B. SPRINGSTEEN
2011年05月02日
ブルース・スプリングスティーン 19
NO.01764ブルース・スプリングスティーンのオリジナル・アルバム『マジック』(2007年)
タネも仕掛けもありません。
還暦目前(58歳)のボスがEストリート・バンドと紡いだ紛れも無いロック・アルバムです。
それにしても、やはりボスは、偉大でした。
浮気を重ねても、奥さんの元に帰る夫の様に、結局OZZYもボスの元に還るのです。
まるで「この世から歌う事など無くならない」と言っているように、社会に厳しく、人間に優しい、そして何よりもバンドとの一体感が素晴らしいアルバムです。
真剣に聴いて下さい。
このマジックには、タネも仕掛けもありません。
ザ・マジック・アワー。
2008年05月30日
ブルース・スプリングスティーン 18
NO.01146ブルース・スプリングスティーンのオリジナル・アルバム『闇に吠える街』(1978年)
「遂に、島耕作が社長になりました!」
課長の頃は大好きでよく読んでいましたが、偉くなるに連れて、全ての試練を自分が抱いた女に助けてもらう展開に、嫉妬して読まなくなりました。(笑)
しかも抱いた女は、全てめちゃめちゃ綺麗で、そうでない女の場合は、間一髪抱かなくて済みます。
「女性の皆さん、これが男の理想です!呆れて下さい!!」(笑)
さて、OZZYは、島耕作よりもこの人に憧れます。
ボス4枚目のアルバムは、『明日なき暴走』の後のアルバムと言う事で、多くの期待を持って発売されました。
セールス的には、前作を超える事は出来ませんでしたが、成功を掴んだ後も何ら変わらない労働者階級のヒーローとして、ボスはそこにいました。
スタイリッシュに人を動かして仕事をこなす男よりも、汗水垂らして働いている“漢”に、本当の男は惚れるもんです。
(2)「アダムとケイン」は、男臭さ溢れる1曲です。
「カッ、カッ、カッ」
2008年05月20日
ブルース・スプリングスティーン 17
NO.01132ブルース・スプリングスティーンのオリジナル・アルバム『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』(1995年)
「“どうしょうもない”なんて言わないでよ」
全篇アコースティックで奏でられるこのアルバムは、非常に地味、いや渋い、いやいや重い1枚です。
決して、名盤でも無いし、数多いボスのアルバムの中で、上位を争う程でもありません。
しかし、このアルバムから放たれるメッセージの圧倒的な力はどうでしょう。
ここに出てくる主人公達の置かれる絶望的な立場は、アメリカ、いや世界中に蔓延している“どうしようもなさ”を“どうしようもないまま”に描写しています。
そして、過酷な主人公達の物語はこれで“THE END”ではなく、続くのです。
「どうしょうもあるよ!」
2007年06月11日
ブルース・スプリングスティーン 16
NO.00861ブルース・スプリングスティーンのオリジナル・アルバム『デビルズ・アンド・ダスト』(2005年)
「死んだ方が楽かも知れない」
数日前に、このアルバムを聴いていた時の素直な気持ちです。
実は、1ヶ月以上前から持病の痛風が発病しました。
いつもなら、精々一週間程で完治するのですが、今回は右足、左足、右足、左足と転移を繰り返し、一週間ほど前から膝にも激痛を伴い殆ど寝たきり生活でした。
会社を辞めた後、オークションで食い繋いでいましたが、それも原因不明の利用停止になりました。
寝る時間にも限界があるので、布団の中で色んな事を考えました。
いっそ、一生歩けなくなれば「生きる理由がなくなるかな」とも思いました。
そして、泣きました。
ボスの曲に、大好きな「ザ・リバー」という曲があります。
「俺を川に行かせるほどに」
また、ボスのとろこに来てしまいました。
すいません。
さっきの「泣きました」は嘘です。
泣いてるのは、今です。
大の大人が、号泣しています。
でも、
少し歩けるようになりました。
少し笑えるようになりました。
少し生きるようになりました。
そして、
やっと涙が出てきました。
OZZY完全復活までもう少しです。
弱過ぎてごめんね。
2007年02月28日
ブルース・スプリングスティーン 15
NO.00735ブルース・スプリングスティーンのオリジナル・アルバム『ザ・ライジング』(2002年)


2002年:31歳−マネージャー2年目。
新しくマネージャーと言う仕事に就いて、ようやく虐めにも慣れて来た頃に、又、悲しい出来事が、襲って来ました。
仕事に追われるあまり、置き去りにしていた彼女との距離は、気付いた時には、修復不可能なほど離れていました。
そして、別れがやって来ました。
可愛くて、何事にも一生懸命な彼女に、OZZYは、相応しくない気がしていたので、意図もアッサリ別れを選択していました。
変な言い方ですが、OZZYが“普通の人”だったら結婚していたかも知れません。
それは、彼女も同じ意見でした。
そんな2002年:ボスが何と18年振りにEストリート・バンドとアルバムを製作してくれました。
このアルバムは、前年に起こった目を伏せたくなる悲劇:同時多発テロを目(ま)の当たりにしたボスからのメッセージです。
テロリストを攻撃するのではなく、「彼等の立場に立って恋人や幸福を祈る」歌詞は本質を見抜いていて、とても深く考えさせられました。
そう、悲しいけど彼等もその行為が、正しい行いだと信じているんです。
それでも内容は、Eストリート・バンド復活に相応しく、久々にボスが“ロック”してます。
誠実で逞しいこのアルバムには、悲劇がセットになっていますが、忘れずに立ち上がる勇気を得る為にも意味のある1枚だと思います。
イスラムの歌手の素晴らしいコーラスをフューチャーした(7)「ワールズ・アパート」は、意味のある1曲です。
誰もが、自分を正当化します。
2007年01月25日
ブルース・スプリングスティーン 14
NO.00658ブルース・スプリングスティーンのオリジナル・アルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』(1984年)


1985年:OZZY中学2年生。
OZZYにとって、明らかにターニング・ポイントになった年です。
この年に、男子全員が坊主頭だった幸手というド田舎から、ちょい田舎の春日部という所に、引越しをしました。
ただ、その時のOZZYにとっては、その“ちょい”の差にかなりのカルチャー・ショックを受けました。
特に、あまりにも進んでいた“男女交際”の差に驚きました!
そして、いつの日にか1人の純粋だった少年は、流されるまま“女で転落していく人生”を歩み始めました。(笑)
そんな思春期を迎えて、いよいよ“ようがく”にも目覚め始めていたこの1985年に、世界で最もジーンズが似合う男:我等が“ボス”ブルース・スプリングスティーンが、このアルバムで、世界中の人々に熱狂と感動を与えていました。
1984年発売後3週間で全米1位、その後24週2位に落ちるも奇跡の首位奪還!
全世界2000万枚を売り上げ、シングルは7枚、全12曲捨て曲無しの理想的な“ロックン・ロール・アルバム”です。
実は、アメリカを痛烈に批判している(1)「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」を始め、歴史書を紐解くよりリアルなアメリカを知る事が出来る名盤です。
メロディとは不釣合いな深い歌詞も印象的な(11)「ダンシン・イン・ザ・ダーク」は、最もヒットした踊れない(?)代表曲です。
OZZYの中では、毎年ボスが“ベスト・ジーニスト”です。
2006年12月23日
ブルース・スプリングスティーン 13
NO.00610ブルース・スプリングスティーンのオリジナル・アルバム『トンネル・オブ・ラヴ』(1987年)
そう言えば、昨年のクリスマスは、彼女と東京タワーへ...今年は...。
惨めになるので、この記事途中放棄しても良いですか?(涙)
何て、実は意外と寂しくなく、ボスを聴きながら休みを謳歌しています。
さて、このアルバムですが、あの『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』、そしてCD3枚組!(LP5枚!)『ザ・ライヴ』の後のアルバムと言う事で、大いに期待をして聴きましたが、全然“ロック”や“シャウト”してなくて、肩透かしを食らった1枚です。
当時、カセットテープへダビングしてくれた友達の「スプリングスティーンって、意外と地味なんだね」の一言が、全てです。
だって、スーツ姿のボスは見たくありませんから。
コメントが、少ないのは寂しいですよ。(涙)
2006年11月02日
ブルース・スプリングスティーン 12
NO.00553ブルース・スプリングスティーンのライヴ・アルバム『プラグド』(1997年)
松坂大輔、遂にメジャー行き!
本音を言うと日本のプロ野球ファンとしては寂しいのですが、大きな夢を掴みかけてる人を止める権利は、誰にもありません。
まだ球団は決まっていませんが、アメリカに行く松坂投手に“最もアメリカが似合う”ブルース・スプリングスティーンのライヴ・アルバムを贈ります。
このアルバムは、一時代を築いた人気番組『アンプラグド』のライヴなのですが、アンプラグドが売りの番組なのに“プラグド”で出たのは、ボス位でしょう。
但し、選曲が地味でイマイチ“プラグド”にした真意が伝わって来ません。
ジャケもまるで“海賊盤”のようにB級で、金儲けの為の1枚です。
松坂投手もそうならないように祈ってます。
それでも、2人共応援してます。

