2010年10月

2010年10月31日

新潟、時層をめぐる旅(101024報告)

e00078cc.jpg「にいがたなじらねっと」の野内氏が1875年の実測図を使って、新潟ガケめぐり案内を作成してくれたのでご紹介します。100年以上も昔の実測図なのに、今でも地図をなぞれるのは、新潟の町の骨格がそれほど変わっていないことの証拠。まさにベネチアを髣髴させる、潟に浮かぶ「水の都」だったのでしょうね。掘割は埋め立てられて道路に変わりましたが、小路は昔のまま。町のキワに連なる寺院も当時のまま。
この実測図のもう一つの見どころは、平らな市街地と対峙する、砂丘の様子が描かれているところ。ほぼ現在の標高データと合致しているため、山の手の地形はほとんど変わってことが分かります。

suribachi at 18:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ご報告 

空から新潟を眺めてみよう(101024の復習)

766c9a8d.jpg白山神社上空から新潟の市街と砂丘列、日本海を眺めてみましょう。新潟の街は砂丘に守られている、あるいは砂丘が攻めてきている、と見えます。
「新潟」というからには、古い潟(ラグーン)があったのでは?と思うのは、「地名にはヒントが隠されている」とする地形マニアの癖でしょうか。実際、古新潟町は存在していたらしいのですが、はっきりした場所が未だに特定できないとのこと。一説には砂丘の下に古新潟町の遺跡が眠っているのでは?とも言われています。
地形学的な長い目で新潟の都市史を考えた場合、町は海側から波のように押し寄せる「砂」との闘いだったのではと思っています。「御林稲荷」という砂から町を守る祈願で建てられた土着の祠を、砂丘の先端で見つけた時それを感じました。荒れ狂う太平洋に面した江戸の下町に波除稲荷が多いのと同じ理由。
迫り来る砂の猛威に古新潟町は飲み込まれてしまったのか?地形マニアのモウソウは広がります。

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新潟のお宝発見(101024報告)

862c56b7.jpg今回の新潟訪問は、「全国路地サミットin新潟」の事務局からお招きいただいたもの。「まちの楽しみ方」の一例として、スリバチ学会的な断面的まち歩きを『坂の下の路地』というタイトルで紹介させていただきました。
新潟の市街は空襲をまのがれたため、木造の長屋や小路(新潟ではこうじと呼んでます)が市民の生活に活かされながら数多く残っています。加えて、かつての市街には多くの掘割がありましたが、高度成長期の都市開発で掘割が埋め立てられて市街が整備され、都市の骨格を変えるような大手術を行わなかったことで「江戸期の都市構造が今でも残っている」と言えます。このあたりが大名屋敷という都市の包容力を持った江戸・東京と似ていますね。
そんな町の財産を「お宝」として自主的に紹介していたのが、野内氏をはじめとする新潟の路地好きな方々。そのアクティブな市民活動に、新潟市が「市民参加」ならぬ「行政参加」をして、より広く紹介できるよう「お宝掲示板」の整備やシティーガイドなどの支援を行っています。
飾らないまちの魅力もさることながら、そんな素敵な関係って、まちのお宝に違いありません。

suribachi at 13:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 講演会その他 

2010年10月25日

新潟のスリバチ(101024報告)

3da879ae.jpg新潟。
ニューラグーン。。
スリバチ的にロマンチックなコードを持つ町は、
その名の通り、阿賀野川・信濃川という二つの大河が運んだ堆積物を起源に築かれた町。東京の下町低地と同じく、かつては水路(掘割)が縦横にはしっていましたが、今では柳の並木がかろうじて町の記憶を伝えている町。そんな「水の都」は平らだろうという先入観は、実際に歩いてみると見事に覆されたのでした!!案内人は、にいがたなじらねっとの野内氏。
http://www.najiranet.com/
詳しくは上記、氏のブログをご参照あれ!!
海岸砂丘は、海岸と平行に列をなすことがありますが、新潟においては2列の砂丘が連なることで「砂丘の谷」が存在します!しかも谷を越える道路によって、土手が築かれているため、4方向に閉じられた谷(一級スリバチ)!!
野内氏の発見に、学会のフロンティアが益々広がる予感。。

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2010年10月08日

101030千鳥ヶ淵・番町のフィールドワーク

fed17a1d.jpg【10/30(土)第2回 秋のフィールドワークのご案内】

日時:10/30(土) 10:30am
集合:皇居大手門前
   (地下鉄大手町駅のC10番出口から徒歩1分)

午前中は武蔵野台地東縁、江戸城跡やいくつもの濠やダム湖である千鳥ヶ淵・牛ヶ淵をめぐり、家康入府前の原地形(谷戸地形)に想いを馳せます。13:00頃、市ヶ谷あたりで適当にランチ。午後は番町を横切る樹木谷(地獄谷)や、意外と知られていない窪地をめぐり、平河天神、清水谷を経て、赤坂見附(外堀)へ。時間があれば山王日枝神社まで行こうかな。。(16:30頃、赤坂あたりで解散予定)

実は行っていなかった皇居と番町、警官に怪しまれながら古代のスリバチを探索しましょう。

雨天決行、途中抜け・途中参加OK、自由参加なので申し込みは不要です。

今年の予定は、
12/4(土) 根岸・鶯谷+銭湯+忘年会、です。


suribachi at 19:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) お知らせ 

2010年10月04日

成増のみどころ(100925報告)

fea5c86e.jpg「一級スリバチ発見!」の報を受け、秋の第1回フィールドワークは成増へ。春の最終回が祖師谷だから、これってとんねるず繋がり??
見所は成増駅周辺を流れていた百々向川のつくる谷や、成増台地に刻まれたいく筋もの谷・谷・谷。これらのミニスリバチに加え、白子川の氾濫原と、1日では廻りきれない内容でした。今回の範囲だけでも3ヶ所のお宝一級スリバチに出会えます。東京スリバチ学会もついに武蔵野台地成増台の最北端に到達、白子川を挟んで、広大な朝霞台のフィールド(フロンティア)が眼前に広がっているのでした。

suribachi at 19:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ご報告 

明治の成増台と荒川低地(100925の復習)

c3779c6c.jpg明治20年頃の測量図では、荒川低地はのどかな田園地帯。水の得にくい成増台よりも白子宿の賑わいの方が目立ちますね。

suribachi at 19:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ご報告 

2010年10月03日

始まりはいつも雨(100925報告)

de7fe595.jpg秋の第一回は台風が去りつつある小雨が残るなかスタート。まずは百々向川の谷を探しに成増駅から上流方向へ。ちなみに百々向川は(ずずめき川)と読みます。百々女木川と書くこともあります。
正面の家、右側が暗渠であることはもうお分かりですよね。水音が無くても。。
この日はマンホールから聞こえてくる水音とともにスリバチめぐりを楽しみましたが、台風一過ゆえの幸運が待っているとは、この時点で誰も知るよしはない。

suribachi at 23:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

小治兵衛窪という名の二級スリバチ(100925報告)

e0e1abd9.jpg川越街道を渡る手前、成増2丁目の交番裏に祠に守られた庚申塔があります。この庚申塔は天明3年(1783年)の浅間山大噴火の犠牲者供養とため立てられたもの。祠の傍らに「小治兵衛窪庚申尊」という標柱がありますが、この小治兵衛の昔ばなしをご紹介。
昔、ここを流れていた百々向川に1本の丸太橋が架けられていましたが、毎晩のように強盗が出没し、1本橋ゆえ逃げ場がないため、村人からはたいそう恐れられていたそうな。ある朝、立派な橋に架け替えられていて、橋の手すりに「たくさんの悪いことをしたので、罪滅ぼしにこの橋を造る。小治兵衛」と書かれた木札が下げられていたそうな・・
小治兵衛窪付近にはかつて、共同の洗い場があって付近の農家が野菜を洗っていたといいます。スリバ図でも、この辺りで百々向川が溜まっているのが分かります。

suribachi at 22:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

晩夏のサルスベリ(100925報告)

cc58e6ec.jpg成増駅のS-フィールド、百々向川上流の川跡の一部は緑道として整備されています。遊歩道の真ん中にサルスベリが植えられているところがめずらしいですね。
若い頃、クライアントの役員にプレゼンテーションをした時の話をご紹介。説明を終えた後、その役員(社長だったかな)のコメントが「晩夏のサルスベリのようだね」でした。きょとんとしている自分に上司が、「サルスベリの花は、陽射しが弱まった頃の方が赤の色が美しく映えるものだ、の意味だから誉め言葉だよ」と教えてくれました。大人の世界は奥が深い。。

suribachi at 21:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート