Musician

2014年12月07日

e528adc3.jpgSax奏者のBobby Keysが亡くなった。ボビー・キーズといったらなんて言ってもRollingStonesファミリーとして数々のレコーディング、ツアーサポートをこなした重要メンバーと言える。ボビーはミックやキースと同じ70歳、特にキース・リチャーズと仲が良く、キースと同じ誕生日の12月18日を迎える少し手前の12月2日に逝った。

1969年のストーンズの『LET IT BLEED』の「Live With me」が最初の出会いの曲だろう。テキサス生まれのボビーは当時デラニー&ボギーに参加していた。ボビーを起用して60年代R&B風のサウンドを狙ったものだったと思う。「Live With me」のサックスでストーンズサウンドが大人っぽいソウルフルなロックを手に入れたと言って良い。
そして1971年の『STICKY FINGERS』のストーンズにとっても超代表曲のひとつ「Brown Sugar」でのサックスソロは伝説的なロックサックスとしての名演になった。僕は当時高校生だったが渋谷の輸入盤レコード店「CISICO」 でこれを聴き「こんなサックス今まで聴いたことないな」という衝撃を感じた。
今では当たり前かもしれないが先駆的だった。
この「Brown Sugar」でのサックスソロはもう曲の一部、主メロディの一部と化していると言っていいだろう。ツアーでもこの曲のこのサックスソロのこのメロディをファンは皆歌えるほどカラダに染み込んでいる。
今年3月のストーンズ東京公演でもこの「Brown Sugar」のボビーのソロを聴いているがそれが最後となってしまったことになる。

同じ『STICKY FINGERS』の「Can’t You Hear Me Knocking」では本来前半部分だけだったのが後半のジャム・セッション風のところでボビーが「オレにひとくさり吹かしてくれ」と言い出して、そのソロが良くてああいった構成の、それまでのストーンズにない楽曲として完成したらしい。

1972年のロック史上の名作に数えられているストーンズ『EXILE ON MAIN STREET』の「Sweet Virginia」でのボビーのソロが素晴らしい。勿論これもまずストーンズ調カントリーのリラックスした、でいてアーシーな曲自体がコアなファンには絶大な評価をされているがボビーのソロは溶け込むようにブレンドしている。


ボビー・キーズのサックスというのは例えばジャズ側から見たら下手くそかもしれないが、それは技巧指向の狭い見方であると言えよう。ボビーのソロを聴いていると、ジャズ系のサックスには必ずあるスケールを吹きまくるような奏法が一度もないことだ。歌うソロ、歌心がないとフレーズを組み立てられないソロ、渋いブルース・ギターやエリック・ゲイルのギターの無駄な音を入れないpenta-tonicだけで押し通すような、でもグルーヴを考えた・・・それがボビーのソロだ。

1973年頃にドラッグやアルコールが酷くて(こんなことストーンズ側から言われてもねえ・・・最もミックは仕事はメチャしっかりやる人ではあるので)ストーンズファミリーから外されて、ジャガーはクインシー・ジョーンズに推薦されたアーニー・ワッツをツアーに参加させた。ライヴドキュメント映画『LET’S SPEND THE NIGHT TOGETHER』でアーニー・ワッツのストーンズとのコラボが聴けるが、そしてアーニー・ワッツはとても上手いし、ジャズ・フュージョンでのキャリアのある実力者だ。しかしなにか違う。ロックって音数じゃないし、複雑なスケールということでもなく、なにかそこにロックの奥深さがあることがわかる。

ところで、「上手い」っていう言葉は時にキケンだ。うまい人って感性はなにかに任せていて技術が優れているタイプだったりすることが多い。最初に切り開いた人は決して上手くはなくて・・でも感性が良くて、新たな価値観を作っている、みたいなことが歴史的には多い。

ボビーと仲の良いキース・リチャーズがミックに内緒でボビー・キーズをストーンズのツアーに戻す。それはキースが段取りを考え、ミックに知らせないでリハにボビーをスタンバイした。そしてそのソロを聴いたミックは「反論する余地がないな」とボビーのストーンズツアーへの復活を認めたという。しかし、ボビーは15年くらいストーンズから干されてた。ストーンズってやっぱりミックさんの仕切り、相当厳しいんですねえ。

ボビー・キーズ!天国でもジャムってるんでしょうね。

写真はボビーの代表的な名演が聴ける「Brown Sugar」が収録されてるROLLING STOENSのアルバム『STICKY FINGERS』。ちなみにジャケットのアート・ディレクションはアンディ・ウォーホル。あの有名なベロのロゴマーク誕生の伝説的なアルバムだ。




(20:10)

2014年03月08日

6613a1b0.jpgROLLING STONESがやってきた。
ミック・ジャガーとキース・リチャーズは70歳、チャーリー・ワッツは72歳、ロン・ウッドは66歳。
ジジイのロックだ。しかしミックのパフォーマンス、体型はとても70には見えないし、身体の動きも10〜20年前と大してかわっていない。朝は6時に起き毎日10キロ以上走り、夜も11時には寝るとのことらしい。
ストーンズの場合、一般には酒と女とドラッグとかの不良イメージばかりが目につくがミックは父が体育学の先生で厳しい家庭に育ちロンドン経済大学の特待生だった賢く運動神経も良い人なので、身体を鍛えたりストーンズのビジネス面まで自らイニシアティブをとるということができたのかもしれない。
ミックと同じロンドン南東ダートフォード生まれのキースはボーイソプラノで活躍した少年時代がある。
キースの女性スキャンダルはあまりなくパティ・ハンセンとも結婚30年をむかえた。
他のロッカーや映画スターと大して変わらないスキャンダルでもストーンズの場合はすぐ不良だのなんだのということになる。ミックやキースもそのマスコミイメージのミック、キース役を扮するか、っていうこともあるんだ、と言ってたりする。
ミック、キース、ロンの顔のシワもドラッグからくるものとか、になってしまうが駐日米大使のキャロライン・ケネディ氏も50代ながら凄いシワ、どう説明すんのかな。ストーンズの場合なんでもかんでもワルに結びつけるのがメディアっていう感じ。
そのキャロライン氏、どうでもいいが安倍首相も6日の東京ドームに来ていたとのこと。

そんなストーンズの東京ドーム公演、僕も4日6日の2回観に行った。
ポリス(この時は音がひどく、もう東京ドームにはこないと思ったが、来ちゃった)を見に行って以来数年振りの東京ドーム、開演直前には満杯、5万3千人が入ったらしい。
僕が住んでる軽井沢町が人口1万9千人なので、その2倍以上の人々が同じ場所に集まったということだ。
5万3千人の聴衆がミックにうながされ一緒にコーラスをする時の凄さはちょっと言葉で表現できない。

20年前の1990年代のアメリカのショービズのニュースを見ると「ローリング・ストーンズがツアーを開始しましたが皆50代にさしかかり、これが最後のツアーと言われています」なんていうことを言われていたのを思い出す。それから20年、いまだに現役バリバリでワールド・ツアーしてるのが凄い。

6日のミック・ジャガーは日本最後の公演ということか、凄い絶好調で「You can't always
get what you want」が終わってもまだノリノリでキーボードのチャック・リベールに
come on,come on,とカウントしてまたコーダ部の演奏を引き出したり、上着が脱ぎかけながらの
だらだらしたパフォーマンスで、あまりミックっぽくないんだけど、いかにノッてるかっていうのが
わかった。
ミックって責任感強いから客を楽しませようとして、自分がリラックスして歌っているのかなって
、ファンとしては思う時があるんだけど、今回は楽しんでたかな、ていう瞬間がある。

「Midnight Rambler」のリズムチェンジ、ルバ−ト、客とのコール&レスポンスは4日、6日で微妙に
異なり、ミックが客の反応で替えてアドリブでひっぱているのが楽しめた。
この曲では1969年から1974年頃までメンバーだったミック・テイラーもスペシャルゲストで参加して素晴らしいテクニックのブルース・ギターのソロを聴かせた。
テイラーは昔は微動だにしないで弾くスタイルだったが現在はミック・ジャガーと一緒に動いたりずいぶん陽気な雰囲気になった。本人もメチャ楽しそうに演奏している。
ジャガーのブルース・ハープとのやりあいは見ものだった。
キースは全体的に絶好調という感じではなく珍しく慎重な表情でしたね。
まあそのくらいのほうが暴走しなくていいかも。

「Miss You」ではファルセットの難しいリフを観客にも歌わせ盛り上がった。
ここではベースのダリル・ジョーンズにソロの場面を与えた。

サポートのメンバーも90年代初めから固まったメンバーだし、
ファミリー的な雰囲気でよかった。みんなコーラスするし。
女性コーラスのリサ・フィッシャーなどを描いた、「バックコーラスの歌姫たち」という
ドキュメント映画がアカデミー賞の長編ドキュメンタリー部門で受賞したらしい。
これは業界の裏を描いてるから面白そう、見てみたい。
ミックもリサを紹介するときに祝福したみたいです。
リサをフィーチャした曲「Gimmie Shelter」もスケール感のある名曲で、せりだしたステージに先にリサに行かせてソロで歌い出すと大歓声でした。リサのアドリブの高音域は凄かったです。
リサ・フィッシャーはコーラス参加ですが、以前にグラミーの最優秀R&Bヴォーカルを受賞してるソロキャリアでも実力のあるシンガーです。
もうひとりのコーラス、バーナード。ファウラーもハービー・ハンコックのバンドでも有名だが、ドラムのチャーリー・ワッツのジャズアルバムでジャズ・ヴォーカルを聴かせているとのこと。

6日の日本最後の公演にはサプライズゲストでギタリストの布袋寅泰が1曲参加、場内がどよめいた。
テレキャスの音質がちょっときんきんしてたのが残念だったが、ミックと1つのマイクで一緒に歌う場面もあり、
無事コラボを終えた。
ソロ回しはロン、布袋、キースの順番で、キースの時の歓声は普通以上に大きいものでした。キースはギブソンセミアコでシンプルなフレーズですが、太い音質で観客の心をぐっとわしづかみっ、というやつでした。

いやいやこれは凄いことです。
布袋さんの参加は日本人としても嬉しいこともあり・・・ただストーンズというロックを作ったレジェンドなバンドの1つとの共演ということでコアなファンからは否定的な声もあがったり、で微妙なムードではあったことは確か。
でも最後の拍手は温かかった気がします。そういうところは日本人観衆の良き優しさデス。

アンコールの「You can't always get what you want」では洗足学園音楽大学の男女20人くらいの合唱団のコーラスを絡めた。これも「Let It Bleed」のレコード通りを再現した。フレンチホルンをティム・リースが吹いた。当時参加していたアル・クーパーのハモンドのフレーズをチャック・リベールが弾いている。
音大生の合唱の人々、ストーンズのこと自体知らないんじゃないかなあ、なんて思いつつ、でも共演なんてすげえなと。


ストーンズのロック曲はシンプルですが、「Midnight Rambler」「You can't always get what you want」「Gimmie Shelter」「Sympathy For The Devil」などスケール感のある楽曲づくりが良いです。
それは彼らも自分たちの曲を自分たちで作詞作曲するスタイル(「You can't always get what you want」なんかはシンガーソングライター的なアコースティック楽曲)ですが、パーソナルなものだけになりがちなフォークアコースティック系のミュージシャンと異なり、リズムに乗るという大前提、短くて皆で共有できるごきげんなリフがある、コード進行が細かくないなどの理由があると思う。リズムに乗ってみんなでリフレインを楽しむというのはパースナルな世界から肉体的な快楽を共有する世界への導きなので楽しい。
あとはギターミュージックというのはストロークでも成立し、楽しめるので4小節とか8小節コードが変わらなくても成立する作曲が可能ということもある。
またキース・リチャーズはテクニックの凄いギタリストではなくバンドサウンドの核のプレイに徹していること、自らを「マスター・オブ・リフ」と呼びリフづくりのキングだということが、ロックというスタイルを強固なものしている。
テクニックで見せる聴かせるソロだと曲がネタになってしまい、技術的な演奏家の音楽になってしまう恐れがあるが、リフで持たせるのはバンドの核、根幹を築くという意味で重要だ。U2のエッジやポリスのアンディ・サマーズなどはソロで聴かせるのではなく伴奏でバンド・サウンドの構築に重点を置いた演奏で素晴らしい。


「Satisfaction」「Jumping Jack Flash」「Brown Sugar」「Happy」「Start Me Up」「It's Only Rock'n Roll」「Miss You」「Paint It Black」「Honky Tonk Women」「Tambing Dice」等々あまりに美味しいリフのヒット曲が多すぎて書ききれないがシンプルなのによくこれだけの楽曲を生産できたものだ。
「Tambing Dice」はキースが最も納得できてる曲で、アメリカ南部のSwampMusic風なミディアムなロック。
ミックやキースは25歳から30歳くらいの時にほぼベストと呼ばれるアルバムを作った。それらは「BEGGARDS BANQUET」「LET IT BLEED」 「EXILE ON MAIN SYREET」で2人とも自らベストだと言っている。
今考えると20代の若者にしてはずいぶん渋い、いわゆるヒットチャート的でないブルースやロックンロール、アメリカルーツ音楽に根ざした大人な楽曲作りをしている。それでそれがあまりマニアックになっていないポップさがジャガー&リチャーズのソングライティングと言える。

ヒット曲ではないが僕が好きな「Loving Cup」「Sweet Virginia」などのカントリーのストーンズ解釈曲、「Live With Me」のファンキーナンバー、「I Got Blues」のメンフィスとかマッスル・ショールズレコード風R&Bが聴きたかったけどしようがないデシタ。
ミックのパフォーマンスはジェームス・ブラウンの影響を原点にティナ・ターナーの女性のアクションやポーズをそのままやるというアイデアらしいです。
振付があってダンスするソウル、ダンス・ミュージック系とは違って絶えず感じたまま適当にパフォーマンスしてるミックはやはり自由なロック・ミュージックのパフォーマンスです。

4日の日はアコースティックなヒット曲「Angie」(6日は名曲「Ruby Tueday」だった)を演奏した。この曲はちょっと切ないバラードなので、やっぱこういうメロの曲って日本人は好きなんだよね。結局ドライなロックリフよりウェットなメロディっていうのが日本人。僕の世代のビートルズ、ストーンズ、ロック好きとか言っても大半は昭和の歌謡メロが染み付いていて、いい曲を判断する時の基準も泣かせるメロディ・・なんてことが根底にある。別にそれが悪いことではないけど、ロックの価値観というのはそれと異なる原点を持つので、そこを理解しているのだろうか、という疑問がある。


ところで、
僕は6日のコンサート中、ずっと声だしてたし叫んでたので、次の日は喉の調子がダメになってしまいました。
その日はただのガキに戻った感じ。
まあ12歳の時からのファンなので、ミックとキースが未だに現役でかっこいいっていうのが
嬉しいことです。

16時半開場で18時半開演でした。僕は時間が余っていたので17時頃東京ドームに着いてしまったのですが、すでに凄い人・・・とくに場外のグッズ売り場は長蛇の列でそこだけで1時間待ちだったらしいです。
試しに並ぼうとしたら、ドームを4分の1周くらいしているんじゃないかと思うくらいでした。
場内のグッズ売り場のひとつでTシャツ買いましたが、そこは30人待ちくらいで数分で買えました。
とにかくお祭り、ローリング・ストーンズ祭りといった東京ドームでした。
写真は東京ドームの22番ゲート付近の柱に貼られたストーンズのイラスト。

ストーンズ観た次の日、日本ではサムラゴウチのゴーストライター事件の会見があったが、ここで話題にするに価値しない下らない詐欺事件だ。音楽にとって悲しい。クラシックファンの変なヨーロッパアカデミズム指向も考えもんだ。広島、震災絡みで音楽や芸術をすることは慎重にしなくてはならない。
音楽って聴いて好きになってくれたら嬉しいが、「嫌い」と言える選択肢も残して皆さんに提示しなければ不自由だ。広島、震災、原発、反核、チャリティ絡みで、不自由な音楽の提示は本来、音それ自体に意味が無くて素晴らしく楽しい音楽にとって強制的に意味付けをすることになりファシズムの国の歌のように不幸なこと。意味は聴く人それぞれで各々、もし異なってもいいから勝手に感じてくれるのがハッピーなことだと思う。
勿論今回の騒動、あの方はそれ以下だけど。

(11:07)

2012年12月10日

be6f7c5e.jpg講師をしている名古屋学芸大学で今年度も弦楽四重奏レコーディングの授業を行った。
弦楽四重奏の作曲編曲の目的は、クラシックの弦楽四重奏を学ぶというより、勿論基本にはそういうことが絡んではきますが、コンピュータで作曲をする学生達に弦楽四重奏という4人だけ、それもコード楽器はいないので、ダブルストップなど和音を弾かないと4つの音だけで、小節をタテに見た場合ですが、音楽を構築しなければならない。
つまり無駄な音を排して作曲編曲する訓練にもなるのではないか、というのが大きな目的で始めた。
演奏は名古屋在住のヴァイオリニスト水野慎太郎さんがトップのString Quartet。水野さんは最近タンゴ曲をソロで演奏するという画期的な自己名義のソロアルバムを発表したばかりのミュージシャン。

ここでは4つの学生作品と私ともうひとりパーカッショニストであり音楽講師の鈴木先生の作品が演奏、レコーディングされた。
音楽大学ではないが講義を通じて弦楽四重奏を作曲編曲するに至った精鋭4人の学生作品もなかなかの出来栄え、無事レコーディングは終了した。
楽器解説の時間も設けてプレイヤーの方々に弾きつつ楽器の特徴を説明していただいて、有意義な時間だった。

写真はその時のもの。
撮影スタジオでのレコーディングの為、背景、照明が音楽スタジオっぽくないのがまたいいかも。

(11:05)

2012年01月24日

49512b78.jpg写真は特別講師をしている名古屋学芸大学の撮影スタジオでの弦楽四重奏の演奏。
左端が1stViolin は水野慎太郎氏。

僕の授業の一環としてString Quartetの演奏を行った。
演奏曲目は僕の編曲作品(ロック楽曲の編曲)、名古屋学芸大学の佐近田教授の作品、そして周防義和ゼミでの弦楽四重奏作曲コンペティションで選出された学生3作品。

学生達は普段コンピュータ打ち込みでの作曲が殆どの為に、またクラシック系音楽大学ではないために、このような企画での作品演奏はとてもとても新鮮な、また貴重な時間となった。
別に西欧クラシック的な作品を求めているわけではないが、弦楽四重奏での楽器編成を作曲することで、譜面を縦に見たら、その瞬間瞬間は基本的に4つだけの音(奏法的にはダブルストップを使えばもう少し音は使えるが)で音楽を成立させるわけだから、つまりコンピュータ打ち込みなどで大量な音の洪水の中で作曲しているのに比べ、無駄を省いた最小限の音で作曲するという、訓練になり、それは凄く凄く良いことだと思う。
学生達も感激していた。
また次年度も続けたい。

(23:49)

2011年12月24日

95129101.jpg
24日夜、軽井沢は雪が降っていて文字通りのホワイトクリスマスになっちゃってる。ところで・・

キースさんは自伝リリース、の一方でミックさんのほうは新ユニットを立ち上げてアルバムを発表した。
それが写真のアルバム『SUPERHEAVY』でユニット名もSUPERHEAVY。このネーミングは、この集まりを見てダミアン・マーリーがSUPERHEAVY!SUPERHEAVY!とい言っていたからだとか。

プロデュースはミック・ジャガーとデイヴ・ステュワート。デイヴは元ユーリズミックスでミックのソロアルバムのプロデュースや共同でもソングライティングしている仲。また映画音楽でもミックとデイヴは一緒に仕事している。
そしてイギリスの実力派若手女性シンガーのジョス・ストーン。レゲエの神様ボブ・マーリーの息子のダミアン・マーリー、インド映画『ムトゥ・踊るマハラジャ』『スラムドッグ$ミリオネア』で知られる映画音楽作曲家のA.Rラフマーンというとんでもない組み合わせのスーパーユニット。
勿論このメンバーでレギュラーライヴ活動などするとは思えないが、ミック・ジャガーも意外性に満ちた行動に出た。

イチ押しの曲「ミラクル・ワーカー」のヴィデオクリップは、

こちら

hpは
こちら

ダミアン・マーリーのレゲエ風語りからジョス・ストーンのAメロパート、少し展開した辺りでミックの歌。
それぞれの持ち味をだしつつキャッチーなサビへ。豪華な豪華なレゲエ曲だ。ダミアンはオブリガート風に絡んでくる。間奏のViolinはカントリー的ヴォイシングだったり、様々なカラーに彩られている。
音域を合わせたり、大変なんだろうな、なんてつい制作側の立場にたってしまいそうな・・・これだけのメンバー揃ってたら、バランスとるのだけでも難しいところ満載だろう。デイヴ・ステュワートは世界で一番複雑なレコーディングだった、と言う。

しかしヴィデオでも御大ミックは68歳、録った時は67歳だとしても、ピンクレッド風なスーツで身のこなしかたも軽やかに登場。顔のシワは凄いがメチャ元気だ。高い音域からの歌唱はストーンズの時よりも気合い入ってんじゃないの!?と思うくらい。映像でも他のメンバーがリラックスしているのに比べ、ミックは演出が決めにかかった、いわゆる力入った感じがする。まあミック・ジャガーという人は仕事が好き、マジメに前向きに仕事してるなあっていうことも言える。でも60代後半なんだから凄〜い!
他の楽曲でもストーンズではできない雰囲気の曲、特に「ONE DAY ONE NIGHT」などは新鮮だし、こういうサウンドで歌うということにチャレンジしている、という謙虚なミックさんという気もしてくる。
ジョス・ストーン、ダミアン・マーリーらとの対等なアンサンブルに徹したアルバムづくりとも言える。
ダミアンの声は親爺さんのボブ・マーリーゆずりの独特の、しかし完成されたハスキー。この声の説得力も凄い。
ジョス・ストーンはまだ24だそうだが、ソウルフルでピチピチでいて実力あるシンガーだ。

全体にはレゲエのリズムが多く使用、またエスニック風味も強い。
ジョスが20代、ダミアンが30代、ラフマーンが40代、デイヴが50代、ミックが60代、という世代超えのユニット。「ミラクルワーカー」とは曲名だが、ミックのことじゃないのかと思わせる。









(18:35)

2011年12月18日

8dc5228a.jpg写真はキース・リチャーズの自伝『LIFE』日本語版表紙。1943年生まれのミュージシャン、ソングライター、ギタリストのキースの600ページ超に及ぶ大作。

同じROLLING STONESの盟友ミック・ジャガーとは同い年でロンドンの東の郊外の町ダートフォードの同郷。
ロンドンは行ったことあるがさすがにダートフォードには足を運んでいない。どんなところなんだろうと思っていたが、そんな疑問にも答えてくれるようなキース幼少期の話しも興味深い。
現在のダートフォードにはストーンズのヒット曲の名前のついた通りがいくつもあったり、ミック・ジャガーが建てた子供の音楽教育のミュージックセンターがあったりするようだ。

エリック・クラプトンがやはりロンドンの西の郊外のリプリーと言う町の出身で1945年生まれ。ロック界は同じ頃に同じ地域から有名人を多く生んでいることになる。
そういうイギリスの音楽事情なのだろうか。アメリカの黒人音楽のBLUESが第二次世界大戦の頃生まれたロンドン郊外の若者に影響を与えROCKのムーブメントに発展する。そしてROCKという若者のアイテムがいまだにポップ音楽の普遍的ジャンルになり、ライフスタイルまで影響を及ぼした。それはキースみたいな人たちがロックっちゅうものを作ってしまったからにほかならない。

キースはドラッグ、アルコール、女(このことに関してはそんなにひどくはない感じ)・・・というイメージの「不良」というレッテルが一番ポピュラーなイメージだが、子供の頃は背が小さかった為に、いじめられっ子でとにかく学校から帰ることがキースにとって最大の難事だったと書いている。いじめからどう逃れるか必死だったというくだりがほほ笑ましい。
その後ボーイスカウトに入り早く出世?してリーダーになったり、学校のコーラス隊ではボーイソプラノで大活躍したが、変声期で声が変わると指導の先生が急に冷たくなりちょっとグレたとか。

故郷ダートフォードではミック・ジャガーの家は、中流上くらいのいい家庭の生まれだったらしいがキースの家はそこまではよくないが家は明るい家庭で音楽がいつも流れていたらしい。
リプリー生まれのクラプトンは更に相当恵まれない生い立ち。ジョン・レノンに近いような悲惨なくらいなのに比べてストーンズのキース(最終学歴はロンドンぼシドカップ・アートスクール中退)、ミック(ロンドン大学では奨学金を得ていた優秀なインテリ学生で運動神経も抜群)、ブライアン・ジョーンズ(父親がGMの航空エンジニアで母親はピアノ教師、妹はクラシックのピアニスト、本人も知能指数が130超という頭脳の持ち主、出身はウェールズのチェルトナム)は皆ひどい育ちではない。
しかし1960年代、ビートルズは「良い子」でストーンズは「悪い子」というイメージで売った。ビートルズはリバプールという地方都市出身で綺麗なメロディもあり大衆受けしたが、ストーンズはロンドン系で黒っぽいリフの音楽でスノッブとも言えた。この比較も面白い。

キースの両親は子供の時離婚しているが、それは母親に新しい恋人ができてしまったからだとか。
初めてエレキギターを手に入れたが1950年代末くらいではまだアンプは超高価なもので買えず、ラジオを改良し、ハンダ付けなど自分で工夫してアンプ代わりにしたとのこと。ちなみにキースの父は電気技師。
ROLLING STONESが大メジャーになった1980年代には長い間不仲で会っていなかった父と再会、それも仲間のロン・ウッドに仲介を頼んで、というのこと。そしてストーンズのエレクトリック関係のメンテの仕事に就くという記事も見かけた。



ストーンズファンで、また作曲家という自分の立場で読むとキースも作曲家という面が一番、という気になる。一般にはギタリスト、しかしそれは、いわゆるうまいプレイヤーというわけではないのでプレイヤーの方々にはあまり興味がいかないタイプのキースだが、自分のことを「マスター オブ リフ」と呼んでいることが作家面ということを表している。
8beatのシンプルでごきげんなリフを作り出すカリスマということだ。それをオープンチューニングのギターなどで作曲。ブルース、R&Bに基づいたロックの魂に触れた音楽に忠実なミュージシャンで、そのことは西欧クラシックと逆の価値観になる場合がけっこう多いので、ドレミファソラシドがスタンダードなクラシック系の人には理解できないと思う。8beatのリズムグルーヴの神髄もクラシック系の人に理解することはまず無理だ。クラシック系の人々が嫌えば嫌うほど、こっちの価値は上がるといって良い。

1968年頃にアメリカのミュージシャンからの影響でギターのオープンチューニングをマスターし、ギタリストとしてもそれを活かしたリフを弾くわけだが、同時に作曲面、サウンド面で成長したとのこと。
僕も勿論1968年以後ストーンズは急激に大人のロックバンドになったと評価しているが、やはりキースもすべてはあそこから、と書いている。「SATISFACTION」「PAINT IT BLACK」「RUBY TUESDAY」など1960年代中期に大ヒットをいくつも世に出してはいたが、やはり1968年の「JUMPING JACK FLASH」以後ほんとうにキース、ミックはロックミュージシャンとしてほんものになっていったと思う。

またBEATLESではジョン・レノンとの交流話しもでてくるがポール・マッカートニーとは合わないだろうなと思っていた。ジョンもビートルズ後期はポールのプチブルジョア的メルヘン風ラヴソングに嫌気が来てヨーコの影響もあり、普遍の愛の世界へ進化していった。表面的な甘いメロディの作風はポールは才能あるが、深さではジョンにかなわない。
僕もあまりポールの音楽は聴いていないが、キースによると最近ジャマイカの家のご近所にポールも家があり、アポなしでポールが訪ねてきたとのこと。これにはびっくり!ポールとキースが何話すんだろう。まあでも歳とって、いろいろ話してよかったらしい。そうだなあ、僕もそろそろポールさんの音楽聴こうかな、でもBEATLES時代のだな、やっぱり。「A DAY IN THE LIFE」なんかはいい。

またキースは往年のスタンダード曲「スターダスト」をプライベートでリメイクして自分で歌ったものを、誰かが作曲したホーギー・カーマイケル本人に聴かせたところ、気に入り、キースに電話してきた、というエピソードも驚いた。キースは最初家の使用人から「マイケル?」と聞いてミック・ジャガー(ミックの本名はマイケル・フィリップ・ジャガー)からの電話と思っていたら大作曲家のホーギー・カーマイケルだったので大感激したとのことだ。こんな繋がりあるなんて面白い。

前半ではブライアンを相当厳しく批判、後半はミックを罵倒!特ににミックが王室から称号をもらい『サー・ミック・ジャガー』になったが、そのことには「ミックはばかじゃね〜の」的にこきおろしている。
でいながらミックを褒める時もあり、「着飾らなくてもTシャツとジーンズで小さな会場で歌うミックはほんとうに凄いんだ」と称賛。

この本はアメリカ、イギリス、フランス、カナダではベストセラーで1位を記録し、尚且つ由緒ある賞を受賞したとのこと。受賞するほどのよさは日本語版で読んでるのでわからないが、普通の人々にはありえないLIFEを送っているいることは確かで、それらプライベート、音楽、ドラッグ、アルコール等々をさらけだして書いているところはやっぱり面白い。
ロン・ウッドもドラッグ、酒、女、ロックンロールな自伝出してるがやはりキースの重みにはかなわない。格の違いを感じる。またミックさんのほうは「誰も昔のことになんかいちいち興味持たないだろう?」なんて言って暗に自伝批判をしている感じ。

また紹介したい。


(23:42)

2011年08月13日

9c867c0c.jpg茨城県北部の町、常陸太田市にある市民交流センター、パルティホールのロビーコンサート。tomo the tomoと私周防義和の2人版tomo the tomo carpe diem.
写真はその時のもので市民交流センターの茂又さんから送っていただいた。ずいぶん多くの人々においでいただいた。

今回の震災での被災地に初めて訪れたことになる。マスコミに取り上げられることがあまりないせいか、知られていない場所ではあるが、震災直後はほんとうに空気が重い感じだったらしい。
チャリティライヴを行った建物の玄関の地面は波打っていたし、ホールそのものも使用できないほどの大打撃を与えた。

ライヴは現地出身のミュージシャン菊池美奈子さんの企画で彼女自身もピアニストとして自分のユニットで出演。
無事終えた次の日も茨城県では震度4の地震があった。地震、余震もまだ続くし復興もちょっとづつ進んでいるのだろうか。被災していない我々がなにかできることを続けなければいけないのだろう。

9月には調布でのチャリティライヴがあります!

(00:01)

2011年08月05日

fa8a6f8e.jpg8.3南青山CAYでのライヴにたくさんの皆さんにおこしいただいて大変ありがとうございました。
いつもはゆったりしたテーブルと椅子なのですが、余りに多くの予約があったために前もって背もたれのない椅子にしたため、いつものちょっと優雅なCAYからカジュアルな雰囲気になりましたが、それでも「とてもいい時間をありがとう」という多くの感想をいただき感謝しています。

この日のtomo the tomo carpe diemはいつものレパートリーにROLLING STONESの「Ruby Tuesday」、キャロル・キングの「You've Got A Friend」を加えた。「Ruby Tuesday」は全く和声を変えて新たな、ちょっと悲しい曲にしてしまいました。「You've Got A Friend」は跳ねたリズムで若干ジャジィなコードワークでリラックスした雰囲気にしました。
リハーサル時からいろいろアイデアを出してくれる泉尚也、三沢泉の強力リズム陣、JirafaのKBそしてtomoに絡むコーラスは重要なアンサンブルを醸し出しました。

そして今回の注目すべき演奏はtomo the tomo がアコースティックギターを弾くというもので「Drugstore Girl」 「だってひとりじゃない」で弾き語りました。写真はDrugstore Girl」 でのツインアコギ(photo:森幸長)アコースティックデュオのようなムードです。写真をクリックすると少し大きく見れます。
そして泉尚也フレットレスベースのソロタイムから彼のアルバムから1曲インストナンバーを披露。

また急きょ決まった画家寺門孝之のライヴペインティング。これには皆さんそうとう驚かれたようで、興味津々なプロセスを楽しんだようでした。終わった時、最初の感じからこんな風になるなんて凄い、と言う声が聞こえてきました。

CAYでのゆったりした時間、大人のポップミュージックを提供できたかな、と思っています。
小さな活動ではありますが、続けたいですね。今回は来られた方々の拍手やムードづくりにとても助けられ楽しいステージができたような気がします。

そして明日は震災被災地である常陸太田市のパルティホールでのライヴです。
常陸太田市の方々、待っていてください!


(23:59)

2011年04月15日

01147a23.jpg1ヶ月が過ぎた。現地をナマで見てるわけではないのではがゆいが、まだまだ辛く厳しく大変な時期が続く。
そんな中イギリスのロックバンドMR.BIGがジャパンツアーで盛岡や秋田ででちゃんとライヴするというニュースを聞いた。
すばらしい!ちゃんと東北地方に行ってくれるんだ!!
僕は日本人の代表ではないけれど、ありがとう!と言いたい。
海外での日本製品の風評被害もひどいし、日本にいた外国の方々も相当数日本をあとにした・・・・なんていう昨今だし、この日本ツアーは嬉しい。

そして僕は先日、東京調布で行われた地元ミュージシャンたちの企画による手作り的なライヴ「東日本大震災復興支援チャリティライヴ」に出演した。tomo the tomo carpe diemでのtomoと僕の2人によるアコースティック演奏。場所は2か所で12時から調布パルコ前のストリートパフォーマンス。
あいにくの風と少々雨という最悪コンディデョンの中だった。上の写真(photo:福田和夫)がそうです。
そしてもう1か所が市民会館の中にある小ホールで、こちらはちゃんとした場所(といっても最低限の設備の中ではありますが)でゆったりと演奏できた。ここでtomo the tomo carpe diemとしての東日本大震災の為に作曲した「ねがいひとつ」を初披露した。
そしてここでのtomo the tomo carpe diemアルバム「CARPE DIEM」の売り上げすべてを寄付させていただきました。
下のアドレスでそのライヴの一部が見れます。
曲は「ねがいひとつ」、「静けさの中で」、「CARPE DIEM」です。(3曲とも・・・作詞&歌:tomo the tomo 作曲&guitar: 周防義和)


「ねがいひとつ」は
こちら

「静けさの中で」は
こちら

「CARPE DIEM」
こちら


もうひとつこれは全く別ものですが、僕周防義和のソロパフォーマンスです。
曲は以前シンガーやまがたすみこさんの為に作曲した「教えないで詩人の予言を」(作詞:井上鑑 作曲歌&guitar: 周防義和)です。
アコースティックギター弾き語りの周防義和は生涯初のパフォーマンス!  シンガソングライターになったような気分デス。


「教えないで詩人の予言を」は
こちら

今まだ被災でつらい人々にとって音楽どころではないのかもしれない。いろんなことを考えると自分の無力さを知る。具体的に現地でお手伝いでもすれば、そのほうがいいのかもしれないが、まず音楽家としてのやるべきことをやっておきたい、という気持ちです。


(02:24)

2011年03月01日

e3534900.jpg写真は1960年代中期のROLLING STONES。真ん中で「俺が中心なんだ」なんて言いたげなBrain Jonesがスーツできまっている。
いまでこそストーンズというとミック、キース。最近は「パイレーツオブカリビアン」にジョニー・デップの父親役でキース・リチャーズが俳優したのでキースのメジャー認知度は凄いが、当時はミック派かブライアン派だった。金髪で独特のファッション、VOXのマンドリン風なカタチのギターがよく似合っていて、今でも当時からのファンの人たちがたくさんいる。

Brian Jones が音楽担当した映画『Mord und Totschlag(英題:A Degree Of Murder)』はブートでは手に入るらしい。またその一部のメインタイトル部がネットにアップされていた。やはりブライアンのブルースハープがフィーチャーされている。

ブライアンが死んだのは7月3日だが、その直後にDOORSのヴォーカリストJim Morrisonが追悼の詩を書いている。しかしのそのジム・モリソンも2年後の同じ日に同じ27歳で死ぬことになる。
27歳で死んだロッカーは多く、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリクス、ニルヴァーナがそうで、1930年代にはブライアン、ミック、キースはじめエリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、そしてシカゴブルースの巨人、マディ・ウォーターズなど多くのミュージシャンに影響を与えた戦前のブルースマン、Robert Johnsonが27歳で他界している。19歳の頃、町外れの四辻で悪魔と契約を交わすと最高のブルース弾きになれる、しかしその数年後に死ぬ、というクロスロード伝説で有名な人だ。

またブライアン・ジョーンズのリンダ・ローレンスとの子供はジュリアン・ジョーンズでリンダはその後ドノヴァンと結婚をしている。ドノヴァンのエピソードでは吉田拓郎がドノヴァンのフォークギターの音が凄く気に入り、なんでああいう音がでるのだろう、と加藤和彦に尋ねたら「ギブソンのアコースティックギター」という答えが返ってきたという話がある。そうだ、マーティンの明るいアメリカンな響きに比べ、ブルース的なムードがあるギブソンのアコギはなかなか良い。
ストーンズのミック、キース、ブライアンの3人全員1960年代はギブソンのハミングバードというアコギを使用している。シェリル・クロウも女性でいながら大きなハミングバード使っている。

ブライアンの演奏で好きなのは「PAINT IT BLACK」のシタール。
これはストーンズとしては珍しくマイナーキーの曲だが、このシタールの起用でエキゾチックなムードになり、チャーリィ・ワッツのドラミングもベストと思えるノリのよさがある。1966年頃に初めて聴いた時の衝撃は凄かった。ちゃらちゃらしたポップ感はなく、激しいシャウトと黒っぽいフィーリング、ロマンティックで情緒的な感じが全くなくティーンエイジャーの大人社会への反抗心をあおるには抜群の説得力!、コーダ部ではボレロのリズムを取り入れてかっこよかった。

「UNDER MY THUMB」でのマリンバ。僕が作曲家になりマリンバを多用している2つの理由のひとつが、ブライアンのマリンバだ。ちなみにもうひとつの理由はアフリカ音楽のコギリの影響。
BEATLESにはジョージ・マーチンというアカデミックなオーケストレイションのアイデアを考えるプロデューサーがいたが、ストーンズの音楽アレンジ面のエスニックな色彩感はひとえにブライアンの貢献による。
「UNDER MY THUMB」はR&Bタッチの楽曲をマリンバのリズムによって都会的なお洒落なサウンドになり、ハードなミックのシャウトにドライなマリンバとキースのカッティングがいいアンサンブルになっている。

「LADY JANE」でのダルシマー、チェンバロ(ハープシコード)もこの曲をただのフォークタッチの曲を品格のあるムードに変えている。勿論作曲的にも実は7th系のMixolydian風なので、そこはやはりトラディショナルな伝承曲の宝庫であるイギリスの血だろうか。

アルバム「BETWEEN THE BUTTONS」ではヴァイブで「Yestrday's Papers」にクールなアンサンブルを醸し出してしる。「THEIR SATANIC・・・」ではTrumpet,Trombone,Saxなどをひとりダビングで演奏、ブラスセクションをアレンジしている。
「RUBY TUESDAY」のリコーダーorフルートのアレンジを見るとブライアンという人は相当クラシックのフルートのアイデアをマスターしているとしか思えないフレーズを吹いている。
この曲はキース・リチャーズの作曲でほぼブライアンと一緒に作ったのではないかという裏話もある。

BEATLESの「BABY,YOU ARE A RICHMAN」ではオーボエで参加。アラビア風なサウンドを出している。

現在のスタジオミュージシャンレベルとはいかないまでも1960年代には凄いことだろう。
しかしブライアンはブルースがやりたいというのが一番の希望で1960年頃にはシカゴブルースのエルモア・ジェイムス風のボトルネック・スライドギターをマスターしていた。そんなイギリス人はまずいなかった頃だ。

そしてなんといっても素晴らしいのはブルースハープ(ブルースハーモニカ)で、これは初期のストーンズからひとつの売りになっていることは確か。

ストーンズはブルースのカバーバンドでスタートしたのにミック&キースのソングライティングが成功して、大メジャーバンドになっていく。そこでの成功にブライアンは恩恵をうけつつも自分自身のバンド内での位置はどんどん下がっていく、そしてブルースからも外れていくので、でもそういう楽曲では様々な楽器をプレイするアイデアを持ち込み・・・という矛盾にみちつつ、プライベートでも破綻していく。

本当に謎にみちているBrian Jonesの音楽人生。その頃は雑誌などのロングインタビューみたいな特集もないし、ブラインの本音が聞けないままあっちへ旅立ってしまった。また当時はメインヴォーカリストでもないのにソロ活動というのはあまり考えにくい時代だった。誰かいいパートナーなり奥さんがいればストーンズやめても健康をとりもどして音楽を続けられたのではないかとも思う。




(00:01)

2011年02月28日

074400e7.jpgJAGGERさんの話題のあとは2月28日が誕生日のBRIAN JONES でしょうか。27歳で逝ったブライアン、生きてればこの日69歳になります。
うむむ〜ブライアンも69歳か・・・っていうか1969年、高校1年の夏にブライアン・ジョーンズの訃報を聞いてからずいぶん遠くに来てしまったんだなあ、なんていう気持ちにもなる感じ。

ブライアンの死については数年前の映画化で他殺説を展開し、実際、当時のブライアンの邸宅のリフォーム業者が10年程前に死ぬのだが、その直前の病床の時、自分が殺したことを言っている。2009年に警察が改めて捜査したというニュースも入ってきた。

BRIAN JONESはROLLING STONESの命名者でいて初代リーダーなのに、だんだん存在感をなくし、ミック・ジャガーにリーダーの座を奪われ最後は、ドラッグやアルコールで演奏もままならないやっかいモノになってしまいミック、キース側から首になっている。但しROLLING STONESが続いている限り毎年ちゃんとした金額を支払う約束になっている。
もともとブライアンはウェールズのチェルトナム生まれで航空エンジニアの父とピアノ教師の母の間に生まれ、音楽教育を受けていたので、譜面も読め、高い知能指数の持ち主で様々(ギター、スライドギター、ピアノ、マリンバ、オーボエ、クラリネット、サックス、トランペット、リコーダー、シタール、ダルシマー、ハーモニカ)な楽器を弾き、ストーンズにアレンジ面で多大な貢献をしているが、ドラッグ、女、アルコールに溺れ精神面も弱く、恋人には暴力をふるうというひどい状態。
最後のライヴ姿となる「ROCK'N ROLL CIRCUS」での張りのない表情、さえない手元、ギターの音もブライアンのは聴こえてこないミックスになっていてただただ哀れとしかいいようがない。
ジャン・リュック・ゴダール監督の映画「ワンプラスワン」でSTONESの「SYMAPTHY FOR THE DEVIL」のレコーディング風景が延々と写されているが、そこでも全く廃人のようなブライアンが痛々しい。
ただ1968年のアルバム「BEGGARDS BANQUET」でのスライド・ギターは素晴らしい。

そしてそのBRIAN JONESが映画音楽をてがけ、それが唯一の彼のコンポーザーとしてのソロ作品になるのだが、サントラもリリースされておらず、映画としても DVD(勿論Videoにも)になっていない。この作品は1967年のドイツの映画『Mord und Totschlag(英題:A Degree Of Murder)』(フォルカー・シュレンドルフ監督、アニタ・パレンバーグ主演)でギターにジミー・ペイジ、他にはジョン・ポール・ジョーンズという結成前のLED ZEPPELIN の2人を起用し、ブライアンはブルースハープなど、ということを聞いている。主演のアニタ・パレンバーグはイタリア系ドイツ人で当時のブライアンの恋人であり、その後キース・リチャーズに奪われ結婚し1970年代後半年に離婚するまでに2人の子供を設けている。アニタはミック・ジャガーとは1968年頃の映画「パフォーマンス」というで共演している。

またブライアンは17〜8歳の時にはすでに2人の子供をつくっているが、その後も手当たりしだいみたいな感じで、死後あっちこっちからブライアンの子供が出現しているが、1963年にロンドンで交際していた18歳の女性との間に男の子を出産したが、妊娠をしたと知るとブライアンは去っていったという。女性はあまりに若かった為に養子に出し、何も知らされずにアメリカで育った息子であるその男性が29歳で自分がブライアンの子供だということをつきとめて知り、連絡をとったというニュースも紹介されている。そこに載った写真ではブライアンにそっくりであった。



(01:59)

2011年02月16日

ef82cc91.jpgアメリカのグラミー賞の各インスト部門で日本人が4人も受賞した、これは凄い!おめでとうございます。そしてこれは、アメリカでもリリースされてるアルバムを日本人が多く制作しているということでもある。世界市場に出てる、ということですね!
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そしてもうひとつのグラミーでの注目すべき.....というかこっちが気になってたのですが。昨年10月に亡くなったソウル界の大御所Solomon Burkeの追悼のパフォーマンスになんと、Mick Jaggerが急きょ出演という話題だ。
ミック、そしてROLLING STONESは1960年代初期のアルバムでソロモンのナンバー「EVERYBODY NEEDS SOMEBODY TO LOVE」をカバーしている。とにかくこの時代のストーンズはブルース、リズム&ブルースのカバーバンドとしてスタートしているのでSolomon Burkeの影響は相当受けている、このキャスティングがうなづける。またミックが67歳にしてグラミー賞での初ライヴというのも話題になった。1986年に受賞はしているが会場には来ずロンドンでクラプトンからトロフィーをもらっていたのを思い出す。あれから25年も経ったのか。あの時確かピート・タウンゼントがストーンズに送った言葉が「おまえら優雅に歳とるんじゃねえぞ、そんなのは似合わないからな」だったと思う。ある意味ミックは優雅だがいまだに67歳でも跳ねてロックしている。

そんなMick Jagger(写真はアルバム「Very Best...」のミック)の話題では最近はビジネス誌経済誌系でのとりあげが面白い。2005年〜2006年に行われたワールドツアーの利益が600億円とも言われている。インサイトナウというサイトでそのおおまかな計算が出ていたが、そこでも500億円以上ということだったし、グッズなども入れると更にだ。ROLLING STONESをひとつの企業にたとえるとMick Jaggerをトップにした優良な企業といえるとも書いてあった。また.....1960年代末のメンバーのブライアンの死、オルタモントでのライヴでの警備側のへルスエンジェルと客との殺人事件、ドラッグでの逮捕その他、負のファクターを柔軟に受け入れ、それさえも自らのイメージにしてしまい、1970年代以降のライヴでは管理された安全で豪華なロックショーのパイイニアとなり、現在までロック界に君臨している.....という経済界サイドからの称賛だ。今ではMick Jaggerという人はロックアーティスト以上に有能で仕事好きなビジネスマンというイメージさえできている。
確かに1960年代、BEATLESもドラッグなど、同じようなプライベートでの行動をしていながら、STONES のマネージャーのアンドリュー・ルーグ・オールダムの自前で新聞に出したストーンズ非難の広告「あなたの娘をローリング・ストーンズとつきあわせますか?」という広告戦略が功を奏して「不良」のイメージで売ることに大成功する。その頃チャリティのライヴに出演しても逆にいいイメージがそぐわない、と秘密にしていたり、TVの音楽番組でわざとフィナーレでの全員での挨拶をすっぽかしたり、というシナリオでイメージをつくった。

「不良」とえばROLLING STONESのギタリスト(1976年にフェイゼスを辞めストーンズに参加)Ron Woodの自伝『俺と仲間』ではミックとは全く異なる、ほんとうにメチャクチャなロック野郎の半生が、ストレートに...ある意味、こうもぬけぬけとしゃーしゃーと書けるもんだ、というくらいいろんなことがバラされている。交友関係も広く皆に好かれる性格のようだし、パーティアニマルと呼ばれる程のパーティ好き。
フェイゼス時代にすでにアメリカツアーで常宿のホテル、ホリデイインでの悪行、調度品の破壊、乱交で出入り禁止、しかしそれでも名前を変えてまたそこにチェックインなど、ほんとうにやってることが見事なほどヒドイ。

ロニー(Ron Wood)の個人的な音楽の魅力はそれほど感じないが、切れ味鋭いギタリストではないが、この辺りのグルーヴのロック(ロック、ブルース、R&B、カントリー、レゲエ等)の全体をほどほど理解してるプレイヤーということでしょう。
Keith Richrdsとの相性はやはりいいのだろう。確かに8ビートの単純コードのなかで譜面とか書き譜でない、ソロでも伴奏でもないようなラフなギタープレイを雰囲気でできるコンビってなかなかいないだろう。ただROLLING STONESとしてはMIck Taylor在籍時の1969年〜1975年に殆どの最高傑作がある(BEGGARDS GANQUETは1968年だがこれは最高!)ので、キースとテイラーとの緊張感がやはりクリエイティヴ面はよかったと思う。ロニーが新しいものをストーンズに持ち込んだとは言えない。

Ron Woodの良さをあえて言えば、その前任者のMIck Taylorや故Brian Jonesのフレーズをきちんと弾いて、ペダルスティールやボトルネック、エレクトリックシタールなどなんでも弾き、Keith Richardsのラフな(誰かが晩年の志ん生のような、と書いていた)プレイをサポートしているので、いい人なんだろうなという印象だ。ミック&キースの弟分みたいな。(実際に4歳くらい年下)

実際、自伝でRon Woodは自分のことを「ノーと言えない性格」「とめどもない浪費家」と認めている。ちなみにMick Jaggerは無駄遣いしない、どちらかというと「ケチ」ともいわれている。ミックが珍しく衝動買いでアイスクリーム売りの車を買おうとしてニュースになったりしている。といってもミックは推定450億円の資産家(勿論ポール・マッカトニーなどは更にこの上をいく)でフランス、ロンドン、ニューヨークなど世界中に豪邸を持っている。1970年代にすでにストーンズは自家用ジェット機でツアーしている。

ワールドツアーにロニーはギター40本とスーツケース20個くらいを持ち歩くらしい。そしてその間は休みもなく、大変な日々ではあるとのこと。ビッグになってからは家族も一緒に世界を回り、子供もいると、ベビーシッター、成長するに従い家庭教師も一緒にツアーするとのこと。ツアーが終ると「金を使おう!」とロニー。

驚いたのは、それでもRon Woodは昔はJeff Beckグループやフェイズスという有名バンドでならした男、なのにストーンズの1980年代末の「STEEL WHEELS ツアー」が始まる時にミック、ストーンズオフィス側に「今無一文、前払いですこし支払ってくれ」と言ったり、その後、ハリントンクラブというセレブ相手のクラブの投資に失敗して、またまたストーンズ側に100万ポンド(約1億円!?)の借金をしている。この時はさすがにマネージャーはロンに「控え目な生活をしなさい」と忠告。なんと花代に毎週15万円(1年で700〜800万)、車代が一年で1500万円くらい使っているとのこと。デザイナーブランドの服もあまり買えないな、とその頃ロンは嘆いている。
またドラッグ(売人やその他ことこまかく実名で書かれている)、アルコール、女性関係も細かに告白しまくっている。いやいや向こうのロッカーってこうなんだ!っていう感じ。アル中の治療で数度施設に入っていて、ストーンズの「フォーティリックスツアー」が初めて、しらふでギター弾いたとのこと。とても集中できてよかったと書いている。しかしアル中ではあるけど体型は若若しいデス。
またロニーは画家としても何度も個展を開いたりなかなかの腕前でセンス良いタッチをしているが、それは小学校の頃にすでに作品がテレビでとりあげられたりしていたらしい。またお兄さんがアートデザイナーだ。

ストーンズには1976年に加入したが、実は1993年までギャラはサポート扱いの給料だったことが有名なエピソードになっている。ストーンズ側というかミック・ジャガーはなかなか厳しい。
そのミックが初ソロで忙しく、ミックとキースとも仲悪い頃に作った1986年頃のアルバムは「自分の作曲クレジットが4曲もあるんだ、それくらいミックはほったらかしだったアルバムだ」なんて開けっ広げに語るロニー。ジャムセッションで自分のちょっとしたフレーズ、アイデアから曲ができても、JAGGER&RICHARDSのクレジットに割って名前を入れさせてもらえないの実情らしい。「It's Only Rock'n Roll」は自分のアイデアだが今の扱いに納得はしているらしい。

最初の奥さんは元クラプトンの彼女だったクリッシー(この辺のいろんな女性の入り乱れ方も書かれている)だが1970年代に別れて(この時も金に困りロンドン郊外の邸宅を売って前妻に支払っている....その邸宅はピート・タウンゼントが買ったとか)、その後のジョー(ジョセフィン)との愛妻生活が続き、とてもいい感じではある。キース夫妻とも仲がよい。そして酒も永久に断ち...で自伝は終っている。
しかし昨年浮気とやめたはずの飲酒がまたぶりかえし、またリハビリ施設に入りでてきたら奥さんの元には戻らず若き愛人のほうへ行ってしまい、ついに離婚してしまったらしい。
ロニー、音楽性はあまり見えてこない(愛用のギターはゼマティスとストラートとのこと)、一応ソロアルバム聴いたのでだいたいわかってはいるが、それよりなによりロックな人生送っていることは確かだ!

(01:36)

2010年11月24日

9c3e571d.jpg長崎県の諫早に行ってきました。諌早はtomo the tomoの出身地であり、今年の3月にも行っているが今回は地元のアマチュアビッグバンド「諌早ビッグバンドジャズオーケストラ」の諌早文化会館でのコンサートにゲストで招かれてのライヴ。そしてビッグバンドとのコラボレーションなどもして楽しく温かい雰囲気に包まれ大変素晴らしいコンサートになったと思います。前夜、当日の打ち上げ、2次会と夜中まで盛り上がり楽しく過ごした。
そして諌早には10年ほど前に講師仕事をはじめたばかりの大阪スクールオブミュージックの作曲コースで僕のクラスにいた教え子の安浪さやか君の故郷であり、なんと彼女もそのビッグバンドに参加しているではないですか!教え子との共演というおまけもあり、ちょっと感激の諌早でした。


また諌早といえば俳優役所広司さんの出身地、そして食べ物では「うなぎ」。役所さん「うなぎ」と言う映画に主演してましたけど・・・それは関係ないですが、文久3年創業の老舗「福田屋」で陶器の器に盛られた諌早ならではのウナギを食し大満足。8月の大分湯布院映画祭での周防義和音楽特集とtomo the tomo carpe diemのミニライヴについでまたまた九州づいたこの1年でした。
そして先週の大阪神戸のライヴから毎週続いた怒濤の1週間が無事終了でした。

しかし私のここ数ヶ月はちょっと凄いスケジュールでした・・・・夏は電子書籍用の理論書の執筆、そして映画とドラマの音楽を同時に作曲しつつ、各学校での作曲講義。先週は名古屋での授業終えると大阪伊丹に移動し、伊丹で1泊、翌朝伊丹空港から長崎へ・・・・そして諌早で3拍、おっとまだ、明日はNHKでの「いないいないばあっ!」のモニョモニョのレコーディング、明後日は先日仕上げも終わった映画「毎日かあさん」の初号試写。
そして明後日は再び名古屋学芸大学で土日は大阪スクールオブミュージック。10日以上自宅に戻れない状態。
12月中旬まではばたばたデス。
写真は諌早文化会館控室での私とtomo the tomo。

(00:29)

2010年11月19日

c8c5576e.jpg大阪心斎橋の本屋さんSTANDARD BOOK STORE内にあるSTANDARD BOOK CAFEでのtomo the tomo carpe diemのライヴも無事終えた。画家寺門孝之新作展とのコラボレーションでもあり、ライヴのあとには寺門さんとのギャラリートークも行われた。
写真で見ると、どこかのリヴィングルームで演奏しているような・・・・そうなんです。ライヴハウスではないのでカジュアルでリラックスした空間、そしてPAもシンプルにしてナマに近い感じで、そしてサプライズでキム・スヒョン率いるチーム「1OVER F」なる弦楽四重奏団も2曲演奏。このストリングカルテットは完全にナマでの演奏。キム・スヒョンの楽曲とロック曲を弦楽四重奏でコラボするという試みがなされた。
tomo the tomoの声の広がり方もいい感じだったと思う。ライヴでは久々に大阪、大阪近辺のいろんな知人友人に会えとても嬉しかった。
この企画を進めてくれたスタンダードブックストアの中川社長、ギャルリ・ムスタシュのオーナーの和田結花氏らのご助力にこの場を借りて感謝を述べたい。ありがとうございました、そしてお疲れさまでした。
写真をクリックすると大きくなります。 photo:森幸長

(01:31)

2010年08月03日

ea76a266.jpg7月14日南青山曼荼羅(MANDALA) でのtom the tomo carpe diemの3曲がyou tubeにアップされてます。
3拍子の不思議な世界「DOOR」は

こちらです。
この曲で周防義和はWurlitzerのエレピを弾いています。こんなにちゃんとバンドでキーボード弾くのは久々です...20年振りくらい。間奏、後奏の即興的な部分も見れます。

映画「それでもボクはやってない」のエンディングテーマ曲「静けさの中で」は
こちらです。

NHKドラマで映画「ハゲタカ」のテーマ曲「Road To Rebirth」は
こちら

メンバーは
tomo the tomo : vocal
周防義和 :electric piano & guitar
泉尚也 : bass
三沢泉:percussions
Jirafa : piano & vocal



(03:17)

2010年04月13日

8260b96b.jpegtomo the tomo carpe diemのCDリリース記念ライヴも無事終った。天窓SWITCHに、ななんと100人以上の方々がおいで下さり、座れない方にはほんとうに申し訳ありませんでした。こんなに来てくださるとは...ほんとうに感謝感謝です。このブログを見ていて来ていただいた方々、ありがとうございました。
tomo the tomo carpe diemアルバム「CARPE DIEM」はこちらから購入できます。このサイトからご購入の方々には特別プレゼント付デス!!

ところで、ライヴではアルバムタイトル曲でもある「Carpe Diem」を僕のガットギターとtomoのヴォーカルの2人だけの編成でスタート、泉尚也のフレットレスベースと三沢泉のパーカッションだけのコラボ「Memento」から6人での「静けさの中で」へ繋がっていった。「Door」ではCDでシンセの笛音色とアコーディオンパートを僕がメロディオン(いわゆるピアニカ)で演奏、泉尚也のアップライトベースではアルコもありで不思議感をだした。「帰還」もCDのアレンジを完璧に再現するのは不可能なのでライヴVersionとしてまたゆったりといった。キーボードの麻ちゃんはピアノとシンセ、Jirafaはアコースティックギター、キーボード、コーラスとマルチな活躍、ドラムの永井杏史郎くんも3曲サポートしてもらった。

「だってひとりじゃない」ではお客さんにも、コーダ部分のコーラスパート「いいんじゃない、いいんじゃない!」を一緒に大合唱してもらい一体感に包まれリラックスしたいい雰囲気に包まれた。アンコールでは「夜の終わりに想う歌」をまた僕とtomoの2人で静かに締めくくりライヴ終了!

そして第一部の泉尚也CYANOSのほうもまた新たな曲をレパートリーに加え、ちょっとづつ進化してるCYANOSを見せることができたのではないだろうか。ほぼ同じようなメンバーでの2つのユニットというのも珍しいかもしれない。インスト系と、完全な歌モノ、とはっきり異なる2つだからまあいいのかな、と。そしてそれも各々メンバー同士のリスペクトがあるからだと思います。
しかし...打ち上げ、2次会で朝まで.....いやあすごい久々、飲み会で朝までなんて。この日くらいはねえ、まあ行っちゃおうかと居眠りも全くせず若き連中と飲みました!!

写真はリハーサル風景(photo: Yoshifumi Asa)

(00:52)

2009年11月27日

5568dfd8.jpg写真は恵比寿天窓SWITCHでのライヴ風景。写真をクリックするとちょっと大きく見れます!(泉尚也ブログの写真より)
この日、11月16日は高満洋子、tomo the tomo carpe diem、泉尚也Cyanosが出演。
tomo the tomo carpe diemとしてのバンドでの東京初ライヴとなった・・・とはいえ現在アルバム制作中だし、まだレパートリーは5曲しかなく、それらすべてを演奏。
ただ泉尚也Cyanosにも周防義和、tomo the tomoは参加しているので、それらをいれれば5曲以上にはなってます!
また最後は全員でスティーヴン・フォスターの名曲「Hard Times・・・」を3人のシンガー(高満洋子、tomo the tomo、Jirafa)で熱唱!和んだ。
tomo the tomo carpe diemの演奏曲目は
静けさの中で(映画「それでもボクはやってない」エンディングテーマ)
青空(広島での展覧会「No More War」の為の)
Road to Rebirth(映画「ハゲタカ」主題歌)
夜の終わりに想う歌(映画「それでもボクはやってない」サントラ収録曲)
Drugstore Girl(映画「ドラッグストア・ガール」オープニングテーマ)
メンバーは
vocal : tomo the tomo
guitar : 周防義和
bass : 泉尚也
percussions : 三沢泉
keyboard& piano : 麻吉文
chorus : Jirafa

高満洋子、泉尚也Cyanosのライヴリポートは
泉尚也ブログ(http://ameblo.jp/naoyaizumi/)で詳しく見れます!

広島のギャラリーG、ウエストプラザ、そして親水テラスで初ライヴしたtomo the tomo carpe diemですが、多少その時によりサポート陣異なるのですが、東京でのライヴもできました。広島でご一緒したミュージシャン、スタッフ、部谷京子さん、周防真理子さん、石塚桜子さんありがとうございました。


(01:14)

2009年11月15日

52d1e212.jpg
tomo the tomo carpe diem LIVE AT MOTOYASUGAWA,HIROSHIMA 8.6 2009

今年の夏8月6日広島原爆ドーム向かいの元安川親水テラスでのイベント「地球ハーモニーイン広島」での
tomo the tomo carpe diemのライヴ音源が聴けます。
映像は無いのですが、写真でその時の風景が見れます。
曲目は「静けさの中で」「青空〜原爆許すまじ」で約15分。
「原爆許すまじ」は長崎の歌でtomo the tomoは子供の頃の8月9日に習った歌という。
ここでは即興風に歌ったもので、涙まじりのtomo the tomoが聴けます。
ステージの横、後ろに大勢の人、そして元安川の対岸にさらに多くの人々が聴くなかで
灯籠流しも同時に行われた時間でした。生涯忘れることのできない印象的な夜でした。
下記のアドレスから入ってください。

http://www.tomothetomo.com/live.html


この日のメンバーは、
tomo the tomo: vocal
周防義和:guitar&chorus
泉尚也:fretlessbass
Jirafa:keyboards&chorus
(recorded by naoya izumi photo : ken the ken)
このブログの写真:森 幸長

明日16日の恵比寿天窓SWITCHでのライヴにもこのメンバープラス
三沢泉(percussions)、麻吉文(keyboard) という布陣で臨みます。


(01:00)

2009年09月24日

6dd79529.jpg前回のこのブログでご紹介したように小石巳美とのユニット「COMA」は2枚アルバム発表しているが、そして1989年から数年間「ANIMA-ANIMUS」や「うずまき」という名前でライヴしていたがその後ライヴはしていなかったので18〜19年振りのライヴとなった。
「COMA」のアルバムでは練りに練ったアレンジによる独自ポップ解釈を展開しているが、昨年辺りから2人でリハーサルを開始しはじめVOCAL,KEYBOARD,GUITARという最小アンサンブルでCOMAの音世界観を捻出しようと試みている最中というところだ。
ドラム、ベース等でリズムキープがあると楽なわけだが、それをあえて廃して、また弾き語り系ではない感じで・・・的なポップアンサンブルの追求というところ。
とにかく楽しくライヴした。
写真は国立「地球屋」でのCOMA小石巳美と周防義和 photo: 小池桂一

(01:18)

2009年08月28日

609a8d90.jpg8月6日夜、広島原爆ドーム向かいの元安川の親水テラスでのライヴ。
シンガーtomo the tomoを中心にしたユニットtomo the tomo carpe diemでの演奏。
写真左から泉尚也(fretless-bass)、tomo the tomo(vocal)、Jirafa(keyboard&chorus)、周防義和(guitar)。
演奏していると僕の位置からほぼ正面少し左にライティングで浮かび上がった夜の原爆ドームが見える。64年前のこの8月6日から原爆ドームになってしまったこの建物の姿は人類へのメッセージ。
また元安川には無数の....たくさんのたくさんの灯籠が流されている。この日は朝8時からの平和祈念式典にも参列した。そんな中でのライヴは今まで味わったことのない雰囲気だった。この8月の広島....ギャラリーGでの展覧会を含めこの8月の広島の思ってtomo the tomo作詞で僕が作曲した「青空」を演奏できたことも感慨深いことでした。「青空」のエンディング部分にtomo the tomoは「原爆を許すまじ」を即興風に加えて演奏を終えた。忘れることのできない夜になりました。
photo: 森 幸長

(02:37)