ROBERT PALMER
2011年05月17日
ロバート・パーマー 11
NO.01786ロバート・パーマーのオリジナル・アルバム『リップタイド』(1985年)
デュラン・デュランとのユニット:パワー・ステーションで、知名度を一気に上げたロバート・パーマーが、その勢いのまま大ヒットさせたアルバムです。
エネルギッシュに展開するロバート・パーマーの職人芸が表現されたこのアルバムの注目点は多数ありますが、礼儀作法として先ずは、恋に溺れましょう。
パンダのようなメイクで無表情にバックバンドを務めるモデル達の絶妙なセンスとインパクトが印象的なPV効果で、全米1位を獲得した(3)「恋におぼれて」は、ロバート・パーマーの代表曲になりました。
続く2匹目のドジョウを狙った(6)「ターン・ユー・オン」もヒットし、このアルバムは、その2曲に引っ張られる形で大ヒットし、それまでのマニアックな実力派ヴォーカリストからメジャー級のヴォーカリストへと大変身を遂げたのです。
しかし、それは決して売れ線を狙った訳では無く、飽くまでもそれまでの活動の延長線上の上で起こった、言わば「時代が追い着いた」のです。
エスニックやスタンダードさえもスパイスの1つとして使用した相変わらず無国籍音楽を司るロバートですが、とにかくパワフルなヴォーカルとロマンチックなヴォーカルの振り幅に圧倒される1枚です。
因みにOZZYは、鯉(カープ)に溺れます。
2011年01月21日
2011年01月19日
ロバート・パーマー 9
NO.01653ロバート・パーマーのオリジナル・アルバム『HONEY』(1994年)
ジャケからもプンプン匂う合いも変わらず大人の色気を漂わせるロバート・パーマーです。
90年代のロバートは、あまり商業的に恵まれたとは言えませんが、内容とセールスが決して比例しないのが、音楽業界です。
さて、このアルバム、エクストリームのギタリスト:ヌーノ・ベッテンコートの参加によって、いよいよロバートのハード志向は、完成の域に到達しています。
しかもそれだけではないのは、ロバート・パーマーでしか出せない個性的なリズムを塗した合いも変わらないバラエティ豊かな曲が並んだ毎日食べても飽きない“幕の内弁当”なのです。
何度でも言います。
「本当に惜しい人を亡くしました」
6年目スタートです

2011年01月15日
2010年12月08日
ロバート・パーマー 7
NO.01613ロバート・パーマーのオリジナル・アルバム『プライド』(1983年)
ジョンの命日ですが、ロバート・パーマーです。
残念ながら、ロバート・パーマーも亡くなってます。
このアルバムはまだまだ元気に、いよいよオリジナリティ溢れる音楽性を開花し始めた時期の1枚です。
1枚のアルバムを解説する時に時たま使う表現なのですが、これほどこの言葉が当てはまるアルバムはありません。
「面白い」
スタンダードがあると思えば、エスニックであったり、レゲエにロック、最後にはインドのウルドゥ語が飛び出したりと“アルバムで世界旅行”な気分を味わえます。
この世界旅行に、ロバート・パーマー添乗員の独特のリズムが加わるとそれは「面白い」としか表現出来なくなるのです。
この数年後に、デュラン・デュラン達と例のユニットを組んで世界的な成功を手に入れるのですが、それにしても...
2人共早過ぎだよ。(涙)
2008年02月26日
2007年10月14日
ロバート・パーマー 5
NO.00965ロバート・パーマーのオリジナル・アルバム『ドント・イクスプレイン』(1990年)
「今は亡き、伝説のピッチャーを紹介します」
ロバート・パーマーは、七色(正確にはもっと!)の変化球を自由自在に操るピッチャーでした。
彼の球種は、思いついただけでも、
・ストレート(ロック)
・カーブ(ポップス)
・シュート(ジャズ)
・スライダー(ソウル)
・フォーク(R&B)
・シンカー(ワールド・ミュージック)
・チェンジアップ(スタンダード) etc..
それに誰にも打てない“魔球”とキリがありません。
そんな“超軟投型ピッチャー”が、七色の球種を好き放題に投げ捲くったアルバムが、これです。
誰もが1曲は好きな曲が挙げられるかの様に、そのスタイルはバラエティ豊か、もっと言ってしまえば「バラバラ!」で収集付かない、正に「何でもござれ!」状態です。
ただ、気付かないうちに完封させられてますよ。
まるで、星野投手(オリックス~阪神)の様です。
2007年03月01日
ロバート・パーマー 4
NO.00737ロバート・パーマーのリミックス・ベスト・アルバム『THE BEST VOL.2!!』(1992年)


2003年:32歳−マネージャー3年目。
尊敬する先輩に幻滅したこの年で、マネージャー仕事にピリオドを打つのですが、マネージャーをしたタレントの中で忘れられない人がいます。
その人は、元アイドル歌手ながら、実力でミュージカル・スターとなる努力家でした。
一緒にいてもポジティヴで、常に「歌いたい!」が口癖でした。
そう、その人には“歌”が空気みたいに必要でした。
しかし、OZZYがマネージャーをしてから数年後、意地悪な神様からその“歌”を取り上げられてしまいました。
その訃報を聞いた時は、本当に信じられませんでした。
何ヶ月も病と闘っていて、ずっと気掛かりでしたが、「もう大丈夫」と聞いていたので、変に安心していました。
自信を持って彼女が「死ぬわけない」って、思っていました。
でも、逝ってしまいました。
皮肉にも彼女の死後、テレビや街中で歌は流れ続け、CDも大ヒットを記録しました。
今でも「アメイジング・グレイス」を聴く度に複雑な気持ちになります。
彼女の数年前:2003年“ミスター・ダンディ”ロバート・パーマーからも意地悪な神様は、歌声を奪っていました。
何にも染まらない独自の音楽道を突き進めていたロバートでも病には勝てませんでしたが、その素晴らしい彼の子供(音楽)達は、永遠に輝き続けています。
そんな優秀で愛しい彼の子供達をリミックスして、新しい輝きを与えたこの作品を「通好み」と呼んでしまうのは、勿体無いです。
歌手としてはもちろん、人として素晴らしい女性でした。心よりご冥福をお祈りします。
2006年08月19日
ロバート・パーマー 3
NO.00463ロバート・パーマーのオリジナル・アルバム『HEAVY NOVA』(1988年)
いけない!“80’S魂”忘れる所でした。
と言う事で、“世界で1番「ダンディ」が似合う”ロバート・パーマーです。
残念ながら、もうこの世には存在しません。
ただ、CDの再生ボタンを押すだけで、変わらないロバートの味のある“声”を聴いていると未だに、本当は生きている様な錯覚に陥ります。
この前のアルバム(正確に言うとその前のパワー・ステーション)で、ソロとして遅咲きの大輪の花を咲かせた“ミスター・ダンディ”ですが、彼に数え切れない位のマネーは、齎したかも知れませんが、このアルバムでも何ら変わりません。
と言うか、実はそれまでも常に色んなジャンルの音楽をスポンジの様に吸収して“ロバート・スタイル”に、変えて来たのです。
つまり、何をやっても“ロバート・パーマーはロバート・パーマー”なんです。
残念ながら傑作ではありませんが、アルバムもヒットして“ロバート・パーマーはロバート・パーマー”を証明した印象に残る1枚です。
(7)「シー・メイクス・マイ・デイ」は、華やかで愛に溢れた素敵な1曲です。
ゲッツ!
2006年05月16日
ロバート・パーマー 2
NO.00275ロバート・パーマーのベスト・アルバム『ヴェリィ・ベスト・オブ・ロバート・パ-マー』(1995年)
「カム・バック!」
リアル友人が、i-podをきっかけに“洋楽の世界”に戻って来ました。
80年代で止まってる友人の口から出るミュージシャンの名前は、OOOやOOO(自主規制)などの今となっては、恥ず面白い人達ばかりでした。
そんな中、当時2人共愛聴していたロバート・パーマーが亡くなった事に少しショックを受けていた友人へ、このアルバムを。
但し、先に載せたベストとほぼ曲が被るので、OZZYみたいにリッチな人以外は必要ありません。
OOOやOOOを持ってるOZZYって...。


