各地から〜新潟

2006年10月26日

新潟

新潟

 全国の戦後補償裁判で、高裁段階での不当な判決が続く中、いよいよ大詰めを迎えた新潟港中国人強制連行控訴審に向けて、弁護団は鋭意準備に取り組んでいます。今月5日から9日まで青島を訪れ、7月31日に口頭弁論で証言を予定している張樹楓青島市社会科学院研究員と打ち合わせを行い、併せて調査を行ないました。また22日には港湾関係事件の弁護団会議(酒田、新潟、七尾)を新潟で行い、意見交換をやりました。
 今月31日の弁論を経て、次回10月30日はいよいよ最終弁論となります。
 ただ一つ、戦争中の国の責任を認めた判決をさらに拡充し裁判の流れの中で確定的なものとするという大きな課題が新潟の裁判に期待されています。
 前にも書きましたが、裁判が東京で進められているため、この裁判についての関心が薄れ、地元での運動が見えにくくなっていることと、運動を全国に広げるという課題があります。
 今後は8月6日から7日に合宿を行い、11月1日に新潟で中国人戦争被害者5名を迎え集会を開催し、署名を提出して、できれば全国の戦後補償争議団とともに毎月1回の最高裁要請を行っていきたいと考えています。(新潟支部 佐藤 茂)

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2005年01月18日

新潟

去る10月20日の東京高裁第1回口頭弁論は、新潟からの参加が、夜行バスのため目標をかなり下回ったにもかかわらず、関東地方からの大勢の参加で傍聴席をほぼ9割方埋めることができ、誠にありがとうございました。この欄をお借りして厚く御礼を申し上げます。
 さて、あの日大きく取り上げられた康健弁護士の補佐人の件は、これまでの戦後補償国際裁判ではまったく問題とされなかったものを、国が理不尽な言いがかりをつけ、裁判所がそれに応ずるというデタラメな訴訟指揮を示したもので、私たちは認めることができません。
 署名運動に取り組むことにしましたが、既に公正判決を要請する全国署名に取り組んでいるので、混乱を避けるため新潟市内で団体署名に取り組むことにしました。
 また今後の運動の発展のために、青年層にこの裁判を理解してもらい、運動に参加してもらうため、新潟大学生を対象に学習会を開催することを企画しました。第1回は人権週間の中12月6日に開催する予定です。第2回は1月31日の口頭弁論を終わってからを予定しています。
 県内の団体署名のためのオルグやら、今年度の総会やらで当面忙しくなります。
(新潟支部 佐藤茂)

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2004年03月17日

新潟の近況(2004/03/17)

12月19日に署名を地裁に提出しました。個人5万9千プラス中国からの国際署名6万4千、併せて12万3千に達しました。中国からの署名が国内の署名を上回っていることに中国の期待の大きさが現れています。

1月16日、「いま戦争責任を問う中国人強制連行裁判勝利県民集会」と題して決起集会を持ちました。東京から小野寺利孝全国戦後補償裁判弁護団幹事長、永村誠朗中国人強制連行劉連仁裁判勝利実行委員長を迎え、それぞれ情勢と課題、展望について報告を受けました。

小野寺弁護士は1995年の提訴当時、中国の抗日戦争史学関係者や法律家たちから「あなた方は何故この裁判を闘うのか」と聞かれていましたが、一昨年の福岡判決が中国の市民に大きな反響をもたらしたこと、チチハルの遺棄毒ガス事件では短期間に111万ものインターネット署名が行なわれたことなどに触れ、新潟・北海道の判決に中国での強い期待のあることを述べました。

永村さんは、昨年のILO総会で日本の経営者代表の反対に遭って、勧告採択されなかったが、引き続き今年以降の総会で採択されることになれば、日本政府に対する大きな影響を与えると述べ、2005年を最終的な解決の年にしようと訴えました。中国の康健弁護士からは「日本の皆様方の誠実さと善良さが多くの中国人を感動させている」「勝利の日まで、共に前進しましょう」というメッセージが届きました。(中国人戦争被害者の要求を支える会新潟県支部事務局長)

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2000年12月10日

新潟の近況(2000/12/10)

 初めての「平和のための中国ツアー」は八名の参加で九月二十七日から十月四日まで八日間、「中国人民対外友好協会」の手厚い歓迎に包まれて、参加者一同これ以上頭と心に入らないほどの知識と感銘を受け、大きな成功を収めることができました。
 七泊八日で上海―北京―泰安―南京―長沙―上海と航空便四便と電車一便で何千キロかの贅沢な旅でした。行く先々で「協会」のマイクロバスの送り迎えで通訳付きの案内を頂いた上、八日間通して「協会」本部の李海卿理事が付き添ってくださいました。
 北京では康健弁護士ともパーティーでテーブルを囲みましたし、泰安では強制連行の被害者の皆さんと、長沙では原告の張文彬さんと懇談することができました。
 特に長沙では、たまたま湖南省博物館で開催されていた「人性与愛」と題した「李自健油絵世界巡回展」で南京大虐殺の絵を見、サインセールをしていた画家に「協会」の方から紹介されて、団全員が奥さんとともに記念撮影するという幸運に恵まれました。この巡回展はオランダでは日本大使館の妨害を受け、日本では開催されないといういわく付きの巡回展でしたので本当に幸運でした。
 今後の予定として、十二月五日に第三回「戦後補償講座」を長岡短期大学の児島俊郎氏を講師に開催。テーマは「偽満州国における労働政策」です。この日は講義の前にツアーのスライドを上映します。次の二月十六日には第二次訴訟の原告二人を招聘して、証言を行う予定です。付き添い一人と弁護士を入れて四名になるのでカンパに力を入れているところです。

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2000年10月10日

新潟の近況(2000/10/10)

 七月二十九日・三十日、国際シンポジウム「東北アジア歴史像の共有を求めて」が新潟で開かれ、私たちは第二回戦後補償講座として位置づけ、参加しました。私たちの参加は延べ五名と少なかったのですが、参加した皆さんは、「大変勉強になった」と言っていました。
 ロシア、中国、韓国、北朝鮮の学者の皆さんがパネラーとして報告しました。中国のパネラーの報告の一つは、旧日本軍が日中戦争で化学戦を行った事実と被害についてでした。この国際法違反の戦争責任については、日本政府が当面九月十三日から二週間の予定で処理することが発表されています。
 韓国の教授の「東海」という地理名称についての報告は、私をはじめ参加者にカルチャー・ショックを与えました。日本政府もマスコミも、国連で八年も前からこの問題が論議されてきたことも、現在国連では両名を「日本海」(「東海」)のように併記することになっていることなども国民に知らせていないのです。
 八月二十日には第二回総会を行いました。強制連行のビデオ上映と、従軍兵士の体験報告があり、どちらも強く印象に残りました。
 九月十二日、強制連行の第二次訴訟原告七名が新潟地裁に提訴され、マスコミに大きく取り上げられました。
 中国現地調査ツアーは中国人民対外友好協会の全面的な協力を頂き、九月二十七日から十月四日まで八名の参加で中国を訪問します。

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2000年08月10日

新潟の近況(2000/8/10)

 六月三十日に第三回口頭弁論がありました。裁判長更迭の後、前回は更新弁論だったので、実質初めての口頭弁論でした。ほぼ満席の傍聴者の注目の中で、被告政府は前回同様「事実の認否を行う必要無し」を繰り返し、被告企業も「不知」として、ゴマカシの態度に終始しました。これにたいして、原告側代理人から再度「事実に認否」を行うように強く要請すると同時に、裁判官にたいしても被告が「事実の認否」を行うよう訴訟指揮を取るよう要請しました。次は十月十三日です。
 七月二十九日〜三十日に開催される国際シンポジウム「東北アジア歴史像の共有を求めて」を、第二回戦後補償講座として位置付け、参加することにしました。コジェヴニコフ氏(ロシア極東総合大学東洋学院助教授)、李 錫氏(韓国ソウル大学教授)、歩平氏(中国黒龍江省社会科学院副院長)、宋煕有氏(北京大学東北アジア研究所所長)など豪華な顔触でした。
 八月の中国現地調査ツアーは申し込みが少なかったので、十月の上旬に延期することとし、これまで連絡を取り合ってきた「中国人民対外友好協会」と打ち合わせながら実施することにしました。
 弁護団が準備を進めて来た第二次提訴は、九月十二日に行うことになりました。
 八月二十日に第二回総会を行います。早くも一年間が過ぎました。課題の大きさからすれば、運動の構築はまだ始まったばかりです。特に事務局態勢と財政の確立が急務となっています。また、まだ若い人びとに運動が広がっていません。総会では、強制連行のビデオ上映と、記念講演を準備中です。

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2000年06月10日

新潟の近況(2000/6/10)

 三月二十八日に予定されていた張忠杰さん(大阪に強制連行された中国人張修正さんの遺児)を迎えての学習会は、当日になって本人の都合で急遽中止になりました。
 四月二十一日の第二回弁論に向けて、十日から五回労組・民主団体を訪問し、裁判の訴えを行いました。弁論の当日は数人の傍聴者が定員オーバーで入廷できませんでしたが、傍聴席と弁護団の強い要望で、開廷十五分後に記者席に空席があった場合に傍聴席として使用することとし、数人を入廷させることができました。今回は裁判長が変わったため更新弁論となりましたが、政府も企業も前回同様事実の認否を拒否したままです。
 五月に弁護団が第二次提訴のための現地調査に中国へ赴き、六人の人たちに会ってきました。当初八人の予定でしたが、中には最近亡くなった方もあり、提訴を急がなければならないと思いました。六月三十日の第三回弁論の前後に第二次提訴を行うことを弁護団会議で決めました。
 第一回目の連続講座を五月十七日に行いました。講師は古厩忠夫新潟大学教授で、「環日本海の近代史」と題して、近代日本が環日本海沿岸諸国の植民地支配を企図してきた歴史について講義して頂きました。参加者が十九人と少なかったが、参加者は「いい話を聞いた」と感想を述べていました。
 八月中旬に第二回総会。事務局体制と財政の確立が急務となっています。
 八月二十三日から三十日の現地調査中国ツアーは、張文彬さん在住の長沙から二手に分かれて、実施することになりました。いま現地の案内をどうするか、中国側に相談しているところです。

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2000年04月10日

新潟の近況(2000/4/10)

 第一回の弁論が年末だったため、カンパ活動が遅れ、二月一杯かかって未だも目標に達していない状況ですが、第二回が四月二十一日と既に一カ月を切っており、三月末の弁護団会議と支援両団体会議を経て精力的にオルグに入る予定です。これまでの特徴的な経過は、
 一月十九日に長岡で「戦後補償裁判の意義と課題」をテーマに集会(二十七名)が持たれ、「支える会」結成の方向が確認されたこと。
 三月二十八日に張忠杰さん(大阪に強制連行された中国人張修正さんの遺児)を迎え「支援する会」で学習会を計画したので、「支える会」でも協賛の形で参加することにしたことなどがあります。
 今後の予定としては、五月の連休に弁護団が第二次提訴のため現地調査に中国へ赴く/五月に第一回の連続講座を開始する/六月三十日の第二回弁論の前後に第二次提訴の運び/八月中旬に第二回総会/八月下旬に両方の支援団体の共催で、張文彬さんの関係の現地調査中国ツアー、などが企画されています。
 こうしてみるとかなりハードスケジュールとなっていますが、今後第二次訴訟が開始されれば、更にハードになるので、事務局体制を確立することが急務となっています。
 また、財政の確立も勿論のことです。

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2000年02月10日

新潟の近況(2000/2/10)

 十二月二十四日、張文彬さんの強制連行補償裁判の第一回口頭弁論が新潟地裁で開かれました。傍聴席の抽選交付後、テレビカメラの取り巻く中に、支援両団体代表、弁護団長のあいさつに続き、原告の子息張一憲さんと代理人の康健弁護士の力を込めたあいさつの後、整整と入場、十時半から弁論が始まりました。
 被告の国と企業は、これまでの戦後補償事件と全く同様、事実の認否を拒否し、請求棄却を求める答弁書を提出しただけでした。原告側弁護団から「事実については争うのか争わないのか」と、激しく迫りましたが、事実の認否の必要はないとの不誠実な態度の終始しました。裁判長も被告に対して事実の認否を求めることはしないという態度でした。
 夜の報告集会はクリスマス・イヴにも拘わらず、大阪、広島、福井の代表を始め七十名の参加で、六年前張さんが来日の時のビデオを上映し、怒りと確信に満ちた集会になりました。
 翌日は寒風と雨の中、強制労働現場の新潟埠頭と、海岸に立つ平和記念碑(強制連行の文字が刻まれている)を見学しました。
 その後年末と正月に入ったので、漸く一月二十四日に役員会を開き、今後の運動について話し合いました。法廷での状況は、主戦場は法廷の外にあるという、有名な松川事件の岡林弁護人の言葉を想起せざるを得ません。
 役員会では戦後補償に係る連続講座や、中国ツアーを今年計画することにしました。もちろん、法廷闘争に全力を挙げることは言うまでもありません。
   また、財政活動が、年末に係ったため、十分とは言えない状況もあり、当面さらにカンパ活動を行うことを確認しました。

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1999年10月10日

敬蘭芝さんの証言集会(1999/10/10)

 去る九月十七日、新潟市の万代市民会館で約六十名の参加者の下「敬蘭芝さんと語る集い」が「支える会」と「張文彬さんの戦後補償裁判を支援する会」(略称「支援する会」)の共催で開かれました。
 開会の挨拶で「支える会」の加村代表世話人は、原爆投下と七三一部隊の二つの人体実験を比較し、面と向かって生きた人体を切り刻む残虐性は絶対に許されないこと、同時に新ガイドラインの実施を許さない闘いが犠牲者に対する謝罪と供養になると述べました。
 次いで「支援する会」の伊藤代表は七三一部隊にまつわる事実はなかなか明らかにされないが、敬蘭芝さんの話で知識を深めたいと述べました。
 弁護団報告で大江京子弁護士は、被害者の救済と正しい歴史認識を確立するという裁判の二つの目的について最初に触れ、証人尋問を勝ち取ったこと、しかし国は一貫して事実の認否を回避して、形式的な時効論などに終始していることを述べた後、裁判を原告が優位に立って進めてきたこと、見通しは決して甘くないが、どのような判決が出ようと更に運動を進める決意であると述べました。
 新潟の張文彬事件の中村弁護士は、張文彬さんの手紙を披露しながら闘う決意を表明しました。
 敬蘭芝さんは足が悪いので腰をかけて話しました。夫と知り合った頃、日本の憲兵隊に何日も夫と一緒に拷問されたこと、夫の死を知ったのは、戦争が終わってから、それもソ連の軍事法廷での七三一部隊の戦犯の証言によってであったことなどを、約一時間にわたり生々しく語りました。そして、間もなく出る判決が正義と国際法に照らして公正であることを願っていること、また万一敗訴をしても最高裁まで闘う決意を述べました。
 最後に七三一部隊と関係のあった新潟での、この集会について感謝を述べました。

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