いわゆる「育児」の日々に突入し、
その毎日の新鮮さと過酷さに、
冒険心とM体質に任せてのめりこんでいた二年半。

いわゆる「ママ友」というものが
私にもできるわけです。

たまには息抜きしなくちゃね~なんて美味しくコーヒー淹れて
オモタセのケーキやらいただきながら、

常に我が子のやんちゃの「アリ」や「ナシ」やを目の隅でチェックしつつ、

常によそのお子さんの「褒めるところ」を心の隅で探しつつ、

情報交換したり
睡眠不足を嘆いたり

そして、意識的に、「これは息抜きとしての時間であるべきだよね」
と、ちょっとだけオーバーなリアクションで笑う。

と、ちゃんと、カラダは反応するんです。

ちゃんと、脳ミソの後ろら辺が、ズキーンと痛む。

その人のことそんなに好きじゃなくても、
子供の月齢や
お互いの生活スタイルや
そういったもろもろが合う人とはやっぱり過ごす時間が長くなる。

たまにズキーンとなったりしても、
なんか別にそれはたいしたことでない。
やっぱり全体的に「楽」なことも確かだから、
またその人と会おうとか話そうとか、
子供どうしを遊ばせてお茶したいとか、思う。


ああ、こういうのが「ママ友」の典型のひとつなんだろな、と、思ったりします。


もちろん、
ホントにホントに気が合う人だってちゃんといて、

そういう人と過ごす時ははたいてい、

『ものすごい心地いいささやかな緊張感』

ってものがあるんです。
そこは独身時代、役者時代と変わらないんだけど、

自分の中に相手へのリスペクトがあるように、
相手の中にも自分へのリスペクトがなんらかあって欲しい。

そう思う時、脳ミソがやっぱちょっと緊張する。
多分いろんなアンテナを敏感にさせるために。

そうして結局はそういう人と話すのが一番気分転換で、息抜きで、

育児脳ミソの「弛緩」にはなっているんではないかなって、思うのです。

働くママ、
専業主婦の育児ママ、
独身女性、
役者、

いろんな環境のいろんな立場の友達が増えてきました。

それぞれの友達と過ごす時間には、それぞれの緊張と弛緩がある。

身体のストレッチみたいに、
ココロや脳ミソのいろんなところを
緊張、弛緩することが大事なのではないかぁと思います。
 
バランスがよくなるために。

だから、いろんな人と時間を過ごせる私は、ありがたいですね。 

こういう文章を書くようになったのは、30過ぎてからですね。