November 18, 2010
行き過ぎと今の狭間で
秋本番。
日によってはひどく冷え込むことも多くなってきた毎日。
気がつけば年賀状の準備やらクリスマスイルミネーションやら
あっという間に年末ムード突入でもある。
12月決算のわが社における11月、12月というのは
次年度の組織作り、新人事の季節にあたり、
何かときぜわしい。
営業マンであるにもかかわらず
顧客に赴く時間を作りづらく
社内を奔走したりもする。
毎年の年中行事でありながら、
なんなんだこれは、と思う。
ただ、組織の長として現場メンバーに少しでも良い環境を担保する
ということもひとつの重要な仕事になるので
逃げるわけにもいかない。
会社員というのはやっかいなものである。
ほとんど寝に帰るだけの毎日。
わずかなわが家における時間や
通勤途中、営業活動途中におけるメディア接触時間のシェアが
テレビなどからSNSに大きくシフトして久しい。
Twitterやtumblrに加えてFacebookまであるんだから仕方ない。
日々他人の呟きを眺め、ときに自分でも呟き、
写真をアップし、写真にコメントし、
時間が過ぎていく。
自分でやってみなきゃわからないことはたくさんあるし
ソーシャルメディアにどっぷり浸ることで
見えてきたこともいっぱいある。
ただ、誰かが言っていた。
メディアが増えてもメンバーが変化しないから面白くない、と。
確かにその通りで、
一部のカメラ仲間なんかを除くと
どのメディアを覗いても
ボクのフォロワーや友人たちは
ほとんどがマーケティング、IT関係の
こういったメディアに先んじて取り組むメンバーたちである。
こういうTLに馴染んでいると
もはや世界中の人たちがTwitterやFacebookを使いこなしている錯覚に陥るが、
(少なくとも日本においては)そんなことは全然ない。
むしろ、業界人たちが商売半分、個人の楽しみ半分で使いこなしているのが実情で
実際に市井の人たちへの普及率はまだまだだ。
で、最近気がついた。
SNSに囲まれて
先鋭的なコミュニケーション論、コミュニケーション手法を入手したり
他人の活動に刺激されて自分を奮い立たせたりすることは
大いに必要でためになる。
ただ、一方で一般大衆の平均的な情報摂取活動、オピニオン、メディア接触などを
常にスキャンすることも重要だと。
何を今さらだが
SNSどっぷりの影響はなかなかにパワフルで
ついつい自分の周辺が一般世界だと勘違いしてしまう。
ソーシャルグラフとはそういうもので
誰でも自分の仕事を核にしたソーシャルグラフの量が最も多いと思う。
そんな自分の偏った世界観を修正するために
テレビを見、新聞を紙で読むことも重要だなあ、と。
冗談ではなく100年に1回の大変革がコミュニケーションの周辺では起こっており
それは消費者そのものがコンテンツ生成や情報発信を担うことができるようになったこと
であるし
ある勢いを持って猛烈に構造が変革しつつあることは事実だが
過渡期において
トレンドの先端だけを是とする姿勢には違和感がある。
何事も一足飛びには起こらずに
グラデーションを描くものである。
ついつい、Aは古くBこそが今なんだ
とわかりやすく整理したくなるところをぐっとこらえ
確実にこういう方向には向かっているけれど
2010年11月時点のリアルはこうだよね
という冷静な状況把握こそが求められている。
そんな自戒を込めた今である。
#0079
September 09, 2010
Gimme Shelter
毎日のように「そうか今日は8月38日だったのか」
などというつぶやきが流れ続けた2010年残暑。
さすがに朝晩の空気や日差しはずいぶん和らぎ
虫の音色なども聞こえてくると
遅すぎた秋の訪れを感じる。
半月前の浜離宮恩賜公園のお花畑には
例年通りキバナコスモスが咲き乱れていたが、
8月の激しい射熱にやられて相当いたんでいた。
(写真は生き残ってたコスモス)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
思えば、
ソーシャルネットワークの面白さを体感したのはmixiが初めて。
2007年5月から本格的に参加して、
今でこそ開店休業しているが、
たくさんのマイミクさんと知り合い、実際に会い、
今でも多くの人とつきあっている。
ただ、その中でさまざまなトラブルにも巻き込まれ、
バーチャルコミュニティでの振舞いや怖さなんかも
勉強、体験させてもらった。
その後・・・
blog:2009年1月
livedoorPICS:2009年4月
(iPhone 3GS:2009年10月)
Twitter:2009年10月
Tumblr:2010年2月
fotologue:2010年8月
Facebook:2010年9月
Frickr:2010年9月
と、写真共有サイトを含めてさまざまなSNSに参加、
バーチャルな社会を満喫させてもらっている。
最初は、
Twitterで刺激をもらい、
Tumblrでアーカイブして、
blogで纏め上げる
ってな風に使うことを考えていたが、
グローバルで5億人のユーザを抱えたFacebookが
FrickrやTwitterとシームレスに連携したもんだから
もはやFacebookを母艦とすることから逃れられないところまできた。
Facebookは日本人には合わない、
と言われてきたが、
ボクの周りではドンドン参加するようになってきているし、
何より、米国人の(たぶん)99%がアカウントを持っているので
メールアドレスよりも大事なFacebookアカウント、という風情だ。
mixiから始めた典型的日本人としては
ネットで実名を晒すことには大いなる違和感があったが、
そもそもTwitterでの欧米人はみな実名だし、
Facebookは逆に自分が何者かを表明してなんぼの世界なので、
ハンドルネームなどありえない。
で、
Facebookで
実名は言うに及ばず、
学歴、職場、趣味、交友関係まで晒し、
Twitterのつぶやきで日常まで晒し
っていう「真っ裸」状態を提示したとき、
初めて「ソーシャルグラフ」ってのを意識した。
ワンストップでFacebookに自分の半生と今をアーカイブしたとき、
自分の持ち物がたいしたことないこと、
自分が提供できそうなこと、
今のステイタス、
これからへの希望、
みたいなことを考え出し、
そんなときに今の職場や役職なんてほんのお飾りだってことにも気付く。
裸の自分がそれ以上の何者でもなく、
それでも縁を結んでくれる人たちと何かをしでかしたい、
ってことを確認できるっていう感覚。
そんな風に恥も外聞もなく自らを晒し勝負していく気概がないと
ヴァーチャル、リアルを問わず「社会」では生きていけないし、
そういったことを否が応でも求められる時代が来た。
ボクらオールド世代は変革を求められるし、
いわゆるデジタルネイティブは生まれついてそういうセンスを持っている。
前向きに考えるのであれば、
今、ボクらは前の時代と後の時代の境目にいて、
これから先、とてつもなく素晴らしい何かが産み出されていくのかもしれない。
(さまざまな閉塞感を感じて
Gimme Shelterなどと思っていた自分への反省をこめたタイトル)
#0075
などというつぶやきが流れ続けた2010年残暑。
さすがに朝晩の空気や日差しはずいぶん和らぎ
虫の音色なども聞こえてくると
遅すぎた秋の訪れを感じる。
半月前の浜離宮恩賜公園のお花畑には
例年通りキバナコスモスが咲き乱れていたが、
8月の激しい射熱にやられて相当いたんでいた。
(写真は生き残ってたコスモス)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
思えば、
ソーシャルネットワークの面白さを体感したのはmixiが初めて。
2007年5月から本格的に参加して、
今でこそ開店休業しているが、
たくさんのマイミクさんと知り合い、実際に会い、
今でも多くの人とつきあっている。
ただ、その中でさまざまなトラブルにも巻き込まれ、
バーチャルコミュニティでの振舞いや怖さなんかも
勉強、体験させてもらった。
その後・・・
blog:2009年1月
livedoorPICS:2009年4月
(iPhone 3GS:2009年10月)
Twitter:2009年10月
Tumblr:2010年2月
fotologue:2010年8月
Facebook:2010年9月
Frickr:2010年9月
と、写真共有サイトを含めてさまざまなSNSに参加、
バーチャルな社会を満喫させてもらっている。
最初は、
Twitterで刺激をもらい、
Tumblrでアーカイブして、
blogで纏め上げる
ってな風に使うことを考えていたが、
グローバルで5億人のユーザを抱えたFacebookが
FrickrやTwitterとシームレスに連携したもんだから
もはやFacebookを母艦とすることから逃れられないところまできた。
Facebookは日本人には合わない、
と言われてきたが、
ボクの周りではドンドン参加するようになってきているし、
何より、米国人の(たぶん)99%がアカウントを持っているので
メールアドレスよりも大事なFacebookアカウント、という風情だ。
mixiから始めた典型的日本人としては
ネットで実名を晒すことには大いなる違和感があったが、
そもそもTwitterでの欧米人はみな実名だし、
Facebookは逆に自分が何者かを表明してなんぼの世界なので、
ハンドルネームなどありえない。
で、
Facebookで
実名は言うに及ばず、
学歴、職場、趣味、交友関係まで晒し、
Twitterのつぶやきで日常まで晒し
っていう「真っ裸」状態を提示したとき、
初めて「ソーシャルグラフ」ってのを意識した。
ワンストップでFacebookに自分の半生と今をアーカイブしたとき、
自分の持ち物がたいしたことないこと、
自分が提供できそうなこと、
今のステイタス、
これからへの希望、
みたいなことを考え出し、
そんなときに今の職場や役職なんてほんのお飾りだってことにも気付く。
裸の自分がそれ以上の何者でもなく、
それでも縁を結んでくれる人たちと何かをしでかしたい、
ってことを確認できるっていう感覚。
そんな風に恥も外聞もなく自らを晒し勝負していく気概がないと
ヴァーチャル、リアルを問わず「社会」では生きていけないし、
そういったことを否が応でも求められる時代が来た。
ボクらオールド世代は変革を求められるし、
いわゆるデジタルネイティブは生まれついてそういうセンスを持っている。
前向きに考えるのであれば、
今、ボクらは前の時代と後の時代の境目にいて、
これから先、とてつもなく素晴らしい何かが産み出されていくのかもしれない。
(さまざまな閉塞感を感じて
Gimme Shelterなどと思っていた自分への反省をこめたタイトル)
#0075
April 20, 2010
つぶやく世の中に向けて
春と冬を交互に過ごしつつも
4月も下旬にはいろうかというこの時期、
さすがに、寒さにも迫力がなくなってきた。
ソメイヨシノが葉桜になり、
八重桜が満開になり、
本格的な春到来である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Twitterを代表とするソーシャルメディアコミュニケーションを巡る環境が
著しく変化していることを最近実感する。
★えっ?っていうようなお客さんから「新しいコミュニケーションスキーム」を
提案してほしい、と要請される。
★えっ?っていうような役員から、消費者はパートナーである的な発言がなされる。
★ずえったいやらないもんね、と豪語していた谷垣総裁がTwitterを始めた。
★つぶやきゼロの浜崎あゆみのフォロワーがあっという間に10,000人を超えた。
折しも、最近のblogで、
mb101boldさん(ある広告人の告白)は「交差点的」というエントリーを、
さとなおさん(さなメモ)は「ツイッター『ホコテン』論」をあげていた。
どちらも、
Twitterというのは、見知らぬ他人同士が道端で言葉を交わす様に例えられている。
たまたま道ですれ違い共通の話題について一言二言交わし、別れていく。
そんなメタファーである。
確かに、
数多くのフォロワーが集合離散していくTLはそんな感じ。
ただ、日常的に最もアクセスする知り合いのlist(ボクの場合はfriend)は
結構閉じた空間で、
集会所に集まったご近所さん、といった風情である。
そういった意味ではmixiに近い感覚かもしれない。
いずれにしても、
Twitter、ないしはTwitter的なものはもうこの世に登場してしまい、
これらがなくなることはあり得ない。
流行でもなんでもなく、
インフラとしてそこにあるものになってしまった。
だから、Twitterの功罪を説いたり、
Twitterの使いこなしをうんぬんするのは意味がない。
最近、識者が良く言うように、
「Twitterは社会そのものである」
っていうことなんだと思う。
社交的なヒトも引っ込み思案なヒトも、
愉快なヒトもかき回す悪人も、
いろんなヒトがいて社会でありTwitterである、と。
ボクが昨年Twitterを始めたとき、
本部員の誰かに、良くあんなつぶやきをあげてますね、と言われたし、
最近も、あるヒトから、ちょっと本部長として軽くないっすか、とも言われた。
あるポジションのビジネスマンのつぶやきとしての適不適については何とも言えない。
ただ、業務上知り得たことをつぶやかない、
特定個人を指して批判しない、
一定レベルの会話以下のことをつぶやかない、
など常識的な線引きは自分でしているつもりだし、
しょせん、裸が透けるのがTwitterなんだから、
あまりとりつくろっても仕方がない。
それよりは、自分の出自を明かした上で、いっぱいつぶやくことが、
Twitterというソーシャル(社会)でのふるまいとしては正しいし、
楽しめることなんじゃないかな、と思う。
スマートフォンを扱い、
ソーシャルなコミュニケーションを空気のように感じ、
すべての書物はiPadで読みこなす、
そんなジェネレーションに通用するコミュニケーション手段の開発。
これを、面白いと思うか、
やっかいだと思うか、
それは、今を楽しんでいないヒトに考えられるわけがないのだとつくづく思う。
#0071
4月も下旬にはいろうかというこの時期、
さすがに、寒さにも迫力がなくなってきた。
ソメイヨシノが葉桜になり、
八重桜が満開になり、
本格的な春到来である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Twitterを代表とするソーシャルメディアコミュニケーションを巡る環境が
著しく変化していることを最近実感する。
★えっ?っていうようなお客さんから「新しいコミュニケーションスキーム」を
提案してほしい、と要請される。
★えっ?っていうような役員から、消費者はパートナーである的な発言がなされる。
★ずえったいやらないもんね、と豪語していた谷垣総裁がTwitterを始めた。
★つぶやきゼロの浜崎あゆみのフォロワーがあっという間に10,000人を超えた。
折しも、最近のblogで、
mb101boldさん(ある広告人の告白)は「交差点的」というエントリーを、
さとなおさん(さなメモ)は「ツイッター『ホコテン』論」をあげていた。
どちらも、
Twitterというのは、見知らぬ他人同士が道端で言葉を交わす様に例えられている。
たまたま道ですれ違い共通の話題について一言二言交わし、別れていく。
そんなメタファーである。
確かに、
数多くのフォロワーが集合離散していくTLはそんな感じ。
ただ、日常的に最もアクセスする知り合いのlist(ボクの場合はfriend)は
結構閉じた空間で、
集会所に集まったご近所さん、といった風情である。
そういった意味ではmixiに近い感覚かもしれない。
いずれにしても、
Twitter、ないしはTwitter的なものはもうこの世に登場してしまい、
これらがなくなることはあり得ない。
流行でもなんでもなく、
インフラとしてそこにあるものになってしまった。
だから、Twitterの功罪を説いたり、
Twitterの使いこなしをうんぬんするのは意味がない。
最近、識者が良く言うように、
「Twitterは社会そのものである」
っていうことなんだと思う。
社交的なヒトも引っ込み思案なヒトも、
愉快なヒトもかき回す悪人も、
いろんなヒトがいて社会でありTwitterである、と。
ボクが昨年Twitterを始めたとき、
本部員の誰かに、良くあんなつぶやきをあげてますね、と言われたし、
最近も、あるヒトから、ちょっと本部長として軽くないっすか、とも言われた。
あるポジションのビジネスマンのつぶやきとしての適不適については何とも言えない。
ただ、業務上知り得たことをつぶやかない、
特定個人を指して批判しない、
一定レベルの会話以下のことをつぶやかない、
など常識的な線引きは自分でしているつもりだし、
しょせん、裸が透けるのがTwitterなんだから、
あまりとりつくろっても仕方がない。
それよりは、自分の出自を明かした上で、いっぱいつぶやくことが、
Twitterというソーシャル(社会)でのふるまいとしては正しいし、
楽しめることなんじゃないかな、と思う。
スマートフォンを扱い、
ソーシャルなコミュニケーションを空気のように感じ、
すべての書物はiPadで読みこなす、
そんなジェネレーションに通用するコミュニケーション手段の開発。
これを、面白いと思うか、
やっかいだと思うか、
それは、今を楽しんでいないヒトに考えられるわけがないのだとつくづく思う。
#0071
February 02, 2010
ソフトバンク、ダダ漏れ決算発表中継の意味
本日のソフトバンク決算発表のUstreamダダ漏れ中継は「ニュース」だった。
たぶん、今日、多くのblogで語られるだろうが、
★企業から消費者への情報伝送路の変革
★企業IRの変革
★企業トップのパフォーマンス能力必要性の確認
など、
09年から明らかに実体化し始めた
コミュニケーション革命の具体がそこにあった。
見た目には、
★世界で始めてのUst+Twitterによるリアルタイム中継
★常時5,500人超の視聴者(視聴人数も可視化)
★1秒に5〜10ポスト近い高速TL
など、明らかに「今」が体現されていた。
また、孫社長のプレゼンテーションは、
本人のコミュニケーションスキルの高さも相まって見ごたえがあり、
★中国ビジネスは勝つまで続ける
★タオバオには青天井で資金供与した
★中国で6億人のユーザーを抱える日本企業はSB以外になしえていない
★アジアを制するものは世界を制する
★モバイルを制するものはインターネットを制する
★インテリジェンスを備えていない既存のケータイは時間の問題で消滅する
★すべてはスマートフォンに収斂する
など、キャッチーな発言が相次いだ。
さらに、
★iPadは供給するのか
★マイクロSIMは発売するのか
★ウィルコム救済はするのか
などの質問には、にっこり笑って「ノーコメント」「お答えする立場にない」
を貫いた。
ただ、iPadなどについては、「やるけど言えないでしょ」を言外に匂わせて。
先端でスマートな技術を世界に供給し
「革新のブランド〜ソフトバンク」を主張する目的は
少なくとも5,500人には届いたのではないだろうか。
何より、
1月から孫社長自身がつぶやき始め、
すぐに全社員にTwitterアカウント取得を命じ、
1/29にUstreamに資本を入れて
今日の中継である。
ITの真ん中を歩き続け
数々の失敗と大きな成功を体験した孫正義が
これから10年のストリームに確信をもった上で臨んだ本日の会見。
その場にいられたボクも含めて5,500人に対して震えを与えた意義は
決して小さくない。
#0066
たぶん、今日、多くのblogで語られるだろうが、
★企業から消費者への情報伝送路の変革
★企業IRの変革
★企業トップのパフォーマンス能力必要性の確認
など、
09年から明らかに実体化し始めた
コミュニケーション革命の具体がそこにあった。
見た目には、
★世界で始めてのUst+Twitterによるリアルタイム中継
★常時5,500人超の視聴者(視聴人数も可視化)
★1秒に5〜10ポスト近い高速TL
など、明らかに「今」が体現されていた。
また、孫社長のプレゼンテーションは、
本人のコミュニケーションスキルの高さも相まって見ごたえがあり、
★中国ビジネスは勝つまで続ける
★タオバオには青天井で資金供与した
★中国で6億人のユーザーを抱える日本企業はSB以外になしえていない
★アジアを制するものは世界を制する
★モバイルを制するものはインターネットを制する
★インテリジェンスを備えていない既存のケータイは時間の問題で消滅する
★すべてはスマートフォンに収斂する
など、キャッチーな発言が相次いだ。
さらに、
★iPadは供給するのか
★マイクロSIMは発売するのか
★ウィルコム救済はするのか
などの質問には、にっこり笑って「ノーコメント」「お答えする立場にない」
を貫いた。
ただ、iPadなどについては、「やるけど言えないでしょ」を言外に匂わせて。
先端でスマートな技術を世界に供給し
「革新のブランド〜ソフトバンク」を主張する目的は
少なくとも5,500人には届いたのではないだろうか。
何より、
1月から孫社長自身がつぶやき始め、
すぐに全社員にTwitterアカウント取得を命じ、
1/29にUstreamに資本を入れて
今日の中継である。
ITの真ん中を歩き続け
数々の失敗と大きな成功を体験した孫正義が
これから10年のストリームに確信をもった上で臨んだ本日の会見。
その場にいられたボクも含めて5,500人に対して震えを与えた意義は
決して小さくない。
#0066
January 30, 2010
Lifetime is like a "Time Line".
今日、いつものように
オフィスの喫煙室でiPhone片手にTwtterを見てたら、
別フロアの同僚がスリスリ寄ってきて、
「おもしろいっすか?Twitter」
「ちょっと、見せてくださいよ」
と言って来た。
「ほいよ」
と差し出すと、
「なんかくだらないこと書いてますね」
と返された。
そのとおり。
誠に些細で取るに足らないことをつぶやき、
時につぶやき返すのがTwitter。
だけど、
考えてみれば、
ボクらの日々のいかにくだらないことか。
小さなことにグジグジ悩み、
ちょっとしたことでバカ笑いをする。
天下国家を語ってみることも時にあるけれど、
ゴミのように小さな出来事の積み重ねこそが人生ではあるまいか。
それでも、
あるときかけがえのない出会いがあり、
こどもを授かり、
奇跡のような愛を知り、
life is beautiful!
などと感嘆したりする。
それが人生ではあるまいか。
iPhoneの画面を人差し指でツルッとすると
高速でスクロールしていく。
でも、ひとつひとつのつぶやきは
誠に小さく、誠に弱い。
Twitterで言うTimeLineこそ人生そのものだ。
今、佐々木譲の「警官の血」を読んでいる。
親子三代に渡る警察官の物語。
インスパイアされて、
ボクの父親の人生、
祖父の生き方、
などに思いを馳せたりする。
齢51歳、
1月最終週のウィークエンドはちょっと感傷的である。
#0065
オフィスの喫煙室でiPhone片手にTwtterを見てたら、
別フロアの同僚がスリスリ寄ってきて、
「おもしろいっすか?Twitter」
「ちょっと、見せてくださいよ」
と言って来た。
「ほいよ」
と差し出すと、
「なんかくだらないこと書いてますね」
と返された。
そのとおり。
誠に些細で取るに足らないことをつぶやき、
時につぶやき返すのがTwitter。
だけど、
考えてみれば、
ボクらの日々のいかにくだらないことか。
小さなことにグジグジ悩み、
ちょっとしたことでバカ笑いをする。
天下国家を語ってみることも時にあるけれど、
ゴミのように小さな出来事の積み重ねこそが人生ではあるまいか。
それでも、
あるときかけがえのない出会いがあり、
こどもを授かり、
奇跡のような愛を知り、
life is beautiful!
などと感嘆したりする。
それが人生ではあるまいか。
iPhoneの画面を人差し指でツルッとすると
高速でスクロールしていく。
でも、ひとつひとつのつぶやきは
誠に小さく、誠に弱い。
Twitterで言うTimeLineこそ人生そのものだ。
今、佐々木譲の「警官の血」を読んでいる。
親子三代に渡る警察官の物語。
インスパイアされて、
ボクの父親の人生、
祖父の生き方、
などに思いを馳せたりする。
齢51歳、
1月最終週のウィークエンドはちょっと感傷的である。
#0065
January 18, 2010
直接民主主義の行方
昨年さとなおさんが鳩山総理にTwitterをお薦めしたときに
まさか新年早々から実際に始めるとは
(少なくともボクは)思わなかった。
それほどのスピードで時代が動いている。
自分が10月から始めて
すっかりTwitter中毒になっているから
客観的な視点を持ちにくいが
ひとつの技術革新がインフラとしてキャズムを越える瞬間に
まさに今立ち会っている実感がある。
先週末のNHK「週刊こどもニュース」で取り上げられたときなんか
笑っちゃいましたからね。
本日発売の週刊ダイヤモンドはTwitter大特集。
いいタイミングでの特集なので
全貌がキレイにまとまっていると思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
間接民主制っていうのは
衆愚を前提にして作られている。
何もわからない民にかわって専門知識を持った選良が
日本国の運営を司ってあげましょうと。
また、民の意見をすいあげ実現していくツールもなかったので
選良が民を代弁してあげましょうと。
そこには当然「権益」が生じ
無意識に、時に意識的に時間をかけて実現のありがたみを生み出す。
さらには、
メディアが民にニュースを伝えてあげましょうと。
メディアは特別なルートを持っているから
皆さんの知らない世界を知らせてあげましょうということで
そこにも権益が生じた。
そういった民と何かの間にはいって機能してきた「集団」が
Twitterのようなツールによって
そのありがたみを急激に失いつつある。
政治家が
メディアが
そして我々広告会社も
ハイチ大地震のニュースは
まずTwitterで現地住人の方々から直接写真や動画もはいった形で世界に送られ
CNNはそれを後追いした。
日本政府がまごまごする間にも
民自身が募金のシステムを立ち上げ
それこそ草の根的に集金が始まった。
(天災における人道的な援助のように)
国益や個人的な権益を明らかに越えた事象の前に
国の政治は
そのスピードにおいて
判断において
残念ながら無力である。
政治家は理想を掲げ国を牽引する役割を果たすべきであろうが、
一方で本来的な公僕というポジションを大きく求められる時代がやってきた。
そんな強い実感。
#0062
まさか新年早々から実際に始めるとは
(少なくともボクは)思わなかった。
それほどのスピードで時代が動いている。
自分が10月から始めて
すっかりTwitter中毒になっているから
客観的な視点を持ちにくいが
ひとつの技術革新がインフラとしてキャズムを越える瞬間に
まさに今立ち会っている実感がある。
先週末のNHK「週刊こどもニュース」で取り上げられたときなんか
笑っちゃいましたからね。
本日発売の週刊ダイヤモンドはTwitter大特集。
いいタイミングでの特集なので
全貌がキレイにまとまっていると思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
間接民主制っていうのは
衆愚を前提にして作られている。
何もわからない民にかわって専門知識を持った選良が
日本国の運営を司ってあげましょうと。
また、民の意見をすいあげ実現していくツールもなかったので
選良が民を代弁してあげましょうと。
そこには当然「権益」が生じ
無意識に、時に意識的に時間をかけて実現のありがたみを生み出す。
さらには、
メディアが民にニュースを伝えてあげましょうと。
メディアは特別なルートを持っているから
皆さんの知らない世界を知らせてあげましょうということで
そこにも権益が生じた。
そういった民と何かの間にはいって機能してきた「集団」が
Twitterのようなツールによって
そのありがたみを急激に失いつつある。
政治家が
メディアが
そして我々広告会社も
ハイチ大地震のニュースは
まずTwitterで現地住人の方々から直接写真や動画もはいった形で世界に送られ
CNNはそれを後追いした。
日本政府がまごまごする間にも
民自身が募金のシステムを立ち上げ
それこそ草の根的に集金が始まった。
(天災における人道的な援助のように)
国益や個人的な権益を明らかに越えた事象の前に
国の政治は
そのスピードにおいて
判断において
残念ながら無力である。
政治家は理想を掲げ国を牽引する役割を果たすべきであろうが、
一方で本来的な公僕というポジションを大きく求められる時代がやってきた。
そんな強い実感。
#0062
January 05, 2010
2010年、明けましておめでとうございます。
この年末年始は2年ぶりの里帰りをした。
幸い懸命なる弟、妹はそれぞれ3子、1.5子(0.5は腹内)をもうけ、
順調な家庭生活を送っているので、
79歳と74歳になる両親も正月の子孫大集合は楽しみにしていたみたい。
今年の愛知県は尾張以西が大雪に見まわれ
珍しく一面雪の正月となった。
初めて雪を見る姪っ子のひとりは大喜び。
父親が音頭をとって始めた雪合戦に狂喜乱舞である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
激動の2009年を終え、
コミュニケーションを巡る環境は激変した。
後戻りできない構造変革が起こったわけだが、
ボクらのビジネスの次はまだ見えてこない。
新しいコミュニケーションの形は社会的にオーソライズされたが
それをボクらが属する企業/業界がマネタイズする方法を見つけられていないのだ。
(これは、会社の問題というより、業界全体の悩みである。)
そんな中、
この年末年始はTwitterブレイクのおかげで面白い正月になった。
なんせ、日本でTwitterが広まって初めて迎える正月である。
まず、紅白歌合戦でTwitterが大きな役割を果たした。
今もって国民的行事である紅白をTwitter片手に視聴した人が
日本各地に多数いたおかげで
「とてつもなくでっかいお茶の間」がバーチャルに誕生した。
嵐に萌え、矢沢に騒ぎ、小林幸子ロボットにつっこむ様が
Twitter上で共有されたのである。
#kouhakuのハッシュタグを見てれば
紅白を視聴していなくても盛り上がりが追いかけられた。
(実際、ボクレベルの初心者でもTimeLineの流れはすさまじく速かった。)
さらに、
柏原という稀代のスターが登場した箱根駅伝では、
#hakone2010や#ekidenといったハッシュが乱立し、
あちこちでにわか応援団たちがTwitter上で激を飛ばした。
お茶の間でひとつのテレビモニターを3世代が眺め
ああでもないこうでもないと会話を交わす状況が消えて久しいが、
年末年始のように日本中が特定LIVE番組に夢中になる状況は
Twitterと甚だ親和性が高い。
古くはniftyの掲示板、
最近ではニコ動やmixiのコミュニティなど
特定イシューを仲間内でいじるコミュニケーションの歴史は長いが、
Twitterのそれは、
それまで離散していた大衆がOA時間になるとどこからかわらわら集まってきて
大いに盛り上がる時間を共有し
どこへともなく去っていくという意味で、
これまでとは全く違う。
コミュニティそのものがフローしていて柔軟だ。
よく言われるように、
これまでのメディアはblogでさえもストックだったが、
Twitterは限りなくリアルタイムに近いフロー。
究極のフローであるLIVE番組と相性がいいのはあたりまえ。
誰も柏原が4分半をひっくり返す結末を知らないのだから。
メディアが独立して役割を果たすのではなく
各々が作用しあって境界線を曖昧にしながら
コミュニケーションの世界が作られていくことに誰も異論を挟まないが
まさに既存プログラム(メディア)のハブとして
Twitterが存在することがリアルになった瞬間だと思う。
2009年が終り2010年が明けるその瞬間、
ボクはさまざまなおめでとうをTwitterのアカウントとして共有していたが、
その段階でもちろん年賀状は届いていないし、
ケータイメールは制限がかかっていたので一通のおめでとうメールも来なかった。
2010年というのはそういう始まり方をしたんだ、
ってきっと後から思い出す。
そんな気がする。
#0061
幸い懸命なる弟、妹はそれぞれ3子、1.5子(0.5は腹内)をもうけ、
順調な家庭生活を送っているので、
79歳と74歳になる両親も正月の子孫大集合は楽しみにしていたみたい。
今年の愛知県は尾張以西が大雪に見まわれ
珍しく一面雪の正月となった。
初めて雪を見る姪っ子のひとりは大喜び。
父親が音頭をとって始めた雪合戦に狂喜乱舞である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
激動の2009年を終え、
コミュニケーションを巡る環境は激変した。
後戻りできない構造変革が起こったわけだが、
ボクらのビジネスの次はまだ見えてこない。
新しいコミュニケーションの形は社会的にオーソライズされたが
それをボクらが属する企業/業界がマネタイズする方法を見つけられていないのだ。
(これは、会社の問題というより、業界全体の悩みである。)
そんな中、
この年末年始はTwitterブレイクのおかげで面白い正月になった。
なんせ、日本でTwitterが広まって初めて迎える正月である。
まず、紅白歌合戦でTwitterが大きな役割を果たした。
今もって国民的行事である紅白をTwitter片手に視聴した人が
日本各地に多数いたおかげで
「とてつもなくでっかいお茶の間」がバーチャルに誕生した。
嵐に萌え、矢沢に騒ぎ、小林幸子ロボットにつっこむ様が
Twitter上で共有されたのである。
#kouhakuのハッシュタグを見てれば
紅白を視聴していなくても盛り上がりが追いかけられた。
(実際、ボクレベルの初心者でもTimeLineの流れはすさまじく速かった。)
さらに、
柏原という稀代のスターが登場した箱根駅伝では、
#hakone2010や#ekidenといったハッシュが乱立し、
あちこちでにわか応援団たちがTwitter上で激を飛ばした。
お茶の間でひとつのテレビモニターを3世代が眺め
ああでもないこうでもないと会話を交わす状況が消えて久しいが、
年末年始のように日本中が特定LIVE番組に夢中になる状況は
Twitterと甚だ親和性が高い。
古くはniftyの掲示板、
最近ではニコ動やmixiのコミュニティなど
特定イシューを仲間内でいじるコミュニケーションの歴史は長いが、
Twitterのそれは、
それまで離散していた大衆がOA時間になるとどこからかわらわら集まってきて
大いに盛り上がる時間を共有し
どこへともなく去っていくという意味で、
これまでとは全く違う。
コミュニティそのものがフローしていて柔軟だ。
よく言われるように、
これまでのメディアはblogでさえもストックだったが、
Twitterは限りなくリアルタイムに近いフロー。
究極のフローであるLIVE番組と相性がいいのはあたりまえ。
誰も柏原が4分半をひっくり返す結末を知らないのだから。
メディアが独立して役割を果たすのではなく
各々が作用しあって境界線を曖昧にしながら
コミュニケーションの世界が作られていくことに誰も異論を挟まないが
まさに既存プログラム(メディア)のハブとして
Twitterが存在することがリアルになった瞬間だと思う。
2009年が終り2010年が明けるその瞬間、
ボクはさまざまなおめでとうをTwitterのアカウントとして共有していたが、
その段階でもちろん年賀状は届いていないし、
ケータイメールは制限がかかっていたので一通のおめでとうメールも来なかった。
2010年というのはそういう始まり方をしたんだ、
ってきっと後から思い出す。
そんな気がする。
#0061
December 28, 2009
2009年という歴史的な年が暮れる3
★なんと言ってもTwitter★
2009年のコミュニケーション変革の象徴。
これからのコミュニケーションの構造を大きく変えるツール。
日本においてキャズムを超えたのは、
明らかに今年の夏から秋にかけてではないだろうか。
誰に聞いても異論がないであろうこのインフラは
これまでの情報の流れを一度チャラにした、
という意味で革新的である。
1.完全なオープンソース/ぼんやりとしたビジネスモデル
そもそも創業者の二人は、
世界を変えるつもりで開発したわけではないため、
どうやってマネタイズするのかが甚だぼんやりしている。
今や看過できないスケールまで育ち、
MSやGoogleが合わせて50万ドルという莫大なカネで提携をしたため、
黒字になった模様だが、
果たしてどうするつもりだったのか。
また、彼らはTwitterのシンプルな構造が壊れるのを嫌がり、
周辺のアプリ開発は外部に好きなようにさせている。
囲い込みとは全く逆の発想で、
だからこそ、こぞって便利ツールがあちこちから続々開発される。
(iPhoneやアンドロイドのAPPを見ていても、
遥か昔、SONY式の囲い込みはもうありえないようだ)
2.モバイルとの親和性
140文字、即時性、という2点を見ただけで、
PCよりもモバイルに適したツールであるのは明らか。
ボクもiPhoneにしたからTwitterにドライブがかかった。
日本ではモバツイッターがなければここまで広がらなかった気がする。
実際に、時間を共有してつぶやく、から場所を共有してつぶやく、
という風にクライアントも広がりを見せているのは、
さもありなんである。
3.だだ漏れの情報
mixiの日記やblogでさえも、
考えを整理して、ストックした情報を披露する形だった。
いや、それに気がついたのは、
TwitterというひたすらTLが流れていく形式に触れてしまったから。
瞬発力で反応し、
それがどんどん消費されていく。
実生活では、情報というものはそういった性格のものだが、
それがガジェットの中で実現したことに驚きがある。
4.オウンリスク〜平たい社会の誕生
そして、これが一番大きな出来事。
最近になって孫、三木谷、といった大企業トップが実名でつぶやき始めた。
(もちろん、オバマはとっくにつぶやいていたけど)
企業のトップが放つ一言は、
どちらかというとリスクの方が大きい。
特にTwitterのような本音に近いベースの発言は、
いわゆる揚げ足とりにさらされやすい。
にもかかわらず、
そういったことは百も承知で彼らはつぶやき始めた。
これは、しかるべき専門部署(広報など)の検閲を通った安全な組織の意見より、
多少危なっかしくても、体温の感じられる人間的な肉声の方が、
情報として価値が高い、と見切った証左である。
つまり、
ツリー型の社会ではなく、
限りなく平板な、
ある局面においては立場を超えた、
フラットな情報社会の実現である。
Twitterをやってると、
芸能人、社会的成功者、権威、
など自分とは程遠いと思っていた人から思わぬRTをいただいたりして驚くことがある。
嬉しい、とともに、情報共有というステージではイーブンなんだという自信がわく。
早速なりすましの登場というリスクを経ながらも、
新年から鳩山首相のつぶやきが始まる(らしい)。
情報変革は、YouTubeやTwitterという平らな大地から始まったのである。
#0059
November 04, 2009
過去、現在、未来
10月1日、auケータイ3年目初日、というピンポイントを狙って、
念願のiPhone3GSにMNPした。
10月29日、寝かせていたtwitterのアカウントをアクティブにして、
遅まきながらつぶやきを始めてみた。
iPhoneのAPPにmixiボイスをフォローするものがあったので、
ご丁寧にボイスまでtwitterと同次元でtimelineを追いかけることができるようになった。
おかげで、自分をとりまく情報の速度が激変し、渦に巻き込まれたまま、もがいている。
twitterがflowなんだ、ということはやってみなければわからなかった。
つぶやいたその瞬間、その場所が「今」で、
その下のtimelineは過去。
リロードすると未来が現れ、すぐに今になる。
そういう感覚で情報を捉えるようになると、
4メディアのようなクラシカルメディアはみなストックだなあ、と感じる。
TVですら、ニュースやスポーツのLive中継以外はストックだもんな。
意識せずに、
読書が滞り、新聞記事をすっ飛ばし気味にし、ドラマへの興味が薄れる。
「なう」こそがfreshな感覚になってしまう。
これが一時的なtwitterシンドロームなのか、
こうして情報速度や情報鮮度の水準が変わって行くのか。
ボクらのビジネスの速度も
ちんたらローンチしてんじゃねえよ、
って感覚になるのかなあ。
少なくとも、クライアントやコンシューマーの感覚変化があったら、
ボクらも変わらざるをえない。
そういう時間の流れがある中で、
完全な過去アーカイブである「this is it」が大評判になったりする。
こういったこと、
しっかり考えて仕事をしていかないと、
なんか勘違いしちゃうかも、
って感じた夜だった。
なんと、40日ぶりのblogアップ。
ちんたらしてるのはボク自身でありました。
#0056
念願のiPhone3GSにMNPした。
10月29日、寝かせていたtwitterのアカウントをアクティブにして、
遅まきながらつぶやきを始めてみた。
iPhoneのAPPにmixiボイスをフォローするものがあったので、
ご丁寧にボイスまでtwitterと同次元でtimelineを追いかけることができるようになった。
おかげで、自分をとりまく情報の速度が激変し、渦に巻き込まれたまま、もがいている。
twitterがflowなんだ、ということはやってみなければわからなかった。
つぶやいたその瞬間、その場所が「今」で、
その下のtimelineは過去。
リロードすると未来が現れ、すぐに今になる。
そういう感覚で情報を捉えるようになると、
4メディアのようなクラシカルメディアはみなストックだなあ、と感じる。
TVですら、ニュースやスポーツのLive中継以外はストックだもんな。
意識せずに、
読書が滞り、新聞記事をすっ飛ばし気味にし、ドラマへの興味が薄れる。
「なう」こそがfreshな感覚になってしまう。
これが一時的なtwitterシンドロームなのか、
こうして情報速度や情報鮮度の水準が変わって行くのか。
ボクらのビジネスの速度も
ちんたらローンチしてんじゃねえよ、
って感覚になるのかなあ。
少なくとも、クライアントやコンシューマーの感覚変化があったら、
ボクらも変わらざるをえない。
そういう時間の流れがある中で、
完全な過去アーカイブである「this is it」が大評判になったりする。
こういったこと、
しっかり考えて仕事をしていかないと、
なんか勘違いしちゃうかも、
って感じた夜だった。
なんと、40日ぶりのblogアップ。
ちんたらしてるのはボク自身でありました。
#0056