2011年10月

2011年10月10日

111029 渋谷周辺フィールドワークのご案内

d6cc196d.jpg秋のフィールドワーク第2弾はいよいよ渋谷です。
出欠は取っていませんのでご自由にお集まり下さい。

日時:10/29(土)午前10時30分
集合:小田急線代々木八幡駅改札出たところ
   (千代田線の代々木公園駅1番出口からも至近)
代々木九十九谷をスタートに深町のスリバチ、鍋島松涛公園のスリバチ池、神泉谷と巡り、13:00頃神泉駅周辺で適当にランチ。午後は鶯谷、イモリ川の谷、氷川神社、黒鍬谷を経て17:00ごろ金王八幡神社で解散予定。「渋谷」といっても渋谷周辺のフィールドワークです。今回も雨天決行、途中抜けOKです。

年内は12/3(土)本郷+忘年会(根津)の予定。

suribachi at 07:48|PermalinkComments(6)TrackBack(0) お知らせ 

2011年10月02日

落合・高田馬場の見どころ(110924報告)

1e397513.jpg秋の第一回フィールドワークは神田川と妙正寺川が合流する「落合」周辺。両河川の氾濫原にはかつて水田が広がっていましたが、宅地化が進んでからは大雨のたびに洪水が多発、貯水(遊水)設備を地下に持つ公園(上高田公園・落合公園など)や、新水路が築かれたエリアです。水田って、遊水と浸透の機能を持つ為、降雨量の多いアジアの低湿地には相応しい土地利用なんですね。
神田川を見下ろす南向斜面は崖状で、この辺りでは「バッケ」とか「パッケ」と呼ぶそうです。国分寺崖線の「ハケ」と同じ意味。バッケでは今でも多くの湧水が見られ、個性的なスリバチ状の谷戸が台地に食い込んでいるのがスリバ地図でも分かります。

suribachi at 18:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

ヽ襯谷と呼ばれた盆地(110924報告)

a1572ce7.jpg西落合の旧地名である葛ヶ谷の由来は諸説ありますが、植物の葛が生えている野原だっとする説が有力です。スリバ地図を見ると谷いうより盆地状で、住宅地となる前は妙正寺川の流域と共に豊かな水田地帯でした。盆地の中を河川が流れていたようで(写真はその流路跡)、谷頭近くの千川用水から補水を受け、灌漑用に盆地を潤していました。河川には名前がありません(葛ヶ谷川でいかがでしょうか?)が、新宿区と豊島区の区境がかつての流路を教えてくれます。盆地両側の台地に、葛谷御陵神社と中井御陵神社が祀られ葛ヶ谷のスリバチを守っているかのようです。

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⊃逝寺下の川跡(110924報告)

63ea428f.jpg妙正寺川右岸に渡ると、神足寺や金剛寺のある台地の足元に川跡が続いています。『川の地図辞典』にも載っていない川なので、名があったら教えてください!
写真は落合斎場の敷地を繋ぐための小さな橋。落合斎場の起源は江戸時代この地にあった法界寺荼毘所で、都市施設としての斎場(荼毘所)は谷地に立地することが多いようです。桐ヶ谷斎場や狼谷の代々旗斎場、古くは千日谷や我善坊谷などなど。寺院の墓地がよく谷間にある事と関連しますが、窪地の墓地は「クボチ」や「スリボチ」と呼んでます。

suribachi at 08:12|PermalinkComments(2)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

四の坂と林芙美子記念館(110924報告)

cc779ecd.jpg妙正寺川の低地を望む南斜面には一から八の名が付けられた坂が連なります。地元町会が掲げたもので、写真は四の坂、坂の途中に「林芙美子記念館」があります。『放浪記』や『浮雲』、「花のいのちは短くて・・」で知られる作家林芙美子が生涯を閉じるまでの26年間住んだ家で、建物・庭園どちらも美しいのですが、スタッフの方がこの周辺の地形に精通していて多くの貴重な情報を教示いただきました!
この地は「落合文士村」と呼ばれ、箱根土地(西武の前身、現:コクド)が1923年に「目白文化村第二」の別称で売り出した分譲住宅地、昭和初期には文人や画家が多く住み、当時のモダンな家並みが辛うじて点在しています。

suribachi at 07:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

ど堝庵の一級スリバチ(110924報告)

3e25ae11.jpg新宿区中落合三丁目に4方向を丘で囲まれた一級スリバチがありました。元々は落合第一小学校裏の谷と連続する天然の谷戸だったようですが、山手通りと住宅地建設の際、谷の出口側が塞がれ現在のような不思議(すばらしい)な地形が生まれました。明治のこの辺りの字名が「不動谷」なので、不動は見当たりませんが不動谷のスリバチと命名します。この谷頭には弁天池という小さな池もあったようで、厳島神社が生き証人のように住宅地の一角にポツンと取り残されています。余談ですがキャストアイアン(鋳鉄製)の手すりがいい味を出しています。錆び具合もすばらしい!

suribachi at 07:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

ヌ王院の二級スリバチ(110924報告)

182c7c11.jpg薬王院と野鳥の森公園がある辺りで南向き斜面が若干窪んでいるので、「崖」ではなく「二級スリバチ」と認定します。かつては農家の庭の一部だったとされる野鳥の森公園の斜面では湧水も確認できるのでそう呼ばせて下さい。薬王院は奈良の長谷寺の末寺で、東長谷寺とも呼ばれる典型的な谷戸の寺院。斜面を活かした庭園には本山の長谷寺から牡丹が移植され、4月下旬の開花の頃には見物客で賑わいます。
写真の階段は台地と低地を一気に結ぶ名物階段(でも名が無い)で、この付近の台地の突端では神田川の低地一帯を眺望できます。

suribachi at 07:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

Υ飮鈎のミニスリバチ(110924報告)

0ec94fdc.jpg写真では谷底に建物が建っているので分かりづらいですが、反対側まで50mも無い二級スリバチ地形となってます。おとめ山公園へと続く谷の先端部(谷頭)で、かつては池があったようで「林泉園」と記す地図もあります。このミニスリバチは谷頭から250m程で向きを90度変え、おとめ山公園まで南下する不思議な地形です。谷の途中が財務省官舎建設(旧大蔵省官舎建設は昭和39年頃)で埋め立てられたので、おとめ山公園のスリバチとの連続が分かりづらいですが、元々は一連の谷戸地形です。

suribachi at 06:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

台風一過のおとめ山公園(110924報告)

1d9fcc6e.jpgこの一帯は江戸時代、将軍の鷹狩りの地で、庶民は立ち入りが禁止されていたことから「御留山」の名が付けられました。現在公園となっている場所で、東山稲荷(藤森稲荷社)のミニスリバチが合流しています。前々日に猛威を振るった台風15号が公園内のポプラの大木をなぎ倒していきました。この日はスリバチの湧水を集めた池で倒れたポプラの処理が行われていました。ポプラは根に比べ地上部の成長が早いため、台風が襲来するような場所では本来生育できない樹種とのことです。

suribachi at 06:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート