BEATLES
2011年01月01日
ビートルズ 24
NO.01633ビートルズのオリジナル・アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(1967年)
明けましておめでとうございます

明けたと同時とはいきませんでしたが、今年早くも最初の更新です

昨年のこのブログを通じての常連の皆さんや新しい人との交流は、OZZYの生活の楽しい潤滑油になりました。
今年も何の成長も出来ないOZZYだと思いますが、昨年同様温かく見守って下さい。
さて、新年最初の1枚は拘ります。
(昨年が、広末だった事は内緒です)
何と5年間、今まで取り上げなかったこの歴史的名盤です。
メンバーが好き勝手に集めたジャケのインパクトに導かれるように、サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドのショーが始まります。
リンゴの頼りないヴォーカルが微笑ましい(2)「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・フレンズ」、薬物疑惑を醸し出したLSDソング(3)「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」、ストリングスを上手く使ったポールの真骨頂(6)「シーズ・リーヴィング・ホーム」、そして、歌詞も素晴らしい!ビートルズの集大成的名曲(13)「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」という怒涛の攻撃で、このショーは、幕を閉じます。
このコンセプト・アルバムとしてのクオリティとエンターテイメント性は、他の追随を許しません。
このアルバムがあったからこそ、ビートルズは英雄から伝説になったのです。
これ以前は、たかが音楽でした。
しかし、これ以降、されど音楽になったのです。
そして、今年のOZZYの目標は、このアルバムを超える事です。
相変わらず、こんな感じですが...
今年も宜しくお願いします

2010年12月03日
『バック・ビート』
NO.01607サウンドトラック・アルバム『バック・ビート』(1994年)
これは珍しく映画を観たサントラです。
(感想は言いません)
ジョンの親友であり、デビュー前のビートルズでベースを弾いていたスチュことスチュアート・サトクリフとその恋人でありマッシュルーム・カットなどビートルズのファッションなどに多大な影響を与えた写真家のアストリッド・キルヒャーの2人の物語です。
元々ベースを弾けなかったスチュは、バンドを離れ、アートの世界へ進む決心をするのですが、その直後に病に侵され僅か21歳の若さで帰らぬ人となってしまいました。
このサントラには、ビートルズ・フリークのミュージシャンが集結して、この映画の為だけの新しいバンドを結成しています。
その顔触れは、デイヴ・クロール(ニルヴァーナ)やマイク・ミルズ(R.E.M.)などなかなか豪華なメンバーです。
その新人バンドが、デビュー前にビートルズが取り上げていたオールディーズ・ナンバーを実に楽しそうに演奏してるフレッシュな1枚です。
ただ、12曲入っているのにオールディーズ・ナンバーは短いため、あっ!と言う間に終わってしまうのです。
そして、その駆け足の演奏は、まるでスチュの運命とリンクしてしまうのです。(涙)
命を大切に。
2010年11月20日
ジョン・レノン 7
NO.01594ジョン・レノンのオリジナル・アルバム『心の壁、愛の橋』(1974年)
壁にぶつかってます。
大した壁ではありません。
愛の橋が架かれば解決する事でしょう。
ジョンもそう言ってます。
このアルバムを発売する頃、ジョンとヨーコは別居をしていました。
しかし、それはヨーコがジョンを救う為に強制的にとった荒治療だったのです。
ヨーコ依存症だったジョンはショックの為、アルコールに溺れながらもこのアルバムを完成させました。
その為、全体的に寂しい雰囲気と、どこか平静さをつとめる穏やかな空気が包んだジョンらしくない、いや、実に“人間”ジョンらしい1枚となっています。
ここからソロになって初めての1位(2)「真夜中を突っ走れ」が生まれ、ゲストとして参加したエルトン・ジョンとの約束(賭け)を果たし、夢の夢のような時間が流れました。
そして、1年振りに再会し、ジョンの望んだ“愛の橋”が再構築されるのです。
OZZYの“愛の橋”を架ける職人は、ストライキ中です。(涙)
2010年11月13日
ジョン・レノン 6
NO.01588ジョン・レノンのライヴCD付きオリジナル・アルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』(1972年)
社会の理不尽さに“ラヴ&ピース”を掲げたジョン・レノンの政治的メッセージが溢れ出した問題作です。
ここからベスト・アルバムに選曲されるのが、精々(1)「女は世界の奴隷か」1曲位の為、なかなかここに辿り着く人は少ないと思いますが、このアルバムは無視出来ませんよ。
妙に軽いメロディのオノ・ヨーコの奇声が、ジョンの素晴らしい楽曲を台無しにしかねないと思われそうですが、OZZYは、この音楽家としては、ジョンの才能の足元にも及ばないオノ・ヨーコの存在が、たまらなく愛おしいのです。
人種差別など当時の目を反らしたくなる戦争や事件など重苦しい空気をオノ・ヨーコが、中和してくれているような気がします。
よくジョンは、精神面でオノ・ヨーコに支えられていたと聴きますが、ここには、ヨーコを支え続けたジョンの大きさが見え隠れしてます。
最後に、ジョンに一言。
ジョン、今は「男は女の奴隷か」だよ。(涙)
2010年10月11日
ポール・マッカートニー 14
NO.01566ポール・マッカートニーのオリジナル・アルバム『パイプス・オブ・ピース』(1983年)
3連休最後の今日は、就職の為、長崎に行ってしまう友人と飲みに行ってきます。
就職の為とはいえ、誰も知ってる人がいない場所へ行く、その勇気に乾杯です

さて、誰もが知ってるポールです。
アルバムとしてのセールスは思ったほどではありませんでしたが、マイケル・ジャクソンとのデュエット(2)「セイ・セイ・セイ」は、大ヒットを記録しました。
ただ、そのエンターテイメント性の反面、ここでのポールは真面目に“愛と平和”を訴えています。
しかし、ジョンと違い、あくまでもメロディを重視したポール流の愛と平和の提唱となっていて、ここでもポールとジョンの対比が確認出来ます。
そして、それが“タッグ・オブ・ウォー”なのです。
長崎は、今日は晴れだった

2010年09月13日
ポール・マッカートニー 13
NO.01542ポール・マッカートニーのオリジナル・アルバム『マッカートニー2』(1980年)
またもや、ポールです。
このアルバムは、我々日本人にとって良くも悪くも、忘れられない1枚となりました。
ウイングスとして、伝説のビートルズ来日以来、実に14年振りに日本の空港に降り立ったポールでしたが、大麻取締法違反の罪で、日本の留置所に宿泊する事になったのです。
もちろん、留置所にスウィート・ルームはありません。(笑)
当然、コンサートも中止となり、9日間のワン・ルーム生活を終えたポールは、帰国後、暫くは引きこもり生活に入ってしまうのです。
引きこもったポールは、自宅で完全に趣味として音楽に向かい合うのでした。
結局、趣味のはずが、アルバム発売となったのですが、このプライベート感の強い半分遊びで作ったアルバムは、全米で3位、全英では見事に1位に輝いて、ウイングスのセールスを意図も簡単に上回ったのでした。
内容は、良い意味でも悪い意味でも、自宅録音の特徴が出ていて、肩の力が抜けてリラックスしたムードが、大衆がポールに求める個性と一致した1枚だと思います。
それとOZZY的には、とぼけたジャケのポールの表情が何とも言えない味が出ていて、好感が持てます。
「がちょ〜〜ん!」よ、永遠なれ。
2010年09月07日
ポール・マッカートニー 12
NO.01535ウイングス(ポール・マッカートニー)のオリジナル・アルバム『バック・トゥ・ジ・エッグ』(1979年)
今日は、“卵”のお話です。
ウイングスを再生すべく殻を破ろうとロックを取り戻しながら、評価を得られなかったアルバムです。
そして、残念ながらウイングスとしてのラスト・アルバムでもあります。
確かに、飛び抜けたヒット曲や代表曲が無いので、平坦な印象を与えてしまいますが、内容は実にポールらしいエンターテイメント性に溢れた御機嫌な作品なのです。
特に、僅か2曲の為に集められたピート・タウンゼント(ザ・フー)、デイヴィッド・ギルモア(ピンク・フロイド)、ジョン・ボーナム&ジョン・ポール・ジョーンズ(レッド・ツェッペリン)など総勢23名のゲストなどは、名前を羅列するだけでもワクワクします。
結局、殻を破る事は出来なかったかも知れませんが、殻を破る努力はいつか報われるものです。
そんな事は、有名な占い師に言われなくても分かり切った事なのです。
ところで、卵と玉子の違いって何なんでしょう?
2010年09月03日
ポール・マッカートニー 11
NO.01532ポール・マッカートニー&ウイングスのオリジナル・アルバム『バンド・オン・ザ・ラン』(1973年)
3日連続で、ポール・マッカートニーをお贈りしています。
今日はポールの「最高傑作」として、名盤の呼び声高いこのアルバムです。
ポールの実力から言えば、メロディ・センスは決して他のアルバムと比べて特別とは思いませんが、このアルバムを名盤に押し上げている要因は、バラエティ豊かな各曲をコンセプト風にまとめ上げられた「見事!」としか言いようがない構成力だと思います。
ウイングス名義ではありますが、メンバー2名が脱退し残された3人によって作られました。
その為、ポールの負担が尋常ではないのですが、結局ポールが関われば関わるほど、高いクオリティのものが出来てしまったのは皮肉かも知れません。
しかし、元々ポールのバンドですし、やっぱりポール・マッカートニーは素晴らしいアーティストだと言う事をイヤでも思い出させてくれる1枚なのです。
そして、3人が残った。

