2011年03月

2011年03月24日

8d028708.jpg大震災の被害の全貌はまだ完全につかめない。そして原発事故問題。大変な事態が続く。
被災された方々はほんとうに厳しいく辛い日々を送っていることと思うと、普通の日々というのが実はどんなに素晴らしくありがたいのかということも、改めてわかるような気がする。

買い占めトラブル。
まいってしまうよねえ。
なんでそんなにひとり占めしたいんだろう。
恐怖の連鎖だろうか。
人間の心には誰もがもっているものだとは思うけど冷静に客観的にいきたいところだ。

テレビ番組からCMが消え、復活したら公共広告機構ACの告知ばっかり。
これにはそうとうの批判がでたようだ。
安易なクレーマーはよくないけど、確かに同じCMばかり何度も何度も、それもちょい説教臭いやつだから、さすがに見たくなくなる。効果悪いんじゃないかな。
出演者たちもまさかこんなにオンエアされると思っていないから、逆にイメージ悪かったりするんじゃないだろうか。
なかには最期の「エーシー」というロゴの歌い込みを音ナシにしたversionも流れるようになった。
そんなコワザやるんだったら、じゃ、いっそのこと全部ナシでもいいじゃん。

実はACのCMは以前に僕も作曲したことある。
これは公共広告で民放各社が出し合って作っている告知。
僕のてがけた作品は予算全然なかったのを思い出す。出演やナレーションの有名俳優の方々も、そういうことで協力して出演しているとも聞いた。

しかし・・・CMの枠をそうやって無理やり埋めなくちゃならないんかなあ、と思ってしまう。
CMやんなけりゃ、それでいいじゃない。
風景でも流すとか。
だいたいみんなCM見るためにテレビつける人はそんなにいない、
つまりあま〜りCMは見たくないということになる。
だからでもどうにかそのCMを面白いものにしようとして広告制作者たちは、アイデアだしているんだから。
でも同じものをあんだけ多く見せられたら逆効果だ、ってわかんないのかなあ。

・・写真は空の彼方のグラデーション風景

(01:28)

2011年03月17日

とにかく経験したことのない横揺れでした。数分続いたような。
被害はなく大丈夫でしたが、ここへきてスーパーやコンビニ、ガソリンと、買い占めで物がなくなってパニック的になってきてます。この連鎖は良くないです。
日曜日東京から帰る時、都内のガソリンスタンドは全部ダメでした。高速に入って高坂SAのガソリンスタンドは長蛇の列、横川で15リッターだけ入れられました。
軽井沢のスーパーでもパンなどは全然なくなってますね。

それよりなにより被災した方々にお見舞い申し上げ、亡くなられた方々の冥福を心よりお祈り致します。

(03:27)

2011年03月03日

bdbe8d0a.jpg写真は周防正行監督の新作映画『ダンシング・チャップリン』のフライヤー。3月2日夜、銀座テアトルシネマに於いて完成披露試写が行われた。

また周防正行監督と出演の草刈民代のトークもあり、3日のワイドショー等で紹介されるでしょう。
4月から一般公開のこの作品は世界的バレエ振付家のローラン・プティ(86)の作品を映画化したものでトータル2時間16分のうちの第1部はドキュメントで監督とローラン・プティとのイタリア、スイスなどでの打ち合わせ、チャップリンの息子(or孫?)へのインタビューや出演のダンサー、ルイジ・ボニーノ、草刈民代などの会話、リハーサル風景など、映画の裏側、バレエの練習の大変さなどが描かれ、トラブル、経費のことなどシビアなところもそのまま撮られていて興味深い。
勿論ローラン・プティの振り付け、映画化に於ける正行監督の構成力と独自のアイデア、カメラワーク等もナマでバレエを見ることとの差別化を徹底的に考慮した成果が見られる作品になったと思う。第二部がバレエそのものを見せる構成。
主役のルイジ・ボニーノの、ダンサーなのにほぼ俳優といってもいいほどの豊かな表情やニュアンスのある人間性に引き込まれる。いつまでも若い魅力ある人だ。

音楽は基本的にバレエの音楽がそのまま使用されるのだが、制作途中で急虚依頼され、オープニングとエンディングだけ、新たにオリジナル音楽を作曲することになった。
すでに1年前に完成していたので、スタッフだけでの試写は見ていたが、それから1年経ったので、また新たに、というか、少し客観的になれて見れたような気がした。
昨年のモントリオール映画祭にも出品されている。
この作品はローラン・プティ氏がフランス人だし、フランスでも公開されるとのこと。フランス語の字幕の箇所もある。FIN

(01:10)

2011年03月01日

e3534900.jpg写真は1960年代中期のROLLING STONES。真ん中で「俺が中心なんだ」なんて言いたげなBrain Jonesがスーツできまっている。
いまでこそストーンズというとミック、キース。最近は「パイレーツオブカリビアン」にジョニー・デップの父親役でキース・リチャーズが俳優したのでキースのメジャー認知度は凄いが、当時はミック派かブライアン派だった。金髪で独特のファッション、VOXのマンドリン風なカタチのギターがよく似合っていて、今でも当時からのファンの人たちがたくさんいる。

Brian Jones が音楽担当した映画『Mord und Totschlag(英題:A Degree Of Murder)』はブートでは手に入るらしい。またその一部のメインタイトル部がネットにアップされていた。やはりブライアンのブルースハープがフィーチャーされている。

ブライアンが死んだのは7月3日だが、その直後にDOORSのヴォーカリストJim Morrisonが追悼の詩を書いている。しかしのそのジム・モリソンも2年後の同じ日に同じ27歳で死ぬことになる。
27歳で死んだロッカーは多く、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリクス、ニルヴァーナがそうで、1930年代にはブライアン、ミック、キースはじめエリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、そしてシカゴブルースの巨人、マディ・ウォーターズなど多くのミュージシャンに影響を与えた戦前のブルースマン、Robert Johnsonが27歳で他界している。19歳の頃、町外れの四辻で悪魔と契約を交わすと最高のブルース弾きになれる、しかしその数年後に死ぬ、というクロスロード伝説で有名な人だ。

またブライアン・ジョーンズのリンダ・ローレンスとの子供はジュリアン・ジョーンズでリンダはその後ドノヴァンと結婚をしている。ドノヴァンのエピソードでは吉田拓郎がドノヴァンのフォークギターの音が凄く気に入り、なんでああいう音がでるのだろう、と加藤和彦に尋ねたら「ギブソンのアコースティックギター」という答えが返ってきたという話がある。そうだ、マーティンの明るいアメリカンな響きに比べ、ブルース的なムードがあるギブソンのアコギはなかなか良い。
ストーンズのミック、キース、ブライアンの3人全員1960年代はギブソンのハミングバードというアコギを使用している。シェリル・クロウも女性でいながら大きなハミングバード使っている。

ブライアンの演奏で好きなのは「PAINT IT BLACK」のシタール。
これはストーンズとしては珍しくマイナーキーの曲だが、このシタールの起用でエキゾチックなムードになり、チャーリィ・ワッツのドラミングもベストと思えるノリのよさがある。1966年頃に初めて聴いた時の衝撃は凄かった。ちゃらちゃらしたポップ感はなく、激しいシャウトと黒っぽいフィーリング、ロマンティックで情緒的な感じが全くなくティーンエイジャーの大人社会への反抗心をあおるには抜群の説得力!、コーダ部ではボレロのリズムを取り入れてかっこよかった。

「UNDER MY THUMB」でのマリンバ。僕が作曲家になりマリンバを多用している2つの理由のひとつが、ブライアンのマリンバだ。ちなみにもうひとつの理由はアフリカ音楽のコギリの影響。
BEATLESにはジョージ・マーチンというアカデミックなオーケストレイションのアイデアを考えるプロデューサーがいたが、ストーンズの音楽アレンジ面のエスニックな色彩感はひとえにブライアンの貢献による。
「UNDER MY THUMB」はR&Bタッチの楽曲をマリンバのリズムによって都会的なお洒落なサウンドになり、ハードなミックのシャウトにドライなマリンバとキースのカッティングがいいアンサンブルになっている。

「LADY JANE」でのダルシマー、チェンバロ(ハープシコード)もこの曲をただのフォークタッチの曲を品格のあるムードに変えている。勿論作曲的にも実は7th系のMixolydian風なので、そこはやはりトラディショナルな伝承曲の宝庫であるイギリスの血だろうか。

アルバム「BETWEEN THE BUTTONS」ではヴァイブで「Yestrday's Papers」にクールなアンサンブルを醸し出してしる。「THEIR SATANIC・・・」ではTrumpet,Trombone,Saxなどをひとりダビングで演奏、ブラスセクションをアレンジしている。
「RUBY TUESDAY」のリコーダーorフルートのアレンジを見るとブライアンという人は相当クラシックのフルートのアイデアをマスターしているとしか思えないフレーズを吹いている。
この曲はキース・リチャーズの作曲でほぼブライアンと一緒に作ったのではないかという裏話もある。

BEATLESの「BABY,YOU ARE A RICHMAN」ではオーボエで参加。アラビア風なサウンドを出している。

現在のスタジオミュージシャンレベルとはいかないまでも1960年代には凄いことだろう。
しかしブライアンはブルースがやりたいというのが一番の希望で1960年頃にはシカゴブルースのエルモア・ジェイムス風のボトルネック・スライドギターをマスターしていた。そんなイギリス人はまずいなかった頃だ。

そしてなんといっても素晴らしいのはブルースハープ(ブルースハーモニカ)で、これは初期のストーンズからひとつの売りになっていることは確か。

ストーンズはブルースのカバーバンドでスタートしたのにミック&キースのソングライティングが成功して、大メジャーバンドになっていく。そこでの成功にブライアンは恩恵をうけつつも自分自身のバンド内での位置はどんどん下がっていく、そしてブルースからも外れていくので、でもそういう楽曲では様々な楽器をプレイするアイデアを持ち込み・・・という矛盾にみちつつ、プライベートでも破綻していく。

本当に謎にみちているBrian Jonesの音楽人生。その頃は雑誌などのロングインタビューみたいな特集もないし、ブラインの本音が聞けないままあっちへ旅立ってしまった。また当時はメインヴォーカリストでもないのにソロ活動というのはあまり考えにくい時代だった。誰かいいパートナーなり奥さんがいればストーンズやめても健康をとりもどして音楽を続けられたのではないかとも思う。




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