2012年06月

2012年06月17日

120630高輪白金フィールドワークのお知らせ

7085a94e.jpg横浜・埼玉・仙台と活動範囲を広げていた東京スリバチ学会が東京都心に戻ってきます!それもおしゃれな高輪・白金が今回の探索範囲。出欠は取っていないので、ご自由にお集まり下さい。(スリバチは別におしゃれではありません)

開催日時:6/30(土)
集合場所:10:30amに都営浅草線高輪台駅A1出口あたり

午前中は「スリバチ銀座」と呼ばれる高輪台の際に連続するスリバチ群を登ったり下りたり。13:00頃、明治学院大学の学食で学生のフリをしてランチ予定。午後は、白金台の名スリバチを巡って、17:00頃JR目黒駅へ戻る予定。雨天決行、途中抜け・途中参加可です。
夏の間は暑いのでフィールドワーク活動はお休み。9月の末に再開の予定です。

suribachi at 06:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) お知らせ 

2012年06月16日

120623仙台平野のフィールドサーベイ(第2回)のお知らせ

d6cd1576.jpg下記の通り、仙台平野のフィールドサーベイに出かけます。
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日時:6/23(土)
仙台駅西口6番バス乗り場に9:30に集合

9:40発「農業園芸試験場」行き市営バス(405系統)に乗車し、被災した仙台平野の荒浜や貞山堀、蒲生干潟、そして微高地の集落を巡ります。沖積低地の微地形と灌漑用に築かれた水路のネットワークを探りながら、16:00頃、仙台新港のキリンビール工場に戻る予定(そこで反省会ですが、バスを使うと17:00前に仙台駅へ戻れます)。なお、今回のフィールドサーベイも東北大学都市・建築学専攻の石田研究室の方々と一緒に行うものです。今回はなんと副会長・石川初氏も同行します!雨天決行、途中抜け可、興味のある方はぜひご一緒しましょう。(途中には、お店などがないと思われますので、覚悟して来てください)



suribachi at 07:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0) お知らせ 

仙台平野のフィールドサーベイ(120606仙台報告)

bd1bd56d.jpg6月6日(土)、東北大学の石田壽一教授率いる研究生の方々と、仙台平野のフィールドサーベイに出かけました。沖積低地の微地形や水路ネットワークの現況把握と、持続可能な都市を創生するという壮大なテーマを視野に入れての活動です。仙台では、すっかり雨男のレッテルを貼られてしまいましたが、この日も朝から雨。。雨の方が水系を把握しやすいなどとテキトーなことを言いながら学生たちを奮い立たせ、霞目から沖野を経由し、片平キャンパスまで15km以上を歩き切りました。
仙台の河岸段丘上の水路は失われましたが、平野部の水路は水田灌漑用に今でも活きており、清らかな水の流れに誘われ雨も苦にならないフィールドサーベイでした(でしたよね?)。

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微高地の浪分神社(120606仙台報告)

ecf29962.png仙台市宮城野区霞目という古い集落の真ん中に、浪分神社と呼ばれる村の小さな鎮守があります。霞目は広大な沖積低地の微高地にあり、祠はその頂にあるのが分かりました。この辺りの沖積平野は、幾度となく津波や洪水に襲われたといいます。過去の記録では、869年、1611年(慶長三陸大津波)、1825年など、繰り返し大津波に襲われ、平野部で深刻な被害が出ました。そんな中でも浪分神社のある霞目微高地は被害を間逃れたため、津波鎮撫の霊力信仰(白馬に乗った海神が波を分けて、海を鎮めた)が高まり、浪分大明神と呼ばれるものになりました。
先の3.11地震の際は、この地の海側にある東部道路の土手が、防波堤の役割を果たし、津波はそこで止まったのでした。

suribachi at 07:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

住宅地の長い暗渠を辿ると水田だった(120606仙台報告)

e061d815.jpg東に太平洋を臨む仙台平野では、住宅は微高地を選んで発展してきたのが地形図でも分かります。その住宅地の中を幾筋かの用水路が流れています。七郷用水・二郷用水など江戸時代に築かれたもので、仙台藩の基幹産業だった平野部での稲作、それを支えるインフラは今でも健在です。二郷用水は広瀬川で取水し、伊達政宗が隠居用に築いた若林城へも導かれました。
住宅地の中を、まっすぐに走る暗渠に気づいた東北大学の一行は「東京スリバチ学会」の洗脳のためか、どこまでも続くように思われるその小道を辿り始めました(しめしめ!)。そして長い暗渠を辿ると、眼前に仙台平野の水田が現れました。驚くべきは、暗渠の蓋が2列になっていたのだけど、それが水田の給水用・排水用と別系統に分けられていたこと。仙台平野では系統の違う水路が、立体的に張り巡らされているのでした。

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2012年06月03日

和光市・成増の見どころ(120526フィールドワーク報告)

6fd4e7f0.jpg東京を離れてのスリバチ巡り第2弾は埼玉県和光市。和光市駅を出発し、柿の坂湧水公園、新倉民家園、下新倉氷川八幡神社、東明禅寺吹上観音と、朝霞台の起伏を愛でた後、都県境の白子川を渡って成増北第一公園でランチ。前回はスリバチビューの丘でのランチでしたが、今回は白子川の沖積低地(3級スリバチ)でのランチタイムとなりました。午後は成増台の際を巡り、赤塚溜池公園、赤塚城址、氷川神社、赤塚不動の滝、乗蓮寺(東京大仏)、赤塚植物園といくつもの谷と丘を下りては上りの繰り返し・・。最後は前谷津川の水源付近にあたる下谷津公園がなだらかな谷であることを確認した後、百々女木川の川跡を辿って成増駅に到着しました。
荒川の低地を望む、朝霞台と成増台の歴史は古く、稲作が主要産業だった頃はとても豊かな土地だったことが点在する立派な社寺建築などからも伺えます。スリバチ巡りの楽しみは郊外でも尽きることはなく、果てしないフロンティアが広がることに感謝したいと思います。


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ヽ舛量攤簍水公園のスリバチ(120526報告)

1352353f.jpg東京を脱出して、埼玉県和光市の朝霞台で待っていてくれたのは、自然豊かないくつもの公園系スリバチでした。外環道が谷の出口を塞いでいますが、柿の木坂湧水公園(和光市新倉1−16)には2つの谷があり、谷頭では天然の清水が湧き出ています。写真の池は人工的に整備されていますが、池の上流部に自然の趣のままの湧水ポイントがありました。柿の木坂湧水公園は地主さんの厚意により一時提供されたもので、付近にはこうした提供公園が数多く点在し、谷戸の湧水や雑木林を身近に見ることができました。この公園から流れ出た水は谷中川という朝霞台の小河川に注いでいます。


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移築保存された江戸中期の民家(120526報告)

cbffac48.jpg水神が祀られた湧水を発見した後、丘の中腹に「新倉ふるさと民家園」はありました。外環道の建設に伴い、移築・保存されたもので大よそ300年前の建物とのことです。スタッフの方々からは親切丁寧な民家の解説もいただきました。地元を誇りに思うスタッフの方々の話は、点在する湧水の話に及び、自分たちがすでに、幾つかの湧水ポイントを探り当てたことを伝えると、スタッフの方からは「あなたたちはいったい何者?」との関心とも、驚きとも取れる問いかけがありました。自分たちは、眼差しを向けるスタッフの方から視線を逸らし、民家の先に広がる広大な谷を見つめ、「自分たちは東京スリバチ学会さ!」と自問するよう答えたのだった。。谷から吹く風が頬をかすめ、スリバチの上には澄み渡った青い空がどこまでも広がっていた。

suribachi at 10:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート 

吹上観音の奥にあった鳥居と丘

fe41aefd.jpg朝霞台の岬状突端に福田山東明禅寺吹上観音があります。地形の起伏を活かした境内には、仁王門や庚申塔を集めた「百庚申」など、見どころが多いのですが、自分たちが注目したのは、境内奥にひっそりと佇む鳥居と、鳥居の奥の5m以上はある、こんもりとした丘でした。頂には「御題目堂」の祠がありましたが、こちらが先住の土着の神なのかは分かりませんでした。
この吹上観音の他、下新倉氷川八幡神社や妙典寺など、社寺の立派さに一同、驚かされました。肥沃で広大な荒川の沖積低地を控え、かつては一面、豊かな水田地帯だったのでしょう。朝霞台には豊富な湧水に加え、住民の厚意で保存されている樹林も多く、歴史的な社寺建築も多く残されています。都心の丘や谷が都市化される以前の風景を、自分たちは旅してきたのかもしれません。

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だ増台の突端の赤塚城址(120526報告)

269fa2e1.jpg赤塚城本丸跡は、2つの谷(谷を流れる川をスリバチ本では勝手に、清凉川と赤塚川と名付けています)に囲まれた舌状の丘の突端にあります。赤塚城は中世の典型的な平山城で、台地の周囲に空堀の遺構などが僅かに見られます。溜池公園の池も元々は、堀と一部だったとも言われています。城は1456年から千葉氏の居城でしたが、後北条氏に従っていたため、徳川家康が江戸城に入城するに伴って廃城となりました。(1590年廃城)
スリバチ学会のフィールドワークでは谷巡りだけではなく、丘へも登ります。成増台は密な谷が多い分、分断された丘の数も豊富で赤塚城址の他にも、氷川神社・乗蓮寺(東京大仏)など、それぞれ違った丘の表情を楽しみました。


suribachi at 09:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィールドワークレポート