2005年02月22日

福岡「日の丸・君が代」処分史から見る東京

 過去にニュースなどに書いた原稿をアップしていこうと思います。
下記は昨年の6月頃に『HB通信』に書いたものです(一部訂正)。


福岡「日の丸・君が代」処分史から見る東京
  東京はそんなに「ひどい」のか?
  1980年 ビデオ撮影・座席指定による「不起立現認」
  1985年 児童の不起立で教育長辞職
  各地の経験を共有化しよう!


●東京はそんなに「ひどい」のか?
 都教委の大量処分について、多くのメディアが批判的に取り上げ、様々な運動も起こっていますが、最近の「東京がこんなにひどい!」という言説にはちょっと違和感を覚えつつあります。今回の都教委の一連の行為はそんなに「ひどい」のでしょうか?
 ある記者は、広島の人から「これまで何度も発信してきたのに、東京じゃないと問題にならないということですかね」と厳しい言葉を受けたそうです。
 市民運動に関わる人ですら、「君が代」不起立による処分は東京が初めてと思い込んでたりするのですが、福岡には膨大な処分事例があります。東京の状況を歴史的にとらえ返すよすがとして、「教育正常化」先進地域である福岡のケースをいくつか紹介しましょう。

●1980年 ビデオ撮影・座席指定による「不起立現認」
 今回、都教委が不起立教員を「現認」するためにビデオ撮影していたことが問題となりましたが、福岡では1980年頃から始まっています。ビデオ・カメラで不起立をチェックし、「教育困難校」へと強制異動するという県教委の政策により、次第に起立する教員は増えていきました。
 不起立者を特定するための「座席指定」も1986年に行われており、反発して年休を取る教員が続出しています。

●1985年 児童の不起立で教育長辞職
 都教委は生徒の不起立を理由として厳重注意を行っていますが、福岡では6年生全員が起立しなかったことをきっかけに町教育長が責任を取って辞職したケースさえあります(1985年嘉穂町)。
 1980年には式典で部落解放研究会の生徒らが「日の丸」を降ろし、顧問の教員2名が停職3ヶ月の処分を受けています。
 比較的、有名なのは1988年の「ゲルニカ事件」でしょうか。小学校卒業式で児童が「君が代」斉唱を拒否し校長を批判する発言をしたことをきっかけに、担任は戒告、校長は厳重注意を受けました。
 担任の処分だけでなく、生徒への直接の処分も行われています。1979年の「君が代アレンジ伴奏」処分の際には(生徒の自主的活動が規制され管理が強化されていく背景もあり)、生徒からも抗議の動きが起こります。それに対して校長は、生徒総会禁止・無期停学・退学処分で応じたのでした。

●各地の経験を共有化しよう!
 こうして振り返ってみると、都教委の手法というのは必ずしも「前代未聞」ばかりではないわけです。
 「東京が大変だ!」とSOSを発信するならば、組合・市民運動としては「福岡の教育正常化」「広島の是正指導」のときに、いったい何をしていたのかが同時に問われることになるでしょう。
 全国での強制の手法・発想には共通する部分が多くあります。そして、保守議員・教育行政はよく共有化していると思います(昨年12月の「ピアノ伴奏適法判決」は管理職向けの雑誌でも紹介されています)。
 一方で、「教育正常化」のプロセスや弾圧の経験は、孤立化・分断されていてなかなか共有化されていないことを痛感しています。

「国旗国歌法」が成立したということは、福岡の「実態」が全国化するということを意味する。これだけは何とか防がねばならない。そのためにはどうするか。考える会では福岡がどういう過程を経て現在の「実態」にたどりついたのか、ということを全国に発信し、福岡を教訓として闘ってほしいと願いを込めて、本書を編集することにした。(*)

 今さらながらだが、この呼びかけに応えていきたい。========================================
*参考文献:『「君が代」アレンジ心に響け ―「国旗・国歌」強制の本質を問う―』(小弥「君が代」処分を考える会編/2000年)。引用はあとがきより。
◆福岡「日の丸・君が代」処分史をホームページに載せました。
http://tokyo.cool.ne.jp/kunitachi/kyouiku/fuku2.htm

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