April 03, 2011

311に想う

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人生初の福岡の毎日は刺激的ですこぶる楽しい。
日が進むにつれて思うとおりにいかないこともたくさん出てきたけれど
そんなことは当たり前。
自分の気の持ちようだけでどうにでもなる、
と滅法ポジティブに過ごしてきた3ヶ月。
ホントにどうにでもなると思っていた。
311までは。

地震・津波・原発という災害の三階建ては
世界に類をみない規模で被害を連鎖し、
それは今も終っていない。

見たことのない津波動画、
世界を巻き込んでのpray for japanというムーブメント、
ライフラインとしてのTwitterの存在感、
一方デマすら拡散する危険性の露見、
冷静なNHKへの評価と悲劇すらエンタメしようとするCXへの失望、
存在感のない菅総理、不眠不休の枝野官房長官、
未曽有の悲劇の中でも統率と節度を忘れない日本国民への世界からの賞賛、
その一方で買い占めに走る関東以東の人々、
原発処理に挑む勇気ある消防隊の方々、
一方であまりにお粗末な東京電力の処理と会見、
今も続く計画停電による消耗と経済の停滞、
20km、30kmと拡大していく福島避難エリア、
募金、献血、ボランティアなど本当に役立つ貢献の模索、
ぽぽぽぽーんを代表とするAC広告への嫌悪と諧謔、
不謹慎、自粛の是非、
風評被害という悲劇、
売れない農作物、乳幼児に飲ませられない水道水、
マイクロシーベルト、ミリシーベルトという単位、
復興目的の大連立へのトライと瓦解、
東京電力の賠償額と国有化の可能性......

まだたった三週間。
ボクがざざっと思い返しただけでも目が回るような量の情報が流通した。
というか、未だ危機の続く現在進行形。

ただ、ここ福岡は今回の震災から最も離れた地域だったこともあり、
震災のリアリティからは申し訳ないが程遠い。
東京のような余震、停電、節電すらないので
ホントに身に迫ってこない。
日本の、人類の一大事だという感覚や、
できることを通じてなんとか復興のお手伝いをしたいという
寄り添う気持ちはあるのだが、
正直頭の中だけで消化している感じが否めず後ろめたい。



そんなボクがこの先のことを考えて暗澹となるのは
311以降、価値観が変わってしまったことである。



1.エネルギーへの信頼の揺らぎ

ボクはついこの間まで部下にも「電力は唯一無二の絶対的なエネルギー」と強弁し、
電力関係のお客様に対する営業強化を主張していた。
ガスではなく電気。
ガソリンではなく電気。
オール電化の家に住み、EVで移動するのがデフォルトな未来。
それが大きく揺らいでしまった。
日本国内はおろか世界でも(唯一CO2を出さない)原発にストップがかかり
アメリカも再び中東に目を向けだした。
地球温暖化によりなだらかに壊れていく地球よりも
放射能によりいっぺんに地球がなくなることを恐れる。
化石燃料でもなく原子力でもないのであれば
もう太陽光、風力、水力の自然エネルギーしかチョイスがないが、
それはすなわち世界経済の縮小を前提とした論議となってしまう。
即座に解決する決定打はたぶんない。
緩やかに現在の発電方法を減らし自然エネルギーに代替していくのだろう。
そのスピードを早めていくのだろう。
でもそれはドラスティックな変容ではないし、現実的でもない。
大事なことは、信じていた幹が失われ混沌が生まれてしまったことである。


2.分散への加速

1.にも記した「電気エネルギー」に集中することのリスク。
さらには原子力エネルギーに向かって集中する怖さ。
あらゆる都市機能が東京に一極集中している恐れ。
通信、物流がインフラとして整っていることを前提としたカンバン方式の脆さ。

東京がなくなっても大阪や福岡で運営ができる国作り。
備蓄の大切さ。
エネルギーや食料などにおける複数の選択肢。

未来に向かって効率化を唱え集中を加速してきたニッポンが
311によってオプションの重要性を突き付けられた。
今も余震が続き、次の震災の可能性すら否定できない今
あらゆる分散化アクションはもはや待ったなしとなってしまった。


3.不動産ではなかった

土地が70cmも下がり
1m以上横にずれ
日本地図そのものが変わってしまうような大災害。
バブル崩壊を経て色あせたとは言え
不動産神話だけは今でも生きてると信じ、
土地担保でローンを組んできたが、
今回の震災を機に
土地はそもそも不動産などではなく動産だったと気付かされた。
我らが日本はプレートという生き物の上にプカプカ浮いているだけなんだと。
思わずひょっこりひょうたん島を思い浮かべた人もたくさんいたのではないか。
今や日本中どこを探しても絶対に安全な場所などどこにもないのだ。


4.シェアから所有へ

断捨離だけではなく
所有せず分け合うことこそこれからの生き方だと思っていた。
データはクラウドにあげ、PCには所有しない。
最低限のモノだけ冷蔵庫に入れ、必要に応じてCVSなどで購入する。
カーもシェアリングする。
それもこれもライフラインを中心とする都市機能が正常運転することが前提だった。
いざ有事となると自分のテリトリーに必要なブツがないと安心できず
人はカンタンに買い占め行動に走る。
シェアは理想郷だったのか。
改めてどう生きるかを突き付けられる。


もしかしてこういう類は杞憂なのかもしれない。
日本中あらゆる機能が復旧すればそれでよく一過性の心配なのかもしれない。
でも知ってしまった。
そうなる可能性が万に一つはあることを知ってしまった。

何もないようにはもう暮らしていけない。
そんなことを思う桜の季節であります。

#81



superjetter19590106 at 22:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)雑感