Sure Liver's blog

Sure Liverのblogです。

子供

「死ぬこと」について

もし1人の若者が死んだら、とりあえず僕が今死んだらどうなるのか。
まず初めに親と兄姉を悲しませる。生涯続く鈍痛となり、家族の人生に深手を負わせてしまうだろう。残される側の本当の辛さは、残されたときになって初めて振り下ろされる。
次に友人を悲しませる。親しみの度合いによって悲しみに差異はあるが、皆を泣かせてしまうかもしれない。
特に深く関わり、互いに影響を及ぼしあってきた友達は、少しの間途方にくれてしまうかもしれない。逆の場合で考えてみても、僕は立ち直りが遅いこともあるが、一生の傷を負わせてしまう可能性が極めて高い。
その他、親戚の人や上辺だけではない付き合いをしてきた幾人の人達にも、それなりの影響を及ぼすだろう。
直接影響を及ぼす場合と、家族や友人の痛みが伝染し間接的に影響を及ぼす場合がある。

少なくともこれだけの人々に良いとは言えない影響を確実に与える。
でも、とても皮肉な言い方かもしれないけれど、死は毎日毎分毎秒必ずどこかで生まれている。

お母さんのお腹の中で死んでしまった命。ピカピカのランドセルを背負うことができずに死んでしまった命。名門校に合格し安堵してから死んでしまった命。大好きな彼女との初めてのデートで死んでしまった命。働きすぎで疲労して死んでしまった命。何度も乗っていた飛行機が墜落して死んでしまった命。突然街かどで流れ弾に当たって死んでしまった命。上の命令で内戦に繰り出し死んでしまった命。自分の子供を守るために投げ出されて死んでしまった命。自分の子供に刺されて死んでしまった命。結婚式の当日に死んでしまった命。20回目の結婚記念日に死んでしまった命。80年間の孤独に耐えながら死んでいった命。

悲しみを纏う死の形は苦しく痛々しいかもしれないけれど、実際にそこら中で起こっている。ごく普通のことだ。
人間は病気や老衰で死ぬ確率が一番高いため、それが一番望まれる死の形なのかもしれない。もちろんこれには「ある程度長生きをした上で」という条件が含まれるが。
逆にそれ以外の原因で死んでしまった場合には、より強い影響をその周囲に与える割合が高い。

ところで日本は自殺国家だといわれる。ここでその要因を論じはしないが、自殺は極めて影響力が大きい。
特に家族が受ける痛みは、計り知れない。同じように何かしらの原因で若いうちに死んでしまうことも、その影響はとても大きいように思える。

死は恐らく永久不変の真理であるにも関わらず、人間にとってそれを受け入れることは最上級の難題でもある。
人間は、命が死んでもなお、それを存在させるべく努めてきたのだから。
そのため人間は死への耐性が非常に脆く、それが災いとなる。
また、本を読んでもネットで調べても旅をしてみても死の体験はできない。死は己の死をもってでしか辿り着けないのだから。だから潔く諦めようじゃないか。きっと、蝉が死んでいくことと何も変わらないから。
ちょっと脱線してしまった。僕は「死」そのものではなく、「死ぬこと」について述べたかったのだ。


僕が今死ぬことは、親不孝であり友不孝でありその他付き合いある人不孝である。つまり人不孝である。
連鎖した結果、考えている以上の人々を巻き込む可能性が十分ある。
本当に自分のことしか考えていなければ、今死ねるかもしれない。でもそれができないのは、自分以外の人のことも少しは考えているからなのかもしれない。いや、非常に難しいが、大事な人達が余計な痛みや悲しみを背負ってしまうようなことは絶対に避けたいという理念から、やっぱ自分のことを考えている結果なのかもしれない。


何を言いたいのか伝わっただろうか。
死は容赦なくとめどなく降り注いでいる。土砂降りだ。晴れる兆候は一切ない。
ただ、それは悲しくも平常である。同時に悲しみが拭い去られた死というのは機械的でぎこちない。悲しいが、そんな死はあってほしくない。

そして若いうちに死んでほしくない。それがどんな理由であれ、だ。そんなこと願っていても今誰かが死んでいる。とめどなく死んでいる。
じゃあせめて生きている内には生を諦めないでほしい。これは僕も含めて、あらゆる人に叫びたい。
だって、どうであれ、いつだって、死への憧れとはただの幻想なんだから。

I became an uncle.

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昨日兄夫婦に待望の子供が生まれ、僕は伯父になりました。。

他人からすれば「へー」って感じだと思いますが、身内である「兄の子供」ってとこに焦点を合わせて考えてみると、今までにはなかった新たな心持が自分の中に存在しているのを感じます。久々です、この不思議な感じ。

子供と遊んだり、子供の遊びをすることが好きというか、少年期は人生の中で最高の時間の一つであるという考えを持っているので、子供が好きなんですが、赤ちゃんに対しては特に深い愛好はないんです。ただまじまじと赤ちゃんを見ながら物思いにふけったのは、記憶の限りでは初めてなので、非常に魅了されました。

何もかも小さく、目もほとんど開けないけれど、口をパクパクしたり手足をじたばたさせていて、まあ、当たり前だけど完全に‘ひと’なんですよね。こやつが数時間前までお母さんのお腹の中にいたのかと思うと、驚異でした。哺乳類すごい。

まだ自我や思考力は乏しく人以外の動物のような状態であると思うんですが、その小さな赤ん坊がこれからどのように成長していくのか一挙一動を見守っていくという親の使命は、凄まじいことなんだなとちょっと考えただけで容易く理解できました。生物の誕生からおおざっぱに40億年、霊長類の誕生からおおざっぱに1億年だけども、誰に強いられるでもなく、ずーっと、これを繰り返してきたんだよなぁと。人及びそれに近い動物に限ってはお母さんのお腹の中からしか生まれてこないんだけども、その生まれてきた小さなひとがそれなりに大きくなって意思を持ち始める様子を一番身近で見るってのは、もうあらゆる窓という窓が開かれるなぁと。


だからこそ、覚悟なくして子供など生んでほしくないよな。覚悟っていうと堅いから、意思にしとくか。
残酷かもしれないけど、ペットでも玩具でもなく、ひとですから。遊びじゃなく、本気ですから。

おっと脱線しそうだ。

この姪は空(そら)という名前だそうです。おんなのこです。僕は富とギターを彼女に与えて行ければと思います。

3/8(日)ライブあります!

急ですが、今週の日曜日にライブが決まりました!
渋谷TAKE OFF 7にて、18時から出演します@
日曜日なので、演奏する僕らも元気いっぱいの予定!!
ぜひぜひ遊びに来て下さい!


と、ライブまで6日となっています。
現在イチロー並に調子の悪い僕ですが、イチロー並の練習ができない状況で、非常に歯痒いです。どれくらい歯痒いかというと、コーラを飲んだときの歯の裏のグリグリ感くらい歯痒いです。

時間は金、時間は金、時間は金。

子供のときの10倍以上の速度で一日が、一週間が、一年が過ぎていく大人。

あーおれは何をしてるんだと自問自答しても、働かなきゃ生きていけないもので、生きていけなければ好きなこともできないわけで。そんな葛藤が自分を成長させるだろう憶測と、最短速度で目標に到達したい欲求とが、毎日毎日ぶつかりあっているわけです。何千万人もの人がそうやって日々暮らしているわけです。



希望は、そこら中に転がってる。
夢や希望を持つことが、大切だとかかっこいいだとか決めつけている時代。
夢も希望もない人がかわいそうだとかどうしようもないだとか責められる社会。

希望なんて、少なくともここ日本ではそこら中にある。
希望を掴むまで耐えることが偉大だとか、そんなことはない。

そこにある希望を見つける眼を持っているか。
そこにある希望を感じる精神状態であるか。
そこにある希望を拾い上げる身体ができているか。

面白いけど、受身でいちゃそう簡単に手に入らない。
でも乗り出してみると、どっこにでもあるよ、希望なんてものは。

Sure Liver/Vocal/ヤマザキ

初授業

なぜ人を殺してはいけないのか。
「命は尊いものだから」「人生は儚いものだから」「お前は馬鹿だ」
全部正解。じゃあなんで命は尊いものなの?と子供が聞いてきたとする。

子供にもわかるように僕の考えを言う。



動物の多くはお互いに殺しあいます。生きるために殺します。食べるために殺します。それが人以外の動物の掟です。
残念ながら、僕ら人間には動物が何を感じて生きているのかわかりません。でも科学的には動物は本能のままに生きているようです。「君を食べたら、君のお母さんや兄弟が悲しむかなぁ」とは考えないのです。「お腹空いた。よし君を食べる。」こういう感じです。君は人間だから、相手のことを考えられるけど、人間以外の動物はそういう能力は持っていないとされています。

もし人間にその能力がなければ、そこら中で他の動物達と食べあいっこをしていることでしょう。

でも人間には他の動物にはないその能力があります。それが心です。
すごく不思議なものです。物体ではありません。ちょうど胸のあたりにフワフワしています。脳みそや内臓や身体全体の進化が、人間に心をプレゼントしたのです。

偶然、僕ら人間だけが心をプレゼントされ、お互いに相手のことを考えられるようになりました。でもこの心というのは、自分で思っているほど正しく動きません。すぐ錆び付いてしまったり、言うことを利かなくなってしまうこともあります。

どれだけ天才の博士でも心を自分の思うままに動かすことはできないのです。

それに心があるから他の動物よりも喜怒哀楽が激しく複雑で、人は相手のことを考えられるけれど、相手が本当に思っていることを当てるのはすごく難しいのです。

お互いに相手の考えていることを当てられずにいると、喧嘩になります。
喧嘩が大きくなると争いになります。争いが大きくなると戦争になります。
戦争では一瞬でたくさんの生き物が死にます。ここでは人間も殺し合います。

喧嘩が始まって、争いになってしまうと、そのとき心は少し減ってしまいます。

戦争になってしまうと心は完全になくなります。

人間なのに心がなくなってしまうんです。でも動物になったわけではありません。
心をなくしたヒトは火も道具も何でも使って相手を攻撃します。
だから動物ではありませんね。つまり人間でも動物でもないものになってしまいます。自分が何なのかわからなくなってしまうのです。

僕も君も人間としてこの世に生まれました。運良く健康な心をプレゼントされた状態で生まれてきました。
でも自分と相手の心がちゃんと存在しているときしか人間は楽しく生きられないのです。だから自分の心を無くしてしまうことも、相手の心を壊してしまうことも、どちらか一方でお互いの心が壊れていまいます。


そして人間は人間に殺されるときだけ、心を壊します。
心は心で壊されてしまうものなのです。


例えば、人が大きなクマに食べられても、クマは「人恐い。鉄砲持ってた。」という考え以外は何も思っていません。クマには相手を思う気持ちはないので、こういう場合はしょうがないのです。少し難しいけど、自然界の掟というものなのです。


あともう一つ、人間は自分で自分の心を壊せます。
そうなったときは、他の人間の心でしか直せません。


命が尊いというのは、本当はもっとたくさんの意味を持っています。
命が生まれてくるまでの過程だったり、地球の誕生だったり。
でもそういうことは大きすぎて想像しにくいと思います。

だから今日は、君が生まれてからずっと一番側にある心の大切さを伝えました。
心を失くすと大変なことになっちゃうっていうことは、少し伝わりましたでしょうか?



6時間目:倫理
先生:ヤマザキ先生

反省点:長い。やや宗教的。実際に子供に伝わる可能性が低い。


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