Sure Liver's blog

Sure Liverのblogです。

September 2016

パラリン

さて、前フリを経たので、本題に入ります。

『パラリンピック』についてです。


「君ってさ、半分がやさしさでできてるよね」「えー、あなたのhalfこそkindnessだよー」

この愛くるしい二人がやり合ってるのは、
『バファリンシック』です。


僕がこれから語るのは『パラリンピック』についてです。くれぐれも混合しないように。


正直、注目されないですよね。
正直、大抵の人はそこまで関心を抱かないですよね。

オリンピックに比べて、明らかにメディアで扱われる絶対量が少ないし、観客も少ない。

そもそもパラリンピックの語源をご存じですか?

―Paralympic はparaplegia(=麻痺(まひ))とOlympicsとからの造語だったが、paraを「もう一つの」の意(parallel)に取り、正式名称となった。オリンピックと同じ年に同じ場所で開催。―

元々は「麻痺」という意味から来ているんです。


以前、パラリンピックの記事に対するコメントで「そりゃ注目されないだろ。観てて面白くないし、正直なところ、開催する意図もわからない」といったものをいくつか拝見しました。

彼か彼女が発した言葉を、真っ向から否定することはできません。
僕だって、オリンピックを見た直後では、今一つ迫力に欠けるなぁと思ってしまうことはあります。

ただ、それを言葉にしてしまうのはどうなのかな?って思うんです。


障害を持って生きているって、生半可なことじゃないんです。

ざっとですが、障害者の割合は25人に1人です。
この中には身体障害、知的障害、精神障害が含まれます。

多いように感じますか?少ないように感じますか?

もちろんこの世界は健常者の方が多いですから、健常者のピントに合ったシーンがひたすらフィーチャーされるのは仕方ないことですし、当たり前のことです。

ただ。

健常じゃない人がいることも、ほんの片隅に残しておいてほしいと思うんです。
常日頃そんなことを考える必要はないです。

ご飯を食べる度に「生を頂戴しているんだ」なんて思えないですし、お腹いっぱいでご飯を残してしまいそうな時に、毎回「食べたくても食べられない人だっているんだ」と考えたりはできません。

でも、パラリンピックで、障害者が最大級のパフォーマンスを発揮している姿を見て、「開催する意図がわからない」って言えてしまうんですか?

手が動かない、足が動かない、目が見えない、耳が聞こえない、頭が上手く働かない。

もしあなたが健常者であるのなら、あなたには想像もつかないような姿で、想像もつかないような精神で、想像もつかないくらい必死になって、そこまで上り詰めた人間に対して、誠意の欠片もない言葉を投げられますか?

その瞬間くらい想像して下さいよ。

それはきっと健常者のあなたにとってプラスになることです。

障害者にとっては、もっともっと励みになります。
こんな僕でも、こんな私でも、がんばればあんな風に輝けるかもしれない。


今のところ、先天的に障害を持って生まれる人、後天的に障害を持ってしまう人は、これから先もなくならないものと思われます。
もし障害がこの世からなくなる日が来るのであれば、僕は大歓迎です。誰もが健常でいられるのなら、それに越したことはありません。

でも、そうではない世の中がこれから先も続くのだから、もう少し、想像力を働かせなくてはならないと思います。

大袈裟に考えることではありません。ふつうのことです。
ちょっとだけ、バファリン化してくれればいいのです。

オリンピック選手の雑念

こんばんは!
Sure Liverは解散してしまいましたが、まだこのブログは存在しています!

なので、たまには雑文を書き殴ろうと思います。

開催当日までは、というか日本勢がメダルを獲得するまではあまり盛り上がっていない感万歳(萬斎野村さんがシン・ゴジラ役やってたって知ってました!?こないだ知ったのですが驚愕しました)だったリオのオリンピックでしたが・・・

終わってみれば涙・涙・涙の連続でした・・・

卓球、テニス、バドミントン、男子400mリレー、その他etc、本当にグッときました。

た・だ・ね。

バドミントンでタカマツペアが優勝した際、バディよりも先にコーチが松友選手とハグしたじゃないですか。

僕アレ未だに許せてないです。
すっごい嬉しかったのに(めちゃくちゃ可愛かったのに)、コーチが抱き着いた瞬間「お前っ!!!」って俺の中のジェラシーand欲望が渦を巻いて、バガボンドの武蔵よろしく壮絶な自我に取り込まれ、危うく32型ブラビアを叩き切るところでした。
武蔵1

いや〜〜まじ、1876年3月28日に廃刀令施行してくれててよかったわ〜。山縣有朋さんマジリスペクトだわ〜〜。


そんな感じでスポーツって、おそらく至極純粋じゃないですか。

肉体や精神を極限まで昇華させて、ある一点で爆発させるためだけに、それまでの日々をすべて捧げる。
これ、凄いことですよね。

プロのスポーツ選手はもちろん、大半が自分のやってるスポーツを愛していると思います。めちゃくちゃ好きだからこそ、努力を努力とは思っていないんだと思います。
「上手くなりたい」「強くなりたい」「凄くなりたい」それだけが心の中にあって、雑念一切なし。

ほんと?
悟空1



僕はギターのレコーディングをしてる時、大抵雑念の鬼です。
クリック(メトロネームみたいなやつ)を聞きながら集中しているつもりが、凄まじくどうでもいい余計なことが僕の平穏を乱します。

「あの返信文、ちょっとそっけなくない?なんかもうちょっとあってもよくない?」

「うわうわ、今宅配来たらどうしよ。ここまで上手くいってるのにどうしよ。ほら失敗しちゃうかもほらほら」

「あのメガネのおばさん絶対おれのこと変な目で見てたよ。絶対そうだよ。怖いよ。やばいよ」

スポーツ選手にはこれがないのか?
そうだったら羨ましいにもほどがある。っていうかどうすればそうなれるのか今すぐ教えてほしい。

っていうか雑念よりも脱線がやばい。

話を元に戻します。

スポーツは純粋(なように思える)。

きっと、実際は色々なものが取り巻いているのだとは思います。ただ、プレーヤーは、自分を磨くことに関してはストイックの極みでしょう。

イチローは野球の練習が嫌いだそうです。それでも目標を定めて、それを達成するために全身全霊で練習を行うんだそうです。

イチローまで行くとエベレストの頂上感が強すぎますが、プロと呼ばれる人達は、やはり少なからず孤独に自分と戦っているものと想像できます。

いや、誰だって孤独に自分と戦うことはありますね。

愛を知るには、孤独が必要だってことです。

え?よくわからない?そりゃそうですよ、僕も自分が何言ってるのかわからないんです。

とりあえず、「スポーツっていいよね」感は少しは伝わりましたよね?

今回は布石です。

僕が書き殴りたかったのはパラリンピックについてです。

でも予想以上に前ふりが長くなってしまったので、本題は次回にします。

それでは!
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