2009年04月

2009年04月23日

d1c10cd5.jpgこの「JAZZ / POP の歴史だあ!」シリーズも10回目だ、不定期的なので申しわけないですが、興味ある方は前回、前々回と振り返っていただくとわかりやすいです。
で、前回はブラックミュージック側だったが、また今回は白人寄りの出来事中心で、「ミュージカル」という形態に発展した後になります。
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ティンパン・アレイ  

ニューヨークのマンハッタン28丁目5番街とブロードウェイとの間に1880年代から数多くの楽曲出版業者が集まりオフィスを構え大繁盛した。楽譜を買いにくる客の為にソング・プラガーと呼ばれる演奏家がピアノ又はピアノと歌で、今で言うデモ演奏をした。時には客も加わり大騒ぎにになるほど人気が出た。その一角を「ティンパン・アレイ」(訳すとドンチャン横丁!?)と呼ぶようになった。やがてポピュラー音楽業界そのもの、ポップソング(職業作曲家による楽曲)自体を指す言葉にもなった。しかし、1930年代にラジオ、トーキー映画、レコードという新しいメディアの誕生により楽譜販売という形態でのポップミュージックの流行は衰退していった。

流行歌という概念...これもハードの発達や貴族社会の没落、資本主義の発展と関わる。1930年代頃からはラジオやレコードの発明により、そんなにお金がかからなく歌が聴ける、というポップミュージック、流行歌の形態に大革命が起こるが、それ以前はこういう「ティンパン・アレイ」なるシステムで譜面を購入して人々は音楽を楽しんだわけだ。しかし譜面を読めなくては楽しめないし、買った譜面を例えばピアノなどで演奏しないと、具体性に乏しいので、まだまだある程度のお金持ち階級しか音楽を趣味にはできなかったのではないだろうか。

--------ティンパン・アレイ出身の作曲家、歌手

アーヴィング・バーリン 

作詞作曲家....ロシアからの移民の子でハリー・フォン・ティルツァー出版社でのソング・プラガー、シンギング・ウェイターをしながら作曲家になった。
●1911年 「アレクサンダーズ・ラグタイム・バンド」が大ヒット、スタンダードになる。この曲はアメリカンポピュラー音楽史最初の世界的大ヒット曲になる。
●1942年 「ホワイト・クリスマス」(映画主題歌)
●1946年 「アニーよ銃をとれ」(ミュージカル)
他にも「チーク・トゥ・チーク」などヒット作品多い。

ジェローム・カーン 

1885年〜1945年ニューヨーク生まれ。作曲家....ハームス音楽出版社のソング・プラガー出身。
●1912年 「赤いペチコート」(ミュージカル)がで注目される。
●1927年 『ショー・ボート』での「オールマン・リヴァー」は黒人歌手ポール・ロブスンの名唱が有名。
     原作はエドナ・ファーバーの小説で黒人問題を取り上げた異色傑作。


ルドルフ・フリムル 

チェコスロヴァキア出身 
1924年『ローズマリー』での「インディアン・ラヴ・コール」が有名。


ジグムンド・ロンバーグ 

1889年〜1951年 ハンガリー出身
●1914年「世界の渦巻」、1924年「学生王子」、1926年「砂漠の歌」。
●1928年『ザ・ニュー・ムーン』からは「朝日のようにさわやかに」「恋人よ我に帰れ」がスタンダードになる。
この「Softly as morning sunrise」 や 「Love,come back to me」などはジャズの演奏でも有名。まずジャズのスタンダード演奏すると言ったら「Softly as morning sunrise」は必修曲。「恋人よ我に帰れ」はなんといってもビリー・ホリデイの歌が最高かな。ほんとうに心を打つ歌を歌えるシンガーってビリー・ホリデイのような人なのではないか。彼女の節回しからは「譜面のオタマジャクシ」は見えない、ほんとうの生きた歌がそこにあるのみと言えよう。

ルドルフ・フリムルとジグムンド・ロンバーグの先輩各19世紀からブロードウェイで活躍したアイルランド出身のヴィクター・ハーバードがいる。


ウィリアム・クリストファー・ハンディ の名曲「セントルイス・ブルース」は1914年。


続く........


参考文献:ミュージックマガジン社 中村とうよう、青木啓、日暮泰文、濱田滋郎、長門芳郎...各氏の文
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photo: y.suo at GOK Sound. (写真は本分と全く関係ないデス)




(00:44)

2009年04月12日

fba69588.jpg映画『鴨川ホルモー』が18日より全国公開される。写真はサウンドトラックアルバム(EMIミュージックよりリリース)のジャケットの裏表紙。
これ「アビーロード」(B4は4人だがこっちは5人、でもひとりはちゃんと裸足)の京都篇みたいな構図....と思ってたら原作者の万城目学(まきめまなぶ)氏の文によると小説を書いた時点で本の表紙に考えていたコンセプトだったとのこと。それで単行本のほうはイラストで描かれ、映画化にあたって実写でのこのアングルでの世界が実現した。四条通りの八坂神社をバックにした構図だ。

1月24日のこのブログでも触れたが...
本木克英監督はこの原作の世界感に70年代〜80年代風の木造アパート、その時代の貧乏臭い、ちらかった部屋、流行とも余り関係ない学生感を注入、それが京都大学吉田寮(映画では百万遍寮という設定)の緑ある中の木造の学生寮=昭和な雰囲気がたまらなく良い。全編京都での撮影もこの奇妙キテレツな展開を和らげているのかもしれない。清水寺三年坂、インクライン、平安神宮、吉田神社、木屋町、先斗町、下鴨神社、光明寺、荒神橋、四条烏丸交差点、鴨川デルタ、祇園.....  

僕の音楽は様々な角度から攻めたような気がする。といっても所詮周防義和'sパターンといわれそうではあるが。楽器編成でいうと弦楽群、木管群、フレンチホルン、鍵盤打楽器、打楽器、笙、和太鼓、エレキギター、打ち込み、三線(沖縄の三味線)という布陣。自ら弾いてみた三線はいわゆるクリックなしで映像を見つつ即興的に弾きながらまとめていった。そこにサンプリング系の音色を打ち込みでなく手弾きで合わせた。
三線はちゃんと弾いたのははじめてだったが、マジックでフレット確認の印を書き、陰旋法音階をどうにか弾いた。またエレキギターでも同じような即興的作曲を試みた。そこでもドンカマ=クリックなしで弾いて、それに合わせてダブルで同じことをやりチョイ大変ではあったが楽しくもあった。
CGシーンも多く、そのCG完成前にある程度作曲に入らねばならず、そこでは想像でつくる感じはちょい難しくもあった。

また、京都ということである種の「和」を醸し出したが、それは古典的アカデミズムの「和」ではなく、この作品用の「和」なのだと思う。僕の「和」なんだろう、たぶん。それを笙や木管などでも表現したがエレキギターでもやってみた。この作品がもつ奇妙さ、おかしさは束縛なく自由に発想しろ、というものなのだろうし、勝手きままな作編曲を楽しんだとも言える。伝統やクラシックするということではない。勿論、映画の主役はこの物語りであり、俳優さんたちの演技であり、映像なので実際はこれらの劇中音楽はさりげなくサポート役なので、そんなに気になるものではないと思う。またロマンティックな名曲があるわけでもないデス。

山田孝之、栗山千明、浜田岳らの20代前半の実力ある役者たちがキャスティングされて、面白い作品になったのではないだろうか。ここでは教訓や安っぽい感動、涙等は全くなく、ただ阿呆になって笑えればいいのでしょう。本木監督がもつコメディのコンセプトが全開してると思う。
作品は一般公開前の3月に開催された沖縄国際映画祭でゴールデンシーサー賞を受賞した。



(02:32)

2009年04月05日

8e92c919.jpgFM軽井沢の僕の番組「周防義和の音楽工房」の3月31日(もう過ぎた!失礼)4月7日オンエアは友人のベーシスト泉尚也特集。長年の音楽仲間で頼りになる素晴らしきミュージシャンの泉尚也の周防サイドからのご紹介っていうところでしょうか。オールラウンドプレーヤーの彼は僕の狭〜い音楽性にとどまるような音楽家ではないがそれでも僕の作曲作品を拡げてくれている。

今回泉尚也セカンドソロアルバム『LIFE』が完成間近だが、それに先行して『LIFE』から2曲、「シアン」と「シナプスの記憶」という僕の作曲作品をかけさせていただいた。両曲ともめっちゃ美しい音色のフレットレスベースが活躍する曲。通常ベースがメロディを奏でるというのは珍しいが両曲ともベースメインの音楽に声が絡むのもいい感じ。そのヴォイスでtomo the tomo、パーカッションで三沢泉という強力なミュージシャンが参加、自分としても納得のいく傑作が仕上がったと言い切れるデス。
また映画『Shall we ダンス?』サントラから「9月のルンバ」、ドラマ『つぐみへ...』のサントラから「情景的な5弦ペダル」、映画『シコふんじゃった。』サントラから「猛稽古de辛抱我慢」など泉尚也フレットレスベースの活躍する楽曲をかけた。インターネットでも聴けます。FM軽井沢のhpからサイマル放送の項を選択し、「周防義和の音楽工房」を7日火曜日の14時から15時までオンエア時間に聴けます。

また「周防義和の音楽工房」の4月の他の週は周防義和音楽担当の映画『鴨川ホルモー』特集、その後はCOMAで僕の相方でもあるミュージシャン小石巳美特集です。ご期待ください!
写真は吉祥寺GOK SOUNDで左から和田亨(音楽プロデューサー)、三沢泉(パーカッション)、周防義和、手前がこのレコーディングの中心人物、泉尚也(ベース)。(敬称略)

(22:31)

2009年04月01日

4116c4b6.JPG群馬県下仁田は「ネギ」「コンニャク」で有名なところ。軽井沢から1時間くらいで行ける。この日は虻田という地区にある梅園に行った。2月から3月にかけて福寿草が満開になりその後各種の梅が咲く。その最盛期は過ぎたために入り口で迷ってしまい、農園で作業されてる方に聞くと、「もうフリーですから入って見ていってください!」って。入園料もただでひと周り。梅の香に包まれて気持ちよかった。そしたら帰りに、そのおばさんにネギ、ほうれん草、菜の花をいただいてしまった。園内には「ふきのとう」も群生していて、その話をしたら「どうぞ採っていってください」とのこと、尚且つ会長さんも現れ会長さん自ら採ってくれてしまい、その晩は「ふきのとう」の天ぷらを美味しくいただいた。ちょっと苦味のある感じがなんとも言えず良い。帰りに会長は「うちに寄ってください」とのお言葉。ずうずうしくお茶とお新香をごちそうになってしまい、ハートウォームなカントリーライフの一日でした!また農作業されてたおばさんは入間市で学校の先生をされてるとのことで、週末や休みに地元に戻り農園ライフしているらしい。

(12:35)