陰陽五行説と陰陽道、日本の年中行事(二)  〈スサノオとニギハヤヒの日本学・神社と神道・神話と信仰・祭りと行事・哲学と思想・民俗学・神話学・宗教学・歴史学・考古学・文化人類学〉

◆◇◆日本の年中行事に深く浸透した、陰陽五行思想と陰陽道

 陰陽五行思想(中国の古代思想、道教系の学術の一つ)のような世界を読み解くような精緻な原理思考は、それまでの日本には存在しませんでした。そこで、朝廷はこの道教的要素の陰陽五行系学術(天文観測術・卜筮・遁甲・造暦法など)を利用して、神々の分類や性格付け、皇都の選定や宮廷祭祀の日取り、災異瑞祥を読み取りなどを行いました。こうした専門的なことは陰陽道(中国の民間信仰・道教が日本に伝わり生まれたのが陰陽道です)の陰陽師が受け持ちました。しかしそれ以上に日本文化に対するこの思想の影響の大きさや重要性がは計り知れないものがあります。それは陰陽五行思想という世界原理によって、日本文化のあらゆるものが再構築され、新たに意味付けられたことにあるのです(古代日本の精神世界の基本原理に広く関わっているのです)。

 陰陽五行思想の日本への導入は、宮廷祭祀や儀礼などに大きな影響を与えましたが、神道においても、古来の神々を五行に分類して、『記・紀』神話の中に整合的な宇宙発生論を持ち込み、古くからの神祭りでさえも陰陽五行思想に合わせて再構築することで、それらを宇宙の秩序と神々の世界を合致させようとするのです。『記・紀』神話の「国生み」とそれにともない登場する神々には、支配と被支配という『記・紀』編纂時の政治的な意図が色濃く反映しているとされますが(神々のヒエラルキーとしての天津神と国津神)、その理念を思想的に支えているのは、多分に陰陽五行思想や陰陽道が持つ概念と考えられます。

 すると、日本人の宇宙創世の概念も、古代における神の認識も、この陰陽五行思想や陰陽道をぬきにして考えることが出来ないと思われます。神を気配として認識してきた日本人にとって、陰陽五行思想や陰陽道はその認識をより具体的に、より論理的に顕在化してきたともいえます(古代日本の宗教概念に及ばした陰陽五行説と陰陽道の影響は計り知れないものがあります)。またその他にも、陰陽五行思想は、日本文化のあらゆるものに対して深く浸透して行き、日本という土壌に完璧に近い形で、日本文化の血肉と化していきます(普段はまったく意識されませんが)。

 年中行事(本来、宮中で一年の内に一定の期間に慣例として行われるようになった儀式がもとで、それが武家や民間に流されて今日の形態をとるようになったとされます。そのルーツは古代中国の行事に遡ることが出来ます)は、時代と共に変化を重ねてきましたが、民間陰陽師系(祝言職人・芸人など)の働きにより、年中行事は民間に広まることとなります。例えば、正月行事の四方拝・恵方詣・屠蘇・書き初め・七草粥・どんど焼き・左義長など、陰陽道の重要な祭りである節分(宮中行事の追儺式が起源)、雛祭り(本来禊ぎ祓いの儀式)、端午の節句(当初は成人のための邪気祓い・厄病避けの祭り)、七夕(星辰信仰から生まれた祭り)、重陽の節句(延命長寿を祝います)、亥の子(玄亥、亥の日に餅を食べると無病になるという)、大祓え(禊ぎも民間道教のが起源とする説もあります)、虫送り、御中元、七五三など、陰陽五行思想と陰陽道(予祝、禁厭、祓除、厄除け、延命招福の呪法)の関わりの深い年中行事がほとんどです。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注)私たちの祖先は陰陽五行思想を使って、多くの祭り・年中行事を精密に作り上げ、災害の多い日本列島上の暮らしを無事に過ごす呪術としてきました。その他、正月の門松(その形は何を意味するのか?)・節分の豆(なぜ節分に豆をまくのか?)・土用丑の鰻(なぜウナギを食べるのか?)・冬至にカボチャ(冬至にカボチャを食べ柚子湯に入るのはなぜなのか?)・河童(なぜカッパの姿があのようなのか?)・地震の鯰(なぜ地震を起こすのがナマズなのか?)・お伽話の桃太郎(なぜ桃太郎のお供は猿・犬・雉なのか? キビダンゴが意味するものはなんなのか?)なども、この陰陽五行説の影響から生まれたものです。このように、陰陽五行説は私たちの生活や文化に自然に溶け込んでいます。