2011年06月

2011年06月11日

110625赤羽フィールドワークのご案内

c5d77a44.jpg日時: 6/25(土) 10:30am
集合:JR赤羽駅西口パルロード1アピレ1階マクドナルド前

春のフィールドワーク最終回は赤羽。「スリバチ団地の底に、夢を叶えてくれるボタンがある??」ということで、今回はルートを事前にお知らせしないミステリーツアーとしましょう!17:00頃、赤羽駅に戻ってきて解散予定。今回も雨天決行、自由参加・途中抜けOKです。お気軽にご参集下さい。

春のフィールドワークは次回で一旦終了。東京の夏は暑いのでフィールドワークはお休み。(秋は、9/24(土)・10/29(土)・12/3(土)を予定してます)

suribachi at 10:37|PermalinkComments(3)TrackBack(0) お知らせ 

2011年06月05日

駒込・田端の見どころ(110528報告)

4e5f2227.jpg上野台と本郷台を分断するのは谷田川の谷、かつての石神井川が浸食した谷です。谷の南側、本郷台の丘の上には千川用水の分流が六義園まで導かれていました。谷の北側、上野台の丘は細く長く、そして北面が断崖状に続くのが特徴。図中で赤点線で囲んだところがスリバチ状の窪地で川跡も確認することができます。台地の突端には源氏由来の神社(八幡神社や平塚神社など)が多く、小さな窪地では無量寺や与楽寺など、丘の緑に包まれた雰囲気のある寺院にも出会えます。(特にこの日は雨に濡れたしっとりとしたムードに浸れました!)
その他、田端大橋(日本で始めて酸素溶接を大々的に採用した橋)や坂阜を設けた田端操車場、東北・上越新幹線の高架橋などドボクマニアの方も楽しめるコースでした。(が、雨のため探索を一部省略しました。ゴメンナサイ)

suribachi at 18:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

〔義神社下のスリバチ(110525報告)

451ec1e6.jpg前回の池尻に続いて今回も雨。「スリバチに行くなら雨の日!」とテキトーなことを前回書いてしまっため、雨にもかかわらず今回は多くの参加者がありました。駒込4丁目、旧国鉄官舎裏の千川用水分流跡地に窪みがあり、辿ってみると谷田川支流の旧水路跡を見つけることができました。大国神社と妙義神社の丘に挟まれたプチスリバチ。自分的にはこのスケールのスリバチがたまらないのですよね!
妙義神社のある本郷台の突端の並びには、染井の地名の由来となった泉(井)があったとされる染井稲荷神社もあります。

suribachi at 18:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

長池の一級スリバチ(110525報告)

284472f5.jpg染井霊園と中央卸売市場豊島市場に挟まれた南北の窪地はかつて「長池」と呼ばれる谷田川の水源のひとつでした。ブラタモリで「川跡だ!」と一同盛り上がっていた場所です。染井霊園は明治7年に雑司が谷霊園・青山霊園とともに開設された公営の丘の上の墓地。元々は建部内匠頭(たけべたくみのかみ)の下屋敷だった場所。
本駒込の六義園は台地の庭園ゆえ水が得にくく、千川用水から支流を引き込んで庭園の池を築いていました。用水路がこの谷田川支流の谷を跨ぐために土手が築かれ、それが土留めとなって生まれたダム湖が「長池」。という事は長池の窪地は一級スリバチ??残念ながらその土手は道路建設で切り通されたため、現在の長池の窪地は二級スリバチです。(4方向を丘で囲まれた窪地を一級スリバチ、3方向なら二級スリバチ、と学会では勝手に呼んでます。念のために。。)

suribachi at 11:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

C田川跡の商店街(110525報告)

1a225595.jpg上野台地と本郷台地を隔てる旧谷田川の流路に沿うよう、染井銀座商店街と霜降銀座商店街が続きます。写真のアーチの中央は霜降銀座商店街のマスコット「しーちゃん」。本郷通り霜降橋交差点を対称に、本郷台には六義園が、上野台には旧古河庭園が位置しています。学会的には旧古河庭園の西隣、丘の緑を背景に、窪地に静かに佇む無量寺もお勧めです。特に雨の日には!
谷田川は上流部では谷戸川、下流の千駄木・根津・不忍池までが藍染川と呼ばれていました。商店街や下町の広がる氾濫原が想像以上に広いのは、かつて豊富な流量を誇る石神井川がここを流れていたから。石神井川が王子の音無渓谷から荒川低地へ流路をショートカットさせてからは、△寮井霊園の長池が谷田川の水源の一つでした。

suribachi at 11:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

ぢ翆呂涼爾諒芯与声辧110525報告)

222fbcc0.jpg荒川低地を望む上野台地端部が崖状になっているのは、約6000年前の縄文海進で、崖下まで波が押寄せ、下層の東京層を掘り込んだ波蝕台地形と言われています。その台地の突端に平塚神社があります。
かつてこの丘には豊島氏の平塚城があり、源義家が奥州征伐の帰りにこの城に立ち寄り、手厚い歓待を豊島氏から受けました。そのお礼に義家は甲冑を贈り、豊島氏は城の守り神にと甲冑を土に埋め、平らな塚(甲冑塚)を築いたといいます。まあ、その甲斐もなく、大田道灌の執拗な攻撃に最首防衛拠点だった平塚城もついには落城し、その跡に平塚神社が建てられたのでした。

suribachi at 09:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

セ夏擦涼田橋(110525報告)

82861832.jpg田端神社参道の1ノ鳥居手前に、石の橋が置いてあります。これは谷田川が暗渠になったときに記念に運ばれてきた谷田橋で、元は現在の谷田橋交差点から1本西の旧道に架かっていたものです。田端八幡神社の本殿は上野台の丘の上にあり、長い参道は途中で男坂と女坂に分かれ、女坂の右側には富士塚もあります。
この後スリバチ一行は、絵地図師:高橋美江さんのアトリエ見学に向かいました。絵地図ができるまでのレクチャーを拝聴し、絵地図原版を見れて一同感激の午後でした。田端の丘は、上野に東京美術学校(現東京芸大)が明治22年にできてからは台地続きで交通の便も良いことから、学校関係者が多く住むようになり「芸術家村」を形成しました。そんな前衛的な空気に惹かれてか、若い作家も集まるようになり「文士村」としても言われるようになったエリアです。

suribachi at 09:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート