2008年08月01日

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2008年07月27日

強制連行・山形訴訟の控訴審が始まりました

“即日結審”をはねのけ、次回原告本人尋問を勝ち取る!

 7月22日(火)仙台高等裁判所(第一民事部・小野貞夫裁判長)において、強制連行山形訴訟控訴審の第一回弁論が行われました。

仙台高等裁判所で最大と言われる101号法廷の80の傍聴席が埋まるかどうか心配しましたが、山形や酒田から駆けつけた約50名の皆さんに加えて、仙台から20名程度の傍聴参加者があった模様で、法廷は満杯になりました。
 午後2時の開廷後、約1時間半ほど、通訳を介して原告2人の陳述と、4人の弁護士の意見書の朗読が続きました。今回来日した原告は、孔祥良さん(57歳・男性)と、郭玉興さん(55歳・男性)で、いずれも酒田に強制連行された被害者の遺族(息子)です。2人は、戦後奇跡的に帰国できた父親から日本で受けた被害について聞かされた記憶を語り、提訴後に亡くなった父親の訴えを引き継ぐ決意を力強く述べました。

意見陳述に立った加藤弁護士は、本件訴訟が4万人の中国人強制連行被害者の訴えを代表するものであること、謝罪と償いの実現によってこそ日本人の信頼と名誉が回復すること等について述べました。次に佐藤弁護士は、1952年発効のサンフランシスコ平和条約第25・26条から中国が同条約に拘束されず1972年の日中共同声明も同条約の枠組みの外にあると考えるべきであり、それゆえサンフランシスコ平和条約を前提に日中共同声明を解釈した最高裁や山形地裁の判決は誤りだと主張しました。続いて田中弁護士は、山形地裁の判決がまったく触れていなかった「時効・除斥」の論点について、強制連行の事案において時効・除斥によって被害者の権利を奪うことは公平の原理に反するとの意見を述べました。そして最後に、東京から応援に駆けつけた松岡弁護士が立って、昨年12月に中国・上海の裁判所が、1936年に起きた日本の商船会社による事件について、賠償請求権の放棄も時効・除斥も認めずに損賠賠償を命じる判決をしたことなどを紹介しながら、同様に強制連行事件の全面解決を図るべき、と述べました。

被告・国側代理人は、「同様の事件では既に最高裁が訴えを棄却する判決を相次いで出しており、もはや結論は明らかだ、和解に応じるつもりはない、すぐ結審せよ」と主張しました。
 しかし満席の傍聴者の視線が奏功したのか、裁判官たちは即日結審を宣することはできず、次回(11月18日)に安全配慮義務について原告の本人尋問をすることを決め、午後4時ごろ閉廷しました。最高裁の敗訴判決が相次いだ後の控訴審で、事実認定についての審理を勝ち取ったのは画期的なことです。ご多忙のなか傍聴にお越しいただいた皆さんに、心から感謝を申し上げます。

2008年03月11日

3/10チチハル遺棄化学兵器裁判がありました。

昨日3月10日午後4時から、チチハル遺棄化学兵器裁判の、第4回口頭弁論が、東京地裁103号法廷で行われました。

今日の法廷の内容は、被告国に対する責任論と、原告牛海英さんによる意見陳述でした。

牛海英さんの陳述の内容を、要点のみお伝えします。

 私(=牛海英)は1978年2月チチハル市内に生まれました。私が生まれたころ、家族の暮らしは貧しく、私の母親は、私が幼いころから家族のために働き始めました。
 母親は、私が8歳の時に廃品回収所の経営を始め、私は2001年に私が経営者の立場を引き継ぎました。
 1995年に結婚し、96年には男の子が生まれました。私は毎日朝6時から夜10時くらいまで仕事をし、従業員が帰宅した後は自分でも運搬をしました。そうして一生懸命働いたので、収入は充分にありました。経費や生活費などを除いても、年に6〜7万元(日本円で約100万円)の利益がありました。
 2003年8月4日、午前9時ごろ、私の経営する廃品回収所に、李貴診さんが、ドラム缶5個を持ってきました。李貴診さんは、私の店の前の空き地でドラム缶を解体する作業を始めました。解体した瞬間、液体と気体が同時に吹き出し、ドラム缶からかなり刺激の強い臭いが噴出し、みるみるうちに鼻、胸、肺それから頭のてっぺんまで十万して、まるで、からしを食べたようでした。私はしめったタオルでずっと鼻をおさえていました。彼はまた解体作業を続けていました。4つの缶の中には、液体がはいっていたので、隣人の王成さんが手伝って、液体をひしゃくで洗面器にくみだし、全面の路の溝に捨てていました。
 お昼に食事を届けてくれたお手伝いさんが私を見て、まるでお酒を飲んだように顔全体から胸にかけて真っ赤になっていると言われました。目が充血し、のどがひどくただれて、自分は熱中症だと思いました。のどが非常に渇くので、水をいくら飲んでものどの渇きをいやすことはできませんでした。
 当日の午後1時ころドラム缶解体を終えたので、私はこれを買いました。その後、李貴診さんの症状はかなり重いようで、みているとよろけながら去っていきました。ドラム缶から発散される臭いがとても我慢できなかったので、急いで300元で転売人の梁波さんにドラム缶を売りました。
 夕方になると、顔と首がさらに赤く腫れ上がり、目の痛みもよりひどくなり、頭ももうろうとしてきました。仕事が忙しくて、かまっていられませんでした。その日の夜、李貴診さんの奥さんが私のところに来て、夫の具合が悪くなり、病院に行ったところ「中毒」と診断されて、あなたもすぐ行った方が良いと言われて、私もすぐに病院に行きました。病院に着くと、王成さんと李貴診さんがベッドの上で吐いたり、涙を流したりして苦しんでいました。私たちは中毒と診断されましたが、何の毒に当たったかは言われなくて、とにかく私たちに急いで203病院へ転院するように言われました。
 入院中は、あまりの激痛に苦しみ続けました。そして、病院でようやく鏡を見ることができた時、私の顔は醜く腫れ上がり、おなかには大きなびらんびらんの傷跡が残っていました。その様子をみて、私は自分が化け物になったと思い、愕然としました。あまりの現実に、窓から飛び降りたいと何度も口にしました。けれど、そのたびに、母親は私にむかって、「あなたが死ぬのはかまわない。けれど覚えておいて。お母さんは、あなたが死んだ日に必ずあとを追うから」と言いました。母は口にしたことは必ず守ると私はおもっていました。
 3ケ月以上のち、ようやく退院することができましたが、以前の自分とはまったく変わってしまっていることを思い知らされました。毎日がつらくて、どんな仕事もまったくやる気がなくなって、何も出来ないのです。希望がもてない日々の中で、すべてに対し、投げやりな気分になり、家庭の中でいらつき、おこりっぽくなくなっていきました。
 相性のよかったはずの夫婦仲も悪くなっていきました。ある日、夫が風邪をこじらせてなかなか治らなかった時に、突然「おまえの毒ガスがうつったせいではないか」と言われました。とてもショックでした。家の中は疑心暗鬼に満ちてしまいました。このような毎日が一年以上続き、夫から「このような状況だったら、別かれた方がいいのではないか」と別れを切り出されました。私は離婚をしたくありませんでしたが、子どもの将来を思うと、自分母親としてふさわしくないと思い、離婚に応ずる決意をしました。しかし、離婚をする時にも、子どもの生活や環境を考え、私が買ったマンションは夫に譲り、離婚しました。
 私は、子どものために、さらに10万元(約160万円)を夫に渡して、2005年10月に、一人で家を出ました。身の回りのものだけを車の中に投げ込んで、その夜は団地の駐車場で明かしました。母や姉妹には迷惑をかけることはできず、車中で3日3晩を明かしました。寒さの厳しい時期でした。朝日とともに目が覚めたら、車を出してあちこち走り回りました。顔を洗うところさえもなく、3日間、ひたすら走りながら、子どもに寂しい思いをさせ続けたことを悔やみ、夫との幸せだった日々を思い出しました。自分の将来は何も見えず、湖の周りをぐるぐる回りながら、死ぬことばかりを考えました。しかし、入院中に母が言った、私が死ねば、母も後を追うという言葉を思い出すと、私には死を選ぶことはできませんでした。
 そして、11月に、年齢に関係なく入居できる介護施設に入居しました。当時の私は「寂しい」という気持ちも失っていました。そんな私を見かねた親戚が、ある男性を紹介するといいました。私はとても受け入れられない心境でしたが、母と姉が無理やり私を連れ出し、その男性と引き合わせました。自暴自棄になっていた私は、自分のすべてをその男性にぶちまけました。中毒被害者であり、健康ばかりか性格も悪くなっていること、将来に対しまったく希望を持てずにいること。しかし、その人は「全部わかっているから心配ないよ」と言ってくれたのです。
 この日をきっかけに、彼と数回会うようになりました。彼とのふれあいが少しずつ私を変えていきました。そして、彼との交際を始めたことをきっかけに、施設にいる生活は良くないと考え直し、2006年2月下旬に施設を出ました。
 2006年5月ごろ、彼にプロポーズをされ、7月にようやく結婚の届けを出すことができました。その年の8月、子どもができたことに気がつきました。妊娠に気づいた時は、喜びよりも不安が募るばかりでした。被害を受けた後の私の体はあきらかにおかしく、無事に子どもを産む自信がありませんでした。夫は私の妊娠を喜んでくれましたが、生まれてくる子どもが五体満足なのか、健康な子どもが生まれるのか、私の心は不安でいっぱいでした。しかし、夫が「どんな子どもが生まれてこようと、私たちの子どもに違いない」励ましてくれたので、私は子どもを産む決意をしました。妊娠中もつらい日々でした。私は体調がいつも悪くて、よく風邪をひいて、16日間も寝込みました。夫の励ましをうけながら、体調の不調に耐えました。そして2007年2月13日に無事、男の子が生まれました。
 しかし、私はもう外で働くことはできません。それどころか毎日、何種類もの薬を飲み、体が動かないために家事もほとんど夫に頼る毎日です。経済的な不安も大きいものです。夫は家族のために毎日夜遅くまで働いてくれますが、家計は決して楽ではありません。私がこのような体なので、昔のように一緒に家計を支えることもできません。とても申し訳なく思っていました。子どものこれからの長い将来を思うとも不安は募るばかりです。
 以上ありのまま事実を述べました。裁判所に賢明な判断をお願いします。他人のあわれみを求めるのではありません。正義と道理を求めるものです。

最後に、 日本国と裁判所にお願いがあります。
第一 中国の大地に遺棄した毒ガス弾、毒ガス入りドラム缶を一つ残らず撤去し、私たちの同胞、兄弟姉妹、さらに子々孫々に被害を蒙ることがないようにしてください。
第二 私たち被害者は日本政府に真摯な謝罪を求めます。
第三 私たち被害者は日本政府にこれからの生活支援と医療の補償を求めます。

___

以上、牛さんの陳述の概要をお伝えしました。
詳細はチチハル支援会ウェブサイトや、支える会会報に掲載する予定です。

なお、次回弁論は、6月23日午後4時からになります。





suopei at 11:00|Permalinkclip!遺棄毒ガス弾訴訟 

2008年03月03日

遺棄化学兵器被害チチハル事件訴訟 弁論&集会にご参加を

★☆★☆━━━━━━━転送歓迎━━━━━━━━転送歓迎━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

        2008年3月10日(月)

  遺棄化学兵器被害チチハル事件訴訟 第4回口頭弁論
            &
      原告証言集会にご参加ください! 
    
★☆★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

2003年8月4日、旧日本軍遺棄化学兵器が掘り起こされ、チチハル事件が起
きました。被害に遭った人たちは、健康な体、生きる希望、人間としての誇り、
仕事、友だち、夢、多くのものを失いました。
被害者たちは2007年1月25日に提訴。原告としてこれから長い裁判を闘っ
ていきます。どうぞ法廷で、原告たちを応援してください!

★チラシこちらからダウンロードできます★
http://www.care-mirai.net/files/latest.zip

■■■■■■

■ 遺棄化学兵器被害チチハル事件訴訟 第4回口頭弁論

  3月10日(月)16:00〜17:00 

  @東京地方裁判所103号法廷
  http://www.courts.go.jp/tokyo-h/about/syozai/tokyomain.html
  (東京メトロ 霞ヶ関A1出口)

《内容》弁論/牛海英さんの意見陳述

※日本政府が戦後毒ガスを遺棄し放置し続けたにもかかわらず事故発生を回避す
る努力をしなかったことを主張し、なぜ日本に責任があるのかを明らかにします。

※次回裁判期日は6月23日(月)16:00〜 103号法廷です

■■■■■■

■ チチハル被害者証言集会
  
  3月10日(月)18:30〜20:30 (資料代500円)
  文京シビックホール26Fスカイホール
http://www.b-civichall.com/access/main.html

《内容》
  1 photo cinema 
  2 訴訟の経過と展望 <休憩15min
  3 牛海英さん広島での映像/牛海英さんインタビュー
  4 スタディ・ツアー紹介               ほか
*プログラムは諸事情により変更となる可能性もあります

★☆★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■来日原告のプロフィール

牛海英(Niu Haiying/ニウ・ハイイン)さん
1978年2月1日生まれ

牛さんは、廃品回収所のオーナーとして精力的に仕事をこなす女性で、公務員の
夫と小学生の息子が一人いました。
事故に遭い、顔が醜く腫れ上がり、毒ガスが腹部に付着したため患部の皮膚も酷
くただれました。強制的に入院させられた病院では、あまりの痛みと自分の醜さ
に自殺未遂を繰り返しました。
退院して家に戻った後は、仕事に復帰したくても後遺症のため身体がまったく自
由に動きません。夫も、毒ガス被害者となった彼女との夫婦生活を嫌がるように
なりました。そして一方的に夫に離婚を求められ、行くあてもないまま家を出る
ほかありませんでした。
彼女は今、この苦しみから抜け出して、重篤な後遺症を抱えながらも新しい人生
を歩み始めようとしています。


■チチハル事件とは?

2003年8月4日、中国黒竜江省チチハル市の集団住宅建設現場から毒ガス缶が掘り
起こされ、建設にあたっていた作業員、汚染土に触れた子どもなど、計44名が
被害に遭いました(うち死亡者1名)。
のちにこの毒ガス缶は、戦時中に旧日本軍が持ち込み、戦後に地中に遺棄したも
のであることがわかりました。

■遺棄化学兵器被害チチハル事件訴訟
 
被害者らは日本政府に対し、一時金ではなく謝罪と恒久的な医療・生活保障
を求めてきましたが日本政府が応じなかったため、やむなく2007年1月25日、被
害者ら(遺族含む)48名は日本政府を相手として国家賠償請求訴訟を提起しました。
原告らはみな、事故に遭う前は、大変さや辛さを抱えながらもそれぞれの夢を
持って生きていた普通の市民でしたが、事故により重い後遺症が残り、周囲の人
たちにも避けられるように。
健康、仕事、夢…これまでの当たり前の生活全てが奪われたのです。

★☆★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◆ボランティアスタッフ募集しています!
裁判支援や報告集会、イベント企画を一緒にして下さる方、
ご連絡お待ちしております♪
チチハルやハルピンへのスタディツアーもあります。ぜひご参加ください。
お問い合わせは下記連絡先、三坂までお願い致します。

◆渡航費・滞在費 カンパお願いします☆
郵便振替口座 00170−0−650194
口座名義 チチハル8・4被害者を支援する会

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チチハル8・4被害者を支援する会
          
   TEL 0422−55−2211 (担当:三坂彰彦)
   E:mail a-misaka@rk9.so-net.ne.jp
   URL:  http://www.84qiqihar.net/wordpress/

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suopei at 16:58|Permalinkclip!遺棄毒ガス弾訴訟 

DVD「虎口の港」完成!

「中国人強制連行・強制労働 新潟港の記録」である「虎口の港」のビデオ(DVD 本編53分、続編20分)が
完成しました! 

制作実行委員会(新潟の支援する会、支える会、弁護団)の
作成です。

原告や遺族の怒りの証言をもとに、事業場報告書の虚偽や
強制労働の実態等をうったえ、訴訟の経過、企業への抗議の
状況などを映像で報告しているビデオです。

「虎口」というのは、中国で「恐ろしいところ、こわいと
ころ」の意味で使っているという原告の言葉です。

中国版の作成も計画しています。

セット箱入りで1500円です(郵送料は別)。

お問い合わせは支える会までどうぞ!



2008年02月21日

強制連行長野訴訟 期日報告

1 日 時 2008年2月21日 午後3時〜

2 法 廷 812号法廷 (傍聴席は満席となり、傍聴できない方が出ました


3 内 容 当方は、最高裁4月27日判決を批判する本日付準備書面を提出
し、口頭で、日中共同声明をサンフランシスコ平和条約の枠組みに基づいて解釈
することの誤り、日中共同宣言で請求権放棄したとすることは日中間の交渉の経
緯からみても誤りであること、日中共同声明に個人請求権を放棄する条項は存在
せず、個人請求権は放棄されていないことなどについて述べ、また、昨年12月
7日に上海海事法院が言い渡した商船三井に対する判決−約29億円の支払いを
命じた−について、中国の裁判所は個人請求権の放棄を認めていないことや、中
国の当事者も日本の最高裁判決について納得していないことなどを述べました。
裁判所には、準備書面、口頭陳述書、これらに関係する書証が提出されています


 裁判所は、最高裁判決批判の当方主張に対する反論などを行うかどうか尋ねま
したが、国は当面反論する予定はないと述べました。当方からの指摘にも関わら
ず、国および企業は、まったく議論を回避する態度でした。
 当方は、今後、山形地裁判決もふまえて、国および企業の安全配慮義務につい
て主張を行うこと、法律時報その他いくつかの書証を提出し、遺族、学者の証人
尋問を請求したい旨述べました。

 裁判所は、夏休み前には進行をどうするのか決めたいと述べ、当面、次回期日
を5月13日午後3時、806号法廷と指定しました。

4 報告集会
 弁論終了後、弁護士会で行われた報告集会では、弁護団の側から改めて本日の
法廷を振り返って説明を行いました。
 企業交渉、国会議員要請行動のために上京してこられた群馬の県民の会からも
10名が傍聴、集会に参加しました。元「慰安婦」の16年間に及ぶ水曜集会に
学び、今後も毎月1回は交渉・養成行動を行いたいとの決意が述べられました。
 地元長野県からも3名が企業交渉・議員要請に参加し、傍聴・集会に参加しま
した。
 支える会事務局長から、傍聴とともに裁判外での政治解決に向けた取り組みを
強めることが訴えられました。
 弁護団から、全国情勢の中で和解に向けた風が起き始めていること、長野訴訟
でもこれに向けて、訴訟内でも法廷外でも頑張っていきたいという決意表明があ
り、また、宮崎訴訟、福岡2陣訴訟での裁判所の動きなど解決に向けた動きが出
来つつあることが報告されました。

2008年02月02日

中国人強制連行・山形地裁判決

本日、中国人強制連行・山形地裁判決がありました。

原告の被害事実は認められ、
不法行為と安全配慮義務違反についても、国・企業ともに認められました。
国家無答責は否定されました。
時効・除斥については判断しなかったようです。

そして請求権については、4.27判決をほぼ引用したような同文に近い形で用いられ、そこで棄却されたようです。

判決要旨、弁護団生命などは、支える会ウェブサイト・トップページよりご覧いただけます。

http://www.suopei.org/index-j.html

2008年01月17日

旧日本軍遺棄毒ガス・敦化事件訴訟が新たに提訴

1月17日、旧日本軍遺棄毒ガス・敦化事件訴訟が
新たに提訴しました。
「毒ガス」裁判で提訴されるのは、日本で4件目となります。

第一回弁論日などが決まりましたら、また追ってお知らせします。

■敦化事件とは?

2004年7月23日、中国東北部・吉林省敦化蓮花泡の小川にあった遺棄毒ガス
砲弾を被害者の一人である少年が拾い上げたところ腐食した穴から毒ガス液がも
れ,少年2人が被毒,負傷しました。

■被害の実態は?

健康被害として、皮膚のただれ、びらん箇所のかゆみ・痛み、視力の低下、呼吸
器障害、体力の低下,集中力の低下等です。その他にも、不登校、いじめ、差別
など、被害者の少年たちは人生の困難にさらされており,家族も不安を抱えてい
ます。

■被害者が求めているのは?

医療支援を柱とした毒ガス被害者全体についての救済制度です。

■今回訴訟に踏み切った理由は?

毒ガスの被害は進行性であり、特にこれから大人になる被害者に必要なのは今後
の成長を助ける医療支援、生活支援です。そのため被害者らは、事故発生直後か
ら、すでに提訴した遺棄毒ガス被害事件であるチチハル事件の被害者らととも
に,日本政府に対して一時金ではなく恒久的な医療ケアや根治治療、就学援助、
生活補償の制度設計を求めてきました。しかしながら、事故後3年半経過した現
在においても誠意ある回答はありません。そこで、やむを得ず訴訟提起に至りま
した。

■今回、誰にどのような請求を?

日本国政府に対して、一人当たり3300万円の損害賠償(2名で総額6600
万円)を請求します
(国家賠償請求訴訟)。
  

■被害者プロフィール
 周桐(じょう・とんぐ)男,当時満12才,現在15才 1992年5月28
日生まれ
 事故当時,小川の土手に刺さっていた砲弾を拾い小枝でいじくっていたとこ
ろ,砲弾の腐食した穴から毒ガス液が漏れ被毒。被毒後,学校で差別に会い,ま
た勉強について行けなくなり中学校を退学した。現在も咳き込むなどの症状に苦
しんでいる。

劉浩(りう・はお)男,当時満8才,現在11才 1996年2月25日生まれ
周桐と一緒に小川で遊んでいたところ,隣にいた周桐の持っていた小枝についた
毒ガス液により被毒。被毒後,学校で差別に会い,小学校を1学年留年する。今
も風邪を引きやすく,視力の低下を訴える。


suopei at 18:00|Permalinkclip!遺棄毒ガス弾訴訟 

2008年01月16日

強制連行・強制労働事件・槇峰訴訟(宮崎県)

宮崎の強制連行・強制労働事件の裁判が16日に福岡高裁宮崎支部でありました。
原告である劉少先さん(58)<男性>と邵王芳さん(55)<女性>のお二人が来日し、意見陳述をしました。王さんのお父さんはもうなくなっています。

 王さんはお父さんが帰国して、つらかった日本での強制労働の話を聞かされて育ちました。涙ながらに聞いた話をしました。日本では空腹で食事も十分でなく、着るものの至急も一ヵいしかなかったこと、日の出から日没まで働かされて、生きている状態ではなかったことを陳述しました。中国に過えってきてからも日本のでの
労働の時の足のケガがもとで、十分には働けなかったこともハナされました。どんなに苦しんだか、謝罪と賠償をしてほしい、と結びました。

 劉さんは、お父さんが存命ですが、病気で来日できる状態ではないのです。劉さんのお父さんは中国の済南から連行され、宮崎に連行され、強制労働をうけました。父が14歳の時のことです。日本に着くと暴力で殴られ、賃金もまったくもらっていない、日本の帝国主義のことを思うとたまらない、とも話されました。公正な
判決を望むことを裁判官に強く求めていました。
 17日には、宮崎の支援する人たちと食事会をしました。その中でお二人は「日本の帝国主義はにくいが、今こうして裁判を支援してくれる日本人がいることはとても感謝しています」と語られました。18日に宮崎空港から帰国されました。


2008年01月15日

海南島・戦時性暴力被害訴訟・本人尋問

 1月15日、海南島戦時性暴力被害訴訟の弁論が開かれました。
今回は、原告本人尋問でしたので、
原告の黄有良さん(80歳)がいらっしゃり、証言されました。

 黄さんは14歳の時、村に日本兵が突然やってきて、自分の家の中で強姦されま
した。その後毎日のように日本兵はやってきては強姦し、しばらくすると日本軍
の駐屯地に連れて行かされ、監禁されて毎日数人の日本兵に強姦され続けました。
1年ほどのちには、別の慰安所に移され、そこで3ヶ月ほど経ってからやっと、
通訳の中国人の尽力で(黄さんの親が亡くなったから帰してくれとかけあってく
れた)家に戻る事ができ、しかし連れ戻されるのが怖かったので、それからは自
分が死んだことにして自分の墓をつくり、敗戦まで家族で別の場所に逃げて、隠
れて暮らしました。
黄さんは、当時の様子を現在も克明に記憶していて、悪夢にうなされる日も多い
そうです。
黄さんは「謝罪損害賠償、そして身の潔白を証明してほしい」と結ばれました。

裁判長は、黄さんの証言をねぎらう言葉をかけ、弁護団には、
4.27最高裁判決の射程範囲かどうかの主張を、弁護団はやったらどうか、
といった、裁判体からの「鼓舞」ともとれる提案を出してきました。

次回弁論日も、当初予定されていた3月13日を延ばし、
5月15日、午前11時になりました。

詳しくは、ハイナンNETブログでもどうぞ。
http://blog.goo.ne.jp/hainan-net