2012年10月

2012年10月31日

0e7060ba.jpg来週からの2回に渡っての作曲講座が近づいて来ました。再度お知らせ致します!

11月のMPJに於いての作曲講座。
MPJこちらでの周防義和映像音楽作曲編曲講座が11月8日と28日(2回でワンセット)に開かれます。
今回も映画ドラマ音楽の解説分析をスコア、音源を使って行いたいと思っています。
映画音楽作曲の具体的なプロセスを学びたい方や、一般的な知識として映画の裏側を垣間見たい方などなど、お集まり下さい!
作曲系の方には課題を出しますので是非チャレンジして下さい。

第一回講座 11月8日(木)19時30分より約2時間半程の講義的な講座
      場所:MPJ (山手線大塚駅徒歩5分弱)


第ニ回講座 11月28日(水)19時30分より約2時間半程
             参加者の作曲発表とそのコメント等の講座
      場所:MPJ (山手線大塚駅徒歩5分弱)

詳しくはMPJのhpこちらで告知されますので、参照して下さい。

私、周防義和が最近音楽担当した映画「終の信託」の話題もあります!


写真は音響ハウススタジオで、左から周防正行監督、種ともこ、周防義和。
4月に行われた映画「終の信託」のレコーディング中のショット。


(22:57)

2012年10月27日

c765c130.jpg映画「終の信託」が東京国際映画祭で招待作品となり24日会場の六本木ヒルズ東宝シネマズで上映された。
写真はその時のフォトセッション。

写真左から周防義和、種ともこ、草刈民代、役所広司、周防正行監督。

まず周防正行監督、役所広司さん、草刈民代さんの舞台挨拶。そして特別ゲストで私周防義和と種ともこがステージへ。そしてエンディング曲「遠く、そして近く」をライヴした。
六本木ヒルズ東宝シネマズのスクリーン7は横に長い大きな会場。満員のお客さんの中でのありがたいライヴとなった。
映画は今日27日から東宝系で上映される。

こちら

で見れます。

(01:26)

2012年10月16日

7f3db95b.jpg写真はBLUESの最高峰のひとりRobert Johnsonのアルバム「Complete Recordings」(The Centennial Collections)のジャケット。
このブログでももう何度も特集(2009年2月〜3月に3回特集)したブルースマンなので紹介もかぶってしまうが、やはりロバート・ジョンソンなしにはその後のブルースやロックの隆盛はなかったし、1930年代にすでにこういう歌い方、ブルースのギター弾き語りの完成形を見る上で欠かせない人、というところだ。
昨年2011年はロバート・ジョンソン生誕100周年だったので記念してリマスターされたシリーズだ。
勿論これを一般の方々にお薦めする気はゼンゼ〜ンありません。コアすぎるでしょうね。

ロバート・ジョンソンは2006年にグラミー賞特別功労賞を受けた。1930年当時、ちゃんとした!?白人社会からは悪魔の音楽と呼ばれ、レコードもレイス・ミュージックと呼ばれ強烈な人種差別されていたものが時代変わると・・・今やロバート・ジョンソンはブルースのカリスマ以外の何物でもない。

最近ロバート・ジョンソンのヴィデオ・クリップができている。アニメでユーモラスだ。
こちら

一般には昔のプリミティヴな音楽、ととられるかもしれないが、ここに詰まっているエッセンスのすべてが今に問題なく繋がる凄いセンスを感じる。そして後のミュージシャンが膨らまし現在のまでのブルース、ロック、ロックンロール、R&Bなどに拡がった。


ロバート・ジョンソンは1911年ミシシッピ州のヘイゼルハーストで生まれ、最初は下手くそと言われたが2年間の放浪後見違えるほどの技術を得たところからクロスロード伝説に繋がる。
ミシシッピやテキサス、メンフィスなど中心に演奏活動していたが、その後はシカゴ、ニューヨークまで旅している。
レコーディングは1936年にテキサスのサンアントニオと1937年のダラスで、この2回だけ。ホテルの一室でダイレクトにレコード盤に録音する方式(当時テープはない)で29曲を残しそれらがほとんど現在までにブルースのスタンダードになっている。「テラプレイン・ブルース」は当時ヒットして全国的にも有名になった。1938年グリーンウッドのライヴハウス(ジューク・ジョイントと呼ばれるプランテーション内の芸能小屋)で出演後、そこのオーナーの妻といい仲になり、激怒したその夫からウィスキーに毒をもられて1週間後くらいに亡くなった。
1938年というと、全く関係はないが1年前の1937年にフランスではモーリス・ラヴェルが亡くなっている。
バルトークなんかが代表作をばんばん作曲してたのもこの時代だろう。
日本では満州でソ連と紛争を起こしている、第二次世界大戦に向かう時代だ。

ロバート・ジョンソンは背は小さいながらハンサムでどこにいってもモテモテのミュージシャンだったとのこと。10代の頃の最初の16歳の妻は出産と同時に子供とともに死んでしまっている。
ウィスキーが好きで女性関係もその後いろいろあり3度ほど結婚している。

深夜にふと現れる悪魔と契約しギターの技術を得るというクロスロード伝説で有名なルート61と49のクロスするのはクラークスデイルという町で、ミシシッピ州。
このデルタ地帯でブルースが生まれた為に1930年代までの初期のブルースをデルタ・ブルースといい、その後産業の中心が農業から工業になり、人の流れ経済の中心が北部デトロイト、シカゴといった大都市に移ると、ブルースマンも都市に移りアーバン・ブルースに発展、ミシシッピデルタ・ブルースと区別する。
またエレキギターの発明により1940〜50年代にシカゴ・ブルースというアーバン・ブルースのカテゴリーができる。

ミシシッピ生まれのマディ・ウォーターズはロバート・ジョンソンらのブルースをシカゴでエレクトリック化し、シカゴ・ブルースを作ったと言われている。

僕は1970年頃リリースされた「キング・オブ・デルタブルース・シンガーズ」のシリーズでロバート・ジョンソンのアナログアルバムを持っていて、いつもそれを聴いていたが、アナログプレイヤーで聴くのも面倒な暮らし(単にオーディオの並べ方の問題?アナログプレイヤー置くところがない!)になってしまったので、今回このCDを買ってしまった。

アナログ盤ではレコードに針を落とした時のノイズやら、ヒスノイズ等ちょっと向こうのほうから聴こえる声やギターがいかにも年代を感じさせたが、デジタル・リマスターによってとてもクリアな音質になった。
それはそれで賛否両論あるが、前はガット弦のギターに近い音色だったのが、ここではスティール弦のアコースティック・ギターであることが鮮明にわかる。声も俄然リアル感がある。

最も影響受けたアーティストはエリック・クラプトンだろうか。彼はロバート・ジョンソンのブルースだけのアルバムを出している。「彼ほど深く魂に訴えるアーティストを他に知らない」というコメント。
ボブ・ディランも影響受けており初めて聴いたときは「鳥肌がたった」とのこと。ローリング・ストーンズのキース・リチャーズも「ブルースがどんなにいいものか知りたいだろ。だったらこれだよ」というコメント。シェリル・クロウも長い文をライナーノーツに寄せている。ジミー・ペイジ、サンタナ、ジョー・ペリー、ジョン・メレンキャンプも賛辞のコメントを寄せている。

ロバート・ジョンソン研究も綿密に行われているようで、1930年当時のアメリカ合衆国の国勢調査などの資料も材料になっている。

このCDによってロバート・ジョンソンの残した全29曲と、別テイクなどすべてが網羅されている。
ギターでのブギウギ風なしっかりした伴奏、時にボトルネックでのスライド奏法、オブリガートをしつつの歌唱と、勿論当時は全て弾き語りでいっさいダビングないわけだから、若き25歳のロバート・ジョンソンは相当完成したミュージシャンと言えよう。

また完全にすべてがブルージーということではなく、カントリー調や声質を変えて歌ったり、スウィング風の少し白人的な歌唱など、ブルースマンではあるが、それ以前に音楽家としての能力が高い人だったことが伺える。
それでもブルースにこだわり数奇な人生を27歳で終え、本人の知ることもなく、後にこんなに自分の音楽が世界中で絶えず聴かれ影響を与えているなんて・・・天国でもブルースとウィスキーと女なのなかあ。



(20:20)

2012年10月14日

bc1f03b9.jpg11月のMPJに於いての作曲講座のお知らせです。MPJこちらでの周防義和映像音楽作曲編曲講座が11月8日と28日(2回でワンセット)に開かれます。
今回も映画ドラマ音楽の解説分析をスコア、音源を使って行いたいと思っています。
映画音楽作曲の具体的なプロセスを学びたい方や、一般的な知識として映画の裏側を垣間見たい方などなど、お集まり下さい!
作曲系の方には課題を出しますので是非チャレンジして下さい。

第一回講座 11月8日(木)19時30分より約2時間半程の講義的な講座
      場所:MPJ (山手線大塚駅徒歩5分弱)


第ニ回講座 11月28日(水)19時30分より約2時間半程
             参加者の作曲発表とそのコメント等の講座
      場所:MPJ (山手線大塚駅徒歩5分弱)

詳しくはMPJのhpこちらで告知されますので、参照して下さい。

私、周防義和が最近音楽担当した映画「終の信託」の話題もしましょう!


(00:37)

2012年10月09日

24588418.jpg弁護士で小説家の朔 立木(さくたつき)の原作を映画化した、「終の信託」(監督脚本:周防正行)の公開(東宝系)が10月27日からだ。


私周防義和はその音楽を担当、劇中音楽(いわゆる劇伴)とともにエンディング主題歌も作曲。エンディング曲はシンガーソングライターの種ともこ作詞&歌で「遠く、そして近く」でスローで大人のポップ曲。

昨年夏、いとこであり映画監督の周防正行が軽井沢のうちを訪れた時に、この作品の音楽担当を依頼され、まず
朔 立木さんの原作は一気に読める凄い小説だった。その後映画化にあたっての脚本を読んで準備に入った。また劇中ではプッチーニのオペラ曲「O Mio Babbino Caro(私のお父さん)」が重要な音楽として機能する。それは原作からすでにある楽曲。
また山田耕筰作曲の「新子守謡」もセリフの一部として歌われるので、撮影用のガイドを準備したりした。

その後、クランクインすると11月に九州小倉のロケ現場を訪れた。
ロケでは役所さんの真に迫る演技をナマで見ることができた。草刈さんの集中力も凄くて安易に話しかけることもできない感じ。
クランクアップ後の12月末には第1回のラッシュ映像が繋がり、それを見て劇中音楽の入れるシーンなどを考える作業、そしてエンディング主題歌の作曲にも入った。
数度のラッシュ映像で次第に編集が固まり3時間あったラッシュが完成に向けて2時間20数分くらいにまで絞られてきた。劇中音楽の作曲も佳境に入り、また主題歌の歌唱者であり作詞も依頼する種ともこさんとのやりとりもしつつ、そして「O Mio Babbino Caro(私のお父さん)」のアレンジにも着手。4月にレコーディングそして映像と音響、音楽のミックスするダビングが6日間にわたって行われ、4月下旬に仕上げ作業は終わった。

サウンドトラックアルバム(発売元:ウルトラ・ヴァイヴ 価格:2100円)は10月10日にリリース。
こちらには劇中で3人の俳優がそれぞれセリフで歌った「新子守謡」を、主役の草刈民代にあらためて音楽としてレコーディングしなおしした。そのための新たなサントラ用のアレンジを6月に行った。

映画の内容は終末医療や検事の取り調べという大変重いテーマ。
主なキャストは草刈民代、役所広司、大沢たかお、浅野忠信。
監督の言葉を借りれば、終末医療や検事の取り調べといっても社会派とかサスペンスではない、と言う。
主人公の女医(草刈民代)と患者(役所広司)との人間としての繋がり、愛、信頼といった人間ドラマだと思う。
音楽はそのリアルなドラマをフォローするために著しく盛り上がったりせず、また善と悪といった図式にならないために、さりげなくつける、といった趣きだろうか。音楽で物語を説明しないような感じにしている。
プッチーニの楽曲で主人公が癒されるのが音楽では一番の聴かせどころなので、あとはセリフのバックで気にならない音楽をつくることが劇伴担当者としては大事なことだった。これこそは実はけっこう難しいプロの技術でもある。そこではフォワードではなくディフェンダーのような役割をもつことが大切かもしれない。
とにかくこの見応えある物語、映像を充分に身体に染みこまれることになると思うデス!
気軽ではない大人の話しです。2時間半の深い話しです。


10.27の公開に先立ち、東京国際映画祭での特別上映が行われる。
日時:10月24日(水曜日)
場所:TOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン7
13時30分:監督、メインキャストの方々の舞台挨拶

ここでは主題歌「遠く、そして近く」のライヴ演奏(歌唱)が行われる予定で種ともこと私も出演予定。




(22:36)

2012年10月08日

e57dd7de.jpg音楽の歴史の中でもこんな革新的な人はいない真の天才作曲家クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy1862-1918)の生誕150周年を記念して「ドビュッシー、音楽と美術」と題された展覧会が東京日本橋のブリジストン美術館で開かれている。(10月14日まで)
日曜日だったので多くの人で混雑していた。
ドビュッシーって日本ではそんなに理解されてるミーハー人気の作曲家ではないので・・・なんて思ってたら、いっぱい人がいて驚いた。「ディアギレフが、ニジンスキーが、ボオドレエルが・・」なんて話しながら展示を見ている方もいて、アートな雰囲気だなあ、なんて。
絵画や彫刻だけでなく、ドビュッシー自筆のスコア譜面や「火の鳥」で衝撃デビューした直後のストラヴィンスキーとの2ショット写真、エリック・サティとの写真など、貴重な展示にワクワクした。いやいやすげえ!

作曲家の展覧会が美術館で開かれているというのも、絵画など美術をこよなく愛し互いに影響受けあったドビュッシーならではだ。
当時のフランス美術、ドガ、ゴーギャン、マルセル・パシェ(ドビュッシーといえばこの絵というほど有名な肖像画を描いた)、モーリス・ドニ、アンドレ・ジッド、ルノワール、モネ、マネ。彫刻ではカミーユ・クローデル、ロダンなどたくさんの絵画彫刻、美術作品が展示された。
また日本、中国など東洋趣味だったドビュッシーなので、北斎や広重の絵も。

それで、上の写真の葛飾北斎の富嶽36景・神奈川沖浪裏(1834−34)というわけだ。
ドビュッシーの代表作、交響詩「海」が出版された1905年当時の表紙にはこの北斎の富嶽36景・神奈川沖浪裏の絵の大きな波部分を切り取ったカタチの絵が載せられた。今で言うならアルバムジャケットに日本の絵が使用された・・みたいなことだ。
ドビュッシーは日本画を数点所有していたそうだ。そんな日本画をバックにストラヴィンスキーと撮られた1910年の写真には感動ものだ。1910年パリ、といったらストラヴィンスキーがディアギレフのロシアバレエ団で「火の鳥」を初演した年だ。

ドビュッシーは大衆受けするような感動へ向かう情緒的なメロディで盛り上がったりするような曲がないので
一般人にはあまり理解されていない。音楽の色彩感覚やリズムにコンセプトを見出し、それまでの音楽の語法、科学的な終止形へのフォームを全く使用しないでも美しくアンサンブルされ、全く異なる価値観の音楽を作ってしまった。通常的なメロディには興味がなくなっていったらしい。
まあ一般的に理解されなくて良いデス。「亜麻色の髪の乙女」「月の光」どまりでしょうね。(この2曲は最近CMで使用されている)あと「牧神の・・」あたりまでかな。

やはり管弦楽曲の「夜想曲」「海」は絶対聴きたい。ピアノ曲の「前奏曲集」などのぶっとんだ発想は凄い。
「ゴリウォーグのケークウォーク」ではラグタイムを取り入れている。
音楽に革命をもたらしたけど、アヴァンギャルドまではいっていない、ある種の枠はキープしているような。
やっぱりその辺がフランス人なのか。おしゃれで基本的には音楽で説教しようなんていう感じがない。ドイツ系とはその辺が異なる。
でもドビュッシーがここまで壊してくれたので、その後ストラヴィンスキーが、そしてシェーンベルクの12音技法から現代音楽の扉が開かれる。

ドビュッシーは生まれは貧しく、オバさんの家で育てられ音楽教育を受けたところから才能が一気に芽生えたらしい。3回くらい結婚しているが女性2人自殺に追い込んでいる。薔薇十字、音楽以外の美術文学の芸術運動ともシンクロしていた。ラベルやサティとの交流もあった。

僕は確か18歳頃にFMの早朝番組でドビュッシーを全曲オンエアというのが何日も特集され、それまで詳しく知らなかったドビュッシーの音楽がすごい好きになった。
メロディの解決の仕方がそれまで聞いたクラシックの気持ち悪い感じでなく、ロック風だったので驚いたのを覚えている。
子供の頃から聞いてたクラシック音楽は素晴らしいし、技術の高い音楽だけど、なんか気持ち悪いいい子ぶりっ子的なところが肌に合わなかったが、ドビュッシーでそれが払拭され、普通に違和感ないフィーリングのクラシックがあることを知った。
素晴らしい音楽ではあるがモーツアルトやベートーベンの3和音の異常な感じが気分悪かったのがドビュッシー、そしてその後聴くようになるストラヴィンスキー、バルトーク、ラベルなどにはなく普通に現代の感覚だなと思った。
3和音ていうのは後で創りだした人工美なので、それが今や音楽のグローバル・スタンダードになっているが、本来のプリミティヴな感覚がまだどこかに残っているのをドビュッシーやストラヴィンスキーは復活させてくれてそれを和声でいえば「音がぶつかる」的なところにいったのではないか。
ロックのギターを歪ませるのも3和音が別の倍音の響きの効果で譜面上の3和音ではないので、和めるということだ。

ドビュッシーがいなければストラヴィンスキーも武満さんも影響受けなかっただろう。
作曲系の音楽の友人と出会うと「やっぱりドビュッシーだよねえ」なんていう会話を必ずするくらい僕の周りでもセンスの合うひとは皆ドビュッシーで繋がれている。
ある僕の作曲講座に来てくれた2人がこんな会話をしていた。「なんで周防義和氏の講座に来たの?・・・周防のHPにマイルスが好きとかキング・クリムゾンが好きに混じってドビュッシーが好き、っていうのがあったから・・・そうなんだよねえ」

僕はクラシック系の人間ではないが、まあでも音楽なってる時はクラシックもロックもジャズも本来関係ない。
ドビュッシーはガムランやラグタイムなど世界の音楽の影響を受けて作曲した。
印象派という呼ばれモネのスイレンの絵画が必ず一緒に関連づけられるが、ドビュッシー本人はモローなど神秘系の絵画が好みだったり必ずしも美術の印象派とシンクロするのは間違いのようだ。
若き日に批評された内容に印象派ということが使用されていたことから始まるらしい。
その批評では「ドビュッシーは小さな罪は犯していないが・・・色彩に対する感覚が強すぎてデッサンを怠っている・・・」みたいに保守側から批判されたわけだ。やはり今までにない価値観はまだ、ついて行くことができず、こういう風にたたかれたのでしょうね。

軽井沢の隣町の佐久市のコスモホールでもドビュッシーの直筆スコアがロビーに展示されたので、初日の11時頃行きましたが、こちらは別のイベントの列がそのドビュッシーのスコアの辺りまで来ていて僕を含めて3人見ているだけで、列の誰もが無視していました。いいんです、これで。僕はドビュッシー好きですから!










(00:47)

2012年10月07日

98c4a8f2.jpg写真は名古屋学芸大学メディア造形学部での講義風景。右が私周防義和。

この日はNHKの様々な番組でサウンド・デザイン(音響デザイン)担当で大活躍されている小野寺茂樹氏を迎えての特別講義。写真の左側が小野寺さん。
小野寺さんとは2010年のNHKドラマ「続・遠野物語」で一緒にお仕事した。
サウンド・デザインというのはドラマなどでの音関係すべてを統括する職種で、作曲家への音楽のディレクション、プロデュース的なことから、SE(sound effect=効果音)、撮影時の状況音からセリフ、ナレーションのミックス、作り込みなど、仕上げ作業であるMA時にイニシアティヴをとって作業するわけだ。

小野寺さんの講義はとても論理的にわかりやすく整理されていて、技術的なこと、オーディオレコーディングされたNUENDOというドイツのソフトを使用しての解説から、この業界、テレビ業界、またクライアントとそれにお答えしつつある種の表現をしていくという、パースナルな「芸術」と異なるテレビ表現、そのクリエーター論、メディア論、またそういう表現形態へのクリエーターになる心得のようなことも解説していただき濃い内容だったと思う。
また「続・遠野物語」の題材では私も絡んでの解説をした。
その中の森での雨のシーンでは実際は雨降っていないロケーションで、小野寺さんは5種類の雨の音をミックス、その5種類の内容の説明もほんとうに驚くほど、綿密で細かい作業をしていることが知れた。

コンピュータ、ハードディスク機材の発達により今後は映画やテレビ・ドラマ、番組などはこのサウンド・デザインというスタッフ。そういう部門の重要性が増していくことは必至だと思う。
サウンド・デザイナーを志す人も多くなると思う。聴講した100人超の学生たちは、その具体的な作業内容を知ることができたのも貴重だったはずだ。
普段なにげなく見ているテレビの音響も実はこんなに細部に渡って細かく作られていることを知ったら驚くと思う。


(00:57)