2011年11月

2011年11月13日

111203 本郷・根津フィールドワークのご案内

d5b031ea.jpg今年最後のフィールドワークのご案内です。今回も雨天決行、途中抜けOKです。出欠は取っていませんので、ご自由にお集まり下さい。
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開催日:12/3(土)
集合:10:30amに丸の内線本郷3丁目駅改札出たところ
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まずは大田道潅の時代には辺境だった見送り坂・見返り坂の微妙な窪みを確認し、菊坂周辺の路地や階段・井戸・川跡めぐります。文京ふるさと歴史館(入館料に¥300が必要です)を見学してから、本郷台地や西片の歴史ある住宅地をブラブラ散策。13:00頃、東大本郷キャンパスにて適当に昼食。午後は三四郎池や弥生の窪地を巡り、根津の路地や藍染川の暗渠を探索してから16:30頃根津神社で解散予定です。
時間の許す方は、銭湯(六龍鉱泉)と忘年会で、1年の締めくくりを。。

冬の間は寒いのでフィールドワークはお休み、来年の3月に再開予定です。

suribachi at 18:52|PermalinkComments(13) お知らせ 

2011年11月06日

渋谷周辺の見どころ(111029フィールドワーク報告)

da5d2e43.jpg秋晴れに恵まれた10月29日は、かつて代々木九十九谷と呼ばれた代々木八幡駅をスタートし、宇田川と渋谷川の支流が刻んだ深く細長い谷を巡りました。深町の窪地・谷戸公園でもある鍋島松涛公園・神泉谷・鶯谷などの谷地と、松涛・神山町・南平台町・鉢山町などの高級住宅地となっている高台を交互に上り下りするハードなフィールドワークでしたが、若き隊員に導かれハイペースで進行し、予定よりも早くゴールの金王八幡神社へ到着しました。谷の川跡や暗渠だけではなく、尾根筋の三田用水跡も見どころの一つです。

suribachi at 18:48|PermalinkComments(2)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

^典瑤斑のラビリンス(111029報告)

39cb3844.jpgこの写真が何を言わんとしてるのかが分かれば、アナタは暗渠マニア、またはスリバチ学会員です!ここは代々木八幡駅の近く、かつては代々木九十九谷と呼ばれた一帯です。その名の通り、宇田川の本流に初台川、唱歌「春の小川」でおなじみの河骨川、富ヶ谷と上原の境界を流れた支流などがこの地で合流し、谷が複雑に入り組む地です。現在はそれらの都市河川の多くが暗渠化され、一帯は路地と暗渠が交錯する迷路のような町になってます。九十九谷を見下ろす岬状の台地には、代々木八幡神社が鎮座しています。

suribachi at 18:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

⊃篠の典型的二級スリバチ(111029報告)

bf3b95c3.jpg渋谷には多くのスリバチ地形がありますが、お勧めはここ、深町のスリバチです。現在の町名では神山町と富ヶ谷1丁目の境界にある細長い窪地です。渋谷区が成立する前までは渋谷町と代々木町の境界で、双方の町それぞれに「深町」という小字があり、昭和44年まで代々木深町という町名が残っていたため、「深町のスリバチ」と呼んでいます。谷底の沖積地が泥深い田圃だった頃、川沿いの「深田」に由来する地名とされ、現在は静かな住宅地となっています。

suribachi at 12:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

渋谷至近の谷戸公園(111029報告)

e0079003.jpg渋谷の谷を東に望む高燥の台地は松涛と呼ばれる高級住宅地。江戸時代は和歌山藩徳川家下屋敷と旗本長谷川家のあった土地で、明治5年に旧佐賀藩主鍋島家がこの地を購入し、東京府の奨励もあり茶畑を開いた場所です。この茶園の名「松涛園」が町の名になりました。屋敷内にあった谷戸の池は、灌漑用・防火用に転用され、松涛が住宅地に開発される際、池周辺の谷戸は東京府に寄付され、「鍋島松涛公園」として開園、現在に至っています。渋谷の繁華街近くにありながら、スリバチ地形を味わえる貴重な公園です。

suribachi at 12:03|PermalinkComments(1)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

そ唾の鶯谷(111029報告)

3eda74ca.jpg鶯谷といえば上野の裏町が有名ですが、渋谷にも鶯谷町はあります。上野の鶯谷は台地に対しての低地の町ですが、こちらはれっきとした谷町です。かつては「長谷戸」と呼ばれた地で、この谷を流れていた都市河川は西郷山辺りで三田用水から補水を受け、渋谷川沿いの低地の水田地帯を潤していました。乗泉寺の下で、暗渠となった水路跡を辿ることができます。之潮から出版された『春の小川はなぜ消えたか』では、「三田用水鉢山分水支流」と紹介されています。

suribachi at 11:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

イい發蠕遒侶γ蓮111029報告)

977d54d2.jpg写真で手前の墓地は東北寺、その先がいもり川が流れていた細長い谷で、遠方に広尾ガーデンヒルズや六本木ヒルズなど、丘の上を自慢する大規模開発を俯瞰できます。いもり川は青山学院キャンパス内の体育館のある辺りが谷頭とされ、深く細長い谷を刻み、臨川小学校脇を流れて、渋谷川へ注いでいました。流域には羽沢・鶴沢などの地名が残り、かつての流路も辿ることができます。青山学院の敷地は江戸時代、ほぼ全域が伊予西条藩松平家の上屋敷があったところで、発掘調査の際に谷間で池の跡も出土しました。

suribachi at 09:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

黒鍬谷と金王八幡神社(111029報告)

bfaceac4.jpg中世から続く古道(鎌倉街道)でもある八幡通りには大きな石の鳥居があり、そこから金王八幡への表参道がわずかながら窪んでいます。境内に上る階段で、その高低差が分かります(写真参照)。江戸時代この窪地には「甘露水」「玉池」「金王丸誕生池」など多くの湧水があり、小川が渋谷川へと流れていました。この谷は黒鍬谷と呼ばれ、明治時代には塵芥捨場として埋め立てられました。谷の名は、江戸城内の土木工事や清掃などの雑務に従事していた黒鍬者の屋敷地だったことに由来します。金王八幡神社のある岬状の高台は、中世には渋谷氏の渋谷城があった場所でもあります。
この日のフィールドワークはここで解散。次回は12/3(土)、本郷・根津を予定してます。

suribachi at 09:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート