Arubaroでヴァカンスを

8月に開催するイベントの情報を載せています。 過去記事はスカートの裾まつりのです。暇ならみてください。 ※このデザインは私たちが檻に閉じ込められているのを 暗喩しているわけではありません。 悪しからず。

35歳の緊張と弛緩〈市子嶋しのぶ〉

いわゆる「育児」の日々に突入し、
その毎日の新鮮さと過酷さに、
冒険心とM体質に任せてのめりこんでいた二年半。

いわゆる「ママ友」というものが
私にもできるわけです。

たまには息抜きしなくちゃね~なんて美味しくコーヒー淹れて
オモタセのケーキやらいただきながら、

常に我が子のやんちゃの「アリ」や「ナシ」やを目の隅でチェックしつつ、

常によそのお子さんの「褒めるところ」を心の隅で探しつつ、

情報交換したり
睡眠不足を嘆いたり

そして、意識的に、「これは息抜きとしての時間であるべきだよね」
と、ちょっとだけオーバーなリアクションで笑う。

と、ちゃんと、カラダは反応するんです。

ちゃんと、脳ミソの後ろら辺が、ズキーンと痛む。

その人のことそんなに好きじゃなくても、
子供の月齢や
お互いの生活スタイルや
そういったもろもろが合う人とはやっぱり過ごす時間が長くなる。

たまにズキーンとなったりしても、
なんか別にそれはたいしたことでない。
やっぱり全体的に「楽」なことも確かだから、
またその人と会おうとか話そうとか、
子供どうしを遊ばせてお茶したいとか、思う。


ああ、こういうのが「ママ友」の典型のひとつなんだろな、と、思ったりします。


もちろん、
ホントにホントに気が合う人だってちゃんといて、

そういう人と過ごす時ははたいてい、

『ものすごい心地いいささやかな緊張感』

ってものがあるんです。
そこは独身時代、役者時代と変わらないんだけど、

自分の中に相手へのリスペクトがあるように、
相手の中にも自分へのリスペクトがなんらかあって欲しい。

そう思う時、脳ミソがやっぱちょっと緊張する。
多分いろんなアンテナを敏感にさせるために。

そうして結局はそういう人と話すのが一番気分転換で、息抜きで、

育児脳ミソの「弛緩」にはなっているんではないかなって、思うのです。

働くママ、
専業主婦の育児ママ、
独身女性、
役者、

いろんな環境のいろんな立場の友達が増えてきました。

それぞれの友達と過ごす時間には、それぞれの緊張と弛緩がある。

身体のストレッチみたいに、
ココロや脳ミソのいろんなところを
緊張、弛緩することが大事なのではないかぁと思います。
 
バランスがよくなるために。

だから、いろんな人と時間を過ごせる私は、ありがたいですね。 

こういう文章を書くようになったのは、30過ぎてからですね。

32歳の桜〈本郷華里〉

生まれ育った家の庭には、李の木があった。

桜の開花とほぼ時を同じくして、それよりも少しだけ早く、
桜によく似た白い花を咲かせる。
花が散り、新緑の季節が過ぎると、赤い果実をつける。
蝉時雨が静まると、葉は色づき、やがて物悲しくそれらを落とし、
裸の枝で寒さに耐えた後、また小さな蕾をふくらませる。

うららかな春の日、満開の李の木の下で、お花見をした。
夏、庭でのバーベキューのデザートは、すっぱい李の実だった。
秋は、集めた落葉で焼きイモを焼いたような気もするが、定かではない。
寒くて色のない冬は苦手で、部屋の中から、時折、庭に目をやるくらいだったが、
季節は分断されずにつながっているのだということを、幼い私は知る。


ある年のこと。
通りの桜並木はとっくに満開の時期を過ぎたというのに、我が家の李は開花の気配すらない。
その年は結局、花は咲かずに、葉だけが生い茂った。

以来、翌年も、その翌年も、李の木が花を咲かせることはなかった。
花が咲かなければ、当然、果実を実らせることもない。
初夏、わっさりと葉だけを茂らせるその木は、無用の長物と化し、
次第にその輝きと存在感を失っていった。

しかし、それで終わりではなかった。
花を咲かせていた頃は見過ごされがちだった、
毛虫の害(李の木は、庭の他の木よりもたくさん毛虫がついた)や、
落葉掃除の手間が取り沙汰されるようになり、とうとう、伐採計画が持ち上がった。

鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス

信長案、可決。
すっかり鼻つまみ者となった李は、幹を数十センチほど残し、ばっさりと切られてしまった。
存在感だけでなく、存在すら失くした李の話をする者はいなくなり、次第に記憶から薄れていった。

それから数年後。
高校生になった私は、ふと、庭の李の木のことを思い出し、なんとはなしに、母にたずねてみた。
そこで私は、意外な事実を知る。

なんでも、件の李は、私の生誕を記念して植樹された、記念樹だというではないか。
しかも、『桜』の木を植えたつもりが、どこで間違えたのか、
蓋を開けてみたら『李』の木だったという、なんとも情けないオチまでついている。

母の口振りは、「てへ☆ニアミス」くらいに軽い感じのものだったが、
妄想力たくましい夢見がちな10代女子にとっては一大事である。
まるで、『出生の秘密』を打ち明けられたかのような衝撃、といっても過言ではない。

「私は、この家の子ではなくて、本当の両親はどこか別にいるのでは?」などと、
行きすぎた昼ドラ的発想が脳裏をかすめるが、
殊に母とは誰が見ても瓜二つ、疑うまでもなく、この家の子に違いあるまい。

そもそも、桜だと思ったら李だったって、のっけから大間違いではないか。
しかも、花を咲かせるはずの木が、その責務を放棄するとは何事か。
挙句、お払い箱となり、切り落とされるまでの顛末が、
今後の自分の人生を示唆しているかのように思え、なんだか暗澹たる気分になった。
阿房列車ならぬ妄想特急、恐るべしである。

桜の花は大好きなのだが、桜になりきれなかった(という思いのある)当時の私は、
満開に咲き誇る桜を、少しうらめしく感じたりもした。

せめてもう少し早く、記念樹なんてステキなエピソードを知っていたなら、
信長案は、断固阻止していたことだろう。
秀吉くらいの好奇心をもって、なんとか咲かせてやろうと原因を調べ、
それがきっかけで、樹木医とかになっていたかもしれない。
親としては、咲くまで待とうと、家康的見解を示してくれてもよかったのでは、
と責めたところで後の祭りである。


あれから幾星霜。
李の木は、庭の片隅で、切り株から新芽を出している。
どっこい生きている、そんな感じ。
32歳になった私は、東京の片隅で、ごく普通に会社勤めをしている。

31、2歳のダンサーたち

今回ダンスで出演してくださる
加藤朋美さん(32)と手塚紀江さん(31)の
稽古場へ行き、
どんな進捗具合か見るついでに
お話も聞いてきました。
彼女たちは3公演とも出演していただきます。

コンテンポラリーダンスを専門にやっている二人。
このダンスはバレエとは違い、
振り付けに決まりがあるわけではなく
フリーに動くのが特徴です。

広いとはいえない舞台の限られた空間で
全力で踊ってる女性の身体の動きを
身近で見れるのはひとつの見所かと。
妙な表現ですみません。
今回はこの裾まつりのための
オリジナルのダンスを創作してくださいます。


ーーさて、どこから、、お二人はダンサーですが、
どのくらいダンスやってるんですか。

加藤:いっぱい。

手塚:あれ、そんな返しでいいの。じゃぁ私も。

ーーいや、別に量の話ではなかったんですけど。
まぁいいです。
ダンサーの方だとほとんどが子供のときからというのを
聞きますのでそうなんだと思っときます。
とにかく30代になるまで
たくさんやってきたということですね。
さて、今回のダンスですが、どうやって作っているのですか。

手塚:今回は加藤さんが全部振り付けてます。私はあとから
誘われたので。

加藤:元々、私がこの企画に誘われてて
一人でやるかなと思ってて振り付けてました。

ーー振り付けのイメージとかあります?

加藤:とくにないですね。先にこの小道具使いたいなぁ、
この曲使おうかなとかそっから決まってって。
で、つくっている最中に椅子の上に立ってやること
思いつたので立ってみたら、
『あれ、これもう一体欲しいぞ。この空間に女体が
二つ欲しい』とか思ったので人増やしたり。
手塚:(その)もう一体です。

ーーじゃぁ内容に関しては特にイメージしてなかったと。

加藤:そうですね。まぁ30代女性のためのってのは
私たち自身が30代だから何かをやるだけで表現できますしね。
あとは『スカートの裾まつり』ですから衣装もスカートにして
裾のあたりを気にしてやろうと思っています。

ーーああ、確かに、そのような振りつけありましたね。
裾をぴらっぴらっと。それはチェキですね。

手塚:チェキ?

ーーあっチェックするって意味です。古かったですか。
拾われると恥ずかしいです。
さてイメージはないというものの、
私は見てて、30代女性の陽気な感じプラス
落ち着きというか、情念?が表現されてたように思います。
天地創造?のような厳かな感じですか。

加藤:全く、そんなこと思ったことなかったです。
ただここで手をこう動かしたいなとか。
ここで移動したいなとか。で作っていってるので。
でもそういう風にみていただくのはかまいません。
今回の作品は余地だけはたくさんありますから。

ーー想像させる余地?

加藤:まぁいろいろです。余地だらけですよ。

ーー余地っていうと都合がよくもありますが、
確かにどういう風にも捉えることができて楽しいですね。
言葉はないですし、コンテンポラリーダンスの性質とか構造が
そういうものなんですかね。
ところで振り付けられた側としてはイメージとかなくて、
何を思ってダンスやってるんですか。

手塚:、、、
、、、
、、、
、、、なんにも。、、、無かな。

ーーはぁー無ですか。

手塚:もたいまさこ的な

ーー確かに『もたいさん』と『無』は相容れますけど。なんにしろ無ってすごい。悟りですよね。振りのことも頭にないくらい無心になれるんですか。えっ動かそうと思う前に身体が勝手に動くってことですよね。

手塚:いや身体を動かそうくらいは思っている。
動かしているや。あっ意識して動かしているな。

ーーあっそうなんですね。最近、仏教が好きだから、無ってことに食いついてしまいました。すみません。
ではおおむね無であり、なんにも考えてない。
かなり集中してるんですね。

手塚:そうだな。比較的何も考えない方かもなぁ。
加藤:そうなんだね。私はどろっどろっに考えながらやっているよ。

ーーああ、分かる気がします。加藤さんの方が情念が濃そうですものね。最後になんかありますか。

加藤:強引な終わり方だな。
とくにない。 
あっ30代のこの人たち仲良さそうで楽しそうだなと
いうことくらいかな。
あとは気のいい仲間とやれればいいなということです。 

手塚:そうだ。そうだ。IMG_5934

(手塚 加藤)
ーー一みなさん、この女性たちと一緒に楽しんでやってください。
ありがとうございました。

(坊薗)
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