2011年12月

2011年12月31日

空から眺めた河岸段丘都市・仙台(111210仙台報告)

efe4c502.jpg仙台の河岸段丘地形を、高さ方向を5倍に強調して上空から眺めてみましょう。手前のブルーの部分が沖積低地で、小高い河岸段丘面と沖積低地の境界を成すのが「利府-長町断層帯」。仙台の河岸段丘は古広瀬川の扇状地で、上町段丘と中町段丘は約2万年前の最終氷期(ウルム氷期)、下町段丘は約1万年前に形成されたとされます。仙台にはこれら3つの段丘に加え、さらに標高の高い台原段丘と、仙台城址や東北大青葉山キャンパスのある青葉山段丘の5つの平坦な段丘面があることになります。仙台城址・瑞宝殿・愛宕神社がある丘や山は、ほぼ同じ標高であることから、元々は同じ段丘面だったと想像しています。
フィールドワークの2回目(12/10)は広瀬川下町段丘周辺と沖積平野の水系を探索しました。

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下町段丘周辺の見どころ(111210仙台報告)

84eac70b.jpgかつての仙台では、段丘崖や断層に沿って、いたるところで地下水が湧き出していたとされます。12月10日のフィールドワークでは広瀬川直近の下町段丘と仙台城址のある丘の際を巡りました。
広瀬川は激しく蛇行しながらも、下町段丘面よりもさらに深い崖下を流れています。おそらく相対的な海面低下(土地の隆起か海水準の低下)によって、川底を下にえぐる下刻作用が激しくなり、川がうねったまま深い谷がつくられたのでしょう。このため仙台では、広瀬川の水が市街に溢れることを心配する必要がない反面、揚水が困難で水を得にくいといった悩みを抱えていたに違いありません。四ツ谷用水は、仙台の城下町を成立させるには必要不可欠なインフラでした。

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46530e88.jpg後方は竜ノ口渓谷と呼ばれ、一行が歩いているのは広瀬川に合流する手前の氾濫原にある公園。右の崖上はかつて、仙台城(青葉城)の本丸があった場所です。現在の青葉城址は市街地を見渡せる絶景スポットとしても知られています。伊達政宗の仙台城はこんなに急峻な竜ノ口渓谷と、広瀬川が刻んだ高低差80mほどの段丘に囲まれた天然の要塞でした。
ほとんどの大都市が海沿いや河口の低地に立地していますが、仙台は広瀬川の中流部に立地するため、このような渓谷が町の中に残っています。百万都市の真ん中にアユの泳ぐ川が流れているのです。

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f51fc9bb.jpg仙台の観光名所のひとつでもある「瑞鳳殿」は、経ヶ峯の深い杉林に守られた伊達家三代の廟。伊達政宗は1636年、死後は経ヶ峯に葬るようにと家臣に言い残し江戸へ旅立ち、亡くなったのはまずか40日後のことだったとされます。その瑞鳳殿の裏(南側)の低地から向山の台地に切り込む谷戸があります。「清水沢」との表示が現地にあり、水路跡(写真のコンクリート舗装の部分)の上流部では開渠に清流が流れていました。高台にある住宅から、この窪地がいかに急峻な崖地なのかが分かります。
「水系から持続的都市を創成する」という大命題を掲げてのフィールドサーベイですが、河岸段丘の際を巡ることで、多くの里山的な水系を発見し、仙台という大都会の別の一面に触れることができました。

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水の路・人の路(111210仙台報告)

f2198a82.jpg清水沢は上流部で開渠となり、清流に誘われるよう遡ると水源と思われる谷頭(太白区向山1丁目辺り)に辿りつけます。写真は谷頭から谷を見下ろしているものですが、左の階段が人の路、その右の階段はこの辺りの窪みの雨水を集める水路のようです。清水沢の豊富な湧水は、その右の茂み中を流れています。
この辺りは中心市街地にもほど近い古くからの住宅地ですが、清らかな湧水が流れる谷戸の風景が残っていることに驚かされます。この流れの途中には砂防ダムもあり、ちょっとした探検気分も味わえます。瑞鳳殿に観光の際は、ぜひこの清水沢のスリバチにもお立ち寄り下さい!

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しΔ澆砲鰐がある(111210仙台報告)

54a85442.jpg写真中央の交差点辺りが僅かに窪んでいるのが分かりますでしょうか?窪んでいる通りはかつて「清水小路」と呼ばれ、その名が示すとおり、たくさんの清水が湧き出していました。湧き出た水はかつて水田にも利用され、今でも「田町」という地名がこの辺りに残っています。今でも井戸水を使っている家もあるそうで、2mも掘ると水が湧き出るということです。
河岸段丘都市・仙台の豊かな浅層地下水は5m未満の浅井戸を多く提供しました。段丘は砂礫段丘に属しているので表土の下に厚い砂礫層が分布しており、これが浅層地下水を貯える帯水層となりました。そして四ツ谷用水の一部が段丘礫層に浸透して、雨量の少ない冬季の地下水低下を防いだとも言われます。江戸時代、水を多く必要とする杉・欅なのど屋敷林の旺盛な繁茂を促し、のちに「杜の都」といわれる原風景を形成したのでした。

suribachi at 09:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

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edc1ba8a.jpg日没とともに標高約80mの愛宕神社の頂に駆け上がった一行を待っていたのは、黄昏時の仙台市街の絶景でした。そして東の空から、満月の月が昇ってきてました(この日は皆既月食の日でもありました)。
写真の足元を流れるのが広瀬川、その対岸に河岸段丘地勢に呼応するかのように仙台スカイラインが形成されているのが分かります。「建物は地形を強調する」という『スリバチの法則』を具現化した街が広がってますね!解説すると、広瀬川に一番近い「下町段丘」には低層の住宅地が、「中町段丘」には東北大片平キャンパスをはじめとした中層の建物が並び、その背後には「上町段丘」上に発展を続ける仙台市街の高層ビル群がスカイラインを生成してます。

suribachi at 08:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

水系から持続的都市を創生する(111210仙台報告)

a08e8a27.jpgフィールドワークを終え繁華街に戻ると、仙台の冬の風物詩となった「光のページェント」が始まっていました。仙台は復興に向け全国から人が集まっているようで、この日も今まで見たこともないくらい賑わっていました。
2回のフィールドワークは、東北大学の都市・建築学専攻がエンジンとなり、地域と連動する新しい教育プログラム『せんだい・スクール・オブ・デザイン』としての活動でした。「水系から持続的都市を創生する」という講座が掲げる壮大なテーマを受講生の方々と考えるよい機会をいただきました。研究成果を纏めるのが来年の課題ですが、スリバチ的視点で見ると、知らなかった仙台の特性や魅力が浮かび上がってきたのでした。さいごに本江正茂校長先生の言葉を紹介しましょう。「デザインとコミュニケーションの力は、シビックプライド(市民が持つ都市への誇りと愛着)を育て、仙台を持続的に魅力な街へと高めていきます。地域を変えることは、世界を変える第一歩なのです。」
2012年がすべての人にとって良い年になりますように・・

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2011年12月25日

段丘上の杜の都(111120仙台報告)

85dc70dc.jpg国土地理院の標高データ「仙台」を使って仙台の地形を概観しましょう。仙台の中心市街地は海抜30m〜50mの扇状地状の台地上にあり、青い部分は沖積低地で、水田や物流生産施設が立地するエリアです。台地状の土地は広瀬川が形成した河岸段丘で、4つの段丘(台原・上町・中町・下町)から成り、市街地にはその段差が表出してます。
江戸時代、多くの城下町は大きな河川や海湾の近くにその位置を占めました。仙台藩祖伊達政宗は、これとは対照的に海から離れた小高い河岸段丘地に人口5万人を越える、全く新たなる城下町を開きました。このことにより、洪水や津波の難を免れる反面、高台ゆえに水を得にくいという問題を抱えていました。それ故、政宗がまず着手したのが街道整備と共に仙台城下へ水を供給する四ツ谷用水の建設でした。
大都市としては珍しい河川中流都市、仙台の地勢と水系をスリバチ流に紹介します。


suribachi at 19:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

北山・八幡のみどころ(111120仙台報告)

48fcf86d.jpg河岸段丘の街、仙台の上町段丘と台原段丘に注目してみましょう。広瀬川の上流部から導水され、大崎八幡宮下を横切り、段丘の際を辿ったあとに梅田川へ合流している赤い点線が四ツ谷用水の本流。この本流から多くの支流が枝分かれし、かつての城下町・仙台を潤していました。深田と書かれている辺りは、かつて水田が広がる湿地帯だった場所で、四ツ谷用水は市街地への上水供給だけでなく、水田地帯の灌漑と深田の乾地化の役割もあったとされます。深田の西側には梅田川支流の河川谷が複数あり、水の流れは無くなったものの、川跡は住宅地の路地として残り、今でも容易に辿ることができます。

suribachi at 11:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート