2009年12月

2009年12月26日

明神男坂から下町を望む(091205報告)

399c4c5a.JPG神田明神の東側急斜面にある「明神男坂(明神石坂)」から、秋葉原などの下町低地を望む。本郷台地の東側に位置するから台東区だったのですね。。現在は高層ビルで眺望が遮られていますが、かつては台東や江東の下町低地一帯を見渡せる絶景だったのでしょうね。脳外科医が江戸時代にタイムスリップする「仁-JIN」というTVドラマの中で、主人公が高台から下町を望むシーンがたびたび登場していましたが、あの風景のイメージは、この辺りではと想像しています。

今年も随分と東京(江戸)を旅してきたスリバチ学会、
学会の冒険は来年も続きます。

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下町低地の楽しみ方(091205報告)

e4e2ce03.jpg下町低地の微地形をカシミールを使って着色しています。鳥越神社の丘も浮び上がるし、神田川北側のこの一帯にかつて、姫が池や千束池が広がっていたというのも頷けますね。不忍池はかつての石神井川(藍染川)の川筋に広がる池ですが、下流側が微高地になっていることから、川を人為的に堰き止めた湖(いわばダム湖)なのも分かります。微地形鑑賞の楽しみ方を教授いただいたマナイタ学会さまに感謝です。

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ミサキに佇む湯島天神(091205報告)

3e835523.JPG本郷台地の突端、ミサキに佇む湯島天神を下町から望む。踊り場もあり、ゆったりとした階段の「女坂」と、6mほどの段差を急勾配な階段で一気に登る「男坂」、それぞれに趣があります。ほぼ東に向いた本郷台地の特異点(ミサキ)には湯島天神、神田明神と続きます。

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明治の鳥越周辺(091205報告)

dea91bd9.jpg明治19年の5000分の1測量図です。参謀本部作成のこの実測図には等高線表記もあり、学会愛用の逸品です。なんでも、政情不安な時期だけに市街戦を想定して作成されたそうな。。鳥越川や新堀川もしっかり描かれているし、小島アパートがあったところは三味線堀の溜まりがあったこともこの地図から分かります。昭和ムードたっぷりな佐竹商店街のラインも見て取れます。

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2009年12月20日

失われた川を探せ(091205報告)

8e398e6b.JPGマンホールの蓋に「合流」とあるのは、暗渠化された新堀川と鳥越川がここで合流していることを示しています。鳥越川の源流はこの先、三味線堀へと続きます。下町低地の地中にも、過去の水路や川が埋もれています。合言葉は「下を向いて歩こう」で、いつも下向きな学会です。

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下町低地の微高地(091205報告)

2e075df0.JPG鳥越川の窪みの北側(鳥越2丁目)には鳥越神社があり、ここは下町低地の中にある、わずかばかりの微高地です(写真で盛り上がりをご確認下さい!)。鳥越神社の歴史は古く、家康の入府以前からこの丘にありました。元々は小高い山だったものを幕府が浅草御蔵の造成のために切り崩したとも言われています。

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埋もれているスリバチ(091205報告)

d07c4c84.jpg下町低地に埋没している過去の浸蝕谷を確認しましょう。鳥越川の川筋には元々浸蝕谷があり、古代から川が流れていたと推測しています。この地形図からすると、鳥越川ともうひとつの川(新堀川?)がV字で合流する岬部分に「鳥越神社」があったことになります。鳥越の丘とは、埋もれたスリバチから頭を出した「氷山の一角」なのかもしれません。

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