これは途中の一節「Yonder Wells」(向こうの井戸)が変化したものではないか、ということらしい。

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そして20世紀1960年代フォークソングブームの中、イギリスのマーティン・カーシー(アイルランド出身という説もある)というシンガー、ギタリストがその伝承歌を「スカボローフェアー」のカタチにアレンジして歌っていた。一方アメリカでは「水曜日午前3時」というタイトルのデビューアルバムをリリースするもイマイチ不調に終った直後のサイモン&ガーファンクル(この2人はティーンエイジ時に「トムとジェリー」という名で活動していた)のポール・サイモンはフォークブームの中、トラッド音楽の本場に題材を求め1964年渡英。
イギリスでマーティン・カーシーに出会い彼の「スカボローフェアー」を気に入り、なんと1800ポンドでカーシーから権利を買い取る。その後、映画「卒業」(マイク・ニコルズ監督作品、主演:ダスティン・ホフマン アン・バンクロフト キャサリン・ロス)の挿入歌としてもサイモン&ガーファンクルの「スカボローフェアー」は大ヒット。世界中に知れ渡った。

当時まだ20歳代の若き気鋭のシンガーソングライター、ポール・サイモンはベトナム反戦の意味を込めた詩とメロディを「スカボローフェアー」にカウンター=オブリガート風に差し込み「スカボローフェアー/詠唱」として完成した。だからポール・サイモンの書いた「深い緑の森の丘の山腹、積もった雪の上で雀を追い、毛布とベッドクロスに包まれて,山々の子供は、進撃らっぱの音も知らずに眠る」等の歌詞は原曲の妖精の問答歌とは本来なんの関係もないが、その才能によって素晴らしいひとつの音楽になったわけだ。

but,but,お話はこれで終りではありませんヨ。ポール・サイモンが渡英する前の1962年にななんと!ボブ・ディラン(当時すでにデビューしリアリティある反戦フォークの第一人者カリスマ的存在)も渡英していて、やはりというか、ひと足お先にマーティン・カーシーに「スカボローフェアー」を伝授されていたのだった。そしてディランは「Girl Of The North Country」(邦題:北国の少女)という曲を発表している。メロディはウディ・ガスリー調のグルーヴ調語りでソフトなディラン節になっているが歌詞には「スカボローフェアー」の名残がある。

”Well, if you're travelin' in the north country fair
Where the winds hit heavy on the borderline.
Remember me to one who lives there.
She once was a true love of mine.”
「あなたが北の国のフェアを旅行しているなら

風が国境(くにざかい)にひどい嵐を見舞ったところ
そこに住んでいる人に私を覚えていてください。

かつて彼女は私の真実の恋でした。」


これはディランの『Freewheelin’』(有名な「風に吹かれて」も収録)に収録されている。
....長々、お疲れさまデシタ!

P.S. ジョーン・バエズで有名な「ドナドナ」。実はホロコーストの切なく悲しい情景を歌ったユダヤ系の反戦歌らしい。

参考文献:http://www.worldfolksong.com/closeup/scarborough/
http://www.eigo21.com/03/pops/78.htm
http://www.occn.zaq.ne.jp/romcat/chnl3a1.htm
http://www.geocities.jp/lune_monogatari/scar.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/スカボロー・フェアー
http://www.excite.co.jp/world/english/web/?wb_url=http%3A%2F%2Fbobdylan.50g.com%2Fsg%2Dgirl%5Fof%
5Fthe%5Fnorth%5Fcountry.htm&wb_lp=ENJA&wb_dis=2

写真はうちのミント。

(00:00)

2008年07月02日

831d1c05.jpgNUAS(名古屋学芸大学)での8回に渡る講座が終った。5月から毎週名古屋に通う日々も終ってみると短いような、ちょっと寂しいような...。毎回のリポートも読むのが楽しかった。最後の授業では70人程の授業参加者の中で、特に作曲できる学生諸君の課題発表があり、盛り上がった。
映像に音楽をつけることを生業にはしているが、別の感性に出会えるのはまた嬉しいことであり刺激でもある。たとえ技術が優れていようが乏しかろうとも「異なる感覚」との遭遇は貴重なものだ。そして僕たちは答えがひとつでないものを追求してる、ということを改めて実感する。.....しかし梅雨の真っ最中の期間、雨にあったのは打ち上げ終りの店をでた時だけ、というのはラッキーでした。 写真は佐近田展康准教授、森幸長先生、中上淳二先生、平川祐樹助手、周防義和&学生の皆さん photo:村上将城先生 



(02:35)