2005年02月19日

「君が代」の歌い方

 「君が代を歌うのは当たり前」と言われるわりには、「君が代」をきちんと歌え、歌い方について話せる人をほとんど見たことがありません。国立市に「愛国党」の人が来て歌っていましたが、音がはずれて3人の声が不協和音になっていて大変「不敬」でした。また、国立の小学校では、自称愛国者の教員が片手でぽろぽろ間違えながら「君が代」を弾き、校長が指揮をして、大変ひどい「君が代」練習になったこともあります。

 また1987年の沖縄国体の際には、「君が代」については「曲が短くて簡単だから」(国体事務局)ということで直前の「合同練習会」まで練習していません。
 反対の声が強い中、なるべく練習の回数を減らしたいという意図もあったのかもしれませんが、合同練習後、国体事務局は「一回目の練習にしては上出来。君が代は簡単な曲だからすぐうまくなる」とコメントしています。
  「日の丸はシンプルで美しい」という声はよく聞きますが、「君が代は曲が短くて簡単」という評価はあまり聞かない気がします。
 特に小学生の場合、「君が代は」の低音をうまく発声し、「さざれ石の」を途中でブレスせずフォルテで歌うというのは、なかなか難しいところです。

 前置きが長くなりましたが、東京芸大名誉教授の酒井弘氏が『季刊邦楽』(一七七年十二月号)に書いた「君が代」の歌い方について、(孫引きですが)以下に掲載します。 


『白地に赤く 日の丸・君が代と学校現場』(朝日新聞東京社会部編/汐文社/1991年)よりP33〜34
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東京芸大名誉教授の酒井弘氏は、『季刊邦楽』(一九七七年十二月号)で君が代について「旋律は大河の流れるごとく、とどまることのない荘重にして優美な曲である」と賛美したうえで歌い方を次のように説明している。
「君が代の曲にはどこにも休符がないことに気づかれるだろう。これは楽曲の初めから終わりまでを一環した流れで歌い上げなければならない曲だからである。また、もともと雅楽家が雅楽の歌曲に準じて作曲したものなので、雅楽譜には休符をつけない慣例だからである。おおまかに発想を表現すれば、歌い出しは『p』で漸次盛り上がりの形で歌い、最後の『まで』から落ち着いて終わる曲だと解釈したい。従って演奏の場合には、常に拍子のリズムを感じながら歌わなければならない」
「『君が代』までは歌の主語であるから、発想記号はp(ピアノ)であるが、『キ』を明確にし、しかもやわらかく落ち着いて歌い出し、少しずつ腹筋の締めながら『君が代は』までを、あたかもスベリ台をゆっくり滑り下りる感じで一気に歌うのである。決して階段を一段ずつ上がるような感じに歌っていはいけない。このように歌えば息継ぎのところではmp(メゾピアノ)ぐらいになるはずである」
 「『八千代に』であるが、『君が代は』を受けてmpで歌い出すと、その頂点『八千代』の『や』あたりはmf(メゾフォルテ)ぐらいになる。『さざれ石の』は問題の箇所であるが、ここは『さざれ石のいわおとなりて』と一つのフレーズとしてmfで歌い出し、『さざれの『れ』を充分盛り上げ、その惰力をかりてf(フォルテ)で『石の』に移るようにすると、案外スムーズに歌えるものである。『いわおとなりて』は言葉どおりに重々しく重量感をもって盛り上げながら歌い、『なりて』には>(デクレッシェンド)があるが『て』を盛り上げて『苔の』に移ると、次の歌い方が自然に決まってくる。『苔のむすまで』は前と同様、一つのフレーズとしてfまたはmfで歌いだし、『むす』までは朗々と歌い上げて『まで』から少し速度をおとしながら余韻を持たせて終わる」

suruke at 21:20│TrackBack(0)clip!疑問・主張など 

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